2009年5月21日木曜日

ダヴィデ・オルダーニ

今日もシェフの話。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。

前回は、世界で一番有名なイタリア料理人で、イタリアで最初に3つ星になったシェフ、グアルティエーロ・マルケージ氏の話をしました。
今日は、マルケージ・チルドレンの一人、ダヴィデ・オルダーニ氏の話。

彼は、マルケージ氏の弟子の中でも現在もっとも注目されているシェフではないでしょうか。
ミラノ近郊のコルナレードという町で、『ドー』という店をやっています。
ミシュランで1つ星です。

なにがすごいかって、この店、1つ星なのに、ランチがプリーモ、セコンド、グラスワイン、コーヒーで11.5ユーロ、約1,600円という安さ!
予約が殺到する超人気店だというのもうなずけますねー。

店名の“ドー D'O”は、日本語で「剣の道」などという時の「道」が元になっているのだとか。
マルケージ時代、日本で仕事をした経験もあるそうだし、シェフの片腕は、10年来の付き合いという日本人、松本ヒデ氏。

店を紹介しているこちらのサイトの下のほうに、両氏の写真が。

店のロゴ


オルダーニ氏は、ミラノのマルケージ、ロンドンのアルベール・ルーのル・ガブロッシュ、モンテ・カルロのアラン・デュカスと、3つ星級の超一流店を渡り歩いた燦然と輝く経歴の持ち主。
ミラノのジャンニーノのシェフを務めた時は、わずか2年あまりでミシュランの星を1つ獲得しています。

そんな彼が自分の店を持つと言ったら、誰もが高級リストランテを想像しようというもの。
ところが、2003年に彼が始めた店は、なんとトラットリーア。
故郷の町で、トラットリーアを買い取って始めたのですが、リストランテにしなかった理由と言うのが、またかっこいい。
「以前の店の顧客を失いたくなかったから」


有能なシェフがトラットリーア。
このギャップが大きなポイントですねー。
無名の人がトラットリーアを始めたところで注目は浴びないけれど、高級料理のキャリアを積んだ人がトラットリーアを始めれば、それだけで、もうお得感満載。
しかも料理の味は、ミシュランの星で保証付き。
彼の店を訪れた人は口々に、料理と価格のバランスは文句のつけようがない、と言っています。
ちなみに、メニュー・デグスタツィオーネは、ワイン別で32ユーロ、約4,400円。


料理書を出版した時のオルダーニ氏のインタビューの動画。





ドーは、なぜ低価格で美味しい料理を提供することができるのか。
オルダーニ氏はきっと何度もこの質問を受けていることでしょう。
上の動画でも聞かれています。

彼の料理哲学は、彼の著書のタイトル、“クチーナ・ポップ”という言葉の中にあります。
“ポップ”とは、ポピュラー、大衆的という意味。
つまり、高級食材は使わない料理です。

大衆的な食材をどうやって美味しい料理にするのか。
まず、新鮮な旬の食材にこだわるというのは基本中の基本。
仕入先との信頼関係も大事。
料理技術に関しては、過去の高級店での経験が物を言います。
その時に学んだテクニックによって、地方料理につきもののこってりした脂肪分を徹底的に取り除いて、軽くて洗練された味にする。
さらに、彼の料理の味は「調和」と「コントラスト」がキーワード。
正反対の味覚を組み合わせることによって、食べる人のイマジネーションを刺激します。

『ラ・クチーナ・イタリアーナ』で紹介されている彼の料理は、実はどれも地味目な外見なのですが、彼の料理哲学を踏まえてリチェッタを見ると、なかなか深く考えられていることが分かります。

ここまでイタリア人をひきつけているのはどんな料理なのか、食べてみたい!、という気になる店です。
予約は数ヶ月前から必要なようです。

D'O
via Magenta 18, frazione S.Pietro all'Olmo, Cornaredo(MI)
Tel.02.9362209、davideoldani@tin.it
日曜と月曜定休、8月は休業、1月や復活祭前は長期休業あり、ランチは平日のみ、クレジットカード不可



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2007年1月号
“ダヴィデ・オルダーニ”の記事は、「総合解説」'07&'08年1月号、P.17に載っています。


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2009年5月18日月曜日

グアルティエロ・マルケージ

今日はイタリア料理界の大御所、グアルティエロ・マルケージ氏の話。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』と『V&S』の記事の解説です。


