2008年11月28日金曜日

パドヴァ、クープ・ド・モンド優勝パスティッチエーレの店

パドヴァの話、その2。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。

記事で紹介している店の一つが、1997年のクープ・ド・モンド・ド・ラ・パティスリー(イタリア語ではコッパ・デル・モンド・ディ・パスティッチェリーア)で、イタリアが過去に一度だけ優勝した時のイタリアチームのメンバー、ルイジ・ピアゼットさんの店、パスティッチェリーア・ビアゼット Pasticceria Biasetto 。

ルイジさんはベルギー生まれのイタリア人。


ルイジさんが兄弟と一緒に店を紹介している動画。
ちょっと長いです。




彼は、Accademia dei Maestri Pasticcieriの2006/2007年最優秀パスティッチエーレにも選ばれています。
こちらはそれを伝えているサイト。
一番下にケーキのリチェッタもあります。


この動画では、彼がフォカッチャ・ヴェネチアーナというパスクアのドルチェを作っています。





クープ・ド・モンド優勝時のチームメンバーは、他に、チョコレートのマエストロ、ルーカ(ルカ)・マンノーリ氏(店のhpはこちら。トスカーナのプラートにあります)と、クリスチャン・ベドゥスキ氏(店のhpはこちら。コルティーナ・ダンペッツォにあります)の二人。

優勝したケーキは、トルタ・セッテ・ヴェーリ Torta Sette Veli 。
ムースやクレーマを何層も重ねたゴージャスなチョコレートケーキです。

こんなケーキ
 ↓
www.gennarino.org

このケーキ、現在は、チームメンバー3人が、それぞれの店で販売しているようです。
なんとマンノーリさんのトルタ・セッテ・ヴェーリは、日本でも売ってたんですねえ。

トルタ・セッテ・ヴェーリは、イタリアの様々なパスティッチェリーアで作っていて、リチェッタも人それぞれ。
パレルモのパスティッチェリーア・カッペッロ(店のhpはこちら)のトルタ・セッテ・ヴェーリが一番おいしい、という人もいます。
とにかくイタリア人には人気で、これを誕生日のプレゼントにする人も多いようです。
日本でも、作って売っている店があるようですね。


どこの店のものかは不明ですが、トルタ・セッテ・ヴェーリのリチェッタをどうぞ。
かなりシンプルなバージョンです。
原文はこちら→magenta.iobloggo.com


■チョコレートスポンジ生地;
 卵黄・・270g
 卵白・・330g
 砂糖・・300g
 小麦粉・・150g
 ビターココアパウダー・・150g
 バター・・100g

・卵白と砂糖100gを泡立てる。
・卵黄と残りの砂糖を泡立て、小麦粉、ココアパウダー、溶かしたバターを加える。さらに卵白を加えてさっくり混ぜる。
・丸い型3個に入れ、180℃のオーブンで20分焼く。

■チョコレートのクレーマ;
 生クリーム・・1200g
 ビターチョコレート・・230g
 砂糖・・135g
 牛乳・・135g
 ゼラチン・・10g
・ゼラチンを水でふやかす。
・生クリームを60℃に熱し、牛乳と砂糖を加える。火から下ろしてチョコレートとゼラチンを加える。
・これをミキサーにかけ、冷蔵庫で24時間休ませてからホイップする。

■ヘーゼルナッツのクレーマ;
 生クリーム・・600g
 卵黄・・140g
 ヘーゼルナッツペースト・・125g
 砂糖・・100g
 ゼラチン・・5g
・生クリームを沸騰させる。
・卵黄とヘーゼルナッツペーストをホイップし、生クリームを加えて手早く冷ます。さらにホイップし、ゼラチンを加えて冷蔵庫で休ませる。

■グラッサ;
 生クリーム・・225cc
 エキストラビターチョコレート・・225g
 グルコース・・60g
 塩・・少々
・生クリームとグルコースを沸騰させ、チョコレートを加える。

