2016年12月1日木曜日

ペッペ・グイダシェフとパスティフィーチョ・デイ・カンピ

今月は、ネットの初歩的なトラブルでブログの更新が遅れましたが、現在、13/14年9月号の「総合解説」のビジュアル解説中です。
12月になっちゃったけど、10月号の「総合解説」は現在バリバリ制作中です。
もう少しお待ちください。

それで、現在ブログではグラニャーノのスパゲットーニとパッケリの話をしていたのですが、このパスタ、グランシェフたちは大好きです。
今月の「総合解説」で取り上げた二人のシェフ、ペッペ・グイダとマルコ・マルティーニシェフも、まさにその一人、というかその二人。

ペッペ・グイダは、20年前にヴィーコ・エクエンセで一番美味しいロスティッチェリーアと評判の店をオープンさせて、カンバーニアの食通の間で大人気のグルメスポットに育て上げた人。
ペッペ・グイダのカンピ社のパスタ料理。
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彼の店のパスタは、グラニャーノのカンピ社のもの。

カンピはガンベロ・ロッソのパッケリベスト10で、ジェンティーレと共に同点1位になったパスタメーカー。

カンピ社の今年の小麦の収穫
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店のレストランの名前には尊敬するお母さんの名前を付けたんだって。
カンパーニアの人だなあ。
ちなみに店名はアンティカ・オステリーア・ノンナ・ローザ。
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次回はもう一人のシェフを紹介します。


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“ペッペ・グイダの夏の終わりのパスタ”のリチェッタの日本語訳は、
総合解説」13/14年9月号に載っています。
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2016年11月28日月曜日

ハチミツ メラータ

ここ数日、初歩的なトラブルでPCの接続ができなくなって、人知れず、焦っていました。
バックアップって大切ですね。
今は復活したので、思いがけずの臨時休業も終わりです。
再開、再開。
ブログは、イタリア便りです。
北イタリアに住むsegnalibroさんぱどんな暮らしを教えてくれるんでしょうか。
それではお願いします。



山に移り住んで数週間たったころ、家の近くにこんな箱があるのに気が付きました。

apicoltura

養蜂?ミツバチのお家が色とりどりで、なんだか可愛い。
近所の水汲み場には、ミツバチ達がよく水を飲みに来ていました。ミツバチだけでなく、ここには野生の鹿も水を飲みに来るそうです。

api

このミツバチ達、誰がお世話をしているのかと思っていたら、ここに来て一番最初に声を掛けてくれた、お向いの家のパパでした。
半分趣味で、ミツバチ4家族を飼っているとのこと。朝、お仕事に行く前と夕方帰宅してからの1日2回、約20年お世話を続けているのだそうです。
箱がカラフルなのは、ミツバチ達が帰るお家を間違えないようにする為。1家族につき1年で約40kgのハチミツが採れるのだと教えてくれました。

日本にいた頃は、ハチミツなんてホットケーキに使うくらいしか思いつかず、頂いてもいつの間にか冷蔵庫の奥で固くなってしまっていたものですが、こちらに来て、特に冬はハチミツの必要性を感じるようになりました。
日本にあるようなステキなのど飴がここにはないので、風邪をひきかけた時には、ハチミツが活躍するのです。
必要だったら分けてくれるとのことで、早速少しいただきました。

melata

去年のハチミツはもっと明るい色をしていて、主にタンポポのハチミツだったけれど、今年は余り気温が上がらず、お花が少なかったので、このハチミツはMELATA(メラータ)なんだよ、って言うのですが、メラータって何?
分からない私に、ネットで検索したこんな画像を見せてくれました。(WIKI先生より、閲覧注意デス)

