今日は今月の「総合解説」から、現在ローマで最高のシェフとみなされている人の話題です。
『ガンベロ・ロッソ』の2014年の記事です。
その人は、ローマのレストラン、メタモルフォジ(店のwebページはこちら)のロイ・カゼレスシェフ(facebookはこちら)です。
彼はボゴタ生まれのコロンビア人。
母親と一緒にイタリアにやってきて、20年前に皿洗いから始めて、39歳の現在はミシュラン1つ星。
ポルチーニとヘーゼルナッツの蓋つきリゾット
↓
カーチョ・エ・ペペ
↓
なるほど、都会に住むイタリア人が好きそうな料理だなあ。
ギミック、禅、ミニマリズム、未来感、こんな言葉が浮かんできます。
偉大な過去を持つ保守的な国では、こういうことを伝統料理に取り入れる勇気のある人があまりいなくて、そのアプローチが知的でスマートだと、大いに尊敬されますよね。
加えて彼の情熱的で勉強熱心な人柄。
これは批評家筋に愛されそうな料理です。
「総合解説」には彼のリチェッタを何点か載せました。
そこそこ複雑なリチェッタでしたが、特徴は、なんでもミキサーやバーミックスで攪拌することでしょうか。
この料理は、ミキサーにかけた牡蠣と、にんにくと唐辛子のソッフリットでスパゲッティをマンテカーレて、オーブンで乾燥させてミキサーにかけたムール貝の粉を散らした一品です。
今月の「総合解説」では、カゼレスシェフとは正反対の料理を作るシェフも紹介しています。
見事に正反対ですよ。
次回は彼の話です。
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“ロイ・カゼレスのパスタ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年6月号に載っています。
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2016年6月16日木曜日
2016年6月13日月曜日
ヴェーラ・ピッツァ・ナポレターナ
クレアパッソのホームページでも先日ご案内しましたが、品切れ中だったお勧め本、『ファリーナ・アクア・リエビト・サーレ・パッシオーネ』が再入荷しました。
Associazione Vera Pizza Napoletanaの本です。
本を紹介する動画。
↓
偶然ですが、今月の「総合解説」 には、この協会の創立30周年の記事を載せています。
『ガンベロ・ロッソ』誌の記事です。
この協会は、1984年に、ナポリピッツァの伝統を受け継ぐことを目的に、17軒の家族が集まって設立されました。
最初は66軒だった会員は、30年後の2014年には、イタリアと世界で合わせて500軒以上になりました。
協会の学校では、イタリア人、外国人合わせて毎年120人以上が学んでいるそうです。
本物のナポリ・ピッツァを広めるために、使わなくてはならない材料を規定し、その製品を保証するために大学の農学部と共同で品質が保証できる農家や生産者のリストを作り、さらに、ナポリピッツァのファンからなるClub Amici della Vera Pizza Napoletanaという消費者のご意見番組織も作りました。
さらには、『ファリーナ・アクア・リエビト・サーレ・パッシオーネ』のような内容の詰まった本を出版して、本物のナポリピッツァを作る秘訣を、惜しむことなく、すべてさらけ出しています。
ナポリピッツァについて熱く語る会員からは情熱とブライドを感じます。
↓
ピッツァが世界中に広まるにつれて、オリジナルのアイデンティティーが薄まるのは、ある意味宿命のようなもの。
でも、協会では、ナポリピッツァは地中海の伝統と結びついた食べ物でなくてならないと主張しています。
シーフードのピッツァはOKでも、神戸ビーフのピッツァはノーだそうです。
ところが面白いことに、シンプルで純粋な食材を使うことに慣れていて、品質を上げることに情熱を燃やす日本のような国では、会員は54軒(2014年)で、ナポリピッツァは大いに受け入れられているのですが、脂肪分が多い料理が好まれる国では苦戦していて、ブラジルでは7軒、そしてなんとドイツでは、わずか1軒だそうですよ。
わざわざ高い輸入品を使ってオリジナルの味を尊重するより、自分たちの馴染みの味のものを作るほうがよい、という考えが、世界中でいかに根強いか、明確に分かる数字です。
寿司やラーメンも、放っておくと、どんどん粗悪コピー品が出回るのでしょうね。
ナポリやイタリアのピッツァ業界の活動は素晴らしいと常々思っていたのですが、実は日本は、ナポリピッツァへの理解と受け入れに関しては優等生だったのですね。
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“ピッツァ・ナポレターナ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年6月号に載っています。
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Associazione Vera Pizza Napoletanaの本です。
本を紹介する動画。
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偶然ですが、今月の「総合解説」 には、この協会の創立30周年の記事を載せています。
『ガンベロ・ロッソ』誌の記事です。
この協会は、1984年に、ナポリピッツァの伝統を受け継ぐことを目的に、17軒の家族が集まって設立されました。
最初は66軒だった会員は、30年後の2014年には、イタリアと世界で合わせて500軒以上になりました。
協会の学校では、イタリア人、外国人合わせて毎年120人以上が学んでいるそうです。
本物のナポリ・ピッツァを広めるために、使わなくてはならない材料を規定し、その製品を保証するために大学の農学部と共同で品質が保証できる農家や生産者のリストを作り、さらに、ナポリピッツァのファンからなるClub Amici della Vera Pizza Napoletanaという消費者のご意見番組織も作りました。
さらには、『ファリーナ・アクア・リエビト・サーレ・パッシオーネ』のような内容の詰まった本を出版して、本物のナポリピッツァを作る秘訣を、惜しむことなく、すべてさらけ出しています。
ナポリピッツァについて熱く語る会員からは情熱とブライドを感じます。
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ピッツァが世界中に広まるにつれて、オリジナルのアイデンティティーが薄まるのは、ある意味宿命のようなもの。
でも、協会では、ナポリピッツァは地中海の伝統と結びついた食べ物でなくてならないと主張しています。
シーフードのピッツァはOKでも、神戸ビーフのピッツァはノーだそうです。
ところが面白いことに、シンプルで純粋な食材を使うことに慣れていて、品質を上げることに情熱を燃やす日本のような国では、会員は54軒(2014年)で、ナポリピッツァは大いに受け入れられているのですが、脂肪分が多い料理が好まれる国では苦戦していて、ブラジルでは7軒、そしてなんとドイツでは、わずか1軒だそうですよ。