グアルティエロ・マルケージ氏は、1930年ミラノ生まれ。

写真の中央の人物

これは去年の写真。
当時78歳とは、お若いですねー。

彼は、1985年にイタリアで最初にミシュランの3つ星を獲得したシェフとして、文字通り一世を風靡しました。
1993年にミラノからエルブスコに店を移しましたが(その店、ラルベレータは2つ星)、その後もイタリア料理界の顔として精力的に活動を続けて現在に至っています。
マルケージ氏の元で修業した料理人たちは、マルケージ・チルドレンと呼ばれて注目を浴び、彼らも活躍しています(トゥルッサルディ・アッラ・スカラのアンドレア・ベルトン氏、ドーのダヴィデ・オルダーニ氏、クラッコのカルロ・クラッコ氏など)。
まさに、イタリア料理の一つの流派を築いた人。
その影響力はいまだに衰えず、今月も、クレアパッソで扱っている2つの雑誌が彼を取り上げています。


実際、彼ほどその料理が人々の記憶に残っているイタリアのシェフはいないのではないでしょうか。
『V&S』では、彼を“アーティスト系シェフ”の一人として紹介していますが、まさに、彼の料理は絵画のようで、その外見には強いインパクトがあります。


マルケージ氏の代表作と言えばこれ、“金箔とサフランのリゾット”。

幅広の真っ黒いリムの平皿に、鮮やかな黄色のリゾットを薄く広げ、その中央に輝く金箔をドーンと1枚平げた、2次元的な料理。
徹底的にシンプルでありながら、20年以上たった今でも、誰もが一目でマルケージ氏のリゾットだと判る強烈な料理。
料理を金箔で覆うという、ともすれば成金的で下品になりがちなアイデアを、ここまで品よく見せるには、そうとうな審美眼が必要なはず。
誰もやろうとしないことをやる人ですねえ。


彼の料理は、「ロンバルディアの伝統をばらばらに分解し、それを独自の感性で再構築したもの」、と評価されています。
それがもっともよく分かるのが、『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事でも言及しているコストレッタ・ミラネーゼ。
文字通り、伝統的なコストレッタを分解して、また組み立てた一品です。
その名も、“コストレッタ・パズル”。

こちらの最後のページにある料理

これはなかなか衝撃的ですねえ。
いったい何を考えてこういう料理にしたのか、凡人の理解の範囲を超えています。

『ラ・クチーナ・イタリアーナ』では、こんな超前衛的な料理を作るマルケージ氏の店に、イタリアのスポーツジャーナリズム界の大物で、ロンバルディア料理の本も書いている食通、ジャンニ・ブレラ氏が訪れて、超前衛的なカッスーラを食べた時のエピソードを紹介しています。
イタリア中のスポーツファンから尊敬された頑固でこだわりのある大物ジャーナリストは、きっちり正方形に切られた豚皮を食べてなんと言ったのか!
その答えは「総合解説」でどうぞ~♪



マルケージ氏のアバンギャルドな精神は、今も健在です。
最近、彼の代表的な料理となっているのは、ジャクソン・ポロックの絵のような一品。
タイトルは、“ドリッピング・ディ・ペッシェ;魚の雫”。

こちら

年齢を感じさせないやんちゃぷりと言うか、元気ですねえ。


エルブスコのマルケージ氏の動画



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2007年1月号、『V&S』2008年1/2月合併号
関連記事の“豚肉と縮緬キャベツ”は「総合解説」'07年'081月号、P.5、“ロンバルディアのアーティスト系シェフたち”は同号、P.30に載っています。


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2009年5月15日金曜日

ヴァッレ・アウリーナのグラウケーゼ

今日はチーズの話。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。

クレアパッソで現在配本中の『ラ・クチーナ・イタリアーナ』では、アウリーナ渓谷を紹介しています。

アウリーナ渓谷(ヴァッレ・アウリーナ)は、アルト・アディジェにあります。
もしイタリアの地図があったら、一番北の端を探してください。
そこがアウリーナ渓谷。
周囲は2,000~3,000m級の山に囲まれています。


こんな風景




山小屋ではこんな音楽が流れていたりして、チロルですねえ。


今回取り上げるのは、この地方の名物チーズ、グラウケーゼ Graukäse。
以前にもちょっと書いたことがあるので2度目の登場です。

こんなチーズ
またはこんな、あるいはこんなチーズ。

かなり変わったチーズですねえ。




スライスして玉ねぎの輪切りをのせて・・・
photo by Florian Seiffert (F*)


