2018年10月15日月曜日

エミリア街道が発展させた食文化と本家争い

ポー河は、エミリア・ロマーニャ州の北側の縁を流れています。
東西に長いエミリア・ロマーニャの真ん中を貫いているのは、via Emilia=エミリア街道です。
グリバウド・グランデ・クチーナ・レジョナーレ・イタリアーナ”シリーズ
『エミリア・ロマーニャ』の前書きの第2章は、エミリア街道の話です。

商人、兵士、巡礼、無法者を運びながら、エミリア街道の歴史は流れていきました。
時は流れても街道は変わらず、今も平野を横切っています。

紀元前2世紀に、ローマの執政官マルコ・エミリオ・レピドによってポー河とアペニン山脈の間に通された街道は、ピアチェンツァとリミニを結んでいます。
エミリア街道は人の名前が語源だったんですね。
軍需的目的でしたが、経済活動も担いました。
北西と南東を結び、山と平地を結び、ポー河の支流の町を結び、エミリア・ロマーニャの発展に大いに貢献してきた街道です。

町は中世のシニョリーアの時代には僭主の住む都となり、ヨーロッパ諸国と結びつきのある貴族たちが台頭してきました。
ルネサンスの時代には、これらの街がさらに力を増し、ボローニャ、モデナ、パルマなど、街ごとに独自の食文化を発展させたのです。

料理の本家争い、というエミリア・ロマーニャではよくある話も、隣町同士の間で繰り広げられるなど、街ごとのプライドがすごく強いのは、この時代の栄光の名残かも。

エミリア街道の22世紀
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さて、次は食材の話。
まず最初は、サルーミ。
次はバルサミコ酢、そしてトルテッリーニ。
こうして食材を並べるだけで自然と、パルマ、モデナ、ボローニャと、エミリア街道を北から南へと移動できますねえ。

エミリア・ロマーニャのバルサミコ酢とパルミジャーノ
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エミリア・ロマーニャの町の紹介
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