わざわざ高い輸入品を使ってオリジナルの味を尊重するより、自分たちの馴染みの味のものを作るほうがよい、という考えが、世界中でいかに根強いか、明確に分かる数字です。
寿司やラーメンも、放っておくと、どんどん粗悪コピー品が出回るのでしょうね。
ナポリやイタリアのピッツァ業界の活動は素晴らしいと常々思っていたのですが、実は日本は、ナポリピッツァへの理解と受け入れに関しては優等生だったのですね。
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“ピッツァ・ナポレターナ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年6月号に載っています。
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2016年6月9日木曜日
古代小麦
今日は、ブログでも度々取り上げている古代小麦の話です。
やはり、イタリア料理を語るときに小麦は避けては通れません。
中でも、古代小麦の歴史は興味深いものです。
『サーレ・エ・ペペ』の記事によると、1世紀前まで栽培されていた小麦品種は400以上あったのに
今知られているのは10品種以下という現実に、ちょっとびっくり。
そしてこれだけ品種が減った大きな原因は、1940年代の“緑の革命”の影響だそうですよ。
緑の革命って、学校でも教わるそうですが、完璧に忘れていました。
収穫量が多くて機械化に適した、たっぷりの肥料や殺虫剤を必要とする品種を作り出そうとした、とにかく大量生産優先の、今にして思えば、ちょっと信じられない時代があったんですねえ。
それだけ飢餓が深刻だったということです。
こんな品種が優先される時代も生き延びた古代小麦。
オリジナルの姿を残し、穂は背が高く伸び、抗酸化物質、タンパク質、ミネラルが豊富で、グルテンは控えめ。
そんな特徴があります。
記事によると、小麦を硬質と軟質に区別するようになったのは1900年代初め。
軟質小麦の粉は、いわゆる00タイプに分類されている小麦粉。
イタリアの軟質小麦の代表的な古代小麦はジェンティル・ロッソという品種。
1930年代には、イタリアで最も多く栽培されていた品種でした。
天然酵母のサワードウに適しています。
グルテンが少ないのであまりふわふわにはなりませんが、香ばしいパンになりました。
硬質小麦の粉はセーモラ。
南イタリアのパスタの原料です。
代表的な硬質小麦の古代小麦は度々紹介してきたセナトーレ・カッペッリ。
もっとも普及していたのは、粒のまま食べることも多いピッコロ・ファッロ。
この他に、ファッロ・スペルタという品種もあります。
ファッロはエンキルやエインコルンという商品名で流通することもありました。
アメリカ人が名付けたカムットとという古代小麦もあります。
トゥンミニアという硬質小麦の名前も時々聞きます。
現在もイタリアで生き延びている主な古代小麦は、こんなところです。
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“小麦”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年6月号に載っています。
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やはり、イタリア料理を語るときに小麦は避けては通れません。
中でも、古代小麦の歴史は興味深いものです。
『サーレ・エ・ペペ』の記事によると、1世紀前まで栽培されていた小麦品種は400以上あったのに
今知られているのは10品種以下という現実に、ちょっとびっくり。
そしてこれだけ品種が減った大きな原因は、1940年代の“緑の革命”の影響だそうですよ。
緑の革命って、学校でも教わるそうですが、完璧に忘れていました。
収穫量が多くて機械化に適した、たっぷりの肥料や殺虫剤を必要とする品種を作り出そうとした、とにかく大量生産優先の、今にして思えば、ちょっと信じられない時代があったんですねえ。
それだけ飢餓が深刻だったということです。
こんな品種が優先される時代も生き延びた古代小麦。
オリジナルの姿を残し、穂は背が高く伸び、抗酸化物質、タンパク質、ミネラルが豊富で、グルテンは控えめ。
そんな特徴があります。
記事によると、小麦を硬質と軟質に区別するようになったのは1900年代初め。
軟質小麦の粉は、いわゆる00タイプに分類されている小麦粉。
イタリアの軟質小麦の代表的な古代小麦はジェンティル・ロッソという品種。
1930年代には、イタリアで最も多く栽培されていた品種でした。
天然酵母のサワードウに適しています。
グルテンが少ないのであまりふわふわにはなりませんが、香ばしいパンになりました。
硬質小麦の粉はセーモラ。
南イタリアのパスタの原料です。
代表的な硬質小麦の古代小麦は度々紹介してきたセナトーレ・カッペッリ。
もっとも普及していたのは、粒のまま食べることも多いピッコロ・ファッロ。
この他に、ファッロ・スペルタという品種もあります。
ファッロはエンキルやエインコルンという商品名で流通することもありました。
アメリカ人が名付けたカムットとという古代小麦もあります。
トゥンミニアという硬質小麦の名前も時々聞きます。
現在もイタリアで生き延びている主な古代小麦は、こんなところです。
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“小麦”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年6月号に載っています。
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2016年6月6日月曜日
ブレーメの玉ねぎ
今日はイタリア便りです。
それではSegnalibroさん、お願いしまーす。
ブレーメのパドリーノに会いに行こう、と急に相方が言い出しました。
パドリーノとは、洗礼式の時に立ち会い証人になってもらい、一生のお付き合いをお願いする大事な人。辞書には、教父、代父とあります。
彼のパドリーノとマドリーナは、両親の友人ご夫婦。子供の頃、毎年パスクアの時期には、びっくりするほど大きな卵チョコをプレゼントしてくれたのだそうです。
マドリーナは10年前に亡くなってしまったのですが、来年80歳を迎えるパドリーノはご健在。二回り歳の離れたルーマニア人の妻迎え、まだまだ人生を謳歌しています。
たまには顔を見せに来なさい、と直球では言いませんが、最近スマホの操作を覚えたらしく、毎朝欠かさず画像付きのメッセージを送って来るので、数年ぶりに会いに行かなければならないと思ったようです。
ブレーメって、ブレーメンの音楽隊のブレーメン?ドイツ??
と思ったら、ドイツのブレーメンはイタリア語でBrema。パドリーノの住むBremeはロンバルディア州パヴィア県にある、人口約800人のとってものどかな町でした。
この町の名物は赤玉ねぎ。毎年6月の第2、3日曜には、ブレーメDe.C.Oの赤玉ねぎ祭りが行われます。(写真はすべてお借りしています)

