2019年7月15日月曜日

王女の名前をつけたシチリアのごまつきパン

“イタリアのパン”の話です。
今月のパンは、ビオーヴァとマファルデ。
南北の代表的日常のパンです。

ビオーヴァはピエモンテで一番有名なパンだそうで、トリノで生まれて電動こね機が普及した19~20世紀にかけて北イタリア全域に広まりました。
ミーカの一種という説もあります。
ミーカの小さいものがミケッタです。
ミケッタの語源については「総合解説」3/4月号に載っています。
小型のビオーヴァ、ビオヴェッタは具を挟むのに適していて、都会の労働者向きのパンでした。
スローライフの本場の時短パン。
大型のビオヴォーナは値段が安くて長期間もつという特徴があって家庭向きでした。
ピエモンテにパンのイメージはあまりないけど、実際には多様なパンがあります。
長期滞在していた人なら懐かしく感じるのだろうなあ。

巻いて押し潰してから半分に切る、独特の整形。

ピオヴェッタは具を挟むのに最適で、とろけるチーズとなすのグリルのにんにく、オイル、パセリのマリネなどが合います。

南のパンは、シチリアのマファルダです。
硬質小麦粉のごま付きパン。
これ、シチリアでやみつきになった人、多いはず。
独特のこの形は、とぐろを巻いた蛇のよう、とも形容します。
最後に尻尾を全体に巻き付けて、こんなふうに整形します。

すごくエキゾチックでシチリア的。
シチリアのストリートフードの象徴、パネッレやクロッケもマファルディーナでパニーノに。

そして焼く前、最後にまぶすのが、シチリアのパンの象徴で、地中海系アラブ料理のベース、ジュッジュレーナこと、ごまです。
マファルダはパレルモのパンとして知られていますが、カターニアのパン屋さんが、イタリア王ヴィットリオ・エマヌエーレ3世の娘、マファルダ・ディ・サヴォイアに捧げてつけた名前。
この名をつけたおかげでイタリア中に知名度が広がったのだそうです。
マファルダは世界大戦の時代に生きたお姫様で、ドイツ人貴族と結婚してナチスと関係の深い生涯でしたが、動画の多さから推測すると、イタリアの人々には愛されたようです。

やはり皇族の名前は、料理名の最終兵器ですね。

パンの本のお勧めは、スローフードのスクオラ・ディ・クチーナシリーズの、
『パーネ・ピッツェ・フォカッチェ』。
このシリーズには
『パスタ・フレスケ・エ・ニョッキ』と、『ドルチ・ダ・フォルノ』、『ビスコッティ・ピッコラ・パスティッチェリア』もあります。


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“イタリアのパン”の記事の日本語訳は「総合解説」2017年5/6月号P.46~に載っています。
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2019年7月12日金曜日

あれこれ調べたのに、結局諸説ありすぎとわかったズッパ・イングレーゼ

今日は『クチーナ・イタリアーナ』のscuola di cucinaの記事から、ズッパ・イングレーゼです。

記事は、まず、この料理が広まったいきさつについて。

諸説あるようですが、今回紹介するのはトライフルという言葉が出てこないこんな話です。
そもそもは、1552年に、レッジョの大公がスペインとの紛争を解決するためにシエナを訪れた時の食事の席で、最後に出されたドルチェが、ふんわりした生地にリキュールとクリームをたっぷりかけた甘いズッパで、それ以来、シエナではこのデザートが大公のズッパZuppa di Ducaとして知られるようになった、というのが始まり。

1552年というと、イタリア戦争の時代です。
スペインとフランスのイタリアを巡る戦いにヨーロッパがまきこまれて、しっちゃかめっちゃかになっていた時代の後期です。

ズッパ・ディ・ドゥーカ。
これが19世紀にフィレンツェのカフェ・ドネイのスペチャリタとして有名になり、当時のフィレンツェの上流階級を形成していたアングロサクソン系の人々の間で人気になったことから、イギリス人のズッパ、ズッパ・イングレーゼという名で知られるようになりました。

