(CIR/クチーナ・イタリアーナ・レジョナーレ)はもうすぐ9月号発売ですが、今日のお題は8月号の記事から、“冷製ロングパスタ”です(P.18)。
記事にある通り、イタリアにはパスタを冷たくして食べる、という習慣は生まれませんでした。
家庭料理では、冷たいパスタは、ギリ、ショートパスタの食べ方として、サラダにすることはあります。それでもペンネッテやファルファッレが主で、ロングパスタの食べ方としては、まったく普及しませんでした。
冷製パスタの話をすることは、イコール、イタリアのパスタの歴史の話をすることになります。
今までは、パスタの歴史と言うと、どうやって伝わったとか、どうやって造ったかという話でしたが、近代以降、パスタの歴史は単なる食物の歴史を超えて、社会体制と強く結びついていきます。
イタリアの食文化史上、冷製のロングパスタを最初に広めた人は、イタリア料理史に革命を起こしたシェフです。ご存じ、グアルティエーロ・マルケージシェフです。
マルケージの革命。
それはシブレットとキャビアのスパゲッティでした。
今でもキャビアの冷製パスタはマルケージのたくさんある代表作の一つ。下の動画は彼のリチェッタを研究した若手シェフのもの。
キャビアのタリオリーニ・フレッディ/Tagliolini freddi al caviale。
冷製パスタじゃなくて室温のパスタでした。
キャビアが具のクリスマス料理だと言ってますが、そのことからも分かる通り、これは家庭料理とは明確に違う料理でした。
冷製パスタとマルケージシェフの話をする時には、ヌーベルキュイジーヌの話を避けては通れません。戦後のパスタの歴史は、日本はヨーロッパとは違う歴史を歩んできたと思っている人には、ちょっとショッキングな歴史です。
パスタの歴史に詳しい傑作、『パスタ・レボリューション』
によると、イタリア料理はその素朴で本物のところが、イタリアの美しさに魅せられてやってくるヨーロッパ人に高く評価されていました。ところが、現実の田舎は、みじめな生活をしていたのです。イタリアの外食産業は、地元の名産品を使った地方の家庭料理を出すオステリアやトラットリアがベースでした。この点が、他のヨーロッパ諸国、特にフランスとは大きく違う点です。フランスでは、レストランは、パリの宮廷というトップがあり、貴族など上の階級から生まれて広まっていきました。そのため、先生が研究して広めた絶対的なリチェッタがあります。しかし、イタリアでは、料理人はそもそもみんな違う方言を話していました。でも、イタリアには、他の国とは違う、美味しい野菜や果物、乳製品や肉があり、多くの外国人がそれに魅せられてやってきました。
によると、イタリア料理はその素朴で本物のところが、イタリアの美しさに魅せられてやってくるヨーロッパ人に高く評価されていました。ところが、現実の田舎は、みじめな生活をしていたのです。イタリアの外食産業は、地元の名産品を使った地方の家庭料理を出すオステリアやトラットリアがベースでした。この点が、他のヨーロッパ諸国、特にフランスとは大きく違う点です。フランスでは、レストランは、パリの宮廷というトップがあり、貴族など上の階級から生まれて広まっていきました。そのため、先生が研究して広めた絶対的なリチェッタがあります。しかし、イタリアでは、料理人はそもそもみんな違う方言を話していました。でも、イタリアには、他の国とは違う、美味しい野菜や果物、乳製品や肉があり、多くの外国人がそれに魅せられてやってきました。
フランスの先生の本をコピーする、という形でイタリアにもフランス料理は広まります。でも、貴族は革命によってすべてをなくし、料理人も失業しました。その結果、庶民の家庭にやとわれたり、町のトラットリアの料理人になります。
第二次大戦後のイタリアで、トラットリアで食事をするとは、おなか一杯に食べる、という意味でした。エレガントなトラットリアで、パスタ・エ・パターテpasta e patateやパスタ・エ・ファジョーリpasta e fagioli、スパゲッティ・ボンゴレspaghetti a vongole、バイヤータのリガトーニrigatoni con alla pajata、ブカティーニのアマトリチャーナbucatini all&amatriciana、トンナレッリ・カーチョ・エ・ペペtonnarelli cacio e pepe、スパゲッティ・カルボナーラspaghetti alla carbonara、ペンネ・アッラビアータpenne all'arraabbiata、グリーチャgriciaを食べる、とはそういうことでした。
パイヤータのリガトーニ。
これらの料理はどれも世界中に広まりました。
今も観光客の多くはこういうパスタを求めてイタリアにやってきます。
あるいはチェックのテーブルクロスとこもかぶりのワイン。
イタリアの料理人たちは、これを打ち破ろうとフランスなどを手本にしてみました。
でもうまくいきません。なかなかイタリア料理はアルタ・クチーナの仲間入りが出来ません。それどころかフランスでは逆にアルタ・クチーナが隆盛します。
観光客がイタリアにやってくるのと同じ現象で、イタリアのシェフはフランスのグランシェフの元に修行に行きました。フランスの次はスペインや北欧がブームになります。
フランスはヌーベルキュイジーヌの全盛期でした。短い調理時間と軽いソースが主流になり、ヌーベルキュイジーヌは、イタリアの料理人とパスタを開放しました。
この時期、イタリアの若い料理人は、伝統の縛りから解放されて行きます。
イタリアでその先駆者となったのがマルケージです。
この話、次回に続きます。
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