■この他に、ココア入りのヘーゼルナッツのクレーマとシリアル(コーヘンフレーク、大麦、あられ米)を用意する。

■仕上げ;
・スポンジ生地と同じサイズのセルクルをラップで覆う。
・チョコレートのクレーマ、スポンジ生地、ヘーゼルナッツのクレーマ、スポンジ生地、チョコレートのクレーマの順で詰める。
・スポンジ生地にココア入りヘーゼルナッツのクレーマを塗ってシリアルを散らす。シリアルの面を下にしてセルクルに詰める。
・裏返してセルクルを抜き、グラッサでコーティングする。周囲をチョコレートで飾る。




こちらのサイト(www.cookaround.com)ではこんなリチェッタ。


■ビターチョコレート入りのチョコレートスポンジ生地
■ジャンボコーン入りプラリネ
(ホワイトチョコレート、ミルクチョコレート、バター、プラリネマッセ、ジャンボコーン)
■プラリネ入りヘーゼルナッツのバヴァレーゼ
■チョコレートムース
■グラッサ(水、生クリーム、砂糖、ココア、板ゼラチン)
を作り、
・スポンジ生地、プラリネ、バヴァレーゼの順で重ねて冷凍庫で固める。
・スポンジ生地2枚にに溶かしたビターチョコレートを塗ってバヴァレーゼの上にのせ、さらにパヴァレーゼ、溶かしたチョコレートの順で重ねて冷凍庫で固める。
・表面をムースで覆う。
・さらにグラッサで覆う。
・チョコレートで飾る。



  
パドヴァの話、まだ続きます。



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
“グルメ紀行~パドヴァ”の記事は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.2に載っています。


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2008年11月27日木曜日

今月の配本は今日発送です

クレアパッソで定期購読いただいている皆様、今月は大変遅くなってしまってごめんなさーい!
今日、発送しますです。
で、そっちにかかりきりなので、ブログは今日はお休み。
明日、更新しまーす。

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2008年11月25日火曜日

パドヴァ

今日は『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の、クレアパッソでもうすぐ配本の号から、パドヴァの話。

パドヴァはヴェネト州の町。

この町で有名なのは、まず、ガリレオやダンテも教鞭を取ったことがある古い大学。


Università, Padova
パドヴァ大学の一角, photo by Sebastià Giralt


そしてジョットの傑作のフレスコ画で覆われたスクロヴェーニ礼拝堂。

Kiss of Judas * Giotto di Bondone
ジョットのフレスコ画『ユダの接吻』, photo by Carla Hufstedler


かなり地味ですが、世界遺産のパドヴァ大学の植物園。

At the botanical garden
大学付属としては世界最古の植物園, photo by Pierangelo Rosati



パドヴァを紹介する動画がありました。
こんなことを話してます。

パドヴァは運河の町。
中世には、この運河を通じてヴェネチア共和国と行き来し、町が栄えた。
聖アントニオ聖堂も有名。
聖アントニオにお祈りすると、なくしたものが見つかるご利益があると言われている。
パドヴァ大学は、ダンテ、ペトラルカ、コペルニクス、ガリレオが学んだ所。
そして近代医学誕生の地。
6階構造のヨーロッパで最初の解剖教室も残っている。
ガリレオは数学と物理だけでなく、この教室で解剖も教えた。
パドヴァはヴェネチア共和国がバックについていたので、ローマ教会からの支配を受けなかった。
そのため、大学の学者たちも自由な思想を持つことが可能だった。
1545年には、薬草の栽培のために植物園も造られた。






ジョットのフレスコ画とスクロヴェーニ礼拝堂




パドヴァの話、次回はカフェやレストランを取り上げます。



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年10月号(クレアパッソで11/26日配本)
「グルメ紀行~パドヴァ」の日本語解説は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.2に載っています。


