2008年5月30日金曜日

トリノの老舗カフェ

昨日に続いて、トリノの話。
今日はカフェ。

『ヴィエ・デル・グスト』のクレアパッソ今月配本号 『ヴィエ・デル・グスト』2007年5月号 の記事、「トリノのカフェ」では、お勧めのトリノの老舗カフェ、トレンディーなバール、チョッコラテリーア、パスティッチェリーアを紹介していますが、その中から、老舗カフェ部門に選ばれた店の写真をどうぞ。


★チョコレートが有名なバラッティ・エ・ミラノ Baratti & Milano(Piazza Castello 29)
バラッティさんとミラノさんが創業。
ポスト・リバティースタイルの素晴らしい内装。
マホガニーと鏡で覆われた壁、大理石の床、etc.。


Baratti & Milano
photo by Salvatore Costa


Baratti & Milano
photo by Pietro Izzo


Il Paradiso secondo
photo by Alessandro


Peeking in
photo by Martin Crockett



カフェ・フィオーリオ caffè fiorio (Via Po 8)
www.fioriocaffegelateria.com

政治家や実業家の常連が多い店だったので、イタリア統一直後の時代は、「マキャベリ主義者(権謀術数を用いる人たち)のカフェ」とも呼ばれた店。
行列ができるジェラテリーアとしても有名。


Fiorio
photo by Emiliano


Gelato Fiorio
photo by Dave Chiu


Caffè Fiorio
photo by Martin Crockett



カフェ・サン・カルロ Caffè San Carlo(Piazza San Carlo 156)
www.caffesancarlo.it

ヨーロッパで最初に照明にガス灯を使った店。
作家のデュマが生まれて初めてビチェリンを飲んだ店。

店内

ゴージャス

店の前のテーブルに座るやたら絵になる人
常連さんか?



★ヌーヴ・カヴァル・ド・ブロン Neuv Caval'd Brons(Piazza San Carlo 155)
www.cavallodibronzo.it

1948年にビアホールとしてオープン。
イングリッド・バーグマンやエヴァ・ガードナー、フランク・シナトラも常連だった。

店のスタッフ

店のウインドー


サン・カルロ広場はカフェの激戦地。
これが広場のシンボルの騎馬像、カヴァル・ド・ブロン。
馬に乗っているのは、エマヌエーレ・フィリベルトという16世紀の人物。


Piazza S.Carlo / Statua di Emanuele Filiberto - Torino - 03.11.07 - 01
photo by Alessandro



★カフェ・ムラッサーノ Caffè Mulassano(Piazza Castello 15)
www.caffemulassano.com

リバティースタイルのゴージャスで小さな店。
トリノで最初にトーストを作った店というのが自慢。
サンドイッチが名物。


Cafe Mulassano
photo by Sachin .


inside Cafe Mulassano
photo by Sachin .



★カフェ・プラッティ Caffè Pulatti(Corso Vittorio Emanuele II 72)
www.platti.it

1875年創業。
スペチャリタは、コアントロー入りチョッコラータ・カルダ、マロッキーノ(コーヒーにココアパウダー、泡立てたミルク、ココアパウダーの順で重ねたトリノ名物)、ビチェリンなど。
きのう紹介したチョコパスの提携店(プラリネ)。

Torino 19 / Caffè Platti
photo by Nicola


歴史のある大都市は、カフェが充実してますね。


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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2007年5月号(クレアパッソで販売中)
“トリノのカフェ”は「総合解説」P.29に載っています。


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2008年5月29日木曜日

トリノのチョコパス

デザートの話が続きます。
今日の話題はトリノ

『ヴィエ・デル・グスト』のクレアパッソ今月配本号 『ヴィエ・デル・グスト』2007年5月号 は、赤い包み紙のカファレルのチョコレートが表紙。
トリノの、カフェを中心とするトラベルガイドが特集の一つです。
(「総合解説」P.29に日本語解説あり)

今では懐かしい冬季五輪の後、トリノは、観光客がとっつきやすい街に生まれ変わっていたんですねえ。
「2006年の冬季オリンピックは、プリンセスの眠りを覚ます王子様のキスだった」、な~んて、なかなか憎いことが書いてあります。


Torino olimpica: Piazza Carlo Felice
トリノ五輪, photo by Fabrizio


トリノがいかにフレンドリーな街か、それを象徴するものの一つが、記事でも取り上げている「チョコパス」。

チョコパス


これ、「甘いものは別ばら」な人たちにはたまらないものですよ~。
なにしろ、トリノの有名店で、街の名物チョコの数々を、3日以内なら23品15ユーロで味わうことができる、というチケットですからねえ。

少し前までは、24時間有効で10品10ユーロ、48時間有効で15品15ユーロ、5日間有効で23品20ユーロのパスがあったのですが、今は3日有効で23品15ユーロのパスになっているようです。

このパスを購入すれば、老舗カフェやパスティッチェリーアで、プラリネ、トルタ、ビスコッティ、ホットチョコレート、ジェラートなどを、1店につき1品味わうことができます。

発行しているのはトリノ観光局。
こちらがhpのチョコパスのページ。

このページに、トリノの名物ドルチェの解説がありますね。
それによると、

ジャンドゥイオッティGianduiotti(写真):トリノの代名詞。カカオとランゲ地方産ヘーゼルナッツを組み合わせた130年の歴史があるドルチェで、トリノのライフスタイルには欠かせないもの。

プラリネPraline(写真):様々な材料が詰まった粒チョコ。何が入っているのか探しながら、ゆっくり味わってみて。

チョッコラータ・カルダChoccolata calda(ホットチョコレート):トリノでは、老舗のカフェでくつろぎながらホットチョコレートを飲むひと時が、至福の時。

トルタTorta:見た目も美しいし食べても美味しいチョコレートケーキ。様々なバージョンがあなたを待っています。

このチョコパスに参加している店は、アル・ビチェリン(トルタ・ビチェリン)、カフェ・プラッティ(プラリネ)、チョッコラート・ペイラーノ(ジャンドゥイオッティ、プラリネ)、ジェルラ(プラリネ)、パスティッチェリーア・プファティッシュ(ジャンドゥイオッティ、プラリネ)など、37軒。
店の一覧は、トリノ観光局のチョコパスのページの一番下にある青いバナー「I locali del ChocoPass」をクリック。
営業時間や定休日も載っています。
店によっては、パスで他のドルチェが割引になることもあるようです。


チョコパスを販売しているのは下記のインフォメーションオフィス。

・Piazza Castello/via Garibaldi
(9:00-19:00)
・Porta Nuova駅
(9:30-19:00)
・Caselle国際空港
(8:00-23:00)



次はトリノの老舗カフェの話です。


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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2007年5月号(クレアパッソで販売中)
“トリノのカフェ”は「総合解説」P.29に載っています。


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2008年5月28日水曜日

自称ティラミス考案者のリチェッタは・・・

ティラミスの話、今日はリチェッタ。

ティラミス発祥の店、とされるレ・ベッケリーエのリチェッタは、『ア・ターヴォラ』『ア・ターヴォラ2006年5月号』(クレアパッソの今月配本号)に載っています。
日本語訳は「総合解説」P.10をご覧ください。

レ・ベッケリーエのティラミスは、かなりシンプルなリチェッタですね。
クレーマは、卵黄と砂糖とマスカルポーネ。
これをコーヒーに浸したサヴォイアルディと交互に重ねてココアパウダーを散らしたもの。


一方、自分こそがティラミスの考案者、と宣言した問題の人物、カルミナントニオ・イアンナッコーネさんのリチェッタは、ワシントン・ポストが取材しています。
こちらのサイト。

彼のティラミスは・・・

材料;6人分
ザバイオーネ
 卵黄・・大2個
 砂糖・・大さじ3
 マルサラ・・1/4カップ
 バニラエッセンス・・小さじ1/4
 レモンの皮のすりおろし・・小さじ1/2

・材料を混ぜ、湯煎にかけて約8分ホイップする。
・冷めたら覆いをして冷蔵庫で4時間~一晩冷やす。

クレーマ・パスティッチェーラ
 砂糖・・1/4カップ
 小麦粉・・大さじ1
 レモンの皮のすりおろし・・小さじ1/2
 バニラエッセンス・・小さじ1/2
 卵黄・・大1個
 牛乳・・3/4カップ

