2024年9月19日木曜日

トリノの新聞、ラ・スタンパにスパゲッティ・ボロニェーゼが初登場したのは1898年。ロサンゼルス・タイムズは1925年。

(CIR5月号)の《スパゲッティ・アッラ・ボロニェーゼ》の記事は、スパゲッティ・ボロニェーゼは、ボローニャとナポリというイタリアの2大食の中心地が、トリノで結びついたイタリアの統一を象徴する料理だった、という超ビックリな説でした。『クチーナ・イタリアーナ』というイタリアを代表する料理雑誌の大胆で緻密な記事でした。

イタリア人の執念、すごい。イタリアの新聞に最初にスパゲッティ・ボロニェーゼが登場した日と場所を特定しちゃったのです。曖昧さを許さない合理的な欧米の考え方を実感しますが、これだけじゃないんです。
彼らはさらに、アメリカの新聞にスパゲッティ・ボロニェーゼが初めて登場した日まで特定しちゃいました。
それは1925年のことでした。ロサンゼルス・タイムズのその記事は、ヨーロッパでは、フランスなどで30~40年代にこの名前の料理が見られる、と書かれています。

そして、第2次大戦後、アメリカのマーケティング企業が、緑、赤、白のとてもイタリア的な料理とソースの缶詰を売り出した、とあります。
さらに今月の記事の中で最も印象的な言葉が続きました。
「これはベネチアのゴンドラやピサの斜塔、コロッセオのようなイタリアの象徴になった。」
お、面白い。スパゲッティ・ミートソースが、ゴンドラやピサの斜塔、コロッセオに匹敵するイタリア料理のポップな象徴だと言うのです。ただしボローニャを思い出すものは何もないんだって。
結局、アメリカのマーケティングに世界中がのっちゃった訳ですね。ミートソースの缶詰を、ゴンドラやコロッセオに等しいイタリアの象徴にしちゃうという力には脱帽です。

缶詰のミートソースに対するイタリア人シェフの反応。
言いたい放題、ボロクソに言ってます。

ボロニェーゼ・ソースをイタリア人が作ってると、どんなジョークを言うか期待するようになりました・・・。

=====================================
(CIR)は『クチーナ・イタリアーナ』と『サーレ・エ・ペペ』という2冊のイタリア料理の月刊誌のリチェッタと記事を日本語に翻訳した約50ページの小冊子です。
価格は1冊\900(税・送料込)、1年12冊の定期購読だと15%引きの\9200(税・送料込)になります。紙版と、ネット上にupするPDF版があります。PDF版の価格は\800/号、定期購読は\7700/1年12冊です。料理雑誌も販売しています。

現在、2021年の号を販売中です。それ以前の号と、旧総合解説はシステムの変更のため販売を終了しました。
現在販売している(CIR/クチーナ・イタリアーナ・レジョナーレ)バックナンバーは、2021年1~12月号です。
定期購読は2021年の号からできます。
古い雑誌や本は在庫を探しますのでご相談ください。
本以外のお問い合わせもお気軽にどうぞ。

ご注文の場合は、こちらのフォームからお願いします。
本や(CIR)の購入方法

お問い合わせはこちらからどうぞ。

(下記のリンクがクリックできない時は左クリックして表示されたurlをクリックしてください)
=====================================
クレアパッソのブログは下記の3種類あります。

[creapasso.comへ戻る(hpはシステムのトラブルで長期間更新していません、あしからず)最新情報はすべてブログでお知らせします]

============================



0 件のコメント:

カンパーニアで育ち、18歳でローマのハインツ・ベックのラ・ベルゴラで働き始め、26歳で最初のミシュランを獲得し、現在はアマルフィの高級ホテルのレストランのシェフ、クリストフォロ・トラバニは現在注目のシェフ。

今日紹介するのは、(CIR7月号P.26)で紹介している若手シェフ。 クリストフォロ・トラバニシェフです。1988年生まれ。 彼は幼少期と思春期をカンパーニアで育ち、18歳でローマの3つ星レストラン、ハインツ・ベックのラ・ベルゴラで働き始め、その後数々のグラン・シェフの元で働き、...