2019年4月5日金曜日

プーリアのパンツェロッティ、ナポリのピッツァ・フリッタ

今月のスクオラ・ディ・クチーナ1品目は、パンツェロッティpanzerotti。
揚げ物のストリートフード。
ドルチェ、サラート共に様々なバージョンが、様々な地方で作られています。

揚げ物のストリートフードと言えばナポリ。
パンツェロッティの本家はプーリアという説が有力のようですが、これまで見てきたように、家庭料理がルーツのイタリア料理は、発祥地や考案者を特定するのはまず無理。
かっちり厳格に発祥地を決めようと思うと、底なし沼にハマって抜け出せなくなります。
ちなみに『クチーナ・イタリアーナ』の記事では、発祥地がナポリともプーリアとも書いておらず、地方によって様々なバリエーションがある、とお茶を濁しています。

ナポリではこの種のパンはピッツァ・フリッタと呼ばれていました。
プーリアとナポリでは、世に出ている情報量がぜんぜん違うので、
今回は、ナポリのエンツォ・コッチャの『ピッツァ・フリッタ』から、揚げピッツァにまつわる話を訳してみます。


“揚げる”について書かれたイタリアで最初の本は、1300年前後にナポリで出版されました。
著者は不明です。
19世紀初め、ヨーロッパ第3の都市になっていたナポリには、17軒の揚げ物屋があったそうです。
当時はオリーブオイルは高価だったのでラードで揚げていました。
20世紀初めになると、フリッジトーレ、パンツェロッターロ、ロスティッチェーラといった専門店が登場し、戦後も広まっていきます。
ビットリオ・デ・シーカ監督の映画、『L'oro di Napoli』(1954)で知られる貧しい庶民が8日のつけで買う、という意味の“oggi a otto”という言葉も生まれました。
この映画でのソフィア・ローレンは揚げピッツァ売りの女将さんです。


揚ピッツァのポイントは、油、時間、温度の3点。
揚げたピッツァにラードを取った後の豚肉やリコッタをのせたり、日曜日に作ったラグーの残りのトマトをのせて半分に折って食べていました。

揚げピッツァ作りのタブーを説明するエンツォ・コッチャシェフ


ナポリの人口の多さは揚げ物屋が生まれる大きな要因だけれど、オリーブの産地のプーリアでは揚げ油が豊富にあったとも考えられるし・・・。
プーリアでも、パンツェロッティは毎日の食事の残りやトマトとチーズの切れ端を詰めた庶民のピッツァ、として誕生したと語り継がれています。
ピッツァという言葉を使うと有無を言わさずナポリのものになりますが、パンツェロッティと呼ぶとプーリアのものになるという不思議な食べ物。
パンツェロッティが広まったのにはアメリカで広まったことが影響していそう。

ちなみに「総合解説」では北イタリアのヴァルテリーナ風のリチェッタも紹介しています。
前回のテーマ、ビットの産地です。
具には、もちろんビットとサボイキャベツが入っています。
ご当地の名物を入れれば、イタリア中どこでも名物パンツェロッティの出来上がり。

(プーリアの)パンツェロッティ




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“パンツェロットのバリエーション”の記事とリチェッタの日本語訳は「総合解説」2017年1/2月号P.17に載っています。
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バッカラはノルウェーとイタリアを結ぶ干物貿易の主役で、この航路は1450年作成の世界地図にも記載されるほど重要でした。

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