『ピエモンテ』
続きです。
“アペニン山脈の向こう”
ピエモンテの南には、もう一つの山脈、アペニン山脈がある。
この山脈も州を分断するものではなく、ピエモンテとリグーリアの間の通路となっている。
遠い昔から、アペニン山脈の両斜面はつながっていた。
古代ローマ時代の区分のリグーリア地区には、現在のピエモンテがかなり含まれていた。
その住民は先住民のリグリア人だった。
当時の集落は中世にも受け継がれ、モンフェッラートの大公は、その支配権をポー河支流のタナロ川流域から海まで広げた。
19世紀にはサルデーニャ王国がその力をリグーリア、ピエモンテまで広げた。
この地域では物流を通して食文化も同じものが広まった。
アニョロッティ、チェーチの粉、豆のズッパ、にんにくと香草で料理に風味づけをするリチェッタなどは、その昔、ランゲ地方を横断していた塩の道を通って広まった。
この道を通ってリグーリアの商人は、塩だけでなく、オイルやアンチョビも運んだ。
バター、チーズ、小麦は物々交換用の商品だった。
これらはピエモンテを代表する名物料理、バーニャ・カウダの食材だ。
(続)
リグーリアとジェノヴァの間にあるアペニン山脈の夜明け。
山脈を超えた先にあるのはリビエラの海。この町はポルトフィーノ。
山のふもとと言う名前のピエモンテ。
山は向こう側とピエモンテを隔てる壁ではなく、フランスや地中海への門でした。
海のない州ピエモンテで、アンチョビがこんなに愛された理由が少し分かったかも。
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