・砂糖、小麦粉、レモンの皮、バニラエッセンス、卵黄、牛乳の半量を混ぜて弱火にかける。残りの牛乳を少しずつ加え、かき混ぜながら煮詰める。
・冷めたら覆いをして冷蔵庫で4時間~一晩冷やす。

ホイップクリーム
 冷えた生クリーム・・1カップ
 砂糖・・1/4カップ
 バニラエッセンス・・小さじ1/2

・材料をホイップする。

その他
 温かいエスプレッソ・・2カップ
 ラムエッセンス・・小さじ1
 砂糖・・1/2カップ
 マスカルポーネ・・1/3カップ
 サヴォイアルディ・・36枚
 ビターココアパウダー・・大さじ2

・エスプレッソ、ラムエッセンス、砂糖を混ぜて冷ます。
・マスカルポーネをスプーンでホイップし、ザバイオーネとクレーマ・パスティッチェーラを加える。さらにホイップクリームを加えてさっくり混ぜる。
・サヴォイアルディ12枚をエスプレッソにさっと浸す(片面1秒)。
・これを大皿に並べ、クレーマの1/3で覆う。あと2段繰り返し、ラップで覆って冷蔵庫で一晩冷やす。
・ラップを取り除いてココアパウダーを振りかける。


出来上がりの写真はこちら

レ・ベッケリーエとは対照的に、手が込んでますねえ。
菓子職人としてのプライドなのか、味や見た目もエレガントさにこだわっています。


レ・ベッケリーエのアルバ夫人は、比較的簡単に考え付いた、と言ってます。
一方、イアンナッコーネさんは、完成するまでに2年かかったと言っています。
どっちが真の考案者なのか、あるいはどちらも違うのか、う~ん・・・。


今日の動画は、“サヴォイアルドーニ・ディ・サルデーニャ”という、サルデーニャの大型のサヴォイアルディを使った「ティラミス・イン・スティック」。
クレーマは、卵黄と砂糖少々をホイップし、マスカルポーネ、メレンゲ、ホイップクリームを加えます。
サヴォイアルドーニは2段に切ってエスプレッソを塗り、間にクレーマをはさんでココアパウダーを散らせば出来上がり。




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関連誌;『ア・ターヴォラ』2006年5月号(クレアパッソで販売中)
“ティラミス~誕生の物語”は「総合解説」P.9に載っています。


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2008年5月27日火曜日

ティラミスの本家争い、その言い分は・・・

ティラミスの謎、その2。


a closer look
ティラミス, photo by Byron Wee


ティラミスはトレヴィーゾのリストランテ・ベッケリーエで考え出された、という説は、昨日も書いたとおり、その誕生にかかわったとされる女主人自らが、そう語っています。

でも世の中には、それは違う、という人もいる模様。


その代表が、トレヴィーゾに本店があるトゥーラ(エル・トゥーラ)グループ(hp)の会長、アルトゥーロ・フィリッピーニ氏。
kataweb.itによると、エル・トゥーラの創業者のアルフレード・ベルトラーメ氏が、フィリッピーニ氏に、ティラミスは、1930~40年代に、トレヴィーゾのいわゆる赤線地区で、娼館の女性が作っていたドルチェだと語っていたそうです。
それを食べた人が、「desso ve tiro su mi」と言ったとか。


また、トレヴィーゾのホテル・バリオーニで誕生した、という説もあります。
このホテルは1944年に爆撃を受けてなくなってしまったそうですが、ここのシェフ、ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアゼンティン氏が、息子のジュゼッペと一緒に結婚披露宴の料理を作っていた時のこと。
息子が、ズッパ・イングレーゼ用のスポンジケーキを焦がしてしまいました。
作り直す時間がなかったので、スポンジ生地を濃いコーヒーに浸し、マスカルポーネで覆ってビターココアパウダーを散らして出してみたところ、大好評!
これが元祖ティラミス、と主張するのは、シェフの甥のジャンニ・トゥルケット氏。
ちなみに、偶然にもピアゼンティン氏は赤線地区の生まれでした。


また、トレヴィーゾのホテル・レストラン、アル・フォーゲルでは、ティラミスにそっくりなドルチェを、トルタ・インペリアーレという名前で出しています。
シェフのジャンニ・ガラッティ氏の母親が、1950年代に某王女がトレヴィーゾを訪れた際に考え出したドルチェだとシェフは言っています。
暗に、ベッケリーエはそれの名前を変えただけ、と主張している訳ですね。
ガラッティさんはトレヴィーゾの観光促進団体の会長さんでもあります。
この人


でも、何と言っても最近一番物議をかもしているのが、アメリカはボルチモアに住む、カルミナントニオ・イアンナッコーネ氏。
この人、ティラミスは自分が考え出した!と、宣言したんです。

WashingtonPost.comによると、イアンナッコーネさんは、アヴェッリーノ(カンパーニア)のパスティッチェリーアで9歳から働きはじめ、14歳の時に仕事を探してミラノに移りました。
1962年に結婚して、1969年にはトレヴィーゾ郊外のポンテ・ディ・ピアーヴェで、ピエディグロッタというレストラン兼パスティッチェリーアを始めます。
そこで彼が作ったのが、この地方では一般的な味、濃いコーヒー、マスカルポーネ、卵、マルサラ、サヴォイアルディを組み合わせたドルチェ。
完成するのに2年かかったそうです。
ところが、店でこのデザートを食べた人たちが次々にコピーしだし、あっという間に様々なバージョンで世界中に広まってしまいました。
イアンナッコーネさんは、「リチェッタはめちゃくちゃになってしまったけれど、それがあなたのおばあさんが作った味で、あなたが好きならそれでいいですよ。
ただのデザートですからね」
と、すっかりあきらめモード。

ティラミスという名前が本や雑誌に登場するようになったのは、1980年代になってから。
それは、レ・ベッケリーエとエル・トゥーラ、この2軒の店のデザートとしてでした。

彼によると、エル・トゥーラは彼の後にティラミスを出し始めたのですが、こっちは無名であっちは有名。
当然マスコミは、あっちの店を取り上げるでしょう。
こっちは無視ですよ。

ただし、すでに書いた通り、エル・トゥーラ側は、自分たちはティラミスが広まるのに影響を与えたが、考え出したのは娼館の女性、と言っています。

レ・ベッケリーエに対しては、イアンナッコーネさんはこう言っています。
「何の証拠も残っていないけれど、弟のジュゼッペがレ・ベッケリーエにあのドルチェを売ったら、それを自分たちのデザートとして出すようになったんですよ」

レ・ベッケリーエ側は、とんでもない話、と反論しています。
現経営者で、ティラミスの考案者とされるアンナ夫人の息子、カルロ・カンペオール氏は、イアンナッコーネ氏には会ったこともないし、ピエディグロッタという店は聞いたこともない、と言っています。

レ・ベッケリーエのティラミスは、子供も食べられるようにと、アルコールは加えません。
一方、イアンナッコーネさんのティラミスにはマルサラが入り、手の込んだクリームを作ります。
この違いを、イアンナッコーネさんは、安く簡単にできるように彼らがアレンジしたのだと言っています。

1995年にアメリカに渡ったイアンナッコーネさん。
現在、ボルチモアでピエディグロッタというベーカリーを営んでいます。
店のhpには、ティラミスが完成した日付まで書かれてますよー。

さーていったい、誰の話を信じればいいんでしょうねえ。
次回は、両者のティラミスのリチェッタ比べです。


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関連誌;『ア・ターヴォラ』2006年5月号(クレアパッソで販売中)
“ティラミス~誕生の物語”は「総合解説」P.9に載っています。


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2008年5月26日月曜日

ティラミスの元祖は誰?

