2024年9月18日水曜日

スパゲッティ・ボロニェーゼは、いわばひと昔前の寿司。現代の寿司はイタリアの多様性の象徴。ピッツァに取って代わろうとしている。


今時のイタリアの地方の多様性や南北の分断が、あまりにも面白くて、かなり横道に逸れてしまいました。結果的にはひと昔前には、このテーマでいじられるのは圧倒的にナポリ人にピッツァでしたが、今は断然、寿司なのだと分かったのでした。寿司は今や異文化の象徴。寿司を食べることは異文化を理解して受容していくことを意味しています。

今日のお題は(CIR5月号P.38、“スパゲッティ・アッラ・ボロニェーゼ”)です。外国の食にはかなり否定的だったイタリアで、その象徴的だった料理、“スパゲッティ・アッラ・ボロニェーゼ”。この料理は、いわばこの時代の寿司だったのです。この料理の名前がイタリアの新聞“ラ・スタンパ”に初めて登場したのは、1898年4月22日の記事でした。ホテル・ヴィル・エ・ボローニャHotel Ville et Bologneのメニューに、“ナポリのスパゲッティのボローニャ風Spaghetti di Napoli alla bolognese”という名前が登場した、ということが新聞のニュースになっちゃうんですね。
ラ・スタンパと言うのは、イタリアでもっとも影響力があり、発行部数が多い新聞で、トリノにある。

トリノのラ・スタンパ。

つまり、この事実は、この料理がトリノ、ナポリ、ボローニャという三角形を形成したことを物語っています。

下の動画ではスパゲッティ・アッラ・ボロニェーゼを作ると言いながら、スパゲッティ・アッラ・ボロニェーゼは存在しない、と言っています。

トリノ

この料理の存在を公式にしたのがトリノの日刊紙だったというのが重要。
トリノは、イタリア統一という概念が生まれて達成された地。

イタリア統一までの物語を語る南部人。南北の分断は根深い問題だったんだなあ。

リソルジメントからイタリア統一まで。

トリノという地は、イタリアにとってはイタリア統一に直結した場所なのでした。
そしてこの料理が創り出した三角形は、ボローニャとナポリというイタリア料理の中心地2つを、これが、イタリア統一の象徴の地、トリノで一つに結びつけられたのです。

=====================================
(CIR)は『クチーナ・イタリアーナ』と『サーレ・エ・ペペ』という2冊のイタリア料理の月刊誌のリチェッタと記事を日本語に翻訳した約50ページの小冊子です。
価格は1冊\900(税・送料込)、1年12冊の定期購読だと15%引きの\9200(税・送料込)になります。紙版と、ネット上にupするPDF版があります。PDF版の価格は\800/号、定期購読は\7700/1年12冊です。料理雑誌も販売しています。

現在、2021年の号を販売中です。それ以前の号と、旧総合解説はシステムの変更のため販売を終了しました。
現在販売している(CIR/クチーナ・イタリアーナ・レジョナーレ)バックナンバーは、2021年1~12月号です。
定期購読は2021年の号からできます。
古い雑誌や本は在庫を探しますのでご相談ください。
本以外のお問い合わせもお気軽にどうぞ。

ご注文の場合は、こちらのフォームからお願いします。
本や(CIR)の購入方法

お問い合わせはこちらからどうぞ。

(下記のリンクがクリックできない時は左クリックして表示されたurlをクリックしてください)
=====================================
クレアパッソのブログは下記の3種類あります。

[creapasso.comへ戻る(hpはシステムのトラブルで長期間更新していません、あしからず)最新情報はすべてブログでお知らせします]

============================



0 件のコメント:

カンパーニアで育ち、18歳でローマのハインツ・ベックのラ・ベルゴラで働き始め、26歳で最初のミシュランを獲得し、現在はアマルフィの高級ホテルのレストランのシェフ、クリストフォロ・トラバニは現在注目のシェフ。

今日紹介するのは、(CIR7月号P.26)で紹介している若手シェフ。 クリストフォロ・トラバニシェフです。1988年生まれ。 彼は幼少期と思春期をカンパーニアで育ち、18歳でローマの3つ星レストラン、ハインツ・ベックのラ・ベルゴラで働き始め、その後数々のグラン・シェフの元で働き、...