2019年12月27日金曜日

イタリア料理の歴史~パスタとピッツァの誕生

イタリアにトマトと乾麺が伝わって、あともう1つの重要な要素が加わると、パスタの食文化が花開きます。
さて、あと1つ。なんでしょう。
それはナポリの発展です。

1958年に、イタリアを代表する農学者、Emilio Sereniは『マンジャフォーリエからマンジャマッケローニ(野菜好きからパスタ好き)になったナポリ人』という本を出版しました。
当時のパスタは、乾麺を大鍋でゆでてチーズ少々であえたものでした。
17世紀半ばにスペイン地区で誕生した食べ物です。


スペインとナポリの関係については、このブログでも度々触れているとおりです。

スペイン地区
当時のナポリは、人口35万人で、ヨーロッパで最大の都市の一つでした。約1世紀後には人口は10万人増えています。食事は肉がベースで、キャベツやサラダ菜などの葉野菜を添えたものでしたが(これが本当の地中海式食生活という意見もあります)、急激に増えたナポリの人口のお腹を満たすのには足りませんでした。
スパッカナポリの路地では、飢えを満たすために栄養価の高い食べ物が求められていました。
それが乾麺のパスタでした。

スパッカナポリ

ナポリの空気を感じる魅力的な地区ですが、治安の悪さでも知られる場所。
ピッツァもパスタも庶民の食べ物として誕生した経緯があるので、高級住宅地で生まれるわけはないけど、ピッツァの名店はこのあたりにあるので、行かざるをえない。
案の定、バイクでひったくり未遂されました。
取られなかったけど、行く時は用心してね。


チーズやスーゴ・ディ・カルネであえていたパスタにトマト革命が起きたのは1830年以降のこと。

この年、ブオンビチーノ公、イッポリート・カヴァルカンティによって、トマトソースの最初のリチェッタが世に出ます。
さらに1891年にはペッレグリーノ・アルトゥージが初めてイタリア料理を1つにまとめた本にもトマトソースが登場しました。
“アル・デンテal dente”という概念も広まります。

ナポリのストリートでは昔から、発酵させた生地を石で焼く、アラブのピタパンを思わせるパンがありましたが、ピッツァが生まれたのはこの時代と考えられています。

人類学者のフランコ・ラ・チェクラは、『ピッツァとパスタ』という本の中で、最初のナポリのピッツァは、生地をこねて焼いて販売する店で、17世紀末から18世紀始めに誕生したと書いています。
それはpizza a libetto、またはpizza a portafoglioと呼ばれる本や札入れのような形に折って歩きながら食べることができるものでした。

pizza a libretto

ナポリで一番古いピッツェリア、ポルタルバPort'Albaにはブルボン家のフェルディナンド王などの著名人が大勢訪れて、記録を残しているようです。

イタリアのストリートフードは、1873年から続くヨーロッパの大恐慌で、
経済的な救済が至急必要だったことから生まれました。
さらに産業革命によって労働者階級が生まれ、イタリアの食生活は大きく変わります。
大都市の女性は家庭で家事をする時間が減り、夜中まで働くようになり、昼食を職場で食べるようになります。

生活スタイルが大きく変わって、食事も変わりました。

続きは次回に。

ポルタルバ 店のwebページはこちら

今日も『ストリート・フード・アッラ・イタリアーナ』から訳しました。


パスタの歴史に興味がある人には『パスタ・レボリューション』もお薦めです。



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ストリート・フード・アッラ・イタリアーナ
パスタ・レボリューション
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料理の香りが満ちる路地には、本物の暮らしがある。

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