今日はティラミスの話。


tiramisù
ティラミス, photo by Vincenzo Visciano


『ア・ターヴォラ』のティラミス誕生の記事(今月配本の「総合解説」に訳があります)には、運命の皮肉をつくづく感じましたよー。
ティラミス誕生の陰には、こんな秘話があったのかあ。

この記事によると、ティラミスを考え出したのは、トレヴィーゾの有名リストランテ、レ・ベッケリーエLe Beccherie。
こういう雰囲気の店。

レ・ベッケリーエが元祖という説は、最近でこそ知られてきているようですが、少し前までは、「トスカーナで生まれたドルチェ」とか、「中世に誕生した」とか、色々な説が入り乱れていましたよね。


『ア・ターヴォラ』の記事を少し補うと・・・
(情報源は主に、ワシントンポスト紙のサイト、washingtonpost.comのこちらのページ)

レ・ベッケリーエの店主、アルバ・ディ・ピッロ夫人は、こう語っています。
子供を出産した直後のこと、弱ってベッドで寝ていた彼女に、姑さんが、元気が出るようにと、コーヒーを散らしたザバイオーネを作ってくれたのだそうです。
それを食べたアルバに、一つのアイデアが浮かびました。
元気が出て、子供からお年寄りまで、誰にでも受け入れられるようなドルチェ・・・。
そして、当時のアシスタント、ロベルト・リングアノットさんと一緒に考え出したのが、このドルチェでした。
名前は誰かが気軽に付けたもの。
後にイタリアを代表するドルチェになるとは夢にも思わなかったから、確かなことは誰も覚えていないんだそうで。

「無数のパスティッチェリーアやレストランや大小の企業がティラミスをコピーした。
リチェッタも無数に生まれたが、ティラミスという名前だけは誰も変えなかった」
(『ア・ターヴォラ』より)

ティラミスは、ティラミスという名前でなかったら、ここまで有名になったかどうか。
いったい誰が考え出したんでしょうねえ、この名前。
誰にせよ、その人は今頃、商標登録しとけばよかったー!と地団駄踏んでいるかも。


ティラミスがレ・ベッケリーエで生まれたという説は、すでに1981年に、料理ジャーナリストのジュゼッペ・マッフィオーリという人が発表しています。
店で出すようになったのは1970年代初め。
そしてWikipediaによると、ティラミスがアメリカでブームになったのが1970年代終わりから80年代にかけて、日本でブームになったのが1990年頃。
生まれてから20年後には、日本人の誰もが知っているデザートの一つになってしまったんですねえ。


ところがところが、レ・ベッケリーエが元祖という説に異論を唱える人もいます。
特に最近、私が元祖!と名乗りを上げた人が現れて、ちょっとしたティラミス論争が勃発してるんです。
詳しいことは、明日に続く~。


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関連誌;『ア・ターヴォラ』2006年5月号(クレアパッソで販売中)
“ティラミス~誕生の物語”は「総合解説」に載っています。


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2008年5月23日金曜日

カルロフォルテのマグロ料理

カルロフォルテのマグロの話、今日はマグロを使った料理のリチェッタ編です。


Carloforte
カルロフォルテ, photo by Roberto


Spaghetti alla bottarga di tonno
ボッタルガのスパゲッティ, photo by Nicola


カルロフォルテの観光情報のサイト、carloforte.comでは、島のレストランの名物メニューのリチェッタを、一部写真付きで紹介しています。
こちらのページ


ツナ、ケッパー、オリーブ、ペコリーノのリングィーネ
Linguine al tonno,con capperi, olive e pecorino
(リストランテ・ダ・ニコロ Da Nicolo)

材料;
リングイーネ・・400g
カルロフォルテのマグロのオイル漬け・・250g
種抜き黒オリーブ・・60g
種抜きグリーンオリーブ・・60g
ケッパー・・30g
中程度の熟成のペコリーノ・・50g
EVオリーブオイル・・70cc
レモン・・1個

・オリーブとケッパーをミキサーにかけてざっと刻む。
・マグロをほぐす。
・マグロ、オリーブ、ケッパー、油を混ぜる。
・ここにゆでたパスタを入れ、おろしたペコリーノとレモンの皮のすりおろしを加えてよく混ぜる。



ボッタルガのスパゲッティ
Spaghetti alla bottarga
(リストランテ・ダ・グリユ da Griju)

材料;
スパゲッティ(またはリングイーネ)・・400g
トマト・・4個
刻んだボッタルガ・・50g
バター・・100g
卵黄・・2個
プレッツェーモロ
赤唐辛子
EVオリーブオイル
にんにく・・2片

・フライパンに油とにんにくの薄切りを入れて熱し、トマトの小角切りと唐辛子を加える。
・火から下ろしてボッタルガ、バター、プレッツェーモロを加える。
・ゆでたパスタを加えてなじませ、卵黄を加えて手早く混ぜる。
・プレッツェーモロ少々とおろしたボッタルガを散らす。



次は、カルロフォルテのあるサン・ピエトロ島を紹介するサイト、isoladisanpietro.orgのこちらのページから。

ボッタルガとトマトの前菜
Bottarga con pomodori
写真

材料;6人分
スライスしたボッタルガ・・24枚
サラダ用トマト・・6個
EVオリーブオイル

・トマトを薄い輪切りにし、ボッタルガをのせて油をかける。
・レモン汁とこしょうをかけてもよい。
・トーストしたパーネ・トスカーノやグリルしたポレンタにのせてもよい。



マグロのカルロフォルテ風
Tonno arrosto alla carlofortina
この写真はアル・トンノ・ディ・コルソの料理
そしてこちらの写真はダ・ニコロの料理

材料;6人分
カルロフォルテのマグロの切り身・・2.5kg分
EVオリーブオイル
にんにく・・3片
白ワイン・・1カップ
トマトソース・・1カップ
ローリエ・・約10枚
ビネガー
小麦粉

・マグロに薄く小麦粉をつけ、たっぷりの油でこんがり揚げる。
・浅鍋に油少々とにんにく(潰す)を熱し、揚げたマグロを入れてなじませる。
・ワインをかけて数分煮詰め、トマトソース、ローリエ数枚、ビネガー大さじ数杯を加える。
・蓋をずらしてかぶせて煮詰める。



マグロのオーブン焼き
Tonno fresco al forno

材料;6人分
厚さ2~3㎝のマグロの筒切り・・6枚
塩漬けアンチョビー・・2尾
乾燥ポルチーニ・・30g
プレッツェーモロ・・1房
にんにく・・1片
白ワイン・・1カップ弱
EVオリーブオイル・・1/2カップ
塩、こしょう

・アンチョビー(骨を取る)をほぐす。
・乾燥ポルチーニをぬるま湯で戻す。
・ポルチーニ、にんにく、プレッツェーモロを一緒にみじん切りにする。
・浅鍋に油とアンチョビーを入れて熱し、アンチョビーを溶かす。みじん切りにした材料を加えて2分ソッフリットにし、ワインをかけて混ぜる。
・ここにマグロを重ならないように入れ、塩、こしょうをする。
・片面2分ずつ焼き、180度のオーブンに移して20分焼く。



マグロのオリーブ風味
Tonno fresco alle olive
写真

材料;6人分
厚さ2~3㎝のマグロの筒切り・・6枚
黒オリーブ・・120g
ケッパー・・50g
バジリコ・・10枚
トマト・・4個
パン粉・・大さじ3
EVオリーブオイル・・1/2カップ
塩、こしょう

・トマト(皮と種を取る)を粗く刻む。
・ケッパーとバジリコを粗く刻む。
・オーブン皿に油を塗り、マグロを重ならないように入れる。パン粉、ケッパー、バジリコ、トマト、オリーブを散らし、塩、こしょうをして油をかける。
・180度のオーブンで20分焼く。



大トロのグリル
Ventresca di tonno alla griglia nel suo unto
(リストランテ・アル・トンノ・ディ・コルサ Al tonno di corsa のリチェッタ)

材料;6人分
マグロの大トロの切り身・・1.5kg分
EVオリーブオイル・・大さじ8
レモン汁・・大さじ3
プレッツェーモロのみじん切り・・1房分
トマトの小角切り・・2個分
にんにく・・1片(潰す)


