2017年12月29日金曜日

巨星墜つ


2018年の最後になって、イタリアから訃報が飛び込んできました。
イタリア料理界の巨匠、グアルティエロ・マルケージ氏が12月26日、亡くなりました。
87歳でした。
イタリア在住のsegnalibroさんによると、“全国版ニュースで流れて驚きました。
もういいお年だったし、奥様が亡くなられてから、落ち込まれていたとか
とのこと。

イタリアで最初の3つ星シェフとして一世を風靡し、イタリア料理の新しい扉を開いた人として、このブログでも度々取り上げてきました。
パイオニアであると同時に後輩の育成にも熱心で、多くのマルケージ・チルドレンを育て上げました。
美食の国のトップシェフとして、世界で一番有名なイタリア料理人でしたよね。
世代交代がますます加速しそうだなあ。

彼の代表作、金箔とサフランのリゾット



このリゾットは、作り方は米の産地の伝統的なリチェッタを守りながら、洗練された創造力に溢れた2次元的盛り付けで圧倒する、新しいイタリア料理でした。

全盛期がバブルと重なっていたので、個人的にはバブルの象徴のようなイメージのシェフでした。
でも、マクドナルドが出店する度に反対運動がおこるような国で、先頭に立って革新的なことをする勇気ある人でもありました。
R.I.P シェフ。

のんびり美味しそうなパスタのリチェッタでも紹介して今年を終えようと思っていたのですが、思いがけないニュースで、予定は大幅に変更です。
それでは、良いお年をお迎えください。


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2017年12月27日水曜日

恒例、新年のレンズ豆

今年もレンズ豆を食べる季節がやってきました。

標高1000~1500mの高地に育ち、人間が栽培をした最初の植物の一つで、イタリア産レンズ豆の代表的産地カステッルッチョのあるシビッリーニ山地の高原では、何世紀にも渡って、レンズ豆、小麦、牧草の三毛作が行われていたのでした。
春の初めに畑を耕し、3月から5月半ばにかけて種を撒き、7月から8月にかけて収穫。

12月31日の真夜中12時を過ぎると、イタリア中の人がレンズ豆を食べます。
そうすると幸せと財産を運んでくれる、と信じられているからですが、
下の動画によると、なにやら面倒な手続きがあるようです。
例えばその一つがオイルは加えない、ということ。
幸運が油で溶け出て行っちゃうからだそうです。



もっとお手軽に幸運を呼ぶのは、新年になる直前にぶどうを1粒食べる、ということ。
生でもレーズンでもいいそうです。

油を加えないのは美味しくなさそうなので、寒い今年はレンズ豆のズッパのリチェッタをどうぞ。



年末年始の料理と言えば、カッペッレッティ・イン・ブロードも名物料理ですが、今年はタリオリーニ・イン・ブロードなんてどうでしょう。
見た目はラーメンですが、ブロードはしっかりイタリアン。



タリオリーニ・イン・ブロードの話、次回に続きます。


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2017年12月25日月曜日

アニョロッティ・デル・プリン

今月の「総合解説」の書籍の翻訳はピエモンテ料理。
1001スペチャリタ』からは、前菜とプリーモのうんちくを、グリバウドシリーズ『ピエモンテ』からは前菜とプリーモの定番地方料理のリチェッタを、『オステリエ・ディ・イタリア』からはオステリア・ボッコンディヴィーノのリチェッタを訳しました。

前回のブログで、カルボナーラの具のラビオリ・デル・プリンを紹介しましたが、ラビオリ・デル・プリンという名前。違和感ありませんか?
デル・プリンというのは「つまんだ」という意味。
これはピエモンテのアニョロッティというパスタのランガ・アスティジャーナ地方のバリエーションです。
なので、アニョロッティ・デル・プリンと呼ぶのがより正確。
詳しい話は「総合解説」のアニョロッティの欄を見ていただければ分かります。
ラビオリとアニョロッティの違いなどについても書いてあります。
前回のブログの料理はローマ人が作ったので、ラビオリだったのですね。
それにしても、つまむと言う製法は、よくありそうで意外と独特なもの。
ラビオリとアニョロッティ・デル・プリンの違いは、深く考えたことなかったのですが、2枚の生地で具を挟んでカッターで切り分けたり型で抜いたりするのがラビオリの製法。
デル・プリンは上片はカッターで切って、左右は指でつまんで潰す、つまり、カッターで切った時より薄くなる訳です。

