2008年12月29日月曜日

ナポリの渋い伝統料理

ナポリ料理の話、今日もちょっと続けます。
『クチーナ・エ・ヴィーニ』の記事の解説です。

この記事には、あまり聞いたことのないディープなナポリ料理の名前が色々出てきます。
そこで、それらの料理の写真を探してみました。
でもさすがにディープ過ぎて、今では家庭では滅多に作らなくなった料理も多く、写真もちょっとしかないですねー。

■スカッリオッツィ scagliozzi (白いとうもろこしの粉のフリット。ナポリでポレンタと言うのはなんだか意外)
multiplayer.it

■ミネストラ・マリタータ minestra maritata (野菜、豚肉、豚の干し肉入りスープ。昔は祝日に食べるご馳走でした。マリタータとは“混ぜ合わせた”という意味)
chefdanielepriori.it

■マッケローニ・アッラ・ジェノヴェーゼ maccheroni alla genovese (15世紀末にジェノヴァ出身の料理人が考え出した料理とか、19世紀にジェノヴェーゼという名前の料理人が考え出した、など諸説ある。玉ねぎたっぷりで肉はちょっとのラグーをかけたパスタ)
carlocapone.altervista.org

■パッラ・ディ・ノーラ palla di Nora (大型サラミ)
cgi.ebay.it

■サラーメ・ムニャーノ・デル・カルディナーレ salame Mugnalo del Cardinale (ムニャーノ・デル・カルディナーレというアヴェッリーノ郊外の町のサラミ)
sito.regione.campania.it



マッケローニ・アッラ・ジェノヴェーゼは、ジェノヴァと言う名前でもナポリ料理。
ラグーをかけたパスタのことなんですが、このラグー、『クチーナ・エ・ヴィーニ』の記事によると、「玉ねぎが3/4で肉が1/4」。
つまり、たーっぷりの玉ねぎを、肉、サラミ、香味野菜、トマトペーストなどと一緒に5時間ぐらい煮込んだラグーです。
そして記事にもある通り、ナポリの庶民のラグーは、ラグーと言う名前でも「肉の姿は見えない」わけで、当然、肉は取り出してセコンドピアットに。
こんな料理を出しているレストランがまだナポリにはあるので、マッケローニ・アッラ・ジェノヴェーゼに出会ったら、ぜひお試しを。



今年のブログはここまで。
今年も楽しく書いてこれました。
コメントも、ありがとうございます!
とても励みになります。
また来年もよろしくお願いしますねー。

皆様、よいお年をお迎えくださ~い。
そしてまた来年、イタリア料理ほんやく三昧に、遊びに来てくださいませませ。
お待ちしておりますよん。



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関連誌;『クチーナ・エ・ヴィーニ』2007年10月号
“ナポリ”の記事の解説は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.28に載っています。


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2008年12月26日金曜日

100年前のナポリ

今日は昔のナポリの話。
『クチーナ・エ・ヴィーニ』の記事の解説です。

ナポリの料理とレストランを紹介する『クチーナ・エ・ヴィーニ』のこの記事に、こんな文章があります。

19世紀後半の有名な写真家兄弟、フラテッリ・アリナーリの写真には、100年前のナポリの路地で、大きな鍋から手づかみでスパゲッティを高く取り出して、皿に盛っている男の姿を写したものがある。
彼らは“マッケロナーロ”と呼ばれた。
ナポリの庶民は、チーズを軽くかけたゆでたてのパスタを彼らから買って、家の戸口で、麺を人差し指と親指でつまんで食べた。
貧しいストリートフードだ。
しかし、市民の顔は明るく、惨めさは全くない。
マッケロナーロは、まるでトロフィーのようにスパゲッティを高く掲げている。
貧しくても自分たちを憐れむ気持ちはみじんもなく、必要最低限のものがあれば十分だという心意気は、ナポリと食べ物の関係をよく表している。



