今日のお題は、高山の食事のシンボル、とうもろこしの粉のお粥、ポレンタです。
昔はpaioloと呼ばれる大鍋に入れたとうもろこしの粉を常にかき混ぜながら40分煮込んで作りました。
今時のポレンタはインスタントポレンタの粉や圧力鍋を使ってあっという間にできる。
かき混ぜるのも自動。
古代ローマ人は日常的にポレンタを食べていましたが、それはラテン語で“粥”という意味の“プルスplus”て呼ばれていました。水と粉と火があれば手軽に作ることができるプルスは、元々はソラマメ、チェーチ、大麦、ファッロ、小麦などから造られていました。
プーリアの美味しい名物、ファーヴェ・エ・チコーリアは乾燥ソラマメのクリームとチコーリア。
そこにとうもろこしが中央アメリカら伝わって、鍬も使わずに耕すことができて、たった3か月で収穫できるとうもろこしは、どんな食物よりも豊かに実り、一国の国民丸ごとの腹を満たすほどでした。ヨーロッパに渡ってから約3世紀弱しかたってない食べ物が、スペイン人の地主たちによって山の上や南イタリアにも到着して栽培されて、さらに料理まで考え出されてきました。
全然山の上じゃないけど、なぜかナポリにも広まったポレンタ。
スカリオッツィ・ナポレターニScagliozzi napolenati。とうもろこしはイタリア北部や中部に広まって、民衆の主食になりました。
18世紀には新世界からじゃがいもが伝わりました。それまではじゃがいももトウモロコシもない世界で、山の上でどうやって暮らしていたのか。
じゃがいもは寒さに強く、冬でも長期間保存できました。山の土壌に適合して、栽培されるようになりますが、ハンセン病を引き起こすという偏見から、簡単には受け入れられませんでした。ちなみにとうもろこしは、ナイアシンが欠乏するペラグラ病を引き起こしました。
じゃがいもは主に豚の餌として利用されていましたが、大飢饉が起きて、山の住民は、じゃがいもで飢えをしのぎ、徐々に受け入れられるようになります。とうもろこしも、寒さに強い品種が開発されて北部へと広まっていきます。標高2000mまではとうもろこしを栽培することができました。じゃがいもの原産地は標高3000mあります。
大飢饉で豚の餌まで食べるほど困った山の住民は、とうもろこしゃじゃがいもを食べました。次第においしく食べるリチェッタが考え出されます。
北イタリアのアルプス地方でもっとも人気のポレンタは、ポレンタ・コンチャです。
この話は次回に。
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