ベネトのオステリアの長居しやすい雰囲気は、カードをしながら、あるいはワインを1杯飲む間に、周囲の人と意気投合してしまうベネトの人たちによって作り出されました。
言い伝えでは、オステリアはベネチアで紀元1000年頃生まれたのだとか。オリエントから戻ったリッチな商人は、スパイスや絹だけでなく、洗練された文化や習慣も伝えました。
それによってベネトの質素な伝統料理は華やかになっていきました。それはローマ帝国の時代にも、厳しい修道院の教えにも貧しい飢餓の時代にも、ランゴバルド族の大きなパンと肉の串焼きの時代を経て、受け継がれました。
こうして港のすぐそばのオステは、商取引や美味しいスープ、魚のマリネやスパイスを効かせた肉を食べる場所になっていきました。
底なしにサーブされる赤や白のワインを見て、ギリシャ人はベネト人のワイン好きに気づき、ベネト人(ベネティ)のことを“ワイン”、エノスenos、エネティEnetiと呼びました。やがてオステリアはベネチアからベネト全域に広まっていきます。
仕事の後や日曜のミサの後、祭りの後に町の人たちが集まる場所がオステリアでした。
アーティストの中にはオステに住み着く人たちもいました。
オステの人気には主人の魅力も影響しました。
ベネトのオステリア。
このあたりからベネチアのかつての威光も歴史も文化もごちゃごちゃになっていき、混乱期に突入する。ベネチアにオーストリアの兵隊が駐留したことによって、スプリッツが誕生するという出来事もあったけれど、ベネチアは崩壊し、イタリア統一運動の時代になる。そして町の間には鉄道が敷かれ社会がどんどん変化し、主婦が家庭で料理を作らなくなる時代になり、オステリアの役割は、昔ながらの伝統料理とワインを出す店へと変化していく。ベネトのオステリアの金曜日はバッカラとポレンタという伝統は、オステリアによって守られた。
次回はバッカラとポレンタの話。
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