2019年4月29日月曜日

ダヴィデ・オルダーニシェフの本は、地方料理<イタリア料理

新着本です。
メイド・イン・イタリー

序文:ダヴィデ・オルターニ、となっていますが、序文にはイタリア料理とは、という大きな問題に対するオルダーニ・シェフの考え方が書かれています。
本の内容もこの考えに基づいているので、事実上、彼の本です。
長年イタリア料理の本を売ってきましたが、いよいよ時代が変わった、と強く感じさせる本が登場しました。

序文は、いきなり、「私の料理はクチーナ・ノン・レジョナーレ・イタリアーナだ」という発言から始まります。
これまでのイタリア料理は、地方色が強くて保守的で、故郷と家庭を強く感じさせる料理でした。
でも、21世紀になって、イタリアの地方料理が変わってきました。
先日のブログで紹介したナポリのストリートフード店も、それを象徴していました。
つけで買えた貧しい庶民の家庭の味が、今ではシャンパンを飲みながら立喰する料理になりました。
昔ながらの家庭の味でも、今の地方料理には貧しさがありません。
かつてはイタリアから世界に出ていった移民たちが広めたイタリア料理も、今や世界中からやってくる観光客によって世界中に広まり、世界中に広まらなかったイタリア料理や食材は、姿を消しつつあります。
ちょっと前のイタリア料理は、消えつつある料理や食材を救うのに情熱を注いでいました。
チーズの記事で最近度々話題になるのが、協同組合の現実的なチーズか、規定を厳格に守った限られた個人にしか作れないチーズか、といった問題でした。
朝ドラの話じゃないですよ。
今求められているのは、美味しくて、美しく、食べやすくて、お得で、ヘルシーな料理です。
今までのイタリア料理を現代的でグローバルな視点で見直すと、この『メイド・イン・イタリー』で取り上げているような料理と食材が、イタリア料理として21世紀に残るのかも知れません。
ダヴィデ・オルダーニという人は、いつも人と違う物の考え方をするなあ、と感じていましたが、過激な遊び心は今回は抑えたようで、とてもまじめな本になっています。
超前衛的なものは1mmもありません。





ノン・レジョナーレとは言っても、本では、章は地方ごとに別れています。
北から南まで、イタリアを代表するイタリア料理が、わかりやすいイタリア語で載っています。
地方料理が1冊にまとまった本て、ありそうでなかったんです。


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2019年4月26日金曜日

ナポリとパレルモのお勧め店

今月の「総合解説」のグルメ紀行はナポリとパレルモ。
お勧め店の中から、動画の見つかったものを紹介します。


ナポリのプレビシート広場の新名物、プロジェクションマッピング


ナポリはダイナミックに変化している街ですね。

まずは、一昔前ならナポリに初めて行った人は大抵が行った有名店。
ミミ・アッラ・フェロヴィア


ミシュランの星付き店との対比として、地元民に愛される家庭料理の店として登場しています。
ナポリの飲食業は改革と伝統のどちらを取るのか、というのがこの動画のテーマです。
外国人からすると、ナポリではインターナショナルな高級星付き店より、庶民的な伝統料理のほうに断然興味があるのですが、ナポリの若手シェフにとっては、もっと現代的に脂肪を減らした料理、伝統を踏まえた上でシェフのオリジナリティも加えた料理を作りたいと思い、一方、ミミのような伝説的な老舗は、伝統を1mmたりとも変えないと頑なです。

最後は庶民料理の新しい形。
ナポリのストリートフードの新しい発信地。
オ・スフィツィオ・ダ・ノティツィア(webページ)
シャンパンを飲みながらナポリのストリートフードを味わえる店。
今どきのナポリっ子に支持されてます。
揚げピッツァで有名なエンツォ・コッチャの店。


