2020年10月22日木曜日

パスタの歴史。アラブ生まれの麺がラグーと出会うまで。

今日のお題はラグーです。
きのう紹介した動画、面白かったので、もう一度どうぞ。


トルテッリーニはラグーがけじゃなくてイン・ブロード、せめて生クリームがけ、だそうです。
ボローニャ人のこだわりと意地とプライドが詰まった料理だったんですねー。
トルテッリーニ・ボロニェーゼ↓

さらに、今月の「総合解説」の“タリアテッレとタリオリーニ”の記事のサブタイトルは、「ラグーのために生まれたパスタ」ですよ。
タリアテッレはラグーがけで注文しないと。
生パスタの本場ボローニャのみなさんは、パスタとソースの関係には強いこだわりがあるようで。

でも、トルテッリーニのラグーがけなんて観光客しかしないような初歩的なミス、私は何度もやってきたから、人のことは笑えません。

パスタの歴史を詳しく解説した貴重な本、パスタ・レボリューション』には、

こんな話が書かれています。

ナポリでは、17、8世紀まで、パスタは人気はあったがあまり普及していなかった。ナポリ人は肉を食べずに野菜ばかり食べるところからマンジャ・フォーリエ(ナッパ好き)とからかわれていました。
ところが、ナポリ王国崩壊後の食糧危機によって、パスタはナポリの基本の食事になります。
さらに市民の経済状態が回復すると、食事そのものが変化して、“プリーモ”ピアットが誕生します。
それまでのパスタは、今でも外国で見かけるように、肉料理に添える料理の付け合せだったのですが、イタリアでは、18世紀以降、パスタは付け合せではなく主役になりました。
ラグーは、教会が力を持っていた中世に生まれた食べ物で、残り物を有効利用しよう、という発想から生まれました。
さらに、肉食を断つ日を持つ、という教えも厳格に守られていました。
この教えにぴったりだったのがパスタです。

イタリアのパスタの食文化は中世に誕生しました。
画期的な新しい技術を用いいたこの食べ物によって、食事の概念も根底から変わりました。
中東で生まれたパスタは、糸のような形の麺でした。
天日で急速に乾燥させた、発酵の危険がない、保存に適した食べ物です。
特にシチリアの気候は大量生産にも適していたので、イスラム教国にもキリスト教国にも輸出されました。
乾麺は戻して食べることが必要で、最初はオーブンで焼いたり揚げたりして食べていたパスタを、液体やブロード、水、ミルクでゆでるようになり、食べ物の熱い、冷たい、ジューシー、乾燥、という概念が生まれます。
こうして次第にパスタはシチリアを、イタリアを、そして世界を征服しました。

話は変わって、紀元前5世紀ごろのチェルべーテリのエトルリア墓の遺跡から、麺棒と台が発見されていて、これらでおそらくタリアテッレやラザーニャに似た麺が造られていた、と考えられています。
古代ローマ人がパスタを食べていた証拠と考える意見もあります。
だとしたら大発見。
ちなみに当時の麺は硬質小麦の麺。
マルコ・ポーロが中国からイタリアに戻ったのは1295年。
大きな港で輸出用の加工が行われるようになった時代で、まだイタリアの家庭にパスタは広まっていません。
まだじゃがいももヨーロッパにはなかった時代です。
アラブ人の南イタリアへの侵略が活発になった時代の1226年に、現在のバクダットから歴史的な料理書が伝わり、小麦粉と水の生地から薄い麺を創り出して肉、ひよこ豆、レンズ豆のラグーで煮るリチェッタが伝わります。

マルコ・ポーロby netflix↓もアラブの侵略も、エキゾチックな夢物語の世界のような・・・。



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パスタ・レボリューション
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