melata wiki

げげっ、花の蜜じゃない。けれど、ハチミツの濃い色からは想像できない、とても優しい味がします。
メラータ、日本語で甘露密、英語ではハニーデュー。植物の樹液を吸った虫が出す蜜から採れたハチミツです。
花から採れるハチミツに比べると、糖分控えめ。ミネラル分を多く含んでおり、別名、森のハチミツとも呼ばれているそうです。
先月、県内でハチミツ品評会が開かれたのですが、そこで彼のハチミツがメラータ部門で第2位になり、地元の新聞にも載ったとかで、とても喜んでいました。
ちなみに、1位は養蜂を本業として営んでいる隣村の方。そういえば今年の村祭りには、この養蜂家さんがキュートな標識が目立つお店を出していました。

bancarella



さて、先日ハチミツを頂きにいったら、台所の脇に砂糖の袋が積みあがっていました。
人間様用にハチミツを頂いちゃったので、冬の間ミツバチ達が困らないよう、砂糖をお水で溶いてあげるのだそうです。冬の間もお世話は必要なんですね。知りませんでした。
ここは、先週からスキー場がオープンして寒い日が続いていますが、今年はメラータのハチミツで冬を乗り切ります。


grazie segnalibroさん。 近所で蜂が蜂蜜作ってる暮らし、素敵ですね。 -------------------------------------------------------
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2016年11月10日木曜日

スパゲットーニ

ガンベロ・ロッソのデグスタツィオーネの記事の紹介、今日は、スパゲットーニです。

一般的なスパゲッティは直径1.8~2.2㎜、スパゲットーニは直径2.3㎜以上。
上質のパスタは低温でゆっくり乾燥させることが必須条件ですが、太いということは、これがなかなか難しいということ。
なので実はこのパスタも、パスタメーカーの本気度が分かる製品なんです。
この製法のパスタはアルデンテを保ちにくいので、扱う料理人にも、経験とテクニックが要求されます。
日頃数多くのリチェッタを訳している印象からすると、グランシェフに愛されているパスタというイメージがあります。
チェックポイントは、ゆでた後の香りと味、歯ごたえの均一さ、“外皮”のテクスチャー、腰の強さ、ソースのからみ具合など。
ちなみにアルティジャナーレのスパゲットーニに合うソースは、ラグー、カーチョ・エ・ぺぺ、シンプルなフレッシュトマトのソースなど。
イタリアの国民的パスタソースばかりですね。

ナンバー1のスパゲットーニに選ばれたのは、なんと同点1位が6製品という異例の事態。
どれも最優秀クラスで甲乙つけがたかったそうです。
パッケリの場合は上位はグラニャーノのメーカーにほぼ独占されていましたが、スパゲットーニは、各地のメーカーの製品が選ばれています。
その中の一つが、キアンティDOCG 地区のパスタメーカー、ファッブリのスパゲットーニ・トスカーニ。

ファッブリ
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キアンティ地区は、ぶどう畑が広がる前は小麦畑だったんですね。
ガンベロ・ロッソによると、乾燥期間は38℃以下で6日間。
奇跡の乾燥テクニックだそうです。
硬質小麦の強い香り、甘みのある味・・・。

パッケリでナンバー1に選ばれたジェンティーレのスパゲットーニも、1位に選ばれています。

1社を除くすべてのメーカーがブロンズのダイスを使っていますが、例外の1社は、なんと金のダイスだそうです。

それはヴェッりーニ。
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金のダイスは世界で唯一。
ワインの作り手として有名なヴァレンティーニが栽培した硬質小麦を使用しています。

1位の中で、コストパフォーマンスのナンバー1は、マシャレッリ。
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ファッブリ製品と比べると、半額近い安さですが、スパゲットーニは2日間かけて乾燥させています。
ただ、ファッブリの製品が断トツ高額で、他のメーカーとの価格差はそれほどありません。

スパゲットーニのカルボナーラ。



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“スパゲットーニ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年9月号に載っています。
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2016年11月7日月曜日

パッケリ

前回、カラマラータの話が出た流れで、今日のお題は、ガンベロ・ロッソのベスト10の話題。
今月の「総合解説」では、乾麺のパッケリとスパゲットーニを取り上げています。