その写真は、たぶんこれです。
 ↓
flickr.com

ちょっと衝撃的ですね~。

同じフラテッリ・アリナーリの写真で、こんなのもあります。
 ↓
napoliontheroad.it

こうやって路上でパスタを売って、それを手づかみで食べるというのは、19世紀末から20世紀初めにかけての南イタリアでは、別に珍しいことではありませんでした。

でも、なんだか食べにくそう。
spaghettitaliani.com

flickr.com

endlesssimmer.com


当時はイタリア中の広場や路上で、さまざまな人が店を出して商売をしていたそうです。
靴磨き、散髪屋さんやパーマ屋さんなどは想像つきますが、すごいのが牛乳屋さん。
なんと牛を連れていて、注文があったらその場で搾ってたんだそうですよ。
これがその写真。
 ↓
handprints.alinari.it

これもアリナーリの有名な写真、ナポリのフルーツ売り。
 ↓
shopping24.ilsole24ore.com


100年前のイタリアの様々な働く人々の姿を写したアリナーリの写真はこちら。
 ↓
handprints.alinari.it


フラテッリ・アリナーリ Fratelli Alinari とは、1852年にアリナーリ3兄弟がフィレンツェで始めたイタリアで最初の写真館で、現在も様々なメディアで活動を続けています。

フィレンツェのアリナーリ国立写真博物館
 ↓
mnaf.it



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関連誌;『クチーナ・エ・ヴィーニ』2007年10月号
“ナポリ~料理とレストランガイド”の記事は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.28に載っています。


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2008年12月24日水曜日

カチョカヴァッロ・ラグザーノとカミッレーリ

今日はラグザーノの話、その2。


ラグザーノDOP
 ↓
andreagraziano.wordpress.com

ラグザーノができるまで
 ↓
www.comune.ragusa.it


シチリアの牛乳のチーズ、ラグザーノDOPは、いわゆる“とろけるチーズ”で、カチョカヴァッロの一種。
とろけるチーズを使う料理にこのラグザーノを使えば、あっという間にシチリア風やラグーザ風の一品になる、という訳ですね。

とろけるチーズを使う料理と言うと、たとえば、アランチーニやなすのパルミジャーナなどにこのチーズを使っているリチェッタもあります。
古いリチェッタでは、スライスして溶き卵をつけて油で揚げる、なんていうのもあります。
前菜や食後の一品として食べるのも一般的。


有名シェフでは、ラグーザ・イプラのリストランテ・ドゥオモのシェフ、チッチョ・スルターノ氏は、さすがに地元だけあって、ラグザーノを使った様々な料理を出しています。

店のhpはこちら。
 ↓
ristoranteduomo.it


ラグーザ出身で、カターネ・パレス・ホテルのレストラン、イル・クチニエーレ(hpはこちら)のシェフ、カルメロ・キアラモンテ氏は、ラグザーノのメーカーが出した料理書にリチェッタを提供しています。

こんな本。
 ↓
vigata.org


この本には、イタリアの有名ミステリー作家、アンドレア・カミッレーリ氏が書いたカチョカヴァッロにまつわるエッセイも収録されています。

彼は、日本でも2冊出版されているモンタルバーノ警部シリーズで有名。
モンタルバーノ警部-悲しきバイオリン

イタリアではテレビシリーズにもなっているベストセラーで、以前、このブログでも取り上げたことがあります(こちら)。

シリチア料理に造詣の深いグルメとしても知られるカミッレーリ氏は、1925年にアグリジェント郊外の町で生まれています。
こんな人。
 ↓
flickr.com
 
その彼、カチョカヴァッロにはこんな思い出がありました・・・。


5歳の時のこと、ある朝私がマンガを読んでいると、母親から、「ナポリ人の店に行ってカチョカヴァッロを100g買ってきて」と使いを命じられた。
当時私の町では、食料品店はすべて「ナポリ人の店」と呼ばれていた。
彼らが皆ナポリ風のアクセントで話していたからなのだが、実際のところは、サレルノかアマルフィのなまりだったのかもしれない。
また、当時はまだ、100gのことを「ウン・エット」と呼ぶ習慣はなく、「チェント・グランミ」と呼んでいた。
「エット」は私がもっと大人になってから、「民主主義」や「共和国」、「投票」、プレゼーピオに取って代わった「クリスマスツリー」などと一緒に入ってきた言葉だ。

その時の私は、カチョカヴァッロなんて全然食べたくなかった。
そのカヴァッロ(馬)という名前から、私は馬肉の切り身を想像した。
しかも血が滴って皮も付いている生肉を。
カチョカヴァッロがチーズのことだとは知らなかったのだ。
父は「普通のチーズだよ」、と言いなだめるのだが、そんなのウソだと思った。
チーズは山羊や牛のお乳から作るもので、馬のお乳のチーズなんて、見たことない!
結局、母の命令に逆い通すことは難しく、私は憂鬱な気分でナポリ人の店に向かったのだった。

