2024年8月6日火曜日

貧しく、庶民的で、地元に固執し、大げさで、あまり上品でないローマの臓物料理はローマ人とそっくりなんだそうで。

今日のお題はテスタッチョ。
アンフォラの破片が積み重なった小山、という考古学的価値のある地区です。

テスタッチョ

テスタッチョはローマ料理の3つの柱のうちの一つ。そしてクイント・クアルトの生まれた、食肉解体場があった場所。この解体場で働く人たちが売り物にならない内臓を持って帰り、それを料理したものがローマの名物料理になったのでした。
貧しく、庶民的で、地元に固執し(ローマ料理はローマ郊外のカステッリ地方より外では味わえない、と言われている)、大げさで、あまり上品でないとこなど、臓物料理はローマっ子たちとそっくり。

ところが、現代人の胃袋は、ハンバーガーや寿司や、健康に良い食べ物を求めるようになり、ローマの家庭から、手間がかかって消化に時間がかかり、傷むのも早い内臓料理は消えてしまった。今や、一部のトラットリアやリストランテだけがローマの伝統を守る砦となっている。
この地区は、テベレ河左岸にあるが、テベレ河の右岸でヴァチカンの南は、ローマで最も人気の個性的な地区、トラステベレ。元々はエトルリア人の住む地区だったがテベレ河の左岸に町を作ったローマ人によって征服された、という歴史がある。

テスタッチョの市場

テスタッチョの料理は“クイント・クアルト”の料理と呼ばれた。「4つに分けたうちの5番目」という意味だ。
牛を解体する時は、前後左右、計4つに分ける。そして頭、内臓、尾、足は売り物にならなかったので、4つの部位のどこにも属さない。そこで「クイント・クアルト」と呼ばれていたのだ。
これらの部位は、ヴァッチナーリと呼ばれた解体作業員たちのものになった。彼らはそれをテスタッチョのトラットリアに持ち込み、そこでリガトーニ・コン・ラ・パヤータや、コーダ・アッラ・ヴァッチナーラと言った料理が生み出されたのだった

現在、食肉解体場はモダンアートの展示場になり、周辺はローマでも魅力的な場所になった。しかし、ここではまだエスニック料理よりパヤータのリガトーニが主役。

クイント・クアルト料理を代表する店、ケッキーノ・ダル1887。

次はカステッリの話。

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カンパーニアで育ち、18歳でローマのハインツ・ベックのラ・ベルゴラで働き始め、26歳で最初のミシュランを獲得し、現在はアマルフィの高級ホテルのレストランのシェフ、クリストフォロ・トラバニは現在注目のシェフ。

今日紹介するのは、(CIR7月号P.26)で紹介している若手シェフ。 クリストフォロ・トラバニシェフです。1988年生まれ。 彼は幼少期と思春期をカンパーニアで育ち、18歳でローマの3つ星レストラン、ハインツ・ベックのラ・ベルゴラで働き始め、その後数々のグラン・シェフの元で働き、...