イタリアのピッツァ大使ことエンツォ・コッチャの『ピッツァ・フリッタ

ナポリ料理初心者も入りやすい店なのでは。
しかもその分野のマエストロの料理なのだから、人気なはずです。

パレルモ観光のお勧めは、5つある歴史的な市場。
もっとも人出の多いヴッチリアには、モダンな伝統料理で人気の店があります。

ガジーニ・ソーシャル・レストラン


GWにナポリやパレルモを旅行する方は、安全で美味しい旅になりますように。


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2019年4月24日水曜日

アラブに支配されたスペインに支配されたナポリの料理を広めた人物は・・・

100ラグー』の続きです。

マストロ・マルティーノ、あるいはマルティーノ・ダ・コモという名前は、イタリア料理に興味のある人なら、なんとなく聞いたことありませんか。
でも、何をした人だっけ。
イタリア料理史ではそこそこ有名な人なはずなんだけど・・・。
『100ラグー』の著者、マリアさんに言わせると、ルネサンスの初期にイタリア料理を破壊した人だそうですよ。
wikiにはこう書いてあります
この小難しい内容を大胆にまとめると、イタリアで最初のイタリア語の料理書を書いた人です。
その本は、『Libro de Arte Coquinaria

マルティーノは、北イタリア生まれで、ローマに行き、さらにスペイン人に征服されたナポリで活躍し、スペインや地中海の息吹をたっぷり吸収した人です。
当時のスペインは、アラブの支配が長く続いた直後でその影響を強く受けていました。
また、当時ヨーロッパでもっとも洗練された料理というのはアラブ風アンダルシア料理だとみなされていた時代です。
彼によって、イタリア料理にナポリ(南)と地中海の香りが加わったのです。
マッケローニやタリエリーニ、ヴェルミチェッリも加わりました。
ビアンコマンジャーレはカタルーニャ生まれ。
南だけでなく、“アッラ・ジェノヴェーゼ”や“アッラ・フィオレンティーナ”と呼ばれる料理も紹介しました。
さらに権力者の料理人だった彼は、ルネサンスの特徴である奇抜な盛り付けで客を楽しませることにも長けていました。
ちなみに彼の一番有名な料理は、孔雀のローストだそうです。

本はさらに、トゥルヌドで有名な作曲家、ロッシーニのラグー、ボローニャの商業会議所に保管されている公式ラグー、マッシモ・ボットウーラシェフの低温調理のラグー、キアニーナのラグー、などへと続いていきます。




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2019年4月22日月曜日

モデナのセレブのマダムが本気で集めたラグーのリチェッタ

新着本の紹介です。

100ラグー』という本です。

ラグーは、トマトソースと共にイタリアが世界に誇るソース、別名ミートソース。
著者のマリア・ベナッサーティさんはモデナの実業家の一族出身。
当然、エミリア地方のラグーこそ、正統なラグー、と信じていますが、ナポリ風ラグーや魚や野菜のラグーの存在も認めています。
マリアさんのおじいさんは国際的な石油会社の創業者。
マリアさんはアートに造詣が深く、モデナでアートギャラリーを経営していました。
スポレートの音楽フェスティバルを主催するなど、音楽の分野でも知られた人です。
セレブ一家のお嬢様は、そのコネをフルに活用して、ラグーのリチェッタを100人分集めたようです。
コネだけでなく、幅広い知識で、歴史的なラグーのリチェッタも調べ上げました。

本に載ってる一番最初のラグーは、al-Baghdadiのラグーです。
誰この人。
そして本には何と、「この人のことはよくわからないのでググりました」ですと。
さすがはセレブなお嬢様。
堂々のカミングアウトです。
私も早速ググってみましたが、なにこれ、危なそうな人が出てくるんですけど。
バリバリテロリストじゃないですか。
いやいや違いますからね。同名の他人です。
変な動画に誘導されないでね。
正解はこの人です。wikiのページはこちら
アル=バグダデイさん。
何の罪もない、善良な、トルコ人に愛されたアラビア語の料理書(1226)の著者です。
後の世のテロリストと同名だったばかりに、立派な功績を残したのに、この先苦労するだろうなあ。
なんとこの本には、世界で初めてパスタが登場するんだそうです。
そのパスタはitriya(イトリア)。
・・・この話、聞いたことありますよ。
アラブからシチリアに伝わった初期のパスタはイトリアと呼ばれるスパゲッティーニだったという話。
これは有名ですが、そのソースはラグーだったというのは初めて知りました。

マリアさんはアル=バグダディさんのリチェッタを再現してみたそうです。
比較的簡単で美味しかったと書いていますが、唯一の問題が、松やに。
松やにといえばギリシャワインに独特の風味を加えるあれですが、これが13世紀のトルコでは大はやりしていたそうです。