・マグロ以外の全ての材料をホイップする。
・マグロをグリルして混ぜた材料をかける。



下の写真2枚はパレルモの市場の光景。
マグロの筒切り、豪快ですねえ。


Palermo
パレルモの市場, photo by Stefano


Tonno di lusso
クロマグロ?, photo by Camillo



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年5月号(クレアパッソで販売中)
“カルロフォルテ~サルデーニャのマグロ漁の島”は「総合解説」に載っています。


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2008年5月22日木曜日

マグロの生ハム、マグロのトリッパ

トンノの話、その4。

サルデーニャのマグロ漁の島、サン・ピエトロ島は、ビーチリゾートの島でもあります。

Lungomare di Carloforte
リグーリア風の家が並ぶカルロフォルテの海岸通り, photo by Alessandro Cani

普段は約7,000人の島の人口が、夏には4~5万人になるそうで。
でも、この島でマッタンツァを見て生のクロマグロを食べることができるのは、5月から6月の間だけ。
この期間には、「ジーロトンノ」というマグロ祭りも開催されます。
今年は5月29日から6月1日まで開催されるこのイベント、29日にはマッタンツァも予定されていますよ。
なんだか楽しそうですね。
Girotonno 2008のhpはこちら

島でマグロを食べるなら、大トロのイタリア語、ヴェントレスカ ventresca は覚えておかなくてはならない単語。

Ventresca de atún
ヴェントレスカ, photo by encantadisimo


中トロはタランテッロ tarantello で、血合いはブッゾナッリア buzzonaglia 。
あと、ボッタルガ bottarga ぐらいは問題なし。
でも、カルロフォルテのレストランのメニューには、これ以外にも、意味不明のマグロ用語がずらっと並んでいます。

どの店も、hpには料理の詳しい説明を載せているので、『ラ・クチーナ・イタリアーナ』に登場した店のメニューをちょっと見てみますか。

まずは、アル・トンノ・ディ・コルサ Al tonno di corsa 。
店のhpはこちら

このページの写真の料理は、
・Tonno di corsa all'olio d'oliva
 マグロ網漁で捕ったマグロのオイル漬け
・Musciamme di tonno
 赤身を塩漬けにして30日間干したもの
・Tonno affumicato
 赤身のスモーク
・Cuore di tonno
 マグロの心臓に塩をして干したもの
・Bottarga di tonno
 マグロのボッタルガ
・La cappunnadda
 元々は航海用の乾パンを使った夏の料理で、湿らせた乾パンにマグロとトマトをのせた一品
・Cassulli
 マグロ、トマト、パルミジャーノのサルサのパスタ
・Cascà
 豆と野菜のクスクス
・Bobba
 乾燥空豆と野菜のクレーマ
・Tonno alla carlofortina
 マグロのブラザート、デミグラス風味
・Il belu
 マグロのトリッパ(胃袋)


ダ・ヴィットリオ Da Vittorio のhp(こちら)には、
・マグロの塩漬け、musciame(ムッシャーメ)は、元々はイルカの赤身で作っていたと書いてありますねえ。
いわば“マグロの生ハム”なんだそうです。
サルデーニャ以外でも作っています。
こんなもの
標準語ではmosciame(モッシャーメ)。
・“マグロのトリッパ”ことbelu(ベール)は、島の人の大好物。生のものをゆでて、バジリコ、トマト、じゃがいも、玉ねぎで煮たり、干して冬用の干物にするそうです。
・ マグロの白子、lattume(ラットゥーメ)は、ゆでてスライスしてトマトにのせ、オリーブオイルをかけます。
・tonno salato(トンノ・サラート)はマグロの塩水漬け。水で戻して調理します。

マグロの生ハム、マグロのトリッパ、マグロのボッタルガ、マグロの白子、マグロの心臓、マグロのブラザート・・・。
面白そうなものがたくさんありますねえ。
お土産には缶詰もどうぞ。

Carloforte
カルロフォルテのマグロの缶詰, photo by Charles Roffey


次は、生のマグロのリチェッタです。


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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年5月号(クレアパッソで販売中)
“カルロフォルテ~サルデーニャのマグロ漁の島”の記事は「総合解説」P.2に載っています。

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2008年5月21日水曜日

地中海のマグロのたどる道

イタリアのマグロの話、その3。

地中海を代表的するマグロは、大西洋クロマグロ。
イタリア語では、トンノ・ロッソ tonno rosso。


Atún
大西洋クロマグロ, photo by José Antonio Gil Martínez


マグロは魚の中では唯一、“血が熱い”んだそうですね。
イタリア語では、“サングエ・カルド sangue caldo”、と呼んでいます。
温血ってこと?
その方面が専門の人なら常識だとは思うんですが、血が温かいなんて、素人にはちょっとびっくり。
これは、体温を海水より高く保って、広大な海域を回遊する体力を得るためなんですね。
だから季節に合わせて、海水温が最適の場所へ移動するわけかあ。

春の終わりから夏の初めにかけてイタリアにやってくるクロマグロは、大西洋からジブラルタル海峡を通って地中海にやってきます。
下の地図の一番左のマークがジブラルタル海峡。
海峡を抜けたマグロは、東に向かいます。
一部はスペイン、フランス、リグーリア沿岸を通り、イタリア沿いをシチリアまで南下します。
そしてシチリアにぶつかったら島の北側を通り、シチリアと本土の間のメッシーナ海峡を抜けて南に出ます。
この後、再びジブラルタル海峡を通ってメキシコ湾流まで出ていきます。
この間に産卵も行うそうです。




マークは左から、ジブラルタル海峡、カルロフォルテ(サルデーニャ)、ファヴィニャーナ(シチリア)、メッシーナ海峡

こうやって見ると、シチリアはマグロ漁には絶好の位置にありますねえ。
昔はシチリアの沿岸部はどこでもマグロ漁が盛んだったそうです。
シチリアだけでなく、トスカーナ沖のエルバ島やナポリのマグロ漁も知られていました。
ちなみに、メッシーナ海峡を南下した先、シチリアの一番南端の岬は、パッセロ岬と言います。
これは、マグロの群れを見張る漁師たちが、「マグロが通るぞ(パッサロ)!」と叫んだから、こう呼ばれるようになったのだそうです。

別のルートもあります。
フランスの沖から季節風に乗って、サルデーニャの西側にやってくるルートです。
カルロフォルテのマグロはこのルート。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』によると、島の北側で2、3日吹き荒れた季節風が収まった時がマグロ漁のタイミングだとか。
この季節風、イタリア語では“マエストラーレ”と呼びますが、フランス語の“ミストラル”という名前の方が有名。
北西の冷たい風です。


回遊するクロマグロ




メキシコからイタリアまで、大海を泳ぎ回るマグロに国境なんてないけれど、人間に捕まった場所がそのマグロの運命の地。
イタリア沿岸で捕まったマグロは、日本に運ばれたら「イタリア産天然本マグロ」と呼ばれて、高級ブランド品となる宿命。
でも、もちろん一部はイタリアでも消費されているわけで、次は、イタリアのマグロがイタリアでどう食べられているのか、見ていきます。


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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年5月号(クレアパッソで販売中)
“カルロフォルテ~サルデーニャのマグロ漁の島”は「総合解説」P.2に載っています。


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2008年5月20日火曜日

マッタンツァ

イタリアのマグロの話、その2。
今日はマッタンツァの話。

動画はシチリア、ファヴィニャーナ島のマッタンツァです。
きのう紹介したサルデーニャのカルロフォルテのマッタンツァの動画と比べても、漁の内容はほぼ同じのよう。





マッタンツァは勇壮な漁。
観光客相手のショーと化した面もあるけれど、地元の人たちには誇りなんだろうなあ。


Benito's White Beard
ファヴィニャーナのマッタンツァ, photo by T.