またはこうやって食べたり・・・

ねぎを散らしてオイルをかけることが多いんでしょうかね。


“グラウケーぜ”とは、ドイツ語で「灰色のチーズ」と言う意味。
イタリアだけでなく、オーストリアなどチロル地方の山間部で作られているチーズです。

それにしても独特ですねえ。
中身の白い部分はまるでカッテージチーズのようにフレッシュそうなのに、外側は硬そうで、粒々で緑色の筋が入っています。
灰色と呼ぶほど灰色には見えませんが・・・。

このチーズ、いわゆるサワーミルクチーズです。
つまり、凝乳酵素ではなく、酸によって固めるチーズ。
元々、貧しい農民は牛乳からバターを作ってそれを売り、自分たちは、残りの脂肪分がなくなったミルクが自然に固まってできたサワーミルクチーズを食べていたんだそうです。
だからグラウケーゼも、脂肪分が極端に少ないチーズです。
固形分中の脂肪分は2%以下。


現在のヴァッレ・アウリーナのグラウケーゼは、まず、牛乳から脂肪分を取り除き、凝固用の酸を加えて2日間置きます。
これをゆっくりと55度に熱し、布に取って吊るして水気を切ります。
30分ほど経ったら手で崩して塩を加え(こしょうを加えることもあります)、型に詰めます。
大きさは500gから7kgまで様々。
そして自然の湿度の中、約25度の部屋で2~3週間熟成させます。
中には、10日ほど経ったところでもっと低温の場所に移し、最高で12週間熟成させるものもあります。

グラウケーゼ作り

素朴な手作りが基本のグラウケーゼですが、最近では大手のメーカーが酵素を加えて作っているものもあるようで、ヴァッレ・アウリーナのあるボルツァーノ県では、伝統的な製法のグラウケーゼの保護も行っています。


さて、グラウケーゼの味ですが、酸からくる強烈な刺激のある香りで、苦味もあるんだそうです。
これっておいしいっていうことなんでしょうか?
チーズの美味しさの基準は複雑だからなあ。

こんなグラウケーゼの定番の食べ方は、玉ねぎの薄切りを少量添えて、油(最近ではオリーブオイル)とビネガーをかけるのだそうです。
ライ麦パンを添えてもOK。
なんだか全体的に、匂いが強くて酸っぱそうなものばかりですねえ。
でも、癖があるところがなんだか面白そう。

イタリアはチーズも色々ありますねえ。
アルト・アディジェに行ったら、ぜひグラウケーゼを味見して、どんな味だったか教えてくださーい。



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2007年1月号
“ヴァッレ・アウリーナ”の記事は、「総合解説」'07&'08年1月号、P.2に載っています。


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2009年5月12日火曜日

バッサーノのホワイトアスパラガス

今日はホワイトアスパラガスの話、その2。
『ヴィエ・デル・グスト』の記事の解説です。

イタリアでは、ホワイトアスパラガスをどう料理するのでしょうか。




これはボルツァーノのどこかの店の一品 (photo by s3ldon)。
スペックで覆った肉料理に、ホワイトアスパラガスとじゃがいもを添えたもの。
なんとなくドイツの香りがしますねえ。




こちらはトリエステのホワイトアスパラガス祭りでの一皿 (photo by elisabetta2005)。
アスパラガスとゆで卵という黄金の組み合わせに、なぜかエビと、多分ホワイトアスパラガスのフリッタータ。
さて、このゆで卵とアスパラガス、あなたならどうやって食べますか?(“バッサーノ風卵とアスパラガス”のリチェッタの最後を参照)


こちらのページの動画は、ヴェネトのIGPホワイトアスパラガスの産地、バドエーレのアスパラガスを紹介しています。
最初の約3分がアスパラガスの話。
後はシチリアのアーティチョークとカラプリアのチェードロの話と、後半はワインなど。

大体こんなことを言っています。
「バドエーレという場所は、独特の砂質の土壌のおかげて地中に熱が伝わりやすく、ホワイトアスパラガスが他の場所より短期間で育ちます。
そのため繊維が少なく、柔らかいアスパラガスになります。
ホワイトアスパラガスは、パスタやリゾットのソースにしてもよいですが、伝統的な組み合わせなら、なんと言っても、アスパラガスと卵です。
若いシェフに、この組み合わせでオリジナル料理を披露してもらいました。
まず、グリーンアスパラガスのクリームソースにゆでたうずらの卵とキャビアを添えたワンスプーン料理。
そして、鶏のゆで卵を黄身と白身に分けて裏漉しし、間にグリーンアスパラガスをはさんだトルタ。
最後は、花椒入りザバイオーネに、オイル、塩、ビネガーでマリネしたグリーンとホワイトの生のアスパラガスを浸した一品」