最初のラグーのパスタ、怖くて動画検索ができないので、マリアさんが作った料理の写真は、とても参考になりますねー。

2品目は、マストロ・マルティーノのラグーです。
マストロ・マルティーノ、これも聞いたことありますよ。
イタリアで一番古い料理書(1460頃)を書いた人です。

詳しくは次回。


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2019年4月19日金曜日

イタリア料理のベース、『スーゴとサルサ』

新着書籍『スーゴとソース』の紹介です。


イタリア料理アカデミーAccademia Italiana della Cucinaの、食文化ライブラリーBIBLIOTECA DI CULTURA GASTRONOMICAシリーズの第1冊目の本です。

この本について語るイタリア料理アカデミーのパオロ・ペトローニ会長。



彼の代表的な著書、大作の『イル・グランデ・リーブロ・デッラ・ヴェーラ・クチーナ・トスカーナ

パスタのお手軽な本、『スパゲッティ・アモーレ・ミオ











最大の疑問は、スーゴって何?サルサとどう違うの?てことですよね。

ペトローニ会長による本の前書きによると、
サルサ(ソース)と言えばフランス料理、フランス料理はソースをたっぷり使う。
この分野ではフランス人シェフが第一人者であることは否定しない。
しかし、70年代のヌーヴェルキュイジーヌ、さらに最近の新世代のシェフたちによる、シンプルな料理はフランス料理からソースを減らす傾向にある。
とは言え、イタリアにも豊かなソースがあり、古典的なフランスのソースとは全く違う使われ方をしている。

パスタや米料理の味付けをするスーゴは、イタリア料理の独特で典型的なもので、イタリアの食文化の伝統を象徴するもの。
シンプルなものから複雑なものまで、地方料理に大量に見られる。
イタリア料理の調味のベースはバターやオリーブオイルといった油脂の他に、ハーブや香味野菜、スパイスといった各地の産物やビネガーなどと実に幅広く、ソースやスーゴを研究することは、イタリアの地方料理の豊かな食文化のベースを知ることにほかならない。

これがこの本のテーマです。
前書きの後は各州ごとのソースやスーゴの話になるのですが、
さすがは料理アカデミーだけあって、リチェッタよりウンチクの方が多いです。
ウンチクが膨大なので、じっくり読み込んでください。
全部訳すとかなりな量なので、抄訳でどうぞ。

ピエモンテの章は、1854年にサヴァイア家の宮廷の料理人が書いた料理本の引用から始まります。
ピエモンテには「美味しいソースは、魚より高い」という格言があるそうです。
フランス料理はバターを調味料としてたっぷり使うことで有名ですが、ピエモンテ料理はフランスの影響を強く受けています。
19世紀のピエモンテ料理の本では1章に渡ってバターについて書かれています。
ピエモンテでは、家庭料理だけでなく、高級レストランでもバターをたっぷり使います。
バターは豊かさの象徴でもありました。
農民の伝統に基づいたバターがベースのリチェッタとして紹介しているのは、“バーニャ・デル・インフェルノbanga dl'inferno”。
バターで塩漬けニシンと卵をソッフリットにした熱いソースです。

一方で、ラルドlardoとラードstruttoは貧しい料理の象徴でした。
現代では動物性油脂は植物性油脂に姿を替えました。
しかし、刻んだラルドを加えたミネストローネの美味しさや肉の柔らかさは、誰も否定できません。
ピエモンテではオリーブの木は14世紀までは広く栽培されていましたが、気候の変動によって姿を消しました。
しかし、隣のリグーリアとの交易でオリーブオイルとその料理は生き残りました。
気候も穏やかになり、現在ではピエモンテにオリーブオイルが戻ってきています。
そしてピエモンテの農民料理の王様、バーニャ・カウダでは、オリーブオイルは主役になりました。

オリーブの栽培が難しかったピエモンでは、たっぷりあったくるみから油を取りました。
くるみ油は風味の特徴もオリーブオイルに似ていたました。
さらに、動物性油脂の代用品でもありました。