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2008年11月21日金曜日

イタリアの温泉

今日はクレアパッソのイタリア在住スタッフ、ポモドーロさんのイタリア便り、その3。
イタリアの温泉の話です。

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イタリアには温泉が沢山ありますが、あいにくペルージャ近辺にはないのが温泉大好き人間としてはつらいところです。
一番近いところでシエナ近郊、車で1時間ちょっとかかります。

私達が行くのはヴィテルボという町で、ペルージャからローマ方向に130キロ、1時間半の道のりです。
ここは、紀元前エトルリア時代から温泉地として知られていた所で、ローマ時代には公共、私有を含めて14ヶ所もの湯地があったと伝わっています。
現在はそれほど多くありませんが、有名な温泉場もあります。
野天のも幾つかあって、いつも行くのはその一つ。
会員制で、年会費25ユーロ払えば、その年は無料で何時でも入れます。
会員の友達は一回10ユーロ、10日間有効です。
でも残念ながら、ペルージアから遠いのでそう頻繁に行けません。
皆、家庭も仕事もあるので、そう遊んでもいられないので・・・。


Bullicame - terme
ヴィテルボの温泉, photo by c. v.


ここは硫黄とその他のミネラルを含んだ温泉で、源泉の温度は58度。
大きなプール程の源泉を直接引きこんだ湯槽、家族風呂程の大きさのぬるい湯槽、冷水の槽、が整備されています。
お水など液体を飲みながら入っているとのぼせない、という事を、ここの常連さんに教えてもらったので、自分の適温の所にいるといつまでも入っていられます。
私は熱めのところが好きなので、20分くらい入ると少し出て、というのを繰り返しますが、イタリア人の多くは、少しぬるめの所で1時間くらいは平気でつかっています。
人によっては、さらにぬるい槽につかり、またメインの槽に戻って来ます。 

温泉の周囲は、ローマ時代の遺跡が残る広い芝生とオリーブ畑になって、お弁当、飲み物、デッキチェアーなど、持ちこみ自由。
彼等は、気候の良い時期には、日光浴と温泉浴を交互に楽しんでもいます。
常連さんの中にはキャンピングカーで来る人もいます。
仕事を終えた後、すぐここに来て、寝る前にまず入浴。
朝風呂に入り、散歩してからまた入浴・・・・。
うらやましい限りです。

こちらでは水着を着て温泉に入るので混浴。
水着をきたままというのは、慣れのせいかもしれませんが、あまり解放感がありません。
それでも温泉はいつ行ってもいいものです。


今回の温泉のhpはこちら。
www.lepozzedisansisto.org



おまけの動画。
ヴィテルボ南部のヴェトラッラの温泉。




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2008年11月19日水曜日

イタリアンな紫いも

秋だなあ・・・がテーマで、柿、栗と取り上げてきました。
次は何にしようかなあ。
最近、ちょっと冷えてきたからなあ・・・。

という訳で、今回は焼き芋の話、ではなく、無理やりですが、お芋の話です。

芋は芋でも、紫いもなんてどうでしょう。


Purple Peruvian potatoes
紫いも, photo by Pim Techamuanvivit


イタリア語で紫いもは、パターテ・ヴィオラ patate viola 。
クレアパッソでもうすぐ配本予定の『ア・ターヴォラ』10月号にも、紫いもを使ったリチェッタが1点載っています。


紫いもは、まさに色を味わう食材。


First Course: Scottish Cod
白身魚と, photo by ulterior epicure


stick cakes
これは日本のケーキ, photo by kawabata


Ube
フィリピンのウベのアイスクリーム, photo by David Gallagher


紫色って、目が奪われますねえ。

紫いもは世界各地でいくつかの種類が流通しているようで、イタリアで一般的なのは“パタータ・ペルヴィアーナ patata perviana ”と呼ばれる品種。
英語では“パープル・ペルヴィアン・ポテト”。
「ペルーの紫いも」という意味ですね。