デル・プリン



ラビオリ



デル・プリンじゃないアニョロッティ



ラビオリとアニョロッティは同じものですよね。
ラビオリは上下の生地を接着して閉じます。
アニョロッティ・デル・プリンのほうが生地は薄いし、具は少量。
小型でぱくっと口に入りそう。

ちなみにアニョロッティの発祥地はモンフェッラート。
一説によるとアニョロッティという名前を付けたのはモンフェッラート公。
考案したのは彼の料理人、アンジェロット。



モンフェッラートの中心はアスティ。
アスティは美食の町。

締めはアニョロッティ・デル・プリンのセージバターがけ





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“ピエモンテ料理”リチェッタの日本語訳は「総合解説」2015年8月号に載っています。
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2017年12月22日金曜日

ローマの注目の若手シェフ

ローマの注目の若手シェフ、イル・ティーノのダニエレ・ウサイ氏と、オステリア・フェルナンダのダヴィデ・デル・ドスーカ氏のリチェッタの訳を「総合解説」にのせました。

まずはウザイシェフのパスタの動画をどうぞ。
麺は“手打ちのセモリナ粉と卵黄のラビオリ・デル・プリンのカルボナーラ詰め、ランゲのトリュフがけ”です。
 


シェフはローマの人ですが、ランゲのトリュフがテーマの動画なのでパスタはラビオリ・デル・プリンを選んだようですね。
ピエモンテの名物パスタにローマを代表するパスタソースを詰めるという楽しいアイデア。
パスタは00番275g、セモリナ粉25g、卵黄8個。
仕上げにピエモンテ人なら薄く削ったトリュフをかけますが、そこはローマ人のDNAに突き動かされたのか、ペコリーノのようにおろして散らすという手法。
主役はトリュフより具のカルボナーラ、つまりグアンチャーレと卵黄とペコリーノというわけです。

もう1品。平麺の手打ちパスタに黒トリュフ、そして生の卵黄のせ。
これもカルボナーラのバリエーション。
卵黄を崩してパスタにからめる食べ方です。




極太麺をソースでしっかりマンテカーレして、サービングフォークとレードルを使って巻いて縦長にこんもりと巣の形に盛り付けるというテクニックは、グランシェフたちのパスタを一段とエレガントに見せる盛り付けとして度々取り上げています。

今回訳した二人のシェフも、この盛り付け方で、ウサイシェフは生ガンベロ・ロッソのクネル、デル・ドゥーカシェフはスカンピのクネルをのせています。

デル・ドゥーカシェフとオステリア・フェルナンダ
 ↓


彼もパスタは巣の形に盛り付けていますね。

「総合解説」て訳したパスタのリチェッタで使っているのは、ベネデット・カヴゥリエーリのパスタ。
初めて聞きました。
プーリアのパスタメーカーなんですね。

アイモ・エ・ナディアのリチェッタ





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“ローマの注目の若手シェフ”の記事の日本語訳は「総合解説」2015年8月号に載っています。
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2017年12月20日水曜日

アリッチャのポルケッタ

ポルケッタは、発祥地の候補地がイタリア中部全域に広がっていて、どの地方の料理と言い切れない料理です。
おそらく、初めて食べた場所を発祥地と信じるケースが多いでしょう。
私は多分、ローマに来た時に食べた、ガイドブックに載っていたお勧めの店のポルケッタが初ポルケッタだったと思います。
当然しばらくはラツィオ料理だと思っていましたが、その後ペルージャ在住の人に勧められて食べた市場のポルケッタが、まったく別ものと思えるくらい美味しくて、それ以来、ウンブリア料理と思うようになりました。
ぺルージャのアンティカ・サルメリア・グラニエリ・アマートのポルケッタ。
 ↓
Porchetta