店で渡された包みを人気のない路地を通って家まで持って帰るのは、ちょっと怖かった。
私はふと立ち止まり、包みを開いて中の香りをかいでみた。
それは確かにチーズの香りだった。
しかもおいしいチーズの香りだった。
馬肉を想像させるものは何もない。
そこで私は思い切った行動に出た。
ちょっとなめてみたのだ。
少しピリッとしたが、おいしかった。

その日、母はカチョカヴァッロをテーブルに出した。
そしてなんと、父と二人で食べてしまった。
「えっ、僕の分は!?」
・・・・・。


小学2年生の時のこと、父がラグザーノを丸ごと一個持って帰ったことがあった。
当時一家は田舎の家で数ヶ月過ごしていて、私は彫刻を造ることに夢中になっていた。
ラグザーノが半分の大きさになったとき、私はこれを馬の形に彫ってちょっとした作品に仕立てることを思いついた。
まず一片を切り取って長方形にし、さらに四角にし、そして三角にし・・・。
出来はなかなかだった。

その晩、削りカスだけが残ったカチョカヴァッロの姿を見た父は怒り出した。
「誰がやったんだ」
「僕が馬の置物を作ってみたんだ」
「それはどうした」
「庭のベンチの上に飾ったよ」

翌朝、私の作品はなくなっていた。
絶望して泣き出した私に、母は、「きっとネズミが食べちゃったのよ」と言った。
だが、私は確信していた。
食べたのはネズミじゃない。
父さんだ!




イタリアの子供は、カチョカヴァッロと聞くと、やっぱり馬を想像するんですね。
大先生も昔は可愛かったんだなあ。
もちろん、カチョカヴァッロのカヴァッロは馬という意味ではなく、“またがる a cavallo ”という意味。
チーズ(カーチョ)を熟成させる時に、棒にまたがるようにチーズをかけて吊るしたことからついた名前ですよね。
馬のミルクのチーズではありません。
念のため(笑)。



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関連誌;『ア・ターヴォラ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
“ラグザーノ”の記事の解説は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.323に載っています。


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2008年12月22日月曜日

ラグザーノ

今日もチーズの話。
前回はイタリアの北の端、アルト・アディジェのチーズでしたが、今度は南の端のシチリアのチーズ。
『ア・ターヴォラ』の記事の解説です。

シチリアには、DOPチーズ(産地が法律で定められているチーズ)が2つあります。
ペコリーノ・シチリアーノとラグザーノです。
今回取り上げるのは、ラグザーノ ragusano 。

元々はカチョカヴァッロ・ラグザーノと呼ばれていた歴史の古いチーズで、1996年にDOPになった時に、カチョカヴァッロが取れて、“ラグザーノ”という名前が公式名称となりました。
よく、「シチリアで一番古いチーズ」と言われます。

原料は牛乳で、モッツァレッラなどと同じパスタ・フィラータタイプのセミハードチーズ。
シチリア南東部のイブレイ山地のふもと、ラグーザ県全域とシラクーザ県南部で作られています。


Paesaggio Ragusano
ラグーザの風景, photo by Sebastiano Pitruzzello


前回取り上げたカルブルーは、典型的なチロル地方の風景の中で作られているチーズでしたが、このラグザーノは、いかにもシチリアンな風景の中で作られていますねえ。
出来上がったチーズも、やっぱりシチリア的。
こんな姿をしています。
 ↓
deliziedelpalato.it

1個10~16kgと大型で、形は無骨な長方形。


下の動画には、ラグザーノを作る過程が少しだけ出てきます。
作り方を簡単に説明すると、まず牛乳を固めて柔らかいチーズになったらスライスし、お湯に入れて休ませます。
これを練ってまとめ、大きな長方形に型押し。
仕上げは真ん中をひもで結び、天井に渡した梁から吊るして熟成させます。






