2020年6月11日木曜日

世界共通語のアルデンテは、ナポリ人好みの乾麺のゆで具合を表す言葉。

パスタ・フォルメ・デル・グラノ』のパスタの話、続けます。
一般的なイメージとは逆に、イタリア人はいつもパスタを食べているわけではない。
と言うか、パスタは現在の主食のイメージとは違う食べ物だ。
ピッツァと共にパスタがイタリアの国民食になったのは、19世紀になってからの話。
この現象が無数のイタリア人移民によってもたらされた、というのも、他の国とは事情が違う点だ。
パスタは常に最もポピュラーな国民食ではなかった。
イタリア統一直後の17世紀以降、統一イタリアの料理を象徴するのは、パリの宮廷から生まれたフランス料理だった。
2分で知るイタリア統一↓


それとは対象的に、イタリアの伝統料理は18~19世紀末まで、無数の地方料理と結びついていた。
料理の統一は南から北へと伝わった。
ペレグリーノ・アルトゥージは、統一イタリア料理のベースにはパスタがあった、と主張している。
18世紀以降、パスタ・セッカの品質が向上し、裕福な階級の間に広まりだして、地方料理の枠を超えだした。
特に味に対するこだわりの強い地方、ナポリでは、パスタは独自の食文化として発展し、20世紀の始め、特に1936年から1954年の間に、消費量が増大して、パスタはイタリアを象徴する最初の食べ物となった。
ナポリ流派のキャッチフレーズ、“アルデンテ”は外国語に翻訳できない言葉として言葉ごと広まった。
料理人の腕を試す言葉としても使われる。

パスタとソースは引き離すことができない組み合わせだ。ソースもパスタと共に発展した。
一番シンプルな、チーズをかけたマカロニから、ナポリの伝統的ソースの最高峰、アントニオ・ラティーニの“サルサ・アッラ・スパニョーラ”(ビンチェンツォ・コッラードが1773年に出版した本『Cuoco galante』に登場する最初のトマトソース)までは、あっという間だった。
19世紀半ばになると、ブオンビチーノ公、イッポリート・カバルカンティが、基本的なトマトソースのパスタのリチェッタを発表する。

大衆化と高品質化を繰り返しながらパスタは広まってきた。
空腹を満たすためのパスタは、グランシェフによってスペチャリタに生まれ変わり、メーカーの研究によって小麦の品質から改良された。
最近は、小麦の研究が一段と進んで、硬質小麦に関する知識も広まっているようです。

考えてみれば、何気なく使っている言葉、アルデンテは、パスタのゆで具合を示すナポリの概念から生まれた言葉。
それが世界共通語になっちやうなんて、すごいことだー。

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