カフェ・ドネイというのはフランス人亡命貴族のドネイさんがフィレンツェのトルナブオニ通りに開いたティーサロン。
当時の顧客はフィレンツェの上流階級、芸術家、政治家、作家など。
イギリス領事館が近くにあったので、フィレンツェに住むイギリス人のたまり場になっていました。
1986年に閉店しています。

エミリア・ロマーニャ生まれのドルチェとイギリス人の関係は、ちゃんと抑えた説です。

カフェ・ドネイのズッパ・イングレーゼのリチェッタは、スポンジ生地やサヴォイアルディによく似たパスタ・ペザータpasta pesataという生地を、小麦粉が入らないクリームとアルケルメスに浸す、というもの。
トスカーナ以外にも、ナポリ風、ローマ風、エミリア風などがあるのだそうです。
パルマではイギリス海軍に人気のラム酒に浸したズッパ・イングレーゼが広まったそうです。
様々なリチェッタのズッパ・イングレーゼが生まれて、各地のドルチェとして定着していきました。

かなりもっともらしいですが、
『1001スペチャリタ』にも、


もっともらしい説が載っています。
それによると、16世紀のフェッラーラのエステ家の外交官が、ロンドンから戻ってロンドンのトライフルの味が懐かしくなり、料理人にイタリアの食材でロンドンの味を再現させたもの、という説。

こちらはトライフルというキーワードが出てきますねー。
トライフルがルーツというのは最も多く信じられている説ですが、それにしても、かなり曖昧。

これだけ諸説あると、自分の説が正しい、と言い切れる人はあまりいないようで、ますます曖昧になっていきますが、イタリアのドルチェにはありがなパターン。
まあ、謎のままでも美味しければいいか。



アルケルメスは真紅ではなくバラ色だったんですね。



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“ズッパ・イングレーゼのバリエーション”の記事とリチェッタの日本語訳は「総合解説」2017年5/6月号に載っています。
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2019年7月9日火曜日

卵が入らないフリッタータ?

さて、スパゲッティのフリッタータですが、まさかこの料理が、シチリアのアラブ料理やナポリのブルボン家の料理と繋がっていたとは、想像したこともなかったですねー。

シチリア王国とナポリ王国の貴族料理と農民料理が合体したもの、と考えると、残り物のスパゲッティに卵をからめて焼いただけの薄~いフリッタータはまだ農民料理の段階で、貴族料理の要素は皆無、という気がしてきました。
これは言うならば農民料理のフリッタータ。
アラブとブルボン家を感じる料理にするなら、できるだけゴージャスにしてみたいもの。
ちなみに、「総合解説」のリチェッタでは、スパゲッティ400gに卵大12個を加えます。
さらにカラブリア風なので間には唐辛子入りサラミ、ソップレッサータ、とろけるチーズのスカモルツァかカチョカヴァッロ、ゆで卵をはさみます。
フライパンから溢れ出そうなボリュームです。
フリッタータをオーブンで焼けば、裏返す必要がないのでフライパンで焼くよりもリッチな具にできるし、見た目も派手になります。

最後に、カラブリアの卵が入らない玉ねぎのフリッタータをどうぞ。
この場合のフリッタータは卵焼きではなく、フリッタータの卵にはつなぎの役割があります。
なのでつなぎを小麦粉と水の生地で代用すれば、卵が入らないフリッタータもありです。

ソースとマヨをかけて青のりを散らせばお好み焼きですね。

カラブリア料理の本、『サポーリ・ディ・カラブリア

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“スパゲッティのフリッタータ”の記事とリチェッタの日本語訳は「総合解説」2017年5/6月号P.14~に載っています。
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2019年7月8日月曜日