まず、どちらにも言えることは、これらのパスタは、パスタメーカーの技術の高さを知ることができるパスタで、当然、アルティジャナーレの製品で、どのメーカーにとっても、最高級ラインの製品となっていること。
「総合解説」には上位のパスタの写真を載せたのでちょっと見てください。
どのメーカーも、最高級パスタにふさわしい、美しくて高級感のあるパッケージです。
今回はパッケリの話。

まずは、乾麺のパスタの品質を判断する重要な基準、ダイスの材質と乾燥温度。
パッケリも、スパゲッティ同様、高級品はブロンズのダイスを通して、低温でゆっくり乾燥させています。
そうすると、表面が多孔質でざらざらしたパスタで、小麦の風味や栄養価が残った麦わら色で味の強い麺になります。
こういった麺はコクのあるソースがよく合います。
低温で乾燥させるのは、大型や厚みのある形や複雑な形のものほど、均質に乾燥させるのが難しくなります。
パッケリは直径が大きく、中が大きな空洞になっているため、内側と外側の品質にむらができないようにする必要があります。
ガンベロ・ロッソの試食は、ゆで上がり後に形をきれいに保っているか、麺の各場所での腰などもチェックしています。

ちなみに、一般的なステンレスのダイスを通して高温で短時間で乾燥せると、つつるつるした麺になります。
このタイプの麺には軽いソースが合います。

グラニャーノのヴェッキオ・パスティフィーチョのパッケリ。
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ガンベロ・ロッソのテイスティングでは13位でした。
記事によると、小麦はアルタムーラの製粉所で粉にした国産硬質小麦、乾燥温度は46℃以下。
中~大型で長めの形。見た目も触感も多孔質。
ゆでた後も弾力や腰を保ち、均質。

国産の硬質小麦をプーリアやバジリカータで粉にして、グラニャーノで乾麺にする、というケースが多いようです。
特にパッケリは上位はほとんどがグラニャーノのメーカー。

そんなグラニャーノの優れたアルティジャナーレのメーカーたちの中で、1位に輝いたパッケリは
同点1位が2製品。
ジェンティーレとカンピの製品でした。

ジェンティーレ
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カンピ
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どちらもグラニャーノのメーカーで、ジェンティーレは1876年創業。
硬質小麦はバジリカータ産のセナトーレ・カッペリ。
大型で内側も外側もざらざらした完璧なパスタ。
高級感あふれる濃い青い色のパッケージが目印。

一方カンピは代々製麺業の家系の兄弟が2007年に創業した若い会社。

同点3位はアフェルトラとファエッラ。
コストパフォーマンスも同点1位。
値段はカンピのパッケリのほぼ半額。

アフェルトラ
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ファエッラ
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アフェルトラは2005年にイータリーのチェーンに入ったグラニャーノのメーカー。
パッケリは小型で、イタリア産とカナダ産の小麦をミックスして使用。

ファエッラはカナダ産小麦を使用。

パッケリも個性的な製品が色々あるもんですね。


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“パッケリ”の記事の日本語訳は「総合解説」13/14年9月号に載っています。
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2016年11月4日金曜日

イスキア風カラマラータ

今日はイスキア島の料理の話。

よく言われることですが、イスキア島で農民文化や料理が生まれる島の魂があるのは、海ではなく、島の内陸部。
バカンスの島になる前は、農業が主な産業でした。
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島で最初に人が住んだ地区、ラッコ・アメーノ。
動画はこちら
最初の住民は、ギリシャ人でした。

島で一番大きな住宅地区、フォリオ。
動画はこちら

島の喧騒から離れたイスキアの最も知られていない地区の入り口、サンタンジェロ。
動画はこちら



イスキア料理。
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島の料理に、バカンス客が好むカンパーニアの名物料理がミックスされて、都会的で派手な見た目の料理が次々と考え出されているようです。