De.C.Oという言葉を初めて聞きましたが、これはDenominazione Comunale di Origineの略。
地方自治体がお勧めする、その土地に由来するプライベートブランドで、原産地呼称を名乗りますが、DOPなどとは異なり、商標として流通する名称ではないのだそうです。
玉ねぎがイタリアにやってきたのは、おそらくギリシャローマ時代。当時は薬として使われていたようです。
役場のホームページによると、ブレーメDe.C.Oの赤玉ねぎの起源は西暦906年。ピエモンテのノヴァレーザ修道院からやってきた修道士達が肥沃なこの地をたいそう気に入り、耕作を始めたのだそうで、ブレーメの赤玉ねぎは2008年6月からDe.C.Oを名乗っております。
イタリアで赤玉ねぎというと、真っ先に思い浮かぶのがカラブリア州トロペアの赤玉ねぎですが、ブレーメの赤玉ねぎは、ちょっと押し潰したようなこんな形をしています。

パヴィア大学やミラノ大学、ボローニャ大学にトロペアとの違いを科学的に分析してもらったところ、両者はとてもよく似ているけれど、ブレーメの玉ねぎの方が甘味があるという結果が出たのだそうです。
さて、このお祭りでは前菜からドルチェまで、ブレーメの玉ねぎをふんだんに使ったお料理が振舞われますが、一番人気はおそらくこちら、PRIMAVERA Pizza Bremeseブレーメ風、春を感じる本物のピザ。
新玉ねぎを使ったピザ、これはおいしいに違いありません。
これはぜひ行かなければと思ったら、パドリーノは今年、ルーマニアへバカンスに出かけてしまい不在。来年以降に持ち越しです。
ブレーメの赤玉ねぎは、全国テレビのグルメ旅番組の取材も受けているそうです。