スパゲッティのフリッタータの歴史はナポリや南イタリアの歴史と繋がっていた

今日は、知ってるようでよく知らない料理、スパゲッティのフリッタータの話です。
総合解説」5/6月号P.14に載っています。
『サーレ・エ・ペペ』の記事でした。

記事の冒頭、ニューヨーク・タイムズが選ぶ“行きたい場所52選、2017年版”(web版はこちら)が話題になっていました。
毎年発表されているランキングですが、日本では、この年は大阪が15位に選ばれたということが話題になりました。
さらに52位が琉球諸島と、日本からは2ヶ所が選ばれていました。
その陰で、イタリアは、なんと1箇所しか選ばれなかった、ということにえらく憤慨しています。
その1ヶ所はカラブリアで、37位でした。
しかも、カラブリアの手付かずの自然の美しさが評価されたのではなく、食文化で選ばれたというのがイタリア人のみなさんのプライドをちょっとさかなでしたようです。
ちなみに大阪もおすすめポイントは食文化でした。
1位はカナダです。
このことからもわかるように、アメリカ目線の、まだアメリカ人に知られていない場所を選びがちな、とてもクセの強いランキングです。

ニューヨーク・タイムズが選別理由として掲げたカラブリアのレストランの1軒、ristorante Dattiloのシェフを呼んでさっそくTV番組に。
それにしても、アメリカ人どころかイタリア人もカラブリアの食文化はあまりよく知らないのでした。

総合解説」では、この謎の多いカラブリア料理を、他の地中海の街と同様、硬質小麦粉のパスタが基本の食文化、と定義しています。
パスタのセコンダ・コットゥーラ(ゆでたパスタにもう一度火を通す調理方法)も伝統だそうです。
そしてこのスパゲッティのフリッタータは、マルテディ・グラッソやパスクエッタのピクニック料理や、日曜日の夕食として作る伝統があるそうです。
マルテディ・グラッソはカーニバルの最終日、パスクエッタは復活祭の翌日の月曜日。
どちらもキリスト教の祝日で、特別な日。

スパゲッティのフリッタータはナポリ料理として知られていますが、この料理の歴史は南イタリアの歴史そのものです。
19世紀、南イタリア全域が両シチリア王国の領土だった時代に、ナポリはその首都でした。
そのため、ナポリ料理が南イタリア全域に広まったのです。
キーワードは両シチリア王国。
忘れがちですが、ナポリは一国の首都だったこともありました。
ナポリのすごいところを知る動画

当時のナポリはパリに次ぐ大都市だったんですね。
王国の主役はブルボン家。

このスパゲッティのフリッタータは、ティンバッロのバリエーションの一つです。
ティンバッロは9世紀にシチリアを支配したアラブ人が作り出して、ブルボン家に受け継がれた料理。
両シチリア王国はシチリア王国とナポリ王国が合体してできた国。
南イタリアの歴史は、ノルマン、アラブ、ブルボン、スペイン、ハプスブルグあたりが入り乱れて、ぐちゃぐちゃなので、すべて繋がっていると思っておけば間違いない。

ティンバッロといえばシチリアの貴族料理の代表ですが、最近ではおしゃれな惣菜店でも見かけるようになりました。
貴族料理版のティンバッロは豪華で派手なパーティー向き料理ですが、それに農民料理をミックスさせて、手軽な僅かな食材で作ったのが、シチリアの地方料理のティンバッロ。

シチリアの貴族料理なら、この本がお勧め。
シチリア/クチーナ・ディ・カーザ・プラネタ


今回は、カラブリアのパスタの話のはずが、気がついたらナポリとシチリアのパスタの話をしてました。
カラブリア、不憫すぎる。
続きは次回。


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“スパゲッティのフリッタータ”の記事の日本語訳は、「総合解説」2017年5/6月号P.14に載っています。
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2019年7月5日金曜日

ホワイトアスパラガスのグリルとアスパラガスのパスタ

グリーンピースのリゾットの次は、今月の「総合解説」で見た目が一番印象に残った料理の話です。
P.26の料理、ホワイトアスパラガスのグリルです。
「アスパラガス」の記事に登場したリチェッタは、どれも見た目にインパクトがありました。
中でも、印象的だったのが、ホワイトアスパラガスのグリルです。

