2020年3月4日水曜日

アラブからブルボン家まで、歴史が詰まったナポリの米料理、サルトゥ

シチリア風米料理の次は、ナポリ風。

ナポリの米料理ねえ・・・。
シチリアでは美味しくて毎日アランチーニを食べていたけど、ナポリでは食べた記憶が・・・。
あ、そういえば、パスティッチェリーア・スカトゥルキオで超美味しいサルトゥを食べたっけ。

サルトゥ・ディ・リーゾ


美味しかった記憶が蘇ってきました。
ナポリのパスティッチェリーア・スカトゥルキオです。

ナポリの下町の路地にある小さいけれど、超有名なパスティチェリーアで、こんなにおいしい料理が食べれるなんて、まったく期待しないでたまたま行ったのがお昼時。
ショーケースはだいぶ空になっていましたが、それでもサルトゥーはひときわ美味しそうでした。
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あれ以来、私にとってスカトゥルキオはナポリの聖地の一つになりました。
美味しかった記憶が蘇ってきました。

ところで、お手頃価格が特徴のニュートンの地方料理書には、ディ・マーレとか400とかドルチェとか、色んなシリーズが無秩序にあるのですが、とにかくリチェッタは大量に収録されているので、なにかのリチェッタを調べたい時には便利です。
ニュートン”のクチーナ・ナポレターナ200
で、サルトゥを見てみたら、さっそく、こんな話を見つけました。

イタリア料理で最初に米が登場したのは、ブルボン家の王国があったシチリアでした。
シチリアから、王国の首都、ナポリへと米は輸出されました。

そうでした。
シチリアの話はナポリには関係ない、と思っていると、とんでもないのでした。
シチリア王国は、スペイン・ブルボン家が支配するシチリアとナポリが統合されてできたのでした。
米料理は、シチリアとナポリの融合の象徴だったかもしれません。
ところが、ナポリでは米は人気が出ませんでした。
ナポリに米料理が広まったのは、モンズーMonzùが米と地元の食材を使ったティンバッロ、米のサルトゥーを作ったおかげでした。
モンズーとはフランス語のMonsieur(ムッシュ)のナポリ訛りで、ブルボン家の宮廷料理人のことです。

“グイド・トンマージ”シリーズの『クチーナ・ディ・ナポリ』には、こうあります。
マンジャマッケローニmangiamaccheroniとからかわれたナポリ人は、マカロニ好きで知られていたが、長い間、米を拒否してきた。サレルノ派の医者によって、米は胃腸の病気がある人の胃腸をすすぐ効果がある、薬のような食べ物と考えられていたからだ。
モンズーは、17世紀なかばにブルボン家のフェルディナンド1世の后のマリア・カロリーナ(マリー・アントワネットの妹)と共にナポリ王国にやってきて、薬と思われていた料理を改良してサルトゥを作り出した。サルトゥとは、“至上のもの”という意味だ。

アラブ人が伝えた米は、ナポリでフランスの料理人によって至高のものへと生まれ変わったのでした。



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総合解説
クチーナ・ディ・ナポリ
『“ニュートン”のクチーナ・ナポレターナ200
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バッカラはノルウェーとイタリアを結ぶ干物貿易の主役で、この航路は1450年作成の世界地図にも記載されるほど重要でした。

(CIR12月号)によると、ヴィチェンツァでは、この料理はCが1つなんだそうです。普通はバッカラはbaccalàでも、ヴィツェンツァでは、Cがひとつのバカラ。んなばかな、と思ったけど、地元のこの料理の専門家たちは、C一つで呼んでました。会の名前の刺繍もC一つ。リチェッタはP.11...