イタリアのグルメ番組の好きなところは、レストランではなく、おいしい生産者への取材が主であるということ。何がどこでどのように作られるのかが分かって、とても面白いです。
ブレーメの回、見逃しているからネットで探さなきゃ!
Segnalibroさん、Grazie。
パドリーノにマドリーナ、素敵な習慣ですね。
親戚のおじさん、おばさんとサンタクロースが一緒になったみたい。
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それではSegnalibroさん、お願いしまーす。
ブレーメのパドリーノに会いに行こう、と急に相方が言い出しました。
パドリーノとは、洗礼式の時に立ち会い証人になってもらい、一生のお付き合いをお願いする大事な人。辞書には、教父、代父とあります。
彼のパドリーノとマドリーナは、両親の友人ご夫婦。子供の頃、毎年パスクアの時期には、びっくりするほど大きな卵チョコをプレゼントしてくれたのだそうです。
マドリーナは10年前に亡くなってしまったのですが、来年80歳を迎えるパドリーノはご健在。二回り歳の離れたルーマニア人の妻迎え、まだまだ人生を謳歌しています。
たまには顔を見せに来なさい、と直球では言いませんが、最近スマホの操作を覚えたらしく、毎朝欠かさず画像付きのメッセージを送って来るので、数年ぶりに会いに行かなければならないと思ったようです。
ブレーメって、ブレーメンの音楽隊のブレーメン?ドイツ??
と思ったら、ドイツのブレーメンはイタリア語でBrema。パドリーノの住むBremeはロンバルディア州パヴィア県にある、人口約800人のとってものどかな町でした。
この町の名物は赤玉ねぎ。毎年6月の第2、3日曜には、ブレーメDe.C.Oの赤玉ねぎ祭りが行われます。(写真はすべてお借りしています)