司会の人、古代ギリシャ人も知っていた古いチーズで、シチリアの交易品の一つだった、と言っていますね。
かつてラグザーノは、モディカ牛のミルクから作られていました。
モディカ牛のミルクのチーズは、シチリアのチーズの中でも特に美味しいことで知られていたそうです。
ところが、シチリアの農業の不振などから飼育数が減少してしまい、現在のラグザーノは、100%モディカ牛のミルクから作られている訳ではありません。
現在はシチリア州やラグーザ県、スローフードなどもバックアップして、モディカ牛復活の道が模索されている最中。

モディカ牛でなくても、ラグザーノは、イブレオ高原の牧草を食べた牛のミルクから作られます。
しかも古い道具を使った昔ながらの作り方をしているので、北イタリアのチーズとはまた違った、シチリアならではの個性を持ったチーズになります。


中央にひもで縛った後が残っているのがこのチーズの特徴。
天井から大きな塊がいくつもぶら下がっているラグザーノの熟成室は、なかなか壮観です。
こんな様子。
 ↓
cicciapausi.it

熟成期間は3ヶ月から10ヶ月以上。
若いうちは甘さが感じられ、熟成が進むにつれて辛口になります。
『ア・ターヴォラ』には、「最上質のものは最低8ヶ月寝かせる」とあります。


ラグザーノの話、今日はここまて。
次回は、ラグザーノを使った料理の話です。



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関連誌;『ア・ターヴォラ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
“ラグザーノ”の記事の解説は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.23に載っています。


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2008年12月19日金曜日

アルト・アディジェのチーズ、カルブルー

今日はチーズの話。
『クチーナ・エ・ヴィーニ』の記事の解説です。

南チロル地方のレストラン、シューネック schöneck のシェフ、カール・パウムガルトナー氏が、『クチーナ・エ・ヴィーニ』で、なかなかおもしろいコースメニューを披露しています。
店のhpはこちら

コースの最後の一品、つまりデザートが、カルブルー CaRuBlù というチーズ。

こんなチーズです。
 ↓
tommasofarina.com/images/carublu

レストランのあるプステリーア渓谷の、デグストというチーズ屋さんが作っている牛乳のブルーチーズで、カカオとラム酒をこねた生地で覆って熟成させるのが特徴。

店のhpはこちら。
 ↓
degust.com/it.html


このカルブルー、hpの商品説明によると、チョコレートのような強い香りとトースト香があり、甘さとほろ苦さのある複雑な味。
熟成は2~3ヶ月。
1個1.6kg。
お勧めのワインは、ポルト酒かラム酒。


シューネックのシェフは、このチーズに蜂蜜をかけ、ココアパウダーとラム酒入りのチョコレートパンを添えて、デザートに仕立てています。

こんな一品。

カルブルーのカッルーベの蜂蜜がけ、チョコレートパン添え
カルブルーのカッルーベ(イナゴ豆)の蜂蜜がけ、チョコレートパン添え


デグストでは、カルブルーのようなオリジナルのチーズの他にも、様々なチーズを熟成させています。
こちらのページは店の商品の一部。
 ↓
degust.com/it/galerie

どれもおいしそうですねえ。
事前にアポイントを取れば、ガイド付きで試食もできます。


実は、シューネックのシェフと、デグストの経営者は名字が一緒。
もしや?と思って調べてみたら、やっぱり兄弟でした。
チーズと料理とは、なかなかおもしろい分野を選んだ兄弟だなあ。


プステリーア渓谷はこんな場所。
おいしいチーズができそう~。





今日のおまけ。
「プステリーア渓谷の乳牛」というタイトルの動画があったから、どんな牛かと思って見てみたら・・・。







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関連誌;『クチーナ・エ・ヴィーニ』2007年10月号
カール・パウムガルトナーシェフのリチェッタは、「総合解説」'06&'07年10月号、P.18に載っています。


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2008年12月17日水曜日

コトレッタとラデツキー将軍

今日も、コトレッタ・アッラ・ミラネーゼにまつわる話。
『ア・ターヴォラ』の記事の解説です。

コトレッタ・アッラ・ミラネーゼの話をする時によく引き合いに出されるのが、ウィンナーシュニッツェル


Wiener Schnitzel
ウィンナーシュニッツェル, photo by Januschka


そしてウィンナーシュニッツェルの話が出ると必ず登場するのが、ラデツキー将軍

たいていは、「オーストリアのラデツキー将軍がミラノでコトレッタを食べて気に入り、ウイーンに伝えた」という話。
実際、この2つの料理にどんな関係があるのか、イタリア人もオーストリア人も、本当のことは知らないわけですが・・・。


で、このラデツキー将軍て、誰?