くるみ油

オリーブオイルが大量生産されるようになると、家庭で少量作っていたくるみ油に取って代わります。
第二次大戦の食糧難の時代には、ピエモンテにたっぷりあったもう一つの木の実、ヘーゼルナッツからも油を取るようになりました。
今では珍しい油として知られてきています。

ヘーゼルナッッ油

と、こんな調子で続きます。
さすがは料理アカデミー。
詳細にとことん調べ上げています。
あくまでも研究が中心でリェッタや写真が少ないのが残念。


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2019年4月15日月曜日

ナポリ最後の貴族のためのズッキーニのパスタ

新入荷の本、グイド・トンマージの『クチーナ・ディ・ナポリ』は、
リチェッタの前後の短い解説が面白い。

例えば、ヘアバンドにサングラスのナポリ風?謎ファッションのおじさんが掲げ持っているズッキーニのパスタ(P.49)が気になったので、リチェッタを見てみました(P.46)。
料理名は“ジェッピのネラノ風ヴェルミチェッリ”です。
前書きの解説には、
「南部の男は料理を作る時は一連の儀式をまじめに守る」
とあります。
このリチェッタを提供したジェッピことジュゼッペも、ネラノ風パスタのマエストロで、子供の頃からこの料理を食べているそうです。
ジュゼッペGiuseppeのニックネームがジェッピGeppyなのか!

後書きの解説には、この料理は1950年代初めに有名だったシリニャーノのプリンチペ、プペット・カラヴィータのために考え出された・・・。
とあります。

???ですよね。
プリンチペ?直訳すれば王子?
何やら、この王子がある晩ネラノにヨットでやってきた。
ネラノというのはアマルフィとカプリ島の間にあるビーチで知られる村。



ところがその時、王子が訪れたリストランテ・マリア・グラツィアには、畑のズッキーニとカチョカヴァッロなどのチーズの残りしかなかった。
そこでこれらを使って作り出し、今や世界中に広まったのがこのパスタ、だそうです。

まずはシリニャーノのプリンチペ。
プリンチペというのは王子という意味もありますが、公爵や伯爵のようなイタリアの爵位の一つ。
サンタンドレア・ディ・シリニャーノの観光局のこちらのページによると、シリニャーノのプリンチペという名称を受け継いできた貴族の最後の血筋が、ナポリの最後の貴族と言われているプペット・カラヴィータさん。
この人です。
純粋なナポリを象徴する人でした。

イタリアの王政は1946年に国民投票で廃止されているので、1950年代に活躍したというのは、没落貴族の遊び人だったという意味にもなりますねえ。
実際テレビによく出たり、自叙伝が売れたり、自動車レースに何度も勝って、知名度は高かったようです。
20世紀の一番有名なナポリ人と言う人もいます。

シリニャーノはナポリの東にある海のない町で、決して豊かではなく20世紀にはこの町から大量の移民がアメリカ、特にサンフランシスコ、フランス、スイス、ドイツに渡ったそうです。

シリニャーノとパラッツォ・カラヴィータ



ナポリ近郊の村で領主様ということは、村の社交の主役で文化の中心で村の誇りだったのですね。
戦後の厳しい時代に派手に遊ぶお殿様は、輝いて見えたかも。
彼が所望して、ありあわせのもので作ったパスタ(ネラノ風スパゲッティ)をジェッピのリチェッタでどうぞ。

ネラノ風パスタ、ジェッピ風Vermicelli alla nerano di Geppy
材料/4人分
 ヴェルミチェッリ・・400g
 ズッキーニ(サン・パスクアーレ種)・・1.5kg
 おろしたパルミジャーノ・・100g
 おろしたプロヴォローネ・・50g 
 バター・・50g
 揚げ油用EVオリーブオイル
 フレッシュのバジリコ
 粗挽き黒こしょう

・ズッキーニを薄い輪切りにして揚げる。
・冷めたらちぎったバジリコ数枚とバターを加える。
・パスタをアルデンテゆでる。
・パスタのゆで汁少々をズッキーニにかける。
・パスタの水気を切る。鍋にズッキーニ、パスタ、ズッキーニの順で入れてマンテカーレする。
・混ぜたチーズとパスタのゆで汁をかける。
・仕上げに挽きたてのしょうとバジリコを散らしてサーブする。