でも、一面血に染まった赤い海を見ると、う~ん・・・。
見物するには、それなりの覚悟も必要だあ。

イタリアでは、マグロ漁は「トンナーラtonnara」と言います。
「マッタンツァmattanza」は、マグロを網で囲って徐々に狭い空間に追い込み、最後の「死の部屋」まで到達した網漁の、最終段階のこと。
スペイン語で“殺す”という意味のmatarが語源だとか。
「死の部屋」では、網を徐々に引き上げていき、マグロが水面に上がってきたところを銛でついて、1尾ずつ引き上げます。
銛で突いたところが血抜き穴になって、海が血で染まるわけですね。
Wikipediaには、こうすると血が抜けてマグロが柔らかくなって、日本人が高く買っていく、みたいなことが書いてあります。

イタリアでマグロ漁の話が出ると、「日本人が買い占める」、という話も必ず出てきます。
マッタンツァなんて聞いたこともない、と思っていても、実はそれを眺めている観光客より深い関係が、日本人にはあるんですね。

とは言え、マッタンツァは、もはや消滅寸前の漁。
漁が行われるのは、マグロがファヴィニャーナやカルロフォルテのそばを通る5月から6月の間だけだし(カルロフォルテでは約45日間)、そもそも、マグロの数が減っている。
欧米では、マグロの減少の最大の原因は、大型船による大量無差別乱獲だと言われています。
マグロと一緒にイルカも網にかかることから、残酷だ!という非難の声も、かなり強烈。
世界のマグロ消費量の1/3を占める日本人としては、血に染まった海が残酷だ、なんて言ってる場合じゃないか。

ちなみに、2005年のカルロフォルテのマグロ漁の成果は4,000尾。
人口6,600人の島で4,000尾ということは、全部島で消費したとしても、1人当たり0.6尾。
それをほとんど日本人が買い占めていくとしたら、いったい島にはどれくらい残るんでしょうか。

それに最近では、「日本人が買い占める」から、「日本人が買い占めていた」、と過去形で語られることも多くなってきました。
つまり、今では日本人以外も買っているということ。
昨今の日本食ブームがマグロの需要を世界各地に広めたことをつくづく感じます。


次は、日々貴重品になっていくマグロについてです。


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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年5月号(クレアパッソで販売中)
“カルロフォルテ~サルデーニャのマグロ漁の島”の記事は「総合解説」P.2に載っています。


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2008年5月19日月曜日

サルデーニャのマグロ漁の島、サン・ピエトロ島

5月号、発送しました。

『ラ・クチーナ・イタリアーナ』で連載の「グルメ紀行」は、イタリアを食べ歩きたいと思っている人は必読の記事ですが、今月も濃い!

今回取り上げているのは、サルデーニャの小さな島、サン・ピエトロ島。

ここです。
 ↓



こうやって見ると、サルデーニャって、海の真ん中にある島なんですねえ。
サン・ピエトロ島は小さな島なので、ズームアップして見てください。

サン・ピエトロ島は、サルデーニャの南西の端にある小さな島。
面積は51k㎡、海岸線は全長18㎞。
イタリアで6番目に大きな島だそうです。
人口は約6,600人。
島でただ一つの町はカルロフォルテ。

この島、Wikipediaによると、フェニキア人から“enosim”って呼ばれていたんだって。
おっ、江の島?
サン・ピエトロという名前になったのは、紀元46年に聖ペテロ(サン・ピエトロ)が島に上陸したという言い伝えから。



Isola di San Pietro
サン・ピエトロ島, photo by fantasticna



Carloforte from the sea
海から見たカルロフォルテ, photo by Alessandro Cani



Carloforte, campanile
カルロフォルテの鐘楼, photo by Alessandro Cani



Miao
島猫, photo by Davide



きれいな海に囲まれた、のどかな島なんですねえ。

この島、一番上の地図だとよくわかりますが、イタリア本土からも、アフリカからも、スペインからも、同じくらい離れた位置にあります。
本土よりアフリカの方が近いかも。

「総合解説」を読んでもらうとわかるのですが(あと数日でお手元に届くはず)、この島は、地中海のこの位置にあることが、色んな意味でとても重要。
中でも、ここがマグロの通り道だったことが、島を有名にしまたした。

ちょっと残酷なマグロ網漁“マッタンツァ”は、シチリアのファビニャーナ島が有名ですが、この島でも行われているんですねえ。


カルロフォルテのマッタンツァ



これもカルロフォルテのマッタンツァの動画。
銛で突く前までです。

マグロの島の話、しばらく続けます。


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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年5月号(クレアパッソで販売中)
“カルロフォルテ~サルデーニャのマグロ漁の島”の記事は「総合解説」P.2に載っています。


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2008年5月16日金曜日

カヴァテッリとオレッキエッテ

プーリアの美味しいものの話、その3。

今日はパスタの話。

プーリアのパスタと言えばオレッキエッテ orecchiette。
でも、カヴァテッリ cavatelliも負けずに美味しいですよねえ。
特に、ムール貝と白いんげんのカヴァテッリ。


ムール貝と白いんげんのカヴァテッリ
ムール貝と白いんげんのカヴァテッリ


見た目は、小粒の白いんげんと区別がつかないほど小さなカヴァテッリ。
ところが、口に入れるとつるんとしたその食感が、豆の柔らかさと面白いコントラスト。
ムール貝もこれだけ小粒だと、主役ではなく、共演者。
パスタの三位一体だあ。


カヴァテッリは貝との相性が抜群。
アサリともよく合います。


アサリのカヴァテッリ
アサリのカヴァテッリ


オレッキエッテとカヴァテッリは、どちらもセモリナ粉と水のパスタ。
違うのは形だけ。
その違いが分かる動画がありました。
最初に作っているのがカヴァテッリで、2分あたりからがオレッキエッテ。
それでは、プーリアのお母さんの見事な技をどうぞ。





ナイフでひっかいてカールさせるカヴァテッリに対して、オレッキエッテはくるんとカールさせないように、端を軽く押さえながらひっかくわけですね。
「カヴァテッリの生地は小麦粉に熱湯を加えてこねるけど、オレッキエッテにはぬるま湯を加えるのよ。
だけど今はカヴァテッリ用の生地だから、オレッキエッテは作りにくいわねえ」
と、またカヴァテッリ作りに戻ったおかあさん。

細かい作り方は人によって違うようですが、出来上がりは同じ。
どちらもきれいですねえ。



オレッキエッテとカヴァテッリ


このオレッキエッテ、色が黒いのはグラノ・アルソという小麦粉を使っているから。
グラノ・アルソとは、小麦を刈り取った後の切株を焼いて、その後に残った落ち穂のこと。


そして次は、オストゥーニのオステリーア・デル・テンポ・ペルソの料理。
・パン、オレッキエッテ、カヴァテッリ作り
・ムール貝と白いんげんのカヴァテッリ
・チーメ・ディ・ラパのオレッキエッテ
・空豆のピューレ(チコーリア添え)
・トルタ・ディ・リコッタ
が出てきます。





どれもプーリアに行ったら絶対に食べておかないと後悔する料理ばかりですねえ。
店のhpはこちら


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2008年5月15日木曜日

オステリーア・ジャ・ソット・ラルコ

ブッラータの話、その2です。

プーリアでブッラータを食べようと思っている人に、情報を1つ。
プーリアを代表する有名レストラン、オステリーア・ジャ・ソット・ラルコ Osteria già sotto l'arcoで、独創的なブッラータ料理を出していますよ。


Sotto l'arco
店からの眺め?、下は魚のカンネッローニ, photo by mafe de baggis


店のhpはこちら


テレーザとテオドジオ・ブオンジョルノ夫妻の店で、シェフはテレーザさん。
カロヴィーニョという町にあります。
オストゥーニとブリンディジの中間ぐらいの所。

テオドジオさんの家族は代々飲食店を経営していて、テレーザさんは結婚してから独学で料理を勉強したんだそうです。
今やプーリアでも指折りのシェフとして知られているんだから、すごいですねえ。


hpの店のメニューを見てみると、前菜の一番最初に載っているのがブッラータ料理です。

「ブッラータのカダイフ包み、トマト、マルティーナ・フランカ産カポコッロ、オリーブのクレーマ、ドライトマト添え」

こんな料理

80g程度のブッラータを、カダイフで包んでオーブンでさっと焼いた1品です。
カダイフは、トルコやギリシャの極細麺。

Kataifi - Καταϊφι
カダイフ, photo by

外側は麺がこんがり香ばしく、内側はブッラータがとろーりトロトロ。
ドライトマトの酸味がよく合いそうですねえ。

この他に、プーリアでは一般的なキノコ、カルドンチェッリ(エリンギの一種)を使った料理や、プーリアならではの素朴でおいしい1品、空豆とチコーリア、定番のオレッキエッテ、やはりプーリアではよく見る馬肉料理、新鮮な魚料理などもあります。

