2019年1月18日金曜日

シチリアのドルチェ~修道院のドルチェ

ニュートン・クチーナ・レジョナーレ・ドルチェ”シリーズの『ナポリ』は以前紹介しましたが、今月の「総合解説」では『シチリア』の前書きを訳しました。



このニュートンシリーズ、お手頃価格がセールスポイントのお手頃な本と侮っていると、前書きのとても専門的な分析に、ビックリします。

この本に限らず、料理書の前書きはとても面白いです。
イタリアのドルチェの代名詞と言えるほどにイタリア中、世界中に広まったシチリアのドルチェとはどんなものなのか、読んでみると、思わずなるほどお、とうなりたくなる説でした。
詳細は、ぜひ「総合解説」をご覧ください。

まず、シチリアのドルチェは宗教行事や家族の特別な記念日などと密接に結びついている、というのは、なんとなく感じ取れますよね。
シチリアに限らず、イタリアには日曜日に小さなお菓子をきれいに盛り合わせたトレー、"グアンティエーラ”を手土産に親戚や友人の家を訪れる習慣があります。

イジニオ・マッサーリの店のパスティチェーリのトレーの盛り方。
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日曜のバール・パスティッチェリーア



イタリア系移民が出てくるアメリカのドラマにも、シチリア菓子の盛り合わせのトレーはよく登場しますよね。
もちろんソプラノズにも
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グアンティエーラのトレーの包み方がとても美しくて、日本まで大切に持って帰ったこともあったっけなー。
そもそも、この種のドルチェを作るのは、パン屋と薬屋だったんです。
パン屋はシンプルなドルチェを作り、薬屋は複雑なものを作りました。
ちなみに、上のソプラノズでドルチェを売っている店はベーカリー。
パン屋のシンプルなドルチェの代表みたいな店。
さらに、宗教的なルーツを持つドルチェは、修道女が作りました。
死者の日のドルチェ、オッソ・ディ・モルティ。
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この修道院のドルチェが、シチリアのドルチェの最大の特徴でした。ナポリなど他の大都市では貴族のフランス系料理人が担った役目を、修道院が果たしていたのです。
パン屋のドルチェも修道女の手にかかると洗練されたものへと進化しました。
その背景には、修道院の力があります。
各修道院はオリジナルのドルチェを考え出し、独占権を持ち、リチェッタは門外不出で大切に保管されました。
シチリアのパスティチェリーアのライバルは修道院でした。
というか、そもそもシチリアのパスティッチェリーアのルーツが修道院でした。

修道女が開いたパスティッチェリーア 
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独自の文化を花開かせたシチリアの修道院のドルチェ。
ところが、イタリアの教会と国は水と油で、対立していました。
その果てに、国は教会の財産没収という手に出ます。
修道女の中には、家で暮らすことを余儀なくされて、教会を離れる者が相次ぎました。
こうした修道女たちは、ドルチェを作って生計をたてたのです。
こうして修道院のドルチェはシチリア中に広まっていったのでした。

シチリアのドルチェの話、次回に続きます。


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“『ニュートン・ドルチ・シチリアーニ』前書きの日本語訳は、「総合解説」2016年8月号に載っています。
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