スパゲッティ・アッラ・ネラノ



ヘアバンドにサングラスのジェッピが印象的で読み始めたリチェッタでしたが、思いがけず面白い話でした。



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2019年4月12日金曜日

『クチーナ・ディ・ナポリ』のトマトソースのスパゲッティ

新着書籍のご案内です。

久しぶりにグイド・トンマージの地方料理シリーズの、新作が出ました。
今回はナポリです。
相変わらず空気感がいいんだなあ、このシリーズ。

料理の背景に地元の人たちがちょいちょい写り込んでるという、このシリーズの得意の手法は、今回も絶好調。
まずは表紙の写真、見てください。


ちょっと前に映画『l'oro di Napoli』の動画をこのブログでも紹介したばかりだったので、すぐに思い浮かびましたよ。
女性の胸の谷間があらわになっちゃう、このゆるゆるのワンピース姿。
谷間を見ただけで、自動的に顔はソフィア・ローレンの揚げピッツァ屋の女将さんで補完されていました。


もしナポリの黄金のソフィア・ローレンがパスタをサーブしたら、まさにこの表紙の姿の通りになったはず。
これこそが世界共通のナポリの女性像。

そして2番めに目が行くのは、料理。
どう見てもシンプルなトマトソースのスパゲッティです。
リチェッタは本のP.38にあります。

トマトソースのパスタは、ナポリが、いえイタリアが世界に誇る食べ物。
この本には、
SPAGHETTI AL POMODORO
SPAGHETTTI CON I POMODORI CRUDI
SCARPARIELLO
の3種類のトマトソースのパスタが載っています。

シンプルなトマトソースに3種類ものバリエーション。
最初の2品は、生のトマトが出回る夏の時期と、瓶詰めや干しトマトを使う冬のトマトソース。
季節によってトマトを使い分ける、トマトの産地ならではのこだわりのリチェッタです。

トマトの保存方法は品種によって最適な方法が違います。
ミニトマトの保存方法の一つ、干しトマト、ピエンノロ。
ポモドリーニ・デル・ヴェスビオを干したのがピエンノロ・デル・ヴェズビオ。


生トマトの代表格は、サン・マルツアーノ。


3品目のスカルパリエッロは、本によると、ナポリのスペイン人地区の靴屋の職人(スカルパーリ)が考え出したと語り継がれている料理。
手軽に作れて経済的で美味しいという、ナポリの庶民が生み出した1品。

手軽で経済的で美味しい料理、それはつまり、残り物を有効利用した料理です。
ベースの日曜日のご馳走のソースに、チーズを加えてボリュームアップ。
靴の代金をチーズで払う客もいたので靴屋にチーズはたっぷりあったんだそうです。
ホントかいな。

結局、いつものトマトソースの味をupさせる秘密は、ペコリーノでした。
ナポリのトマトソースにペコリーノを使う発想はなかったなあ。
缶詰のミニトマトを使うので、トマトの産地でない場所では一番現実的なリチェッタです。
パスタはショートパスタを使います。


基本のトマトソースの次は、プッタネスカ、カーチョ・エ・ウオヴァ、アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ、ヴォンゴレと続いていきます。
それでもまだほんの冒頭です。
さすがはパスタの街。
ナポリ料理は面白いですねー。



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2019年4月8日月曜日

豚の脂身に職人技が詰まったグアンチャーレ

今日のお題はグアンチャーレ。

アマトリチャーナやカルボナーラには欠かせない、豚の頬肉と喉肉を塩漬けにして熟成させたもの。

Guanciale at the market today

三角形に切りそろえた、中央に赤身の肉の層があるレンガ状の柔らかい脂身で、こしょうで薄く覆われています。
豚肉、こしょう、スパイスの風味が特徴。

代表的な産地のアマトリーチェが地震で被害を被って世界的に注目され、グアンチャーレの需要が増して生産が追いつかないほどになったため、一部のメーカーは、熟成期間を早めに終わらせた製品で対応したというから、なんとも皮肉な話です。