ワインはプーリアのものを中心に500種類。

この店は雑誌でも時々取り上げられています。
たとえば『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2005年8月号でも、ブッターラのカダイフ包みを紹介しています。


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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2005年8月号(在庫なし)
テレーザ・ブオンジョルノシェフの記事は「総合解説」P.15に載っています。


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2008年5月14日水曜日

アンドリアのブッラータ

昨日は、バーリ在住のミステリー作家、ジャンリーコ・カロフィーリオの話を書いたので、その流れで、今日はプーリアの話です。

プーリアにも、おいしいものがたくさんありますよねー。
実は私、『ア・ターヴォラ』2003年5月号で、最高のブッラータの作り手と言われている店の記事を読んで以来、その店のブッラータを食べてみたい!と思い続けていました。

ブッラータは、モッツァレッラ状のチーズでできた薄い袋に、ほぐしたチーズと乳酸発酵体入り生クリームを混ぜた“ストラッチャテッラ”を詰めたチーズ。
1920年代(30年代という話もあり)に、アンドリア郊外のカステル・デル・モンテのピアーナ・パドゥーラ農園で、ロレンツォ・ビアンキーノ・キエッパという人が、モッツァレッラを作る時に出る残り物を有効利用しようと考え出したもの。


切る前のブッラータ

クリームがパンパンに詰まってます。


中からクリームがとろ~り

切ると中からとろ~り。


アンドリアにあるその店は、ヴィッサーニも毎週仕入れているとか。
うーん食べてみたい。

思い続けて幾歳月。
そしてとうとう、アンドリアまで買いに行っちゃいましたよー。
いや~、面白い体験だった!

その時のことは別のブログにも書いたので内容が重複してますが、あしからず。


そのチーズ屋は、客が10人も入ると身動きが取れなくなるような小さな店でした。
ところが、客が切れ目なくやってくるので、ほぼいつも満員状態。
みんなじっと自分の番になるのを待ちます。

店に入った時から気付いていました。
『ア・ターヴォラ』に写真が載っていた店員さんだあ。

それにしても、この店の人たちはニコリともしません。
ちょっと怖い。

そしていよいよ私の番。
その時まで、ブッラータはショーケースの中に並んでいるのだとばかり思っていましたが、違いました。

「ブッラータください」
「大きさは?」
「(え、大きさって言われても・・・)???」
「何人で食べるんですか?」
「3人です」
「今日食べるんですね?」
「そうです・・が?(ここで違うなんて言ったら売ってくれない雰囲気)」

それを聞くと、店員は店の奥に引っ込んでいきました。
客にあいまいな態度を許さない無愛想な職人気質にどきどきしながら待つことしばし。

「これでいいですか?」

さっきの店員が、ブッラータを1個手にして奥から出てきました。
その時点で、ようやく理解しました。
奥で、モッツァレッラの袋に3人分のストラッチャテッラを詰めていたんです。
出来立てほやほやです。

「ハイ!」
「冷蔵庫に入れちゃダメですよ!」
「は、はい?」
すると私の隣にいた客が、
「冷蔵庫に入れちゃダメだよ」
さらに店員も繰り返して、
「絶対冷蔵庫に入れちゃダメですよ!」
「は、はい」
「今日中に食べるんですよ!」
「はい・・・」
「3ユーロです」
「ひえ、やす!」

店を出た私の頭の中で、「冷蔵庫に入れてはいけない」、「今日中に食べろ」という言葉がぐるぐる回ってました。

結局その日は、ブッラータを抱えたままあちこち観光してまわり、いよいよブッラータを食べよう、ということになった時はすでに夜。
冷蔵庫に入れてはいけないという命令はしっかり守りました。

パーネ・ディ・アルタムーラと赤ワインも用意して、さあ、いよいよいただきま~す。

モッツァレッラの袋は、3人分にはちょっと大きすぎたようで、上の写真のようなパンパンに膨らんだ姿ではなく、ビニール袋のようにふにゃふにゃです。
そこで、ちょっと切り込みを入れて、その間からストラッチャテッラをすくってみました。


いよいよ


生地の固形部分はモッツァレッラのような繊維状なんですが、とろーんとして完全に固まっていないので、フォークに巻きつけることができます。
あたりにはミルクのフレッシュで甘い香りが広がってきました。

そして一口。

おー、なんだこれは!
こんな濃厚なもの、食べたことな~い!
今まで食べたブッラータと、全然違いますよー。
一番上の写真のブッラータと比べても、濃厚さが違うことが分かりますよね。
第一印象は、とにかく濃い!

モッツァレッラはよく豆腐に例えられますが、ブッラータは、例えるならやっぱりバター。
でも、脂肪じゃないんです。
クリームなんです。
なおかつチーズなんです。
濃厚でなめらかでこくがあって、でもミルクのようにフレッシュで、草原の風が感じられそうなチーズ。

農場で湯気を立てている搾りたてのミルクが目に浮かんでくるなあ。
いったい何を食べたら、こんなに風味が詰まったお乳が出るんだろう。
こんなにおいしいミルクで育つ子牛は幸せ者だあ。
ちなみにこの店では、イタリア種とオランダ種の牛のミルクを使っていて、オランダの牛のミルクは脂肪分が多いんだそうです。

ブッラータとは、ストラッチャテッラを食べるもの、ということを実感しました。
それにしても、このとろとろ具合を保つには、確かに冷蔵庫に入れてはだめですね。
だからその日のうちに食べないといけないわけだ。
ということは、地元でないと体験することができない味。
たとえ3ユーロでも、足を延ばす価値はありますよ。

アンドリアの町の中には、ブッラータを売っている店がたくさんあります。
バーリからは電車で行けるし、町はそれほど大きくないので歩いて回れます。

郊外に足を延ばせば、世界遺産のカステル・デル・モンテもありますよ。

Castel del Monte 01
カステル・デル・モンテ, photo by Federico Filacchione


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関連誌;『ア・ターヴォラ』2003年5月号(在庫なし)
“ブッラータ”の記事は「総合解説」P.31に載っています


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2008年5月13日火曜日

本の街ポントレーモリとバンカレッラ賞

昨日に続いて、ルニジャーナ地方の話をもう1つ。

ルニジャーナの中心地、ポントレーモリは本の街として有名で、その業界では世界的にも知られた「バンカレッラ賞」というのを毎年発表しています。
日本の直木賞のような感じでしょうか。

Dawn on Pontremoli Castle
ポントレーモリ, photo by Mahtab


日本で本の街というと神田あたりですよね。
神田の場合は、周囲に大学があったりして知識階級が多かったことがその成り立ちの要因とか。
ポントレーモリの場合は、イタリアならではの歴史があります。
ポントレーモリと言うより、ルニジャーナ地方の歴史です。

ルニジャーナにも、イタリアの他の地方同様、羊飼いがたくさんいました(今もいます)。
でも、他の地方と違ったことが1つあります。
ルニジャーナの羊飼いたちは、本の行商を始めたんです。
この地方は、イタリアの本の行商の発祥地なんだそうです。

その昔羊飼いたちは、ポントレーモリの街まで行ったら出版社で売れ残った本を安く買い、田舎に戻ってそれを安い値段で売っていました。
やがてそれが本格的な仕事になり、北イタリア各地に行商に行くようになります。
政府が出版禁止にした本もこうやって広まり、イタリア統一運動の思想が大衆に伝わる手段にもなったとか。

これは、モンテレッジョという町にある本の行商人の記念碑。

でも、重い本を持って遠くまで行くのはやはり大変。
そのうち、大きな町で店を出すようになり、中には出版社を始める人もいました。
こうしてイタリアには、ルニジャーナ出身の書店や出版社があちこちにできたのです。
そんなこんなで、イタリア本業界のルーツ、ポントレーモリは、イタリアの「本の街」となったのでした。