そう言えば、じゃがいもの原産地はペルーあたりのアンデス山脈。
このペルーの紫いもは、じゃがいものルーツとも言える品種の一つなんだそうで。


これはすべて、ペルーのじゃがいもから生まれた品種。
 ↓
www.deza.admin.ch


イタリア料理にはじゃがいもを使うものがたくさんありますよね。
ヨーロッパに伝わったのが16世紀半ばで、18世紀末にはヨーロッパの農村部では主食のような存在になっていたじゃがいも。
でも、イタリア人がじゃがいもを抵抗なく食べるようになったのは、他の国と比べるとかなり遅くて、19世紀半ば以降のことなんだそうです。
それまでは、じゃがいもをよく食べるオーストリア人のことを「いも喰い」などと呼んで馬鹿にしていたくらいです。


紫いもは、その色をいかに美しく見せるかが腕の振るいどころ。
料理はアイデア次第で無数に考えられますねえ。
ピューレ、チップス、ロースト、サルサ、etc.。


これはフランチャコルタのリストランテ、ドゥエ・コロンベ(店のhp)のステファノ・チェルヴェーニシェフの一品。
紫いもとエビの組み合わせ。
 ↓
www.marchidigola.it

これは子豚ヒレ肉のマルサラとゴルゴンゾーラ・スタジョナータのサルサ、紫いも添え。
グッファンティという大手チーズ屋さんのリチェッタ。
 ↓
www.vinix.it


そして、探しにくくて申し訳ないですが、このページの中ほどにあるのが、アルフォンソ・イアッカリーノシェフの料理、タロッコオレンジと紫いものマチェドニア。
2つめのサムネイルの一番最初の一品です。
 ↓
www.roma-gourmet.net


紫いものニョッキを探したら、ドゥエ・コロンベのチェルヴェーニさんのものを発見。
右側です。
 ↓
3.bp.blogspot.com

小麦粉を加えるので、色が薄くなってしまうようですね。



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2008年11月17日月曜日

秋ということで、柿の次は、の話でも。

castagna
イタリアの栗, photo by Maurizio Zanetti


実はイタリアは、世界でも5本の指に入る栗の生産国。
栗は世界中にある木で、日本の栗とイタリアの栗では、種類も原産地も違うんだそうです。
イタリアの栗は地中海地方原産。


かつてヨーロッパのほとんどの山間部では、栗に依存して生活してきたのだそうです。
実を食べるだけでなく、木は家具や道具にして、枝は薪に。
葉からは肥料を作り、花からは蜂蜜。
渋皮のタンニンは皮をなめす時に使いました。


Castagneto 2007
栗の木, photo by Antonio Moro



そして都会では、焼き栗売りが現れると、秋の訪れの合図。

caldarroste
穴開きフライパンでローストするカルダッロステ, photo by Emiliano


Autumn Taste!
アップで, photo by Stefano Pirri


焦げ具合がいいですねえ。
栗の芳ばしい香りが漂ってきそうです。

カルダッロステは、栗の皮に切り込みを入れてから、ロースト用の穴の空いたフライパンでローストします。
焼き上がったら、布に包んで10分蒸らして皮をむき、新ワインと一緒に食べます。
そうそう、ボジョレー・ヌーヴォーの解禁ももうそろそろですね。
まさに今が焼き栗の食べ時!


イタリア語で栗は、“カスターニェ castagne ”。
品種改良した大型のものは、“マッローニ marroni ”。
ピエモンテのクーネオ辺りが、マッローネの産地として知られています。

クーネオは、マロングラッセの産地としても有名。
マロングラッセは誰が考え出したものなのかはよく分かっていませんが、クーネオ辺りでは、マロングラッセは、サヴォイア家のカルロ・エマヌエーレ一世の料理人が、狩猟肉に詰めるための栗を、水と間違えてシロップで煮てしまったのが最初、という説が、断然支持されています。
つまりピエモンテからフランスに伝わった、という説。
この説によると、サヴォイア家はフランス語を話す一族だったので、最初から、イタリア語の“マッローネ・カンディート”ではなく、フランス語の“マロン・グラッセ”と呼ばれていたのだとか。
そしてルイ14世の時代にフランスに伝わったんだそうで。