アマトリーチェのグアンチャーレメーカー


今回訳したのは『ガンベロ・ロッソ』の各種の製品をテイスティングして点数をつけるという記事。
さて、グアンチャーレはどんな点をどんな風に評価するのでしょうか。

今回1位になったのは、同点で3点でした。
その中の一つ、リミニのコッレマッジョーレというメーカーのもの。
www.collemaggiore.it
 ↓


自社で飼育した豚肉を使用、熟成は標高650mの丘陵地で130~150日。
味と香りのバランがよく、脂身は白くてかすかにピンク色。
香りは甘くて優しく、スパイスやワイン、カンティーナや煙突のスモーク香も感じられる。
ミルクやバター、生クリーム、ビスコッティ、トーストしたナッツの香りもある。
食べるとジューシーで口の中でとろける。
軽い辛味と脂のクリーミーさが感じられ、強くて持続する味。

豚の脂身の甘さを、こんなに豊富な言葉で例える時代がやって来ようとは、変わるもんだなあ。

トラディツィオーネ・グスト・パッシオーネ/1巻』で、

アマトリチャーナを紹介しているのは、サン・チェーザレのオステリア・ディ
サン・チェザーリオのシェフで、真っ赤なコック帽がトレードマークのアンナ・デンテシェフ(P.398)。シェフのwebページ
 

アマトリチャーナの女王と呼ばれている人です。

食材にこだわるのがこのシンプルな料理のポイント。
パスタは、トスカーナのピチによく似た地元のパスタ、コーダ・テゾーロ。
グアンチャーレはシンプルな味のもので熟成は中程度。
ペコリーノはラツィオ産のペコリーノ・ロマーノ。
トマトはコルバリーニかピエンノロ。
カンパーニア産でナンバー1と信頼しているもの。

・小さく切ったグアンチャーレを熱した鍋で炒め、ちぎった生唐辛子とローリエを加える。
・白ワインをかけてアルコール分を飛ばす。
・裏漉ししたトマトを加えて弱火で1.5~2時間煮る。
・パスタをゆでる。
・ソースから唐辛子とローリエを取り除き、パスタを入れる。
・おろしたペコリーノを加えてマンテカーレする。
・皿に盛り付けてペコリーノを散らす。最近では炒めて脂を溶かした後のグアンチャーレを散らすシェフも多い。


ソラマメとパンチェッタまたはグアンチャーレ
 

・グアンャーレ200gは皮を取って小角切りにする。
・小さく切ったトロペアの赤玉ねぎ1個と一緒にフライパンに入れてオリーブオイルを加える。
・さらにソラマメ、塩と水少々を加える。
・蓋をして10~15分煮る。
・仕上げに余分な水気を飛ばす。


アスパラガスとグアンチャーレのパスタ


・アスパラガス500gの軸の硬い部分は取り除いて穂先を切り離し、残った軸は15分蒸す。
・アスパラガスの軸と蒸し汁少々をミキサーにかけてクリーム状にし、保温する。残りの蒸し汁は取っておく。
・エシャロット1個のみじん切りをオリーブオイルでソッフリットにする。
・グアンチャーレ120~140gの小角切りを加える。
・脂身が溶けて透き通ったら生のアスパラガスの穂先を加えてソッフリットにする。
・塩・こしょうで調味する。
・アスパラガスのクリームを加えてなじませる。
・アルデンテになる2~3分前までゆでたパスタを加えて好みの硬さまで火を通す。必要ならパスタのゆで汁ではなくアスパラガスの蒸し汁を加える。

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“グアンチャーレ”の記事の日本語訳は「総合解説」2017年1/2月号に載っています。
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2019年4月5日金曜日

プーリアのパンツェロッティ、ナポリのピッツァ・フリッタ

今月のスクオラ・ディ・クチーナ1品目は、パンツェロッティpanzerotti。
揚げ物のストリートフード。
ドルチェ、サラート共に様々なバージョンが、様々な地方で作られています。

揚げ物のストリートフードと言えばナポリ。
パンツェロッティの本家はプーリアという説が有力のようですが、これまで見てきたように、家庭料理がルーツのイタリア料理は、発祥地や考案者を特定するのはまず無理。
かっちり厳格に発祥地を決めようと思うと、底なし沼にハマって抜け出せなくなります。
ちなみに『クチーナ・イタリアーナ』の記事では、発祥地がナポリともプーリアとも書いておらず、地方によって様々なバリエーションがある、とお茶を濁しています。