De.C.Oという言葉を初めて聞きましたが、これはDenominazione Comunale di Origineの略。
地方自治体がお勧めする、その土地に由来するプライベートブランドで、原産地呼称を名乗りますが、DOPなどとは異なり、商標として流通する名称ではないのだそうです。
玉ねぎがイタリアにやってきたのは、おそらくギリシャローマ時代。当時は薬として使われていたようです。
役場のホームページによると、ブレーメDe.C.Oの赤玉ねぎの起源は西暦906年。ピエモンテのノヴァレーザ修道院からやってきた修道士達が肥沃なこの地をたいそう気に入り、耕作を始めたのだそうで、ブレーメの赤玉ねぎは2008年6月からDe.C.Oを名乗っております。
イタリアで赤玉ねぎというと、真っ先に思い浮かぶのがカラブリア州トロペアの赤玉ねぎですが、ブレーメの赤玉ねぎは、ちょっと押し潰したようなこんな形をしています。

パヴィア大学やミラノ大学、ボローニャ大学にトロペアとの違いを科学的に分析してもらったところ、両者はとてもよく似ているけれど、ブレーメの玉ねぎの方が甘味があるという結果が出たのだそうです。
さて、このお祭りでは前菜からドルチェまで、ブレーメの玉ねぎをふんだんに使ったお料理が振舞われますが、一番人気はおそらくこちら、PRIMAVERA Pizza Bremeseブレーメ風、春を感じる本物のピザ。
新玉ねぎを使ったピザ、これはおいしいに違いありません。
これはぜひ行かなければと思ったら、パドリーノは今年、ルーマニアへバカンスに出かけてしまい不在。来年以降に持ち越しです。
ブレーメの赤玉ねぎは、全国テレビのグルメ旅番組の取材も受けているそうです。

イタリアのグルメ番組の好きなところは、レストランではなく、おいしい生産者への取材が主であるということ。何がどこでどのように作られるのかが分かって、とても面白いです。
ブレーメの回、見逃しているからネットで探さなきゃ!
Segnalibroさん、Grazie。
パドリーノにマドリーナ、素敵な習慣ですね。
親戚のおじさん、おばさんとサンタクロースが一緒になったみたい。
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2016年6月2日木曜日
クイリナーレ宮殿
朝、テレビを見ていたら、今日、6月2日は共和国記念日でイタリアでは祝日だと言っていました。
そこで、今日のお題は、今月の「総合解説」で取り上げている“大統領の厨房”の記事についてに急遽変更。
まず、記事は2013年の話です。
当時の大統領は、ジョルジョ・ナポリターノ氏。
その名の通り、ナポリ出身の人でした。
彼は2015年1月に辞任し、現在はパレルモ出身のセルジョ・マッタレッラ氏が大統領。
ちなみに、ナポリターノ大統領時代の総料理長、ファブリツィオ・ボーカ氏は、大統領が変わったからといって一緒に首になることはなく、新大統領の元でもシェフをしています。
彼は料理学校卒業後、国の内外のスタージュを経て、23歳の時からずっとクイリナーレ宮殿勤めで歴代大統領の料理を作ってきた人。
9年間大統領を務めたナポリターノ大統領は、ナポリ出身だけあって、オーソドックスなトマトのスパゲッティが大好物でした。
こちらのページのインタビューによると、大統領のトマトのスパゲッティには国産の3種類のトマトを使ったそうです。
オイルやにんにくの産地も決まっていました。
パスタはグラニャーノのパスタをチェルヴィアの塩を加えた湯でゆでました。
パスタに散らすパルミジャーノは38ヵ月熟成のもの。
イタリアの大統領官邸は、ローマの7つの丘のうち一番高いクイリナーレの丘にあるクイリナーレ宮殿です。
下の動画は1月7日の国旗の日のクイリナーレ宮殿の儀仗兵交代。
規律正しくきちっと整列して、一糸乱れぬ胸甲騎兵の行進。
黒い馬と金色の甲冑、兜のポニーテール、美しすぎる。
今日も行われますよー。
↓
あの兜はこうなってます。
ドラゴンとたてがみの兜というデザイン。
↓