バンカレッラ賞については、「大阪ドーナッツクラブ」というサイトに分かりやすい解説がありました。
こちら

2005年に『Il passato è una terra straniera』で受賞したジャンリーコ・カロフィーリオですが、ちょっと前に、『ヴィエ・デル・グスト』が彼を取り上げていました。

彼はバーリ出身。
ベストセラーミステリー作家で、しかも現職検事。

その彼、バンカレッラ賞の発表当日は、ポントレーモリにいました。
受賞した時のことは、あまりにもびっくりして覚えていないそうですが、その数時間前に何をしていたかは、よーく覚えているそうです。

「発表の数時間前、ルニジャーナ名物のテスタローリを食べた。
地元の人たちみんながこれを注文するように勧めるんだ。
賞の主宰者たちに至っては、もしこれを食べなかったら悪運に見舞われるぞ、とまで言い出した。
おかげで、受賞した今では忘れられない料理になったよ」

きっと今年も、7月20日の発表の日には、ポントレーモリのどこかで、緊張した作家がテスタローリを食べるんでしょうねえ。

ちなみに、カロフィーリオの主な作品はバーリが舞台で、料理の話も時々出てきます。

『無意識の証人』 『眼を閉じて』


バンカレッラ賞には最近、料理本部門と言うのができました。
今年で3回目になります。
5冊がノミネートされていて、発表は10月5日です。

2007年の料理書部門のポスター



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2006年1月号(在庫なし)
カロフィーリオと巡る「バーリ」の記事は総合解説2005年1月版P.35に載っています。


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2008年5月12日月曜日

テスタローリ

今日はトスカーナのパスタ、テスタローリ testaroliの話。
関連記事は、『サーレ&ぺぺ』 『サーレ&ぺぺ』2006年4月号 に載っています。

テスタローリは、古代ローマ時代に生まれたと考えられていて、イタリアでも最古の部類の粉物。
小麦粉と水を混ぜた生地を浅鍋で焼いた、いわば厚焼きクレープ。
でも、焼いてから切ってゆでる、というのがクレープとは違うところ。

焼いてゆでたテスタローリ

テスタローリにかけるサルサの定番は、バジリコのペースト

トスカーナ料理なのに、サルサはジェノヴァ名物のペースト。
それは、テスタローリがルニジャーナ地方の料理だから。

ルニジャーナ地方はトスカーナの北の端にあります。
ここ
直線距離ならフィレンツェよりジェノヴァの方が近い。
すぐ西にはチンクエテッレもあります。

海には近いけれど、ルニジャーナ地方自体は山の中。
西はリグーリア、北と東はエミリア・ロマーニャの山に囲まれています。

一番大きな町はポントレーモリ。
 ↓

大きな地図で見る


ルニジャーナは、紀元前177年にローマ人が作った町、ルーニがルーツ。
ローマへの巡礼が通る街道もあり、トスカーナとエミリア地方を結ぶ交通の要所でした。
森に囲まれたこの地方は、ポルチーニや栗の産地。
そして一番有名な料理が、素朴なテスタローリ。
うーん、ちょっと地味かな。


ルニジャーナ観光協会が作ったPVがありました。
約15分と、かなり長いです。
歴史の古い地方で、山に囲まれているのがよく分かります。
6分35秒あたりから料理の話も出てきます。
テスタローリは7分頃に登場。




テスタローリは、テストという蓋付きの鋳鉄の浅鍋で焼きます。
こういう道具
この鍋、昔はテラコッタ製だったそうで。
熱した炭や薪の上に脚付きの土台を置き、その上に浅鍋部分をのせます。
そして蓋をしたら、熱い灰や炭をかぶせて焼きます。
焼き上がりはこういう状態

ルニジャーナ地方を紹介するサイト、bagnonemia.itのテスタローリのページでは、「本物のテスタローリはテストに入れてかまどで焼くもの。
フライパンに入れてコンロで作るなんて論外」、と、熱く語ってます。
「スーパーには工場で作った大量生産のテスタローリも並んでるけど、私に言わせれば、あれは美味しい物を知らない人が食べるもの。
ルニジャーナには、テラコッタのテストで美味しいテスタローリを作る人たちがいるから、ぜひそういうものを食べてください!」
だそうです。

それでは、この人のリチェッタをどうぞ。

テスタローリ testaroli
材料;2人分
0番の小麦粉・・200g
水・・1.5カップ


・テストを熱する。
・材料を混ぜてなめらかな生地にし、レードルでテストの浅鍋部分に広げる。厚さは3㎜以下。
・蓋をかぶせて数分焼く。
・取り出したら焼き上がったものから重ねていき、ゆっくり冷ます。
・幅4~5㎝に切り、さらに四角く切る。
・沸騰した熱湯に塩を加えて火を止める。テスタローリを入れ、柔らかくなって浮かび上がったら味を見て取り出す。
・皿にサルサを敷き、その上に水気を切ったテスタローリを重ねていく。全部盛り付けたら残りのサルサをかけてチーズを散らす。


サルサは色々あるけれど、やっぱりジェノヴェーゼのペーストが定番、とこの人も言ってます。


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関連誌;『サーレ&ぺぺ』2006年4月号(クレアパッソで販売中)
“ペーストのテスタローリ”のリチェッタは「総合解説」P.8に載っています。


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2008年5月9日金曜日

ヴェネトの潟の名物、モレーケ

数日前、TVでモレーケを見ましたよー。
5月4日放送の「世界ウルルン滞在記」でした。
そこで今日は、モレーケmoleche(TVでは“モレッケ”と呼んでましたね)の話。

これがモレーケ。
脱皮したての、小さくて柔らかいカニ、ソフトシェルクラブです。




カニはチチュウカイミドリガニという種類。
これが年に2回脱皮します。
その脱皮したての柔らかいオスのカニを、モレーケと呼びます。

カニ1匹丸ごと脱皮

昔は、トスカーナのセスト・フィオレンティーノあたりでも、淡水ガニのソフトシェルクラブが獲れたんだそうですが、環境汚染で姿を消し、今ではイタリアではヴェネトの潟地方だけの特産物。
カニが脱皮する1月末~5月と、9月末~11月末の期間だけ食べることができます。

モレーケの漁は、キオッジャ、ブラーノ島、ジュデッカ島あたりで行われています。
まず、浅瀬に網を仕掛けてカニを獲ります。
その中から、これから脱皮するものをより分けて箱に移し、脱皮するまで待って、脱皮したらすぐに出荷する、という方法。

脱皮するモレーケを入れる箱

モエーケ moecheとも言います。

カニは、「2日以内に脱皮する脱皮寸前のもの」、「約20日の間に脱皮するもの」、「すでに脱皮したもの」、「メス」の4種類に分類します。
これから脱皮する2種類以外は海に戻して(メスは卵を抱く秋だけ獲ります)、脱皮寸前のものは1日に2回チェック、脱皮まで時間があるものは4~5日に1回チェックして、脱皮していないか見張ります。

カニの状態を見分ける技は、父から息子へ代々受け継がれてきたもの。
TVでもやってましたが、シロウトにはまったく区別がつかないですよねー。
最近では、後継者が減っているそうです。
しかも、アサリの養殖場に押されて、現在モレーケ漁をしている漁師は約50軒。
漁獲量は年間約3トン。
スローフードの後援食材にもなっています。

そんな貴重なモレーケですが、ヴェネチアのレストランでは名物料理。
特にフリットは人気のメニュー。

モレーケのフリットのリチェッタは、ちょっと前の『ラ・クチーナ・イタリアーナ』(2005年3月号)で紹介しています。
この料理の特徴は、TVでもやっていた通り、活きたモレーケに卵を吸わせてから揚げる、というもの。
別名、「モレーケ・コル・ピエン」とも呼ばれます。
“ピエン”とは、“ピエーノ pieno”、つまり、「満腹」とか、「ぎっしり詰まった」という意味。
ここでは、『Grande Enciclopedia Illustrata Della Gastronomia』という本のリチェッタをどうぞ。