ナポリではこの種のパンはピッツァ・フリッタと呼ばれていました。
プーリアとナポリでは、世に出ている情報量がぜんぜん違うので、
今回は、ナポリのエンツォ・コッチャの『ピッツァ・フリッタ』から、揚げピッツァにまつわる話を訳してみます。


“揚げる”について書かれたイタリアで最初の本は、1300年前後にナポリで出版されました。
著者は不明です。
19世紀初め、ヨーロッパ第3の都市になっていたナポリには、17軒の揚げ物屋があったそうです。
当時はオリーブオイルは高価だったのでラードで揚げていました。
20世紀初めになると、フリッジトーレ、パンツェロッターロ、ロスティッチェーラといった専門店が登場し、戦後も広まっていきます。
ビットリオ・デ・シーカ監督の映画、『L'oro di Napoli』(1954)で知られる貧しい庶民が8日のつけで買う、という意味の“oggi a otto”という言葉も生まれました。
この映画でのソフィア・ローレンは揚げピッツァ売りの女将さんです。


揚ピッツァのポイントは、油、時間、温度の3点。
揚げたピッツァにラードを取った後の豚肉やリコッタをのせたり、日曜日に作ったラグーの残りのトマトをのせて半分に折って食べていました。

揚げピッツァ作りのタブーを説明するエンツォ・コッチャシェフ


ナポリの人口の多さは揚げ物屋が生まれる大きな要因だけれど、オリーブの産地のプーリアでは揚げ油が豊富にあったとも考えられるし・・・。
プーリアでも、パンツェロッティは毎日の食事の残りやトマトとチーズの切れ端を詰めた庶民のピッツァ、として誕生したと語り継がれています。
ピッツァという言葉を使うと有無を言わさずナポリのものになりますが、パンツェロッティと呼ぶとプーリアのものになるという不思議な食べ物。
パンツェロッティが広まったのにはアメリカで広まったことが影響していそう。

ちなみに「総合解説」では北イタリアのヴァルテリーナ風のリチェッタも紹介しています。
前回のテーマ、ビットの産地です。
具には、もちろんビットとサボイキャベツが入っています。
ご当地の名物を入れれば、イタリア中どこでも名物パンツェロッティの出来上がり。

(プーリアの)パンツェロッティ




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“パンツェロットのバリエーション”の記事とリチェッタの日本語訳は「総合解説」2017年1/2月号P.17に載っています。
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2019年4月3日水曜日

大量生産か伝統の固持かで2つに別れたチーズ

今日はビットの話。
仮想通貨じゃないです。イタリアのチーズです。

ビット


21世紀に造られているチーズとは思えないような、古~い伝統の香りがするチーズです。
チーズ作りは山の放牧地にいる夏の間のみで、熟成は最低70日から10年。

この、メイド・イン・イタリーの食材の中でもマイナーなチーズが、過去20年に渡って、一悶着あったなんて、知りませんでした。
サーレ・エ・ペペ』によると、スローフードに支援された歴史的ビット派と、ジェローラ・アルタとアルバレードというヴァルテッリーナの小さな地域の何世紀にも渡る伝統に忠実で時代と共に変化してきた製法をとる飼育農家の間で、対立が起きていたのだそうです。
伝統と時代の変化というテーマを、このところのブログでは取り上げてきましたが、この問題は、イタリアでも深刻のようです。

古代ローマを侵略して一部がヴァルテッリーナの山奥に隠れ住んだガリア人(ケルト人)が伝えたと語り継がれているビット。
1001スペチャリタ』によると、ビットの語源はケルト語で永続する、という意味のbitu。

放牧やチーズ造りのエスパートの彼らが長期保存を目的として造ったのがビットでした。
現在もガリア人の伝統を守って造られています。

歴史的ビット派は、昔ながらの製法を厳格に守るからこそ、あのビットの味は生まれるのだと信じています。
でも、現実的にはかなり厳しい話です。
ビット問題は結局、歴史的ビット派がDOPから抜けてチーズの名前もストリコ・リベッレStorico Ribelleと変えるということで決着したようです。