もちろん、フランスのリヨンが発祥地という説もありますけどね。


marron glace
マロングラッセ, photo by Robyn Lee



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2008年11月14日金曜日

柿と平和の樹

秋ですねえ。
が美味しい季節ですねえ。

ところで、柿はイタリア語でも“カキ”。
スペルは cachi 、または kaki 。
イタリアでも、柿は東アジア原産の果物として知られています。

ご存じのようにイタリア語の場合、男性名詞の複数形の語尾はiで、単数形の語尾はo。
だからイタリアの本には、「柿は単数でも複数でも語尾は変化しません。1個の時に“カコ kako ”と言うのは、正確には誤りです」なんて注釈が必ず書いてあります。
カコって、なんだか可愛いですねえ。


undefined
グリエルモ山と柿, photo by Mauro

このなんともジャパンな景色が、実はロンバルディア地方の風景。
ガルダ湖の西あたりです。


wikiによると、柿は古代ギリシャ人も知っていたようですが、栽培用の柿が日本からヨーロッパに伝わったのは、1789年のことなんだそうです。
イタリアに伝わったのは、1916年。
最初に植えられたのは、カンパーニアのサレルノ地方でした。
その後、イタリア中に広まります。
栽培の中心地はエミリアとカンパーニア。
パレルモのすぐ南にあるミジルメーリという町も、柿の栽培が盛んな所として知られています。
イタリアの柿の生産量は世界5位。
輸出もしています。

生産量が多い割には、生食やジャム以外で、イタリア料理の中に取り込まれているケースは、あまり見かけないなあ。


下の写真はレストランの1品。
柿のサルサの上にジェラートを盛り付けたもの。
やっぱりジャム状にするのが一般的なんでしょうか。


Funghetto
ジェラートのフンゲットと柿のサルサ, photo by Sara Maternini


柿のジャムをクロスタータやトルタにするのはよくありそう。

昔の『サーレ&ペペ』(2004年11月号)に、柿のティラミスというリチェッタがあるのを見つけました。
クレーマは、卵黄3個と砂糖100gを白くなるまでホイップし、ミキサーにかけた柿1個、マスカルポーネ100g、リコッタ100g、泡立てた卵白1個を加えたもの。
サヴォイアルディは、コーヒーではなくトロピカルフルーツジュースに浸します。


こちらのサイトで紹介しているのは、柿のレアチーズケーキ。
fiordizucca.blogspot.com

作り方は、レアチーズケーキのペースをビスケットとバターで作り、型に敷き詰めて冷蔵庫で固めます。
リコッタ250g、マラスキーノ大さじ1、砂糖大さじ1、レモンの皮をミキサーにかけ、型に入れて冷蔵庫で冷やします。
柿4個、砂糖大さじ1、マラスキーノ大さじ1、アマレット4個、シナモンをミキサーにかけ、泡立てた卵白1個を加えます。
これをリコッタの上にかけて冷蔵庫で冷やします。
仕上げにホイップクリームと柿で飾って出来上がり。


柿とアマレットは相性がいいみたいですね。


イタリアのwikiに、こんなことが書いてありました。

「柿の木は、“平和の樹”として知られている。
それは、1945年の8月に長崎に原爆が落とされた時、数本の柿の木が生き残ったことに由来する。」

平和の樹の話、全然知りませんでした。
こちらのサイトも勉強になりました。
 ↓
joho.tagawa.fukuoka.jp/syougai/heiwa-kaki.htm