モレーケ・コル・ピエン Moleche "col pien"
4人分
・卵2個とパルミジャーノ少々を溶き、活きたモレーケ800gを入れる。カニが飛び出さないように皿をかぶせて軽い重石にし、2時間半置いて卵を吸わせる。
・カニが卵をたっぷり吸ったら小麦粉をつけて油で揚げる。
・油を切って塩を振る。


出来上がり

パルミジャーノを加えるリチェッタは、少数派かもしれません。
冷えたスプマンテや軽い赤ワインと一緒にどうぞ。



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2005年3月号(在庫なし)
「モレーケ」の記事と「モレーケ・フリッテ」のリチェッタは「総合解説」P.35に載っています。


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2008年5月8日木曜日

ホロホロ鳥料理

きのうのリストランテ・アンバッシャータのメニューにあったホロホロ鳥の卵料理のおかげで、ホロホロ鳥の卵ってどんな味か、まだ気になっています。

Guineafowl
ホロホロ鳥, photo by Auntie P


こんな派手な柄のホロホロ鳥ですが、卵は意外と普通。
大きさも、全然大きくないんですね。
1個45gぐらい。
ということは、日本の鶏卵だとSSサイズ。
殻はとても硬いんだそうです。

Guinea Egg Study
ホロホロ鳥の卵, photo by Brian Boucheron


卵だけ見ると鶏と区別がつかないホロホロ鳥ですが、鶏と違って2日ほど寝かせて肉を軟らかくしてから食べるんだそうで。

イタリアでは、生後20週以下で重さ1kg強の若いものが好まれるようですが、もっと成長したものは煮込みにします。

ホロホロ鳥を使った地方料理は、それほど有名なものは多くないような気がしますが、どうでしょう。
そんな中で、比較的知られている2品、ヴェネトの「ホロホロ鳥の赤ワイン煮」と、トスカーナの「ホロホロ鳥のカルトッチョ」のリチェッタをどうぞ。
原文は、アントニオ・ピッチナルディ著『La grande cucina d'Italia』から。


ホロホロ鳥のカベルネ煮 Faraona al Cabernet
材料;
ホロホロ鳥・・1羽
小玉ねぎ・・150g
乾燥ポルチーニ(15分戻す)・・20g
バター・・60g
小麦粉・・20g
カベルネ・・2カップ
塩、粗びきこしょう

・ホロホロ鳥に小麦粉をつける。
・玉ねぎのみじん切りをバター30gでソッフリットにし、ホロホロ鳥を入れて焼く。ワインをかけて塩、こしょうをし、蓋をしてとろ火で1時間煮る。
・ホロホロ鳥を取り出す。煮汁を漉し、ポルチーニを加えて煮詰めてバターでつなぐ。
・ホロホロ鳥を切り分けて熱いサルサをかける。


出来上がりはこんな料理


ホロホロ鳥のカルトッチョ Faraona al cartoccio
材料;
ホロホロ鳥・・1羽
薄くスライスしたパンチェッタ・・80g
セージ・・3枚
ローズマリーの葉・・大さじ1
にんにく・・1片
豚の網脂
EVオリーブオイル・・大さじ2
塩、粗びきこしょう

・にんにく、セージ、ローズマリーをみじん切りにし、塩、こしょうを加える。
・これをホロホロ鳥の中にたっぷりまぶし、パンチェッタで巻く。
・網脂(1分ゆでる)で包み、油紙(油を塗る)にのせてカルトッチョに閉じる。
・170度のオーブンで1時間焼く。
・テーブルでシートを開く。



ホロホロ鳥のカルトッチョを粘土で包んだのが、ホロホロ鳥の料理の中でも一番ワイルドな粘土焼き Faraona alla creta。

この料理をイタリアに伝えたのはロンバルド族だと言われています。
ロンバルド族とは、「ゲルマン民族の大移動」で知られる人たちの一派で、568年にイタリアに侵入して、一時ロンバルド王国を築きました。

彼らは、優雅さや上品さとは無縁の、かなりワイルドな民族。
ホロホロ鳥の粘土焼きも、羽根をむしらないで丸ごと粘土で包み、焼き上がったら粘土ごとひっぺがす、という荒っぽい料理だったんですねー。

今はホロホロ鳥は羽根を取った状態で売られているから、羽根を取るために粘土で包む、という意味は失われました。
その代わりに、一度シートで包むわけですね。
むしった羽根は、どうなるのかなあ。

粘土焼きのリチェッタは、『サーレ&ぺぺ』2003年2月号で取り上げていました。
その記事によると、粘土は工芸用の、オーブンで焼き固めるものでいいようです。

・パンチェッタ、ローズマリー、にんにくなどを叩いて塩、こしょうを加え、ホロホロ鳥の中と外にまぶす。
・胸をパンチェッタで覆い、糸で縛って全体をひとまとめにしてからシートでカルトッチョに包む。
・粘土は2kgを2枚に伸ばしておき、ホロホロ鳥の上下を覆って手にぬるま湯をつけて閉じる。
・200度のオーブンで2時間焼く。
・数分休ませてからテーブルに運び、麺棒で中央を叩いて割る。


この料理は、イタリア北部、特にロンバルディアやエミリア・ロマーニャあたりの料理。


こちらはホロホロ鳥の塩生地焼き
こういう料理は演出効果抜群ですね。


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関連誌;『サーレ&ぺぺ』2003年2月号(在庫なし)
「ホロホロ鳥の粘土焼き」のリチェッタと写真は「総合解説」P.19に載っています


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2008年5月7日水曜日

リストランテ・アンバッシャータ

今日はレストランの話。

『クチーナ・エ・ヴィーニ』 『クチーナ・エ・ヴィーニ』2007年4月号 でリチェッタを披露していたクイステッロ(マントヴァ)のリストランテ、アンバッシャータ Ambasciata。


Piatto e nastro ambasciata
アンバッシャータのプレイス皿, photo by Sara Maternini


Candele
キャンドル!, photo by Sara Maternini


Riviste
本!, photo by Sara Maternini


ミシュランでは2つ星の、昔から有名な店です。
この店は、料理、サービス、内装、食器、どれをとっても上品でクラシックでゴージャス。
値段もゴージャス(1人約25000円~)で、特別な日に満足のいくひと時を過ごすための店。


Champagne
シャンパン!, photo by Sara Maternini


ここで食事をした人がブログに、「シェフではなく客が王様の数少ない店」、と書いて高く評価していました。
そうなんです。
この店、こんなにゴージャスなのに、シェフは全然気取りがなくて愛嬌たっぷりの御大なんです。
「どんな客とも方言で話すイタリアでただ一人のグランシェフ」、なんて言われたりもしています。

そんなことをふまえた上で店のhpを見てみると、なかなかおもしろいですよ。
こちら

ハハ、なぜかいきなりハレルヤコーラスでスタート。
そして、顔をパンパンに膨らませてラッパを吹いているのが、シェフのロマーノ・タマーニさんとフランチェスコ(通称カルロ)・タマーニさん兄弟。
どっちがロマーノさんかはすぐ分かりますよね。
いやーそれにしても、店の写真はどれも素晴らしい。

料理はマントヴァの伝統料理から魚料理までさまざま。
ホロホロ鳥の卵の料理なんてのがありますよ。
どんな味か気になるなあ。

アニョーリの去勢鶏のブロードがけ
豚頬肉ときのこの煮込み、ポレンタ添え
チョコレートのサラミとモスカートのザバイオーネがけ
ザバイオーネはロマーノさん自ら7分間ホイップして作る


下の動画はクイステッロ風コトレッタを作るロマーノさん。
子牛ではなく豚肉を使います。
豚カツですね。
骨付きロース肉を顔よりも大きく広げてますよー。
しかもなんだこの取っ手は!
まったく、愛すべきマエストロだなあ。




仕上げに散らしていたのは岩塩。
司会者に突っ込まれて、「レモンはかけない!」、と2回も言ってます。


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関連誌;『クチーナ・エ・ヴィーニ』2007年4月号(クレアパッソで販売中)
アンバッシャータのリチェッタは「総合解説」P.31に載っています。


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