“ニュートン・クチーナ・レジョナーレ・ドルチェ”シリーズ、『シチリア』の続きです。
シチリアのドルチェとはいうものの、事実上、イタリアのドルチェと言い換えてもいいくらい、シチリアのドルチェは、イタリア中、そして世界各地に広まっています。
つまりシチリアのドルチェを知ることは、イタリアのドルチェを知ること。
前回は、シチリアのドルチェと修道院の深い関係の話でした。
シチリアの食文化と言えば、忘れられないのがアラブの影響。
アラブから伝わった様々な食材のなかで、ドルチェ関連と言えば、ピスタチオやシナモンなどを筆頭に様々あり、カッサータは、アラビア語が語源というのは有名な話。
でも、シチリアのドルチェに影響を与えた国は、他にもあるんです。
さて、どこでしょう。
ヒントはチョコレート。
そう、スイスです。
意外なことに、スイスにも貧しさから移民になって外国に移り住んだ人たちがいたのです。
19世紀から第一次世界大戦にかけての時期でした。
イタリア系が多く住む地域からは、ナポリやシチリアに移り住みました。
シチリアで最初に店を出したスイス系菓子職人はカフリッシュ。
1895年のことでした。
シチリアにスイスの洗練された職人技を伝えたカフリッシュですが、
最近では店は売りに出されて、バール・アルバに吸収されたようです。
まだありますよ、シチリアならではのドルチェ。
しかも世界中に広まった傑作です。
ジェラティエーラのドルチェです。
ジェラート、ソルベット、グラニータ、セミフレッド、朝食に食べるグラニータとブリオッシュなどなと。
ジェラートがどこで生まれたのかを示す、確かな証拠は残っていません。
シチリアのエトナ山の氷で作られたとか、トスカーナでカテリーナ・デ・メディチの料理人が作り出したとかいう話は有名です。
私も、カテリーナ・デ・メディチが結婚した時フランスに連れて行ったのは、料理人、パスティチェーレ、そしてジェラタイオだったという説が大好きです。
下の動画では、カテリーナが誰も見たことがない料理というお題で開催した料理コンテストに、ソルベットを作って優勝したフィレンツェの鶏肉屋、ルッジェーリをマルセイユに連れて行ってフランスにもジェラートが伝わったという説を披露しています。
カテリーナがフランスに連れて行ったジェラタイオが、フィレンツェの鶏肉屋というのはとんでもなさすぎますねー。
ジェラートがアメリカで英語に訳されないで広まった、という事実はシチリア人の誇り。
下のカルピジャーニのジェラート・ミュージアムの動画。
フランスとイタリアのジェラートの元祖争いにも言及していますが、ジェラートの父はパリでカフェを開いてジェラートがヒットして成功したシチリア人。
最後はシチリアのクリスマスのドルチェ、ブッチェッラートの都会版。
なぜかシチリアを出ず、世界に広まらなかった1品。
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『ニュートン・ドルチ・シチリアーニ』より前書きの日本語訳は、「総合解説」2016年8月号にのっています。
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