入隊資格は身長190㎝以上。
なのでこの身長差。

コラッツィエーリ(胸甲騎兵)を初めて見たときは、あまりにかっこよくて異次元の生物のようでドキドキしたなあ。
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“大統領の厨房”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年6月号に載っています。
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2016年5月30日月曜日
ヴィヴァ・パッパ・コル・ポモドーロ
今日のお題は、「総合解説」でトスカーナで一番質素なズッパと説明されている料理。
パッパ・アル(コル)・ポモドーロです。

で、逆に一番リッチと見なされているのは、黒キャベツのズッパ。

どちらも農民が考え出した料理ですが、パッパ・アル・ポモドーロの主役はパン。
という訳で、「総合解説」の記事では、まず、パンが当時の農民にとってどういうものだったかを説明しています。
昔のイタリアの農村部では、パン作りの儀式は神聖なものでした。
何時間もかけて生地を作って成形し、白い布で包んで村の共同かまどに運んで最後の発酵をさせます。
そして日曜日に焼きました。
時には肉も一緒にローストして、パンの皮に肉の焼ける香りをつけました。
そして日曜日はパンにたっぷりのおかずを添えてご馳走にし、平日は、残ったパンをやりくりして食べたのです。
トスカーナ人は、残ったパンを有効利用する才能に長けていました。
そしてそのやりくりの中から考え出されたたくさんのズッパの一つが、パッパ・アル・ポモドーロです。
冷やして食べても美味しいので、夏向きのズッパとしても知られています。
記事の中で、シエナの料理学校(webページはこちら)の先生が、外国人の生徒にこの料理を教える時は、60年代の有名なカンツオーネ、『Viva la pappa col pomodoro』も一緒に紹介する、と言ってますが、その歌がこれです。
↓
リアルイタちゃんがいる・・・。
作曲はニーノ・ロータだって。
世界的に大ヒットしてドイツ語やスペイン語版も作られました。
ドイツ語だと、『Ich frage meinen Papa /イッヒ・フラーゲ・マイネン・パパ』
で、しっかりドイツ語なのにこの人(リタ・パヴォーネ)が歌うと超カワイイ。
実は、パッパ・アル・ポモドーロよりもっと質素なズッパがありました。
パンコットpancottoです。
17世にトマトがトスカーナに伝わる前の、トマト無しのパッパ・アル・ポモドーロです。
さすがに、今は、作る人はほとんどいないそうです。
パンコットのリチェッタは、トスカーナ料理本の決定版、『イル・グランデ・リーブロ・デッラ・ヴェーラ・クチーナ・トスカーナ』に載っています。
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“パッパ・アル・ポモドーロ”の記事とリチェッタの日本語訳は、「総合解説」13/14年6月号に載っています。
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パッパ・アル(コル)・ポモドーロです。