1001スペチャリタ』によると。ポルケッタはウンブリア、ラツィオ、マルケ、アブルッツォといったイタリア中部に古くからある料理ですが、マルケでも州の名物食材の1つと見なされています。
豚の飼育はすでに古代ローマ時代には各地で行われていました。
ポルケッタ作りはロマーニャ地方やヴェネトにも広まっています。
特に収穫祭には必ず登場するお祭りの料理として、イタリア中に広まりました。
言い換えれば、イタリアを代表するストリートフードの一つです。

Porchetta


ラツィオのカステロツリ・ロマーニ地区には、古代ローマ以来のポルケッタ作りの伝統を受け継いでいる町があります。
アリッチャという町です。

アリッチャのポルケッタはIGP製品。
イタリアが誇るメイド・イン・イタリーの食材です。



ジューシーな肉とパリパリの皮。
この店はフェンネルシードではなくもっと高価なフェンネルの花を使っているのが自慢。
アリッチャでは、1950年以降、毎年9月に、有名なポルケッタの収穫祭が行われています。



ポルケッタのパニーノをバルコニーからまくんかい!!
超絶楽しそう!!
アリッチャのポルケッタは脂肪が少なく風味がよいメス豚だけを使用し、昔ながらの製法で職人のポルケッターロが作ります。
さらにこの地方のポルケッタのパニーノの大きな魅力の一つが、パンの美味しさ。
以前にこのブログで、確かブルスケッタに最適のパンとして紹介したと思うのですが、ジェンザーノかラリアーノのパーネ・カゼレッチョ。
これに挟んで食べれば最高!!

カステッリ・ロマーニは、フラスカーティもあるし、ローマから近いし、ワインは美味しいし、フラスケッタ(オステリア)もあるし、ポルケッタを食べに訪れてみるのも楽しそう。

アリッチャのフラスケッタ





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“アリッチャのポルケッタ”の記事の日本語訳は、「総合解説」2015年8月号に載っています。
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2017年12月18日月曜日

ピッツァ・マルゲリータが広めたトマト栽培


今月の「総合解説」は8月号です。
イタリアの料理の分野の8月の話題は、何と言ってもトマト。
毎年夏になると必ずトマトが話題の記事が登場します。
もうそろそろネタ切れか、とも思うのですが、なんと今年の8月号にも初めて聞く話題が・・・。
「食物の歴史の中でトマトの発見はフランス革命に匹敵する」と信じているイタリアの人々。
そもそも、トマトはいつどこで発見されて、いつイタリアに伝わったのか、
こんな入門編の質問ですが、最近、すごく気になるのが、時代交渉がされていないドラマの食事風景。
中世ヨーロッパが舞台の話で(日本のドラマで中世ヨーロッパが舞台の話なんてないけど、アニメのファンタジーの世界は、この時代がよく舞台になりますよね。
そもそも妄想の世界なんだから、時代考証なんかまったく必要ないのですが)、真っ赤なソースをかけた料理が画面に1秒映っただけで、この時代にトマトはまだヨーロッパにはないでしょと指摘したくてたまらなくなるのは職業病です。
でも、日本のアニメが世界中に広まっている昨今、同じシーンを見て同じことを考えるナポリっ子は、少なくないはず。
とにかく、トマトがヨーロッパに広まってヨーロッパの料理が赤くなったのは意外と最近。

ヨーロッパに伝わったトマト
 ↓


2015年の『サーレ・エ・ぺぺ』の8月号のトマトの記事は、いきなりこんな文章から始まります。

「今から5世紀前、メキシコのティノチティトランの市場で、ベルナルディーノ・デ・サグアンという修道士が、トマトの味見をした。

なんのこっちゃと思いましたが、一応、この修道士のことをwikiで調べると、メキシコに派遣されたスペイン人修道士で、現地の歴史や習慣をまとめた百科全書的な本を書いたことで知られている人でした。
トマトを初めて食べた時のことも書かれているそうです。