イタリアにも植樹されているのだそうです。
今回は、イタリア人に日本のことを教えてもらいました。



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2008年11月12日水曜日

脾臓のパニーノ

ストリートフードの話、その3。
『ガンベロ・ロッソ』の記事の解説です。

今日は、パレルモの脾臓のパニーノ pani ca' meusa 。
脾臓って何、て話ですよねえ。

人間の場合、お腹の左上の、胃の裏側にあるんだそうで。
血液やリンバ液に関係する器官だとか。

牛の脾臓は、日本ではホルモンの一つのチレ。
イタリア語では、ミルザ milza 。
パレルモの方言では、メウサ meusa 。


Spleen
カットしたミルザ, photo by Graham Holliday


イタリアでもパレルモでしか見かけないこの脾臓のパニーノには、こんな歴史があります。
中世のパレルモでは、食肉処理場で多くのユダヤ人が働いていました。
ところが、ユダヤの戒律では、畜殺によってお金を得てはいけないとされています。
そこで、お金の代わりに家畜の内臓を現物支給で受け取っていたのです。
彼らはそれをゆでて、ユダヤ人以外の人たち、つまりキリスト教徒に売ってお金に換えました。


パレルモの人たちのお気に入り、脾臓のパニーノは、ゆでた内臓をラードで煮て、それをチーズと一緒にパンにはさんだもの。
街角でひっそり売られていたりもしますが、有名なのは、なんと言ってもアンティカ・フォカッチェリーア・サン・フランチェスコ。
パレルモ料理に興味がある人なら、必ず一度は訪れる店。


Antica Focacceria San Francesco, Palermo
アンティカ・フォカッチェリーア・サン・フランチェスコ, photo by Federico Saggini


20081025_Palermo
店内のミルザのパニーノの売り場, photo by Franco Pecchio


A' mevusa
ミルザの鍋, photo by Federico Saggini



上がミルザのパニーノの“マリタータ”、下はアランチーネ




ミルザをアップで



ミルザのパニーノは、プレーンの“スキエッタ schietta ”と、細く下ろしたチーズをたっぷりはさんだ“マリタータ maritata ”の2種類。
脾臓は子牛のもの。
肺など他の部位も入れます。
これらを油とラードでソッフリットにするので、油でギトギトでかなり男前な味。


パレルモの街角の屋台





この他に、トスカーナのランブレドットのパニーノ、ローマのポルケッタのパニーノ、レッコのチーズのフォカッチャなど、まだまだイタリア風ストリートフードはありますが、今回はここまで。


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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2007年9月号
“ストリートフード”のリチェッタは、「総合解説」'06&'07年9月号、P.9に載っています。


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2008年11月10日月曜日

ピアディーナ

ストリートフードの話、その2です。
今日は、ピアディーナ
『ガンベロ・ロッソ』の記事の解説です。


piadine
ハムとチーズのピアディーナ, photo by smoytheonlyone


Piadina con Wurstel
ウインナーのピアディーナ, photo by ♥Kiki Hood♥


ピアディーナは、イタリアの空港のバールなどでも売っているので、イタリアで最初に食べたものがこのピアディーナ、という人も結構いるのでは。

質問。
最近では日本のスーパーでも見かけるようになったピアディーナですが、イタリアのどの地方の料理でしょうか?

答えは、ロマーニャ地方。
発祥地は、ロマーニャ地方の南の端にある海辺の町、リミニ辺り。
この辺りのピアディーナが一番薄くて、内陸に入るほど、または北に行くほど厚くなるんだそうです。
ローマ時代からある歴史の古い薄焼きパンで、元々は、貧しい農民がパンの代わりに食べていたものだったとか。



専門店ではこうやって作っています。





お母さんの手作りピアディーナ。




生地の材料は
小麦粉・・500g
牛乳
ラード・・75g
重曹・・小さじ1/2
塩・・小さじ1

具は
スクアックエローネ(こんなフレッシュチーズ)
お母さんが育てたルーコラ
生ハム

ワインはもちろんサンジョヴェーゼ。



リッチョーネのホテル・リゴベッロの蜂蜜風味のピアディーナ





おまけ。
コメ・シ・キアーマ?