バッサーノのホワイトアスパラガスDOP管理組合のサイトでは、ホワイトアスパラガスのリチェッタをいくつか紹介しています。
その中から、定番のものを訳してみました。


バッサーノ風卵とアスパラガス Uova e asparagi alla bassanese
原文と写真はこちら

材料/4人分
 バッサーノのホワイトアスパラガス・・1kg
 EVオリーブオイル・・1カップ
 卵・・8個
 ビネガー
 塩、こしょう

.アスパラガスを洗って皮をむき、軸の硬い部分を取り除く。
.4つに分けて束ね、調理用糸で縛る。細長い鍋に湯を沸かして塩を加え、アスパラガスを立てて入れる。穂先は湯の外に出るようにする。
.アスパラガスを15分ゆでて取り出し、布で包んでおく。
.卵を8分ゆでて殻をむく。
.糸を取ったアスパラガス1束とゆで卵2個ずつを皿に盛り付ける。
.各自、ゆで卵をフォークで潰してクリーム状にし、オイル、塩、こしょう、ビネガーで調味する。



ソースを作る作業は皿の上で自分でやるんですねー。
知らなかったら別々に食べるところでしたよー。



アスパラガスのリゾット Risotto con gli asparagi
原文と写真はこちら

材料/4人分
 バッサーノのホワイトアスパラガス・・600g
 米・・350g
 バター・・60g
 EVオリーブオイル・・大さじ4
 新玉ねぎ・・1個
 ブロード・・1リッルト
 プレッツェーモロ
 おろしたグラナ・パダーノ
 塩、こしょう

.アスパラガスの皮をむき、穂先は別にする。軸の硬い部分を取り除く。
.新玉ねぎを薄く切り、オイルとバターの半量で炒める。しんなりしたら短く切ったアスパラガスを入れて数分なじませる。米を加えて数分炒め、ワインをかけてアルコール分を飛ばす。
.沸騰したブロードを少量ずつかけながら煮る。
.煮上がる5分前にアスパラガスの穂先とプレッツェーモロのみじん切りを加え、塩味を整える。
.米がアルデンテのうちに火から下ろし、残りのバターとグラナ大さじ数杯でマンテカーレする。



バッサーノのホワイトアスパラガス管理組合では、ホワイトアスパラガスと相性ピッタリのワインとして、ヴェネトの白ワイン、ブレガンツェ・ヴェスパイオーロを勧めています。



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2008年1月号
“バッサーノのホワイトアスパラガス”の記事の解説は、「総合解説」'07&'08年1月号、P.25に載っています。


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2009年5月8日金曜日

ホワイトアスパラガス

今日は、ホワイトアスパラガスの話。
クレアパッソで5月6日に配本した『ヴィエ・デル・グスト』の記事の解説です。
記事の日本語訳は「総合解説」P.25に載っています。


イタリアでホワイトアスパラガスと言えば、バッサーノ・デル・グラッパの名前が浮かびますよね。
バッサーノはヴェネト州の町。

バッサーノ・デル・グラッパ


バッサーノのホワイト・アスパラガスは、2007年にDOPになっています。
バッサーノのホワイトアスパラガスの季節は、3月19日のサン・ジュゼッペの日から始まるというのが伝統。
そして4月から6月までの3ヶ月間、バッサーノのレストランでは、ホワイトアスパラガスとヴェスパイオーロ(ワイン)祭りを開催中。


バッサーノのバウートというレストランのPV。





ヴェネトには、IGPのホワイトアスパラガスもあります。
チマドルモとバドエーレという町がその産地。

こちらの動画はバドエーレのホワイトアスパラガスの収穫の様子。


ヴェネトだけでなく、アルト・アディジェとフリウリの一部も主要な産地。

フリウリの農場の出荷の準備





丸ごとのホワイトアスパラガスって、どうやって食べますか?
『ヴィエ・デル・グスト』によると、バッサーノのホワイトアスパラガスの食べ方は、
フォークで数本筋をつけてそこにソースをかけ、横にして持ち上げて頭から果肉を吸い込む。
音がしても気にするな!
だって。
ホントですか?


