(CIR)の記事、“ベルバエーゼ”は、イタリアで食べ歩きをするには欠かせない地方料理の貴重な情報満載の記事です(記事の日本語訳は4月号P.22~)。昨日は、ロンバルディアのグルメ情報を元に動画を探していたら、イタリアで食べ歩きをするヒントがたくさん見つかりました。
例えば今回のテーマはリゾットですが、まず考えるのは、地産地消。生物多様性同様、イタリアの食文化を語る上での大切なポイントです。
食べたいものがあったら、その産地に行くこと。
今回は、米の産地、ロメッリーナ地方のビジェバノで、この地方の農作物や伝統のサルーミを使ったリゾットを見つけました。
もちろんここ以外にも米の産地はあります。もっとイタリアの米料理を知りたくなったら、次は米の品種を知ることが必要になります。
ロンバルディアやミラノは米と強く結びついた地方ですが、ミラノだけでなく、ポー河沿岸の地方は、米の産地です。
『クチーナ・ミラネーゼ』
によると、米はミラノのシンボルとなる穀物で、北イタリアには120種の米が栽培されているそうです。最初の田んぼが登場したのは16世紀後半。マントヴァ、パヴィア、ヴェルチェッリ、ノヴァーラ、といった歴史的にはトリノの影響下の地方がミラノの米蔵となりました。
によると、米はミラノのシンボルとなる穀物で、北イタリアには120種の米が栽培されているそうです。最初の田んぼが登場したのは16世紀後半。マントヴァ、パヴィア、ヴェルチェッリ、ノヴァーラ、といった歴史的にはトリノの影響下の地方がミラノの米蔵となりました。
下の動画はヴェルチェッリの水田で季節労働をする女性たち。彼女たちはモンディ―ネと呼ばれ、泊まり込みで早朝から一日中重労働に携わった。主な仕事は苗の田植えと秋の収穫に備えた雑草抜き。北イタリアの米を作った人たち。今はその姿は消えた。
ミラノ料理で活躍した米はカルナローリCarnaroli。
米はルネサンスの作物と言われています。この時代に栽培が始まり、栽培が急速に広まったからです。ちなみに米はアラブ人によってまずシチリアに伝わります。そして北イタリアの米に魅せられた研究熱心な領主たちのおかげで、新しい栽培方法がどんどん創り出されて、今やイタリアは、ヨーロッパの米作りの中心地にまでなりました。
北イタリアで米を栽培するということは、水路なども必要で、それまでヨーロッパで行われていた農業とは根本的に考え方を変える必要がありました。先進的な考え方の領主は、よほど面白かったのか、技術だけでなく、米作りの詩まで作って米の栽培をバックアップしました。
カルナローリ米。
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イタリアの料理月刊誌の日本語解説『(CIRクチーナ・イタリアーナ・レジョナーレ)』
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