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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2007年9月号
ピアディーナを含む“ストリートフード”のリチェッタは、「総合解説」'06&'07年9月号、P.9に載っています。


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2008年11月6日木曜日

ピッツェッレ・フリッテ

今日は、イタリアのストリートフードの話。
『ガンベロ・ロッソ』の記事の解説です。

伝統的なストリートフード、まずはピッツェッレ・フリッテ pizzelle fritte 。
揚げピッツァですね。
ピッツァと言っても、手のひらサイズのミニピッツァ。
“ピッツェッレ”とは、小さなピッツァと言う意味。

ピッツェッレ・フリッテ
 ↓
www.gennarino.org

記事で紹介しているのは、カルツォーネのように具をのせた生地を半分に折って揚げるピッツェッレ・フリッテですが、この写真のように、平らなピッツァを揚げて、具をのせるタイプもあります。

ピッツェッレ・フリッテの本場はナポリですが、これはミラノのパン屋さんのピッツェッレ・フリッテ。
ミニトマトがのっているだけのシンプルなパンですが、トマトが美味だから、ちょっと小腹がすいた時には文句なしにおいしい。
 ↓

ピッツェッレ

実は、このミラノのピッツェッレには、ちょっとした思い出があります。
ミラノでタクシーに乗った時のことです。
いきなり運転手が、「忙しくて何も食べてないから、悪いけどパン屋に寄ってもいいかなあ」と言い出した!
あっけに取られているこちらを残して、お目当ての店までひとっ走りして買ってきたのが、これ。
「いやあ、すいませんねえ、これ、よかったらどうぞ」、と、二つあった包みのうちの一つを手渡されて、「あ、どうもありがとう」なんて、思わずお礼まで言ってしまいました。
後で味見をしてみたら、おいしくてびっくり!
さすがはタクシードライバー、おいしい店を知ってるなあと、いたく感心したものでした。


考えてみれば、揚げピッツァって、日本でもパン屋さんで普通に売ってそうですね。
それでは、本場ナポリのピッツェッレ・フリッテは、いったいどこが違うのか。
リチェッタを見てみましょうか。

上で写真を紹介したサイトのリチェッタは、生地の材料は
小麦粉・・500g
ゆでたじゃがいも・・2個
生イースト・・15g
湯・・少々


普通のピッツァより柔らかめの生地にし、手の平よりやや大きめの円形に伸ばして油で揚げます。
これにすぐに、にんにく、トマト、バジリコで作ったトマトソースをのせ、おろしたペコリーノをたっぷり散らします。
カルツォーネ形のタイプは、潰したリコッタ、モッツァレッラの小角切り、ナポリサラミを詰めるのが典型的。


www.prezzemoloefinocchio.it
 ↑
こちらのサイトのリチェッタでは、生地は
0か00番の小麦粉・・1kg
生イースト
塩、水

チーズはカチョカヴァッロかプロヴォローネ。
トマトソースの赤い色が、食欲をそそりますねえ。


ストリートフードの話、次回に続きます。



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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2007年9月号(クレアパッソで販売中)
“ストリートフード”のリチェッタは、「総合解説」'06&'07年9月号、P.9に載っています。


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2008年11月4日火曜日

アルトゥージのクスクス

クスクスの話、その2。


Cuscús con pollo y verduras...
クスクス, photo by mabel flores


今日は、イタリアで最初に書かれたクスクスのリチェッタを訳してみました。

書いたのは、近代イタリア料理の父、ペッレグリーノ・アルトゥージ。
その本は、イタリア料理と言う概念をイタリアに広めた『la scienza in cucina e l'arte di mangiare bene』(1891年)。

それでは、アルトゥージのクスクスをどうぞ。


クスクス CUSCUSSÙ

クスクスはアラブ発祥の料理で、モーゼとヤコブの子孫たち(ユダヤ人)がその放浪の旅に携えていった料理だ。
長い年月と共に、どれほど姿を変えていったのかは知る由もないが、現在、イタリアではユダヤ料理のミネストラに使われている。
二人のユダヤ人が、親切にも私にこの料理をふるまい、作るところを見せてくれた。
それを私も自宅で作ってみたので、このリチェッタの信ぴょう性は保証する。
ただし、読者がよく理解できるかは保証の限りではない。