ナポリの言葉でトマト料理のリチェッタが書かれるようになったのは18世紀末のこと。
毒があると信じられて南米の原住民でさえ食べていなかったトマトが、どうやって食用になったのかははっきりとはわかっていませんが、
少なくとも南イタリアでは、度々飢饉に襲われたナポリの貧しい民衆が、必要にせまられて食べるようになったのがきっかけではないかと考えられています。
アメリカではリンカーンをトマトで暗殺しようとしたなんて噂まであります。
ちなみにリンカーンが大統領になったのは、1861年、暗殺されたのは1865年のことです。

イタリアではトマトの栽培が南イタリアに広まり、19世紀末にチリオによって缶詰が製造されるようになると北イタリアにもトマト料理が広まりました。
そこにさらに強力なきっかけとなったのが、マルゲリータ王妃がピッツァを食べたいと所望して作り出されたピッツァ・マルゲリータです。
どこの国でも愛される王族は社会現象を巻き起こします。
王妃の好物がピッツァだなんて、当時のピッツァ業界は狂喜乱舞したでしょうね。
イタリアでは、このピッツァがきっかけでトマトの栽培がポー河流域やリグーリアにも広まっていったのだそうです。
ちなみにピッツァ・マルゲリータが誕生したのは1898年のこと。

マルゲリータ王妃
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ピッツァ・マルゲリータ
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“トマト”の記事の日本語訳は「総合解説」2015年8月号に載っています。
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2017年12月15日金曜日

最新の地方料理のヒット、ボンベッテ

今月の地方料理はプーリアの“bombette”です。
ボンベッテ?
ミニ爆弾?
聞いたことないなあ、と思ってプーリア料理の本を調べてみましたが、どこにも載っていません。
『サーレ・エ・ペペ』の記事によると、ストリートフードから生まれた肉屋の惣菜らしいので、ストリートフードを調べてみたら、『ストリート・フード・アッラ・イタリアーナ』にとても面白い話が載っていました。


多分、プーリアに住んでいる皆さま以外は、見たことも聞いたこともないイタリア料理だと思いますが、そもそも、プーリアのイトリアの谷(アルベロベッロ近くのロコロトンドやマルティーナ・フランカあたり)などにあった伝統、肉屋が店の横に厨房を作って、そこで肉を調理して売っていたという習慣がベースになっています。

イトリアの谷
 ↓


この地方の店内で肉を焼いて売っている肉屋、fornello pronto
 ↓


40年ほど前、マルティーナ・フランカのある肉屋が、炭焼き総菜の中に“ボンベッテ”というメニューを加えました。これが始まりです。

ボンベッテ
 ↓


豚の肩ロースでカネストラートなどの地元の食材を包んで串焼きにしたものです。
この料理がスローフードのイトリアの谷担当者の目に留まり、大々的なプロモーション活動が始まったのです。
それは、スローフードが参加する食のイベントの場で披露する、というものでした。
こうしてマルティーナ・フランカのお肉屋さんのメニューは、たちまち全国区になり、国際的になったのでした。
そして今ではプーリアの地方料理として認知されつつあります。
なんとも現代的な地方料理の誕生物語ですね。

現代のヒット商品は、すぐにコピーが出回ってえげつないことになりますが、この料理は珍ししくルーツがはっきりしています。
この料理を広めるのに貢献した人々。
 ↓




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“ボンベッテ”の記事の日本語訳は「総合解説」2015年8月号に載っています。
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2017年12月13日水曜日