日本語のwikiにはこう書いてあります。
 ↓
ja.wikipedia.org


あれ、ウインナーシュニッツェルは「ナポリから持ち帰ったカツレツ」ということになってますねー。
まあそれはともかく、この人物、オーストリア軍の将軍で、音楽の世界では、ヨハン・シュトラウスの『ラデツキー行進曲』でよく知られる人。
日本でも毎年TV中継されているウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで、アンコールに演奏される、あの曲ですねー。


2008年のニューイヤーコンサートでのラデツキー行進曲





この曲、1848年に、ラデツキー将軍を讃えて作られたわけなんですが、なんで讃えたのかと言うと、実は、当時オーストリアが支配していた北イタリアで起こった独立運動を、この将軍が抑え込んだからなんですねー。

1815年のウィーン会議によって、ロンバルディアと旧ヴェネチア共和国の領土は、ロンバルド=ヴェネト王国となり、オーストリア皇帝が王座について、オーストリアの属国となりました。
1831年に、このロンバルド=ヴェネト王国の司令官に任命されたのが、ラデツキー。
1848年には、ロンバルド=ヴェネト王国の副王になっています。
きっと、独立運動鎮圧の働きが評価されたんでしょうねえ。

オーストリアから見れば、歴史に残る名曲が生まれてしまうほどの英雄でも、当時のイタリアからすれば、あくまでも自由を奪う占領軍。
オーストリアの支配からの独立を求める戦いは、かなり激しいものでした。
特に1848年は、ヨーロッパ各地で蜂起が起こってウィーン体制が崩壊へと向かった「1848年革命」の年。

ミラノでも、3月にはオーストリアからの独立が宣言されました。
それを受けてラデツキーの軍はミラノに攻め込むのですが、最初は破れてしまいます。
その勝利に活気づくイタリア軍、そしてヨーロッパ各地で起こる反乱の嵐。
ああオーストリアは、もはやこれまでか~。
と思っていた時、ラデツキーが部隊を補強して再登場し、8月にはミラノを再び取り返してしまいます。
さすがにこりゃあ、母国では英雄となるわけですねー。


ミラノの支配者として君臨していれば、コトレッタ・アッラ・ミラネーゼを食べる機会は、きっとたくさんあったはず。
そしてかなり気にいったようで、そのレシピを事細かに手紙に書き記した・・・。
というのが、よく知られている話。
その手紙、今はどこにあるのかなあ。


結局、ラデツキーは引退後もミラノに留まりました。
そして1858年に、ミラノで亡くなりました。
91歳でした。

翌年の1859年、サルデーニャ王国の首相カブール(後のイタリアの初代首相)が、フランス軍と同盟を結んでオーストリアと戦い、オーストリアはミラノを失います。
そしてその2年後の1861年、統一国家としてのイタリア王国の誕生が宣言されます。


もうすぐ年末、そして新年。
2009年のニューイヤーコンサートでも、きっとラデツキー行進曲が演奏されるんでしょうねえ。
陽気な曲、なんて思って聞いてたけど、当時のミラノの人は、いったいどんな思いでこの曲を聞いたのか・・・。
あー、今度コトレッタ・アッラ・ミラネーゼかウィンナーシュニッツェルを見たら、ラデツキー将軍のことを思い出してしまうかも~。



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関連誌;『ア・ターヴォラ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
“コトレッタ・アッラ・ミラネーゼ”の記事の解説は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.12に載っています。


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2008年12月15日月曜日

ミラノのサヴィーニ

今日は、コトレッタ・アッラ・ミラネーゼにまつわる話。
『ア・ターヴォラ』の記事の解説です。


Cotoletta alla milanese
ザウィーニのコトレッタ・アッラ・ミラネーゼ, Fugu Tabetai


『ア・ターヴォラ』の記事、“コトレッタ・アッラ・ミラネーゼ”は、この料理にまつわる様々な話題を取り上げています。
その中の一つが、ミラノのガッレリーアの中にある有名レストラン、サヴィーニの話。

