ピアチェンツァ名物のサルーミの話をした時、エミリア・ロマーニャ地方出身の料理人、ブルーノ・バルビエ―リの自伝的本、『ヴィア・エミリア・ヴィア・ダ・カーザ』
という本を思い出しました。ボローニャの農家出身で祖父母に育てられ、料理人として成功した彼が、故郷の生活や料理のことを美しいイラストと共に語るほのぼのとした本です。
という本を思い出しました。ボローニャの農家出身で祖父母に育てられ、料理人として成功した彼が、故郷の生活や料理のことを美しいイラストと共に語るほのぼのとした本です。
普段はどうしても南イタリアの野菜や魚料理を取り上げることが多いので、今日は珍しく、北イタリアのサルーミについてです。
《豚》という章にはこんなことが書いてありました。
ピアチェンツァのサルーミ↓
地元の多くの農家同様、祖父も家族用に常に豚を何頭か飼っていた。
豚は、その剛毛以外には何も無駄なところはなく、その肉よりも脂が高く評価される家畜だった。
豚は捨てる所がないとは、イタリア中の農家が言うことですが、剛毛以外というセリフは初めて聞きました。エミリア・ロマーニャの人が言うと説得力あるなあ。
当時はオイルの消費量は少なく、ラードが主だった。私たちは何か月も1頭の豚と一緒に暮らし、もう1頭いれば、注文を受けてサラミなどの腸詰めを作って売ることもできた。
冬の寒さが厳しくなる11月末から1月末になると、祖父と叔父で2~3日かけてこの豚をさばいて加工する。ワインとたぷりの料理が用意されて、祭りのような作業だった。量が多ければ近所の人や肉屋が、1杯のワインや温かい料理、サラミやサルシッチャ1、2本と引き換えに手伝いにきてくれたが、大抵は二人ですべてこなし、子供たちは何も手出しができなかったが、手伝いはなんでもやった。
豚を捌く作業は手順が決められている本物の儀式のようで、毎年やることは同じだった。朝早く始まり、中庭に大鍋で湯を沸かす。そして豚を豚舎から出す。豚はあらゆる手で抵抗したので、自分の番が来たことをわかっていたのだと思います。そして何が起きるのか理解すると泣くのです。悲鳴を上げて猛烈に抵抗します。
このあたりで辛くなって読むのをやめました。
でも、肉を食べるって、こういうことなんですね。残酷な辛い話はまだまだ続きました。サラミにする細かい作業は肉屋の職人がやります。
本の著者は、テレビのパーソナリティーで人気者。サルメリーアに行ったようです。
こんな話をした後になんですが、今日の料理は肉屋さんに敬意を払って、ローマのコーダ・アッラ・バッチナーラなんてどうでしょう。
料理を作るのは、畑を耕して家畜を飼って料理を出すシェフで、ガンベロ・ロッソのテレビ番組で人気が出たシェフ、ジョルジョーネ。
『ジョルジョーネ/オルト・エ・クチーナ』は7代続くローマっ子でローマの内臓料理が大好きなんだって。本には詳しいリチェッタも載っています。
ジョルジョーネのコーダ・アッラ・バッチナーラ。
「煮る時間は4~5」と言ってから一休みして、早口でさらっと「時間」と言うとこ、この人っぽい。
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