そんな料理の一つとも言えるのが、グラニャーノのイカリング型パスタとイカの料理、カラマラータ。

イスキアやナポリでは、ヤリイカの旬、つまりちょうど今頃の秋から冬の料理。

偶然、今月の「総合解説」で取り上げたパッケリの記事を訳していて知ったのですが、パッケリやカラマラータのような直径が大きくて内側と外側があるパスタは、乾燥させる時に特殊な技術や経験が必要なので、作るのが難しいんですね。
なので、今はグラニャーノの代名詞のようになっています。

つまり、カラマラータは、おいしいパスタを作る伝統とイカをよく食べる地方ならではの料理なんです。

イスキア風カラマラータ。
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カラマラータはパッケリより幅が細いので、むしろ扱いやすいかも。

そしてもちろん、はるばるイスキア島まで行って、これを食べなかったら後悔する、という料理が、島一番の名物料理、うさぎ肉のイスキア風。



2500年前にシチリアからイスキアに移り住んだ人たちが、当時島にたくさんいたうさぎを使って作ったと言われる料理。
ポイントは、この料理の主役、島の野草。


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グルメガイド“イスキア”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年9月号に載っています。
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2016年10月31日月曜日

イスキアとヴットリア・コロンナ

週末に郵便局に行ったら、荷物を出す人より、飴をもらいに来たハロウィンウォークラリーの子供たちのほうが多かった。
男の子も女の子も、カボチャ色のちっちゃなバケツを下げて小さな町を巡って、夢中で飴を集めて回ってました。
見てるこっちまで楽しくなりましたよ~。
こういうイベントは、地元の商店街が、どれだけ本気を出すかにかかってるんだなあ。


とろこで、前回は、プッタネスカの話題でしたが、その発祥地とされているのはイスキア(諸説あり)という話でした。
偶然ですが、今月の「総合解説」のグルメガイドに取り上げた場所はイスキア。

イタリア人しか知らないイスキアの魅力って、なんでしょう。
行った気になるヴィジュアルツアーの始まりです。

イタリアの歴史の話をすると、ギリシャ人、アラブ人、ノルマン人、スペイン人、フランス人など、様々な民族に支配された、という話が必ず出てきます。
イスキアも数々の民族に支配されたようなのですが、『サーレ・エ・ペペ』では、そのへんのところはまるっと省略して、最終的に島を支配したのはバカンス客だったと、スマートに落としています。

この島は、イタリア人に人気のバカンス地。
その理由は、温泉。
記事でこの島のキーワードとなっているのは、温泉、貴族、農民。

イスキアには温泉の水源が100か所以上あるそうです。
しかも、古くから薬効があることが知られていて、みんな体の悪いところを治すために温泉に浸ったのだそうです。




次は、貴族。
記事では、「イスキアの歴史が詰まった要塞化した小島」と紹介されている、アラゴン城のある“スコーリオ”。
城は今では廃墟となっていて、軍艦島みたいです。



城の現在の所有者は一部をホテルとして改装中。
動画はこちら


記事によると、この島の主役は、ルネッサンス最大の女性詩人のヴィットリア・コロンナ侯爵夫人(1492-1547)。
あのミケランジェロと芸術的な親交があった人です。
初めて聞く名前かもですが、wikiに詳しいことが紹介されています。
こちらのページ
彼女のお陰で島は芸術家や知識人のサロンのようになったのだそうです。

ミケランジェロとの親交を紹介する動画もたくさんあります。
例えば、こちらのページ


イタリアでかなり人気のある人のようです。
下の動画は、ヴィットリアの墓を探すドキュメントの予告編。
なんと、ミケランジェロが作った墓がイスキアのアラゴン城にあるのでは、という、ダヴィンチコードもビックリの壮大なミステリー。




イスキアって、なかなか素敵な島ですねー。





最後のキーワード、農民とイスキア料理の話は次回です。


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グルメガイド“イスキア”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年9月号に載っています。
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2016年10月27日木曜日