イタリア北東部の光を当てないで栽培されているものが最高なんだそうですが、グリル版のこの焼き色がついたホワイトアスパラガスは、一段と美味しそうです。
上の動画では、収穫したその日のうちに、グリルしてオイル漬けにしているそうです。

記事のホワイトアスパラガスは、この焼き色が細くて、斜め十文字に上から下まで細かく交差していて、網タイツの網目みたいです。
白いアスパラガスにくっきりつくと、強烈なインパクト。
この動画のような一方だけの焼き目をつけたホワイトアスパラガスは多いのですが、ステーキのように交差させた焼き目は、始めてみました。

さらに次のリチェッタのアスパラガスのタタンも、最後の蒸しアスパラガスのピンツィモーニオも、かなり印象的。
特にアスパラガスをピンツィモーニオで食べるというアイデアは、楽しそうです。

パスタの本の中では1、2を争うお手軽本で、世界的なイタリア料理の研究家、パオロ・ペトローニ氏の本、『スパゲッティ・アモーレ・ミオ』には

アスパラガスのリングイーネのリチェッタがあります(P.36)。
それによると、アスパラガスを小さく切ってオリーブオイルで炒めたところに、塩、こしょうして練ったリコッタを加えます。
そこにゆでたパスタと牛乳少々を加えてあえ、仕上げにパルミジャーノをかけます。

この本とは逆にパスタの本の中では1、2を争う大型本、『グランデ・リーブロ・デッラ・パスタ』にも

アスパラガスとリコッタのパスタのリチェッタがありました。
こちらは玉ねぎのみじん切りをバターでソッフリットにし、小さく切ったアスパラガスを加えてなじませます。
さらにレードル1杯の湯をかけてゆでてミキサーにかけます。
これに裏漉しして水気を切ったリコッタを加えてソースにします。
パスタはファルファッレ。
ざっと水気を切ってソースであえます。

他にもアスパラガスとリコッタのパスタのリチェッタは色々あります。

小さく切ったアスパラガスをオリーブオイルと塩で2分炒め、水少々とブイヨンを加えてて水気がなくなるまで煮たらリコッタを加えてなめらかなソース状にします。
ゆでたフジッリにこのソースとシナモンを加えてなじませ、仕上げにパルミジャーノを散らします。

リコッタのクリーム系パスタです。


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“アスパラガス”のリチェッタの日本語訳は、「総合解説」2017年5/6月号P.25~に載っています。
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2019年7月3日水曜日

アッロンダのリゾットはスプーンでも食べれる

今日こそはヴィアローネ・ナノの話をします。
大力作のピエモンテ州の米の本、『リーゾ』から、

イタリアの米の部分をざっと訳してみます。

イタリアの米は、すべてジャポニカ米です。
イタリアの米は、その形からコムーネ、セミフィーノ、フィーノ、スーペルフィーノという4種類に分類されます。
コムーネは長さ5.4mm以下で丸く、煮るとでんぷんがたっぷり溶け出ます。
セミフィーノはコムーネより細長く、長さ6.4mm以下、でんぷんも豊富。
ヴェネトの代表的米、ヴィァローネ・ナノはこのタイプ。
フィーノとスーペルフィーノは大粒で長い米、長さは6.4mm以上。
スーペルフィーノは溶け出るでんぷんが少なく、煮崩れしにくい米
カルナローリはこのタイプ。

重要なのは、米の太さや長さは米の品質とは関係ない、ということ。
どの米も、リゾットに適していますが、その特性を活かす必要があります。
例えばセミフィーノは、とても柔らかい、クリーミーなリゾットに適しています。
スーペルフィーノは魚のリゾットやパエリアに適しています。

ヴィアローネ・ナノの産地。

クリーミーなリゾットを作る時のテクニックとして必ず登場する言葉が、“all'ondaアッロンダ”。
リゾットをアルデンテで柔らかく、波のように動かしてマンテカーレしながら仕上げる方法。
アンドレア・ベルトンシェフのマンテカーレ・アッロンダ。