ホワイトアスパラガスの話、次回に続きます。



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2008年1月号
“バッサーノ”のホワイトアスパラガスの記事は、「総合解説」'07&'08年1月号、P.25に載っています。


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2009年4月30日木曜日

イタリアワインの20年、その2

今日は、過去20年のイタリアワインの紆余曲折の話、その2。
『ガンベロ・ロッソ』の記事の解説です。


ワインスキャンダルでどん底に落ちた後、次々に誕生した新しいスタイルのイタリアワイン。
そのワインが華やかに開花したのは、1995年から2000年のことでした。

当時、世界に一大ワインブームが訪れます。
特に、アメリカとアジアの市場が熱狂の舞台。
ガンベロ・ロッソは、「集団泥酔」の時代だったと言っています。
アジアでは、日本だけでなく、韓国、インドネシア、シンガポールもワイン業界が注目する市場となりました。

高級ワインがバンバン売れる。
値段がぐんぐん上がる。
それでも売れる・・・。

当時のワインの値段は、「良識の範囲を超えていた」とガンベロ・ロッソは言っています。
きっかけは、ボルドーの95年のアン・プリムールだったとか。

イタリアで一番の勝ち組になったのは、トスカーナワインでした。
アルト・アディジェの白ワインも注目されるようになり、南では、プラネータ(プラネタ)とフェウーディ・ディ・サン・グレゴーリオが頭角を現します。

まさに、イタリアワインのバブル時代だったんですねえ。


泡がはじけたのは、2001年初めでした。
2001年と言えば、アメリカで同時多発テロが発生した年。
この年の9.11より前に、すでにイタリアは経済危機に突入していました。
きっかけの一つは、1999年のユーロ導入。
最初は目立たないほどの小さな変化から始まって、気がつけば、物価が劇的に上昇しだしたのです。

ガンベロ・ロッソは、「“太った牛”の時代が終わった」と表現しています。
これは、旧約聖書の創世記に出てくるエピソード。
こんな話です。

ある夜、エジプトのファラオが夢を見た。
自分はナイル河のほとりに立っている。
すると、7頭の雌牛が河から上がってきて、草をはみだした。
よく肥えた美しい牛だった。
さらにその後に、別の7頭の雌牛が河から上がってきた。
今度はやせ細った醜い牛だった。
そしてその痩せた牛たちは、なんと太った牛たちを食べてしまった。

ファラオは、夢解きをするというヘブライ人のヨセフに、この夢はどういう意味なのか尋ねた。
するとヨセフはこう答えた。

「それは神のお告げです。
エジプトは、これから7年間、豊作でとても潤う年が続くでしょう。
しかしその後に、飢饉が7年続きます。
だから王様、豊作の7年の間に出来るだけたくさん蓄えて、その後の飢饉にそなえなくてはいけません」

ファラオはヨセフを信頼して彼を宰相に任命し、飢饉に備える大役を任せた。
そして実際に、大豊作が7年続いた後に大飢饉が7年続いた。
もちろんエジプトは、この困難を乗り切ることができたのだった。


この太った牛の話は有名なようで、経済危機になるとエコノミストが必ず持ちだす話なんだそうです。
確かに、いくらでも売れる~とウハウハしていた時代に、売れなくなる時のことをもっと考えておけばよかったですねえ。
でも、もう後の祭り。

すべての物の値段が上がり、イタリアワイン業界は、経費の値上がりに四苦八苦します。
しかもそのうちに、お得意様のドイツやアメリカの経済も雲行きが怪しくなってしまいました。
そうなると、輸出向けの高級ワインが売れない。
外国市場向けに外来品種のぶどうで造ったワインが売れない。
しかも、2003年以降は天候不順で、気温上昇と雨不足。
踏んだり蹴ったりです。

当時のイタリアワイン業界の気分は、「みんな、ちょっと後ろに下がって!」

原点に戻ろう!
やっぱり伝統は大切だよ!!
イタリアの土着のぶどうだって素晴らしいじゃないか!!!