で、逆に一番リッチと見なされているのは、黒キャベツのズッパ。

どちらも農民が考え出した料理ですが、パッパ・アル・ポモドーロの主役はパン。
という訳で、「総合解説」の記事では、まず、パンが当時の農民にとってどういうものだったかを説明しています。
昔のイタリアの農村部では、パン作りの儀式は神聖なものでした。
何時間もかけて生地を作って成形し、白い布で包んで村の共同かまどに運んで最後の発酵をさせます。
そして日曜日に焼きました。
時には肉も一緒にローストして、パンの皮に肉の焼ける香りをつけました。
そして日曜日はパンにたっぷりのおかずを添えてご馳走にし、平日は、残ったパンをやりくりして食べたのです。
トスカーナ人は、残ったパンを有効利用する才能に長けていました。
そしてそのやりくりの中から考え出されたたくさんのズッパの一つが、パッパ・アル・ポモドーロです。
冷やして食べても美味しいので、夏向きのズッパとしても知られています。
記事の中で、シエナの料理学校(webページはこちら)の先生が、外国人の生徒にこの料理を教える時は、60年代の有名なカンツオーネ、『Viva la pappa col pomodoro』も一緒に紹介する、と言ってますが、その歌がこれです。
↓
リアルイタちゃんがいる・・・。
作曲はニーノ・ロータだって。
世界的に大ヒットしてドイツ語やスペイン語版も作られました。
ドイツ語だと、『Ich frage meinen Papa /イッヒ・フラーゲ・マイネン・パパ』
で、しっかりドイツ語なのにこの人(リタ・パヴォーネ)が歌うと超カワイイ。
実は、パッパ・アル・ポモドーロよりもっと質素なズッパがありました。
パンコットpancottoです。
17世にトマトがトスカーナに伝わる前の、トマト無しのパッパ・アル・ポモドーロです。
さすがに、今は、作る人はほとんどいないそうです。
パンコットのリチェッタは、トスカーナ料理本の決定版、『イル・グランデ・リーブロ・デッラ・ヴェーラ・クチーナ・トスカーナ』に載っています。
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“パッパ・アル・ポモドーロ”の記事とリチェッタの日本語訳は、「総合解説」13/14年6月号に載っています。
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2016年5月26日木曜日
チプリアーニ風カルパッチョ
今日は今月の「総合解説」で取り上げた地方料理の中から、イタリア料理の定番中の定番、カルパッチョの話です。
この料理は、イタリアの伝統料理にしては珍しく、誕生の経緯がはっきりしています。
とても有名な話なので、今さらと思うかもしれませんが、『サーレ・エ・ペペ』の記事で、基本的なところを再確認。
まず、考案者はハリーズバーのオーナーのジュゼッペ・チプリアーニ氏(1900-1980)。
赤い生の牛肉に黄色いソースをかけたこの料理は、ルネサンス時代のヴェネチアの大画家、ヴィットリオ・カルパッチョの絵の特徴である艶のある赤と黄色のコントラストからインスピレーションを得て、ジュゼッペによってカルパッチョと名付けられた、というのは、今やイタリア料理界の伝説。
カルパッチョは、今や日本では生肉の赤よりマグロの赤の代名詞となりましたが、今回は黄色いソースの話。
これはまあマヨネーズです。
削ったパルミジャーノではなかったんですね。
彼の自伝『l'angolo dell'Harrys Bar』によると、正確にはマヨネーズを牛乳少々で軽くしてウスターソース数滴で調味したものです。
彼はこのソースを“salsa universale/サルサ・ウニヴェルサーレ”、つまり万能ソースと呼んでいました。
しかもこのソースを肉にかける方法は、“アッラ・カンディンスキー”、カンディンスキー風、というテクニック。
カンディンスキーと言えば、抽象絵画の元祖。
これは『K』という作品だそうです。
↓
![[ K ] Wassily Kandinsky - Line (1929)](https://c4.staticflickr.com/8/7148/6752289739_4211cd5318.jpg)
そしてこれがハリーズ・バーのオリジナルに忠実にカンディンスキー風にソースをかけたカルパッチョ。
↓

ん?これはひょっとして?
そうこれは、お好み焼きに芸術的にかけられたマヨネーズそっくり。
あれはまさに、西洋料理の世界ではカンディンスキー風と呼ばれる技法だったのです。
恐るべし関西人。