南の高級きのこからハイジまで

今月の「総合解説」の食材は、8月に旬を迎えるイタリアの食材。
え、今12月?
まあ、毎年夏は必ずやってくるって。

というわけで、8月が旬のイタリアの食材ってなんでしょう。
珍しいところでは、オーヴォロ・ブオノovolo buono。
和名はセイヨウタマゴダケ。



ほんとに卵にそっくりですねー。
ポルチーニより珍重されている天然物のきのこ。
きのこにしては珍しく、中部~南部の森に育ちます。
トリュフより貴重かも。
日本では育たないらしいですが、そっくりのタマゴダケモドキという毒キノコもあるそうなので、採取には十分注意が必要。
上質な味で、生で食べるのが主流。

つぎはイワナ、サルメリーノ il salmerino。



名前はよく聞きますが、その実態は川魚ということぐらいしか知らない。

次はフォンティーナ。



ご存じ、ヴァッレ・ダオスタの名物チーズ。
この地方(アルプス)では8月は、山小屋のチーズ屋が営業を開始する季節。


フォンティーナと言えば、フォンドゥータ。



ハイジの世界はスイスが舞台だけど、フォンティーナの産地はそこと隣接している地方です。
実写版映画『ハイジ』
どのシーンも素敵・・・。



イタリア語版もありました。





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“8月の食材”の日本語訳は、「総合解説」2015年8月号に載っています。
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2017年12月11日月曜日

ピエモンテの平野

“グランデ・クチーナ・レジョナーレ・イタリアーナ”シリーズ

ピエモンテ』


の翻訳、ピエモンテの地形のバリエーションとその特徴について。
その3。

“その先に広がる平野”

ピエモンテの東は、ロンバルディアへと続く平野が広がっている。
歴史的に、ノヴァーラからマッジョーレ湖までは、長い間ミラノ公国の一部でロンバルディアだった。
マッジョーレ湖では、右岸も左岸も魚は同じリチェッタで調理した。
ノヴァーラ、ヴェルチェッリ、ロメッリーナの米作地域は
ロンバルディアとピエモンテの間で長年に渡って何度も所有権が移り変わり、その結果、米やカエルやガチョウがベースのこの地方の料理の味は均一化された。
長期間にわたって異なる文化が出会い、遠くの世界からやってきた豊かで様々な伝統が一点に集中した結果、とても個性的な食文化が生まれた。
ピエモンテ料理はとても優美でありながら、その魂は農民の暮らしに根を張った、強い味と本物の食材の料理なのだ。

ピエモンテの43%は標高600m以上の山で、そこでは放牧が広まった。
ふもとの丘陵地帯と平野では、市場のニーズに答えるために革新的な技術を取り入れて、土地の個性を活かした農業が発展した。
ランゲ、ロエーロ、モンフェッラートといったワイン王国や、果物のサルッツォ、野菜のアレッサンドリア、平野では、ノヴァーラ、ヴェルチェッリ、アレッサンドリアの米。
オステリアや家庭で作られていた昔ながらの味や食材が、最新の農業と出会って現代の暮らしに取り込まれていきながら、地方ごとの個性的な料理や使用方法が生まれていく、そうして作り上げられたのがバラエティ豊かなピエモンテ料理なのだった。
(終)


なるほど、様々な地形や歴史的要素から生み出されたピエモンテ料理は、その要素のどれも無視できない重要な要因となって出来上がっていました。
多民族の異文化を貪欲に吸収して出来上がった料理だったのでした。

『ピエモンテ』の解説はまだ続きますが、続きはまたの機会に。

海のない州のアンチョビ好きから始まった今回の話。
最後は、ノヴァーラに住むご隠居の話。
暇になると電話をかけてきて、何かいい話はないかと聞かれるので、からかい半分に、「そういえば、ピエモンテには海がないよねー」と言ったら、「マッジョーレ湖がある!!」と即座に反論されました。

あの細長ーい湖の左半分は、ピエモンテの人に取っては海なんですね。
失礼しました。





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グリバウドシリーズ『ピエモンテ』のリチェッタの日本語訳は、「総合解説」2015年8月号に載っています。
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2017年12月8日金曜日