事態が深刻だっただけに、原点回帰の傾向は、時に度を越してしまうこともあったようです。
でもその後、適度に原点回帰、という流れに落ち着きました。
さらに、有機ワインも目立つようになってきました・・・。


これが2007年末までのイタリアワインの流れです。
伝統への回帰とオーガニック、この2つをキーワードに、それなりに頑張ってきたイタリアワイン。
この後に、未曽有の世界的な大不況に見舞われるとは、ガンベロ・ロッソもまったく予想していなかったでしょうねえ。
2009年末あたりにはどんな記事が載るか、注目です。



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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2007年12月号
“ヴィーニ・ディ・イタリア2008”の記事の解説は、「総合解説」'06&'07年12月号、P.38に載っています。


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2009年4月27日月曜日

イタリアワインの20年、その1

まずはクレアパッソからのお知らせです。
次回の配本は5月2日に発送の予定です。
いつも遅くなってすみません。


さて、今日はワインの話。
『ガンベロ・ロッソ』の記事の解説です。

ご存じの通り、ガンベロ・ロッソはワインの格付け本、『ヴィーニ・ディ・イタリア』を毎年出版していますが、21冊目となる2008年版を出した時に、過去20年のイタリアワインの歴史を簡単に振り返る記事を『ガンベロ・ロッソ』に載せました。

それを読むと、イタリアワインは、頂点が見えたかと思ったら急降下と、まるでジェットコースターのように上がったり下がったりを繰り返してきたことが分かります。

この20年のイタリアワインの歴史は、どん底からスタートしました。
1986年、イタリアのワイン業界を揺るがした大事件、いわゆる“メタノールワイン事件”が起きます。

その1年前の1985年は、「ワインスキャンダル」が起きた年です。
これは、オーストリアのワインにジエチレングリコールが混入されていたというもの。
日本でも、「不凍液」という言葉が頻繁にニュースに登場していました。
今ではどれくらいの人が覚えているでしょうか。
当時の日本は、ワインの売り上げが伸びてきた時期だったと思うのですが、この事件の後、店からドイツやオーストリアのワインがすっかり姿を消して、イタリアワインも影響を受けましたよね。

イタリアでは、「ワインスキャンダル」というと、1986年の「メタノールワイン事件」を指すようです。
これは、イタリアの複数のワイン関連業者が、ワインに塗料用のメチルアルコールを混入させていた事件で、19人が死亡し、15人が視力を失うという、イタリアの食品業界がそれまでに経験したことのない大スキャンダルでした。
人の命より利益の追求のほうが大事、と考える人がいる、ということを、イタリアワインの消費者たちは知ってしまった訳です。
この事件でイタリアワイン全体のイメージが低下し、前年は17%もの伸びを見せていた輸出量は、この年には37%減少したそうです。

この後の10年間は、イタリアワインがひたすらイメージの回復に努めた時代です。
ワインスキャンダルが起きるような、ぶどうを栽培している人が販売に直接関わらない、というそれまでのシステムが見直され、栽培から販売まで、全てを行う小さなワインメーカーが次々に誕生しました。
この時代の象徴として、ガンベロ・ロッソはランゲ地方を挙げています。
そしてランゲ地方の新人たちが目標とした造り手が、バルトロ・マスカレッロだったと言っています。
バルトロさんは2005年に亡くなっていますが、いまだに多くの人に影響を与え続けています。
彼のワインだけでなく、ワイン造りの哲学が、他の造り手たちの共感を呼ぶのでしょうね。

有名な「ノー・バリック、ノー・ベルルスコーニ」のラベル。
普段からラベルを自ら作っていたバルトロさん(こんな方)。
これは1995年に書いたラベル。
2001年の選挙の時に有名になりました。
こちらもコレクターズアイテム、彼を描いたラベル


この他にこの10年間を象徴するのが、スーパータスカンの成功です。
さらに、フリウリのワインも頭角を現してきました。
その代表としてガンベロ・ロッソが挙げているのは、イエルマン、ガッロ、グラヴネル(グラヴナー)、ドリーゴ(ドリゴ)。


イタリアワインの20年の話、次回に続きます。



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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2007年12月号
“ヴィーニ・ディ・イタリア2008”関連の記事は、「総合解説」'06&07年12月号、P.38に載っています。


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イタリアの新しいマスター・オブ・ワインが選ぶコンテンポラリーな赤ワイン。

イタリアの新しいマスター・オブ・ワイン、アンドレア・ロナルディが提案するPinosophyの概念。イタリアの食の分野のカリスマたちは、深い哲学への造詣がある人が多く、言ってることの意味が分かるまで、かなり苦労します。マスター・オブ・ワインも例外ではありません。なので、それなりにか...