カルパッチョも世界中に広まるにつれてオリジナルのリチェッタがどんとん姿を変えていっています。
ここらへんで、オリジナルを振り返ってみるのも面白いかも。
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“チプリアーニ風カルパッチョ”の記事とリチェッタの日本語訳は、「総合解説」13/14年6月号に載っています。
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この料理は、イタリアの伝統料理にしては珍しく、誕生の経緯がはっきりしています。
とても有名な話なので、今さらと思うかもしれませんが、『サーレ・エ・ペペ』の記事で、基本的なところを再確認。
まず、考案者はハリーズバーのオーナーのジュゼッペ・チプリアーニ氏(1900-1980)。
赤い生の牛肉に黄色いソースをかけたこの料理は、ルネサンス時代のヴェネチアの大画家、ヴィットリオ・カルパッチョの絵の特徴である艶のある赤と黄色のコントラストからインスピレーションを得て、ジュゼッペによってカルパッチョと名付けられた、というのは、今やイタリア料理界の伝説。
カルパッチョは、今や日本では生肉の赤よりマグロの赤の代名詞となりましたが、今回は黄色いソースの話。
これはまあマヨネーズです。
削ったパルミジャーノではなかったんですね。
彼の自伝『l'angolo dell'Harrys Bar』によると、正確にはマヨネーズを牛乳少々で軽くしてウスターソース数滴で調味したものです。
彼はこのソースを“salsa universale/サルサ・ウニヴェルサーレ”、つまり万能ソースと呼んでいました。
しかもこのソースを肉にかける方法は、“アッラ・カンディンスキー”、カンディンスキー風、というテクニック。
カンディンスキーと言えば、抽象絵画の元祖。
これは『K』という作品だそうです。
↓
![[ K ] Wassily Kandinsky - Line (1929)](https://c4.staticflickr.com/8/7148/6752289739_4211cd5318.jpg)
そしてこれがハリーズ・バーのオリジナルに忠実にカンディンスキー風にソースをかけたカルパッチョ。
↓

ん?これはひょっとして?
そうこれは、お好み焼きに芸術的にかけられたマヨネーズそっくり。
あれはまさに、西洋料理の世界ではカンディンスキー風と呼ばれる技法だったのです。
恐るべし関西人。

カルパッチョも世界中に広まるにつれてオリジナルのリチェッタがどんとん姿を変えていっています。
ここらへんで、オリジナルを振り返ってみるのも面白いかも。
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ナポリ・ピッツァのマークはコメディア・デッラルテの道化、プルチネッラ。ゆるキャラがいない国ではこんな高尚なキャラがシンボル。
今日の(CIR)の料理は、1929年創刊の『La Cucina Italiana』の創刊95周年の祝いのパーティーで出された料理。 100年前の料理でも、全く時代遅れになっていないと自画自賛してますが、その料理は、“ドクター・パラゾーネのパッサテッリ”など。 まずドクター・パラゾ...
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今日のお題は豚肉のリブロースのグリルです。 イタリアで子羊肉のアッロスティチーニが大流行している様子を見るにつけ、羊飼いのいない日本ではなあ・・・、と思うのですが、子羊以外にも炭焼きグリルにすると美味しい肉、もちろんあります。 イタリアのバーべキューの定番は、豚肉のコスティーネ、...
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軽い気持ちで手にとった本、『 スーゴとソース 』 ところが、考えれば考えるほど、わからなくなってきました。 スーゴって何?ソースって何? “スーゴ”は、イタリア料理の基本の言葉の一つ。 スーゴ・ディ・カルネsugo di carne、 スーゴ・ディ・ポ...
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グラッパを取り上げたので、トレンティーノ・アルト・アディジェの話題が続いていますが、さすがにこの州のこと、知らないなあ。 とりあえず、イタリア料理アカデミーの地方料理のソースの本、『 スーゴとソース 』 のトレンティーノ・アルト・アディジェ州のページを見てみました。 そして見つけ...