ピエモンテのアペニン山脈の向こう

“グランデ・クチーナ・レジョナーレ・イタリアーナ”シリーズ

ピエモンテ』


の翻訳、ピエモンテの地形のバリエーションとその特徴について。
続きです。

“アペニン山脈の向こう”

ピエモンテの南には、もう一つの山脈、アペニン山脈がある。
この山脈も州を分断するものではなく、ピエモンテとリグーリアの間の通路となっている。
遠い昔から、アペニン山脈の両斜面はつながっていた。
古代ローマ時代の区分のリグーリア地区には、現在のピエモンテがかなり含まれていた。
その住民は先住民のリグリア人だった。
当時の集落は中世にも受け継がれ、モンフェッラートの大公は、その支配権をポー河支流のタナロ川流域から海まで広げた。
19世紀にはサルデーニャ王国がその力をリグーリア、ピエモンテまで広げた。

この地域では物流を通して食文化も同じものが広まった。
アニョロッティ、チェーチの粉、豆のズッパ、にんにくと香草で料理に風味づけをするリチェッタなどは、その昔、ランゲ地方を横断していた塩の道を通って広まった。
この道を通ってリグーリアの商人は、塩だけでなく、オイルやアンチョビも運んだ。
バター、チーズ、小麦は物々交換用の商品だった。
これらはピエモンテを代表する名物料理、バーニャ・カウダの食材だ。
(続)

リグーリアとジェノヴァの間にあるアペニン山脈の夜明け。

Italy, Appennino Ligure Mts.


山脈を超えた先にあるのはリビエラの海。この町はポルトフィーノ。

Portofino, Liguria, Italia

山のふもとと言う名前のピエモンテ。
山は向こう側とピエモンテを隔てる壁ではなく、フランスや地中海への門でした。
海のない州ピエモンテで、アンチョビがこんなに愛された理由が少し分かったかも。


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2017年12月6日水曜日

ピエモンテとアルプスの向こう

ピエモンテ料理の話をしていますが、ピエモンテ料理はバリエーションが豊かなのが特徴の一つ。
ピエモンテでバリ―ション豊かなのは地理もです。
各州の料理の特徴を、とても的確に分析しているのが、グリバウド社の地方料理シリーズ、ラ・グランデ・クチーナ・レジョナーレ・イタリアーナ”シリーズです。

イタリア人向けの地方料理の解説なので、かなり深くて、その一方で、このシリーズの特徴である読みやすくて分かりやすい精神が貫かれていて、外国人には目からうろこの視点で地方料理を分かりやすくとらえているの本です。
本気でイタリア料理を造っている外国人にはぴったりの本です。

リチェッタは読みやすいし「総合解説」に日本語訳もたくさん載せているのですが、州の歴史や地理、文化の解説は、機会があれば訳してきました。
今回は、ちょうどこのピモンテの本が再入荷したので、地形について説明している部分を訳してみます。


まずはピエモンテの地形をざっと説明した動画をどうぞ。



ざっとどころか、すごく学術的なピエモンテの地理の解説でビックリ!
地理が絶望的に苦手だった私に言えるのは、ピエモンテの歴史は地理の歴史と結びついています、と言いながら、いきなり、2憶年前の話から始まった、ということ。
しかも当時は海によって陸が北と南に分かれていました。
沿岸には火山があって、どうやらこれがピエモンテの土壌の基礎なっています。
1憶3千万年前に、南北が接近して押し合い、押し上げられた土壌が垂直に切り立って、山脈になり、丘陵ができ、という訳です。
1億年前に地殻変動は落ち着いたかに見えた・・・、あたりでもうほぼ限界。
その後の氷河期だかの話は、記憶にない・・・。
料理の話に戻ります。
最初の章は、文字通り訳すとアルプスの向こう、という意味ですが、これはつまり、フランスの別名です。

“アルプスの向こう”
アルプス山脈を通って、何世紀にも渡って人間や商品、文化や思想が行き来してきた。
この山脈は障壁ではなく、歴史的なある地域への門だった。
サヴォイアだ。