サヴィーニは、1867年開業の老舗で、一時は一世を風靡した有名店でした。
記事にはこんな風に書いてあります。、

「1950年代から70年代にかけて、ミラノで一番スノッブ、とみなされていたのが、スカラ座でオペラを観て、その後にサヴィーニやピッフィで、コトレッタやリゾット・アッラ・ミラネーゼ(またはリゾット・アル・サルト)を食べることだった・・・」

スカラ座の黄金期も、1950年代から60年代にかけて。
サヴィーニとスカラ座は、切っても切れない関係にあったようですね。


こんな話も・・・。
「サヴィーニは、ふたりの有名ソプラノ歌手、レナータ・テバルディとマリア・カラスの女の戦いの舞台にもなった・・・」

マリア・カラスとレナータ・テバルディは、20世紀後半のイタリアオペラ界を代表する歌手。
カラスは、1950年にテバルディの代役としてスカラ座に立ったことが、一種のメジャーデビューでした。
その後、ルキーノ・ヴィスコンティが演出したオペラによって、歌だけでなく演技にも開眼し、「20世紀最高のソプラノ歌手」として羽ばたいていきます。
これに反発したのが、すでに人気者だったテバルディのファンや一部の批評家。
カラスに対してアンチ活動を行って、その結果世間では、二人はライバル、と言われるようになったのだそうです。


マリア・カラスの才能を開花させたルキーノ・ヴィスコンティは、有名映画監督で、オペラの演出家としても一流で、イタリアの超名門ヴィスコンティ家出身の伯爵で、高貴なルックス(そして誰もが知る美少年好き)。
こんな人なら、女子はみ~んな憧れちゃいますよねえ。
マリア・カラスもヴィスコンティにぞっこんだったとか・・・。
夫(30歳年上!)がいたのに、惚れちゃったらしい。
サヴィーニで、ヴィスコンティと二人で食事なんかしたんでしょうか。
妄想は広がる・・・。


マリア・カラスとヴィスコンティが一緒にインタビューを受けている動画


Morte a Venezia
ヴィスコンティの代表作の一つ、『ヴェニスに死す』の一場面
photo by kairin simo



こんな華やかで退廃的な社交界の舞台だったサヴィーニ。
さぞかし当時は輝いていたんでしょうね。

その後、時と共にサヴィーニの名声は急降下。
華やかなりし日々の記憶も、昔話や伝説の中でしか語られなくなってしまいました。

『ア・ターヴォラ』の記事には、「もうサヴィーニは存在しない」とはっきり書いてあるのですが、実は、まだサヴィーニはガッレリーアにあります。
ただし、記事が書かれた数ヶ月後の2007年の夏に、経営者もシェフも外見も店の方針も、すべて変わりました。

サヴィーニは過去10年間、トゥーリン・ホテルズというグループが所有していました。
トリノのパレス・ホテルを始めとする数々の高級ホテルを所有し、トリノの有名店、カンビオも所有している多国籍企業です。
そのトゥーリン・ホテルズに代わって新しい所有者となったのが、ミラノで3軒のカフェを経営するマルコ・ガット氏。
シチリアのアグリジェント出身で、1974年にミラノにやってきて叩き上げでのし上がった人。
「かつてのサヴィーニの栄光を取り戻したい」と、強い意欲を見せています。

今から1年前に店が再開した日は、スカラ座の初日と同じ12月7日。
新しいシェフは、クリスチャン・マグリ氏。
アイモ・エ・ナディアなどで腕をふるっていた人だそうです。
1年たった今、どんな店になっているのでしょうか・・・。
ガッレリーアという場所だけに、きっとすでに日本人で行ったことのある人も大勢いるんだろうなあ。
ちなみに、一番上のサヴィーニのコトレッタの写真は、2008年5月の撮影です。

サヴィーニのhpはこちら



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
“コトレッタ・アッラ・ミラネーゼ”の記事は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.12に載っています。


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冷えたスプマンテとチーズ味のアペリティーボ。クリスマスは世界中でスプマンテの消費量が増える。

新年の乾杯は、クリスマスには欠かせないことのよう。乾杯する機会なんてよく考えるとあんまりない。で、その時にはアペリティーボが必要というわけで、今月の(CIR)の記事の一つ、“乾杯に添えるアペリティーボ”のリチェッタを見てみると、はっきりと1つの傾向が分かります。それはチーズ風味、...