下の動画によると、放牧地の草だけでなく飼料を与えてもよい、人口のレンネットを添加してもよい、などのDOPの規定への拒否反応が原因のようです。
部外者の素人には、何のことだかわからないような点でも、大問題だったのです。
チーズが世界中に広まれば、部外者の素人はもっと増えて、伝統を多少変えてでも時代にあった作り方をするべきだという声が大きくなるでしょう。
大量生産を拒否して先祖代々の製法を守る、という決意は、相当なものだと想像できますが、伝統の製品を作っていて同様の決断を下す人がどれだけいるでしょうか。
イタリア人の伝統を守るという気持ちは、ほんと半端じゃない。


15軒の生産者が管理組合から分離したのが2006年。
熟成に最長で10年かける2006年のチーズが出来上がるのは、2016年。
伝統に忠実な頑固な造り手たちが、プライドをかけて造ったチーズが出回るのは、もうそろそろでしょうか。

10年ものビットのカット。


歴史的な製法を守るために、地元の団体から分離して新しいブランドを名乗るというスローフードの試みは今後、どうなっていくのでしょうか。

ビットと言えばピッツォッケリ。
来月の「総合解説」にはピッツォッケリの記事も登場します。



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“ビット”の記事の日本語訳は「総合解説」2017年1/2月号P.35に載っています。
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2019年4月1日月曜日

ネットがない時代に一世を風靡したチョコレートドリンク

前回は、広まることに興味がない人が作り出したティラミスが、広まることにすべてをかけてる人と出会うと、どういうことが起きるか、という一例をちょっと知りました。
今ではティラミスの考案者を名乗る人がアメリカにまでいるそうです。
今回は、イタリアを代表するチョコレート・ドリンクの話。
1つめは、トリノのビチェリンbicerinです。


有名なので今さらと思っていたのですが、『サーレ・エ・ペペ』の記事を読んでびっくり。
なんとビチェリンのリチェッタは、現在でも極秘にされているんだそうです。
ネット上にあふれるビチェリンの情報は、いったい何なんでしょうか。
これからは、極秘のリチェッタなんて都市伝説になるかもしれないですね。
極秘にしたのは権利を守るだけでなく、広まって変化するより、伝統を絶やさないことを最優先にした結果でしょうが、ネット社会にどう対抗していくのか、興味深いです。

もう一つはミラノのチョコレートドリンク、バルバイアーダ。
考案者は、1800年にスカラ座の向かい側にオープンしたイタリアで最初のカフェの1つ、カフェ・デイ・ビルトゥオージのカメリエーレ、20歳そこそこのドメニコ・バルバッリア。
当初の飲み物の名前は彼の名前からバルバッリアータbarbagliata。
これが大当たりして、彼は一財産築き、カフェを数軒所有するほどになりました。
名前もBarbagliaから、もっとお洒落なBarbajaへと改名しました。
ドリンクの名前もバルバイアーダbarbajadaとなります。

でも、一番すごいのは、彼のこの後の人生。
200年後の現在、彼はイタリアのカリスマプロモーターとして世界中に知られているのです。
詳しくはwikiをどうぞ(こちら)。

バルバイアーダは最初のカプチーノと言われています。


カメリエーレからここまで成功するなんて、ホットチョコレートでも大ヒットすると人生が変わるんですね。
ちなみに私は毎朝ヌテッラをパンに塗りながら、これを考え出した人に感謝しています。
結局、まだネットがない時代でも、誰かが勝手に世に出したものがどんどん広まり、世間の支持を得れば、その勢いは個人の手に負えるものではなくなるんですね。
トリノやミラノのような北イタリアの大都市は、その傾向がイタリアでも一番最初に現れる場所なのかも。

ビチェリンの極秘のはずのリチェッタも、カメリエーレの人生を変えたバルバイアーダのリチェッタも、日本語訳を「総合解説」に載せました。

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“イタリアのホットチョコレート”の記事とリチェッタの日本語訳は「総合解説」2017年1/2月号に載っています。
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シチリアとフランスのブリオッシュの違いは

シチリアのブリオッシュ・コル・トゥッポはフランスのブリオッシュ・ア・テトとはどこが違うのか。 見てすぐに分かるのが、フランスは型を使うけど、シチリアは使わないということ。 なので、シャキッとしたフランスのブリオッシュに比べて、シチリアのものはやたらテローンとしています。 こ...