紀元1000年頃にはすでにアイデンティティーが出来上がっていたフランスとイタリアにまたがるこの国は、16世紀末になって首都をシャンベリからトリノに移し、ピエモンテ一帯に勢力を広げていく。
この地域の大部分の伝統は、今でもフランスとの結びつきを感じさせる。
ピエモンテは他の州と比べてもフランスとの共通点を強く感じる。
前菜の豊富さは、フランス人のアントレ好きと通じる。
パスタは比較的限られている。
ピエモンテではソースを芸術にまで高めるほど情熱を抱いている。
料理用語も、フュメ、シヴェ、ココット、ボネなど、フランス語がピエモンテなまりになったものが多い。
(続)

アルプスのこっち側、フランスのシャンベリはサヴォワ県の県都。






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2017年12月4日月曜日

バーニャ・カウダとアルゼンチン

もうすぐ発売の「総合解説」の書籍の翻訳は、ピエモンテ料理です。
うんちくの宝庫『1001スペチャリタ・デッラ・クチーナ・イタリアーナ

からは、色んな面白いうんちくを訳しました。

オステリエ・ディ・イタリア新版


からは、スローフード発祥の店、ボコンディヴィーノのリチェッタを訳しました。

まずは、『1001スペチャリタ』から、前回話題にしたバーニャ・カウダのおまけ。
この料理はイタリア移民によって南米に伝えられて、ある国で大ヒットしました。

その移民と言うのが、ちょっと意外なことに、ピエモンテからの移民だったんです。
移民と言えば南伊の現象という先入観持ってましたが、北伊の人も、海を渡っていたんですね。

で、移民した国はアルゼンチンです。
サッカーは全然詳しくないのですが、メッシの名前はさすがに聞いたことありました。
この人、イタリア系アルゼンチン人だったんですね。





毎年7月に開催されるアルゼンチンのバーニャ・カウダ祭りは大きなお祭り。
アルゼンチン人、楽しいです。

パニッシャというリゾットのうんちくは、初めて聞きました。
パニッシャがノヴァーラの名物リゾットで、いつかノヴァーラで食べようと思っているのなら、知っておいた方がいいかも。
 ↓
Paniscia alla novarese

Taverna "Come una volta" a Vercelli

1つ上の写真のリゾットはパニッシャpanisciaで、下のリゾットはパニッサpanissaです。
私、正直言って、ちょっとなまった程度で、2つの料理は同じものだと思っていました。
ところが、この2つは作る場所も、材料も違う、別の料理だったのです。
パニッシャはノヴァーラの料理、パニッサはヴェルチェッリの料理です。
パニッシャには豆、トマト、キャベツ、サラミなど、色々な材料が入りますが、パニッサは豆と米がベースのシンプルなリゾット。
ノヴァーラでパニッシャ食べようとしてパニッサくださいと言わないようにね。

ところで、ボッコンディヴィーノのリチェッタは、ピエモンテ料理はacciugheから始まる法則の通り、アンチョビのヴァニェット・ロッソが1品目でした。
フランス系イタリア料理として紹介したフランもありました。
トピナンブールのフランでした。

これはボッコンディヴィーノのトリッパのポレンタ添え
 ↓
Osteria Boccondivino, Bra, Italy


ボッコンディヴィーノはスローフード運動発祥の店で、新しいタイプのオステリアの理想的姿と言われる店。
店のwebページはこちら



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ラビオロ・アベルトは、スパゲッティ・ボンゴレのモダンバージョンになるか。

海のパスタ、2品目は“アンコウと野菜のラビオロ・アベルト”です。日本語のリチェッタは(CIR6月号、P.21)。 ラビオロ・アベルトは、マルケージが考案した革命的パスタ。 パスタにイタリアンパセリの葉をはさんで伸ばし、レースのように美しい模様にしたのが特徴で、マルケージの唯一無二...