この偉大な料理を説明することは“とても難しく、子供の遊びではない”。
(この部分、原文ではダンテの『神曲』を引用しています)

材料は6~7人分。

子牛胸肉・・750g
子牛赤身肉・・150g
粗挽き小麦粉・・300g
鶏レバー・・1羽分
ゆで卵・・1個
卵黄・・1個
玉ねぎ、縮緬キャベツ、セロリ、にんじん、ほうれん草、ビエトラなどの香味野菜

・平らで大きな素焼きの鉢か、錫めっき銅の浅鍋に粗挽き小麦粉を入れ、塩とこしょうで調味する。
・水(カップに指2本分)を数滴ずつ加えながら手のひらでこね、水分を吸わせてふっくらさせる。
・水を全部加えたら今度は油大さじ1を同様にして吸わせる。水と油を加える作業は30分以上かかる。
・この粒をスープ皿に入れ、布で皿の下まで覆ってひもで縛る。
・水3リットルと胸肉を火にかけてブロードを取り、アクを取る。
・ブロードの鍋の口にスープ皿をのせる。プロートと皿の間に適度な空間を開け、鍋とスープ皿の縁がしっかり閉じて蒸気がもれないようにする。
・1時間15分蒸す。半ばで一度布を開いて混ぜる。

・赤身肉150gを包丁で刻み、ほぐしたパン少々、塩、こしょう少々を加える。これをヘーゼルナッツよりやや大きめに丸めて油で揚げる。

・香味野菜をみじん切りにする。まず玉ねぎを油でソッフリットにし、色がついたら他の野菜を加えて塩、こしょうで調味する。しんなり炒め、水分がなくなったら肉のスーゴかブロード、またはトマトソースかトマトのコンセルヴァ(トマトペーストの一種)で調味する。
・これに小さく切ったレパーと赤身肉のポルペッティーネを加えて煮る。

・小麦粉の粒を皿から鍋に移して火にかけ、卵黄を加えて固めずに溶かす。サルサの一部をかけて混ぜ、器に盛り付ける。
・ゆで卵のくし切りを加える。
・残りのサルサをブロードに加え、人数分の器に注ぐ。これをクスクスに添える。
・各自が皿にクスクスを取り、スプーンでサルサをかけて食べる。
・胸肉はクスクスの後に肉料理として食べる。

この長い説明で、読者は2つの質問をしたくなったのではないだろうか。
1つは、なぜ調味に使うのが油だけなのか。
2つめは、これだけ手間をかける価値があるのか。
1つめの質問の答えは、イスラエルの民の食べ物は、『申命記』(旧約聖書の一書でモーセの五書の一つ)14章21節にこう定められているからだ。
「子山羊をその母の乳で煮てはならない」
戒律にそれほど厳格でない人は、ポルペッティーネにパルミジャーノを少量加えてこくを出すこともある。
2つめの質問の答えは、あくまでも私の考えだが、この料理は大きな祝いごと向きの料理ではない。しかし、上手に作れば、この料理に馴染みのない人たちにも気に入られることだろう。



アルトゥージはクスクスのことを、ユダヤ料理の一つとして知ったんですねえ。
確かに、クスクスはユダヤ料理の中にも溶け込んでいる料理でした。
彼のリチェッタにしてはかなり長くて、クスクスをまったく知らない読者に、どうやったら伝えることができるか、苦労していることがうかがえます。
日本語に訳すのも苦労しましたよー。
なんで料理のリチェッタに、ダンテなんか引用するかなあ。

アルトゥージは、cuscussù としていますね。
アラビア語では kous kous (kuskus?)。
英語では cous cous 。
イタリアでも cous cous と書くことはありますが、シチリアでは cuscus が一般的。



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2007年9月号


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