プッタネスカの考案者

今日から「総合解説」9月号のビジュアル解説です。
最初の記事は、イタリアの国民的パスタソースの1つ、プッタネスカの話。
この料理、とても美味しいけど手軽に作れて、人気ありますよね。
なのに、なんでこんな名前。

という訳で、この料理の由来です。
諸説あるのですが、どれも決定的証拠がないので、どれを信用するかは、あなた次第、という状態。
『サーレ・エ・ぺぺ』の記事も、これだ、という決定打はないので、諸説をいくつか紹介というスタンスです。

まず最初の説は、
ナポリ料理のバイブルと言われる料理書、
ジャンヌ・カローラ・フランチェスコーニ著『La Cucina Napoletana』の中に、
この本のルーツについての記述があるそうです。

ジャンヌ(1903-1995)はナポリ生まれの作家で、ナポリ料理の権威と見なされていた人です。
信頼できるナポリ料理の本を、イタリアで2番目に書いた人。
1番目の本は、イタリア料理史に残る歴史的な本とされているので、2番目でも十分すごいこと。
ゆたかなナポリの食文化を研究して本にまとめるという偉業は、高く評価されています。

この人の本に書いてあったことは、イタリア人にとってはかなり信用できる情報と言えそうです。

彼女によると、このソースを考え出したのは、画家でジャンヌの親密な友人だった、エドアルド・マリア・コルッチ(1900-1975)、という人物だそうです。
コルッチはイスキア島生まれでした。
こんな絵を描く人です。
このソースは彼のスペチャリタだったそうです。

でも、数年前にイスキアの日刊誌、『イル・ゴルフォ』(webページはこちら)が発表した説によると、プッタネスカの考案者は、コルッチの甥の建築家で、イスキアでレストランとナイトクラブを経営していたサンドロ・ペッティなんだそうです。
このレストラン、リストランテ・アルベルトのwebページに、現経営者(創業者の孫)が、プッタネスカ誕生の経緯をサンドロから聞いたという話が載っています。→こちらのページ

それによると、1949年の夏の終わり、夜遅くに、彼の経営するナイトクラブRangio Felloneに、1組のカップルが食事に訪れました。
ところがあいにく、その晩は食材を使い切っていて、残っているのはトマト4個とオリーブとケッパーが数粒。
puttanataみたいなのしかできないけど、と断って、その材料でパスタを作ったのだそうです。
puttanataは、お上品に言えば、ろくでもないもの、お下品に言えば、くそみたいなもの。
でも、それじゃあメニューに載せられないので、ちょっとお上品にputtanescaと言い換えて、メニューに載せたのだそうです。
サンドロは、このソースのリチェッタをレストランのシェフに伝授しました。
すると、シェフはすっかり気に入って、すぐに店のメニューに取り入れたのだそうです。

聞いてみると他愛もない話ですが、誰でも考え付きそうなシンプルなこのソースがここまで広まったのは、娼婦風という名前のインパクトにあったのでは、とも思えます。

そうそう、アメリカ人のアーサー・シュヴァルツの、ナポリのスペイン地区の売春宿のオーナーが、手早くできるこの料理を客にふるまったという説も、それなりに説得力ありますねえ。

でも、puttanataのダジャレでputtanescaにした、っていう説は、カンパーニアの人ならいかにも考えそうな話じゃないですか。

現在のリストランテ・アルベルト
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こちらはブッタネスカ誕生の地とされるナイトクラブで開かれた映画祭のパーティー。
ちなみに設計したのはサンドロ。
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“パスタ・アッラ・プッタネスカ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年9月号に載っています。
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狂信的な評判と過剰な客で知られるローマの老舗人気店。

永遠の都、ローマの話。もはや経営者が起業家と呼ばれ、マスコミを上手に使って世界的な大ヒット店になる店もあれば、新世代のローマ料理ではなく本物のローマ料理をめざす時代に媚びない店と、ローマのオステリアも様々あります。 中でも(CIR5月号)の記事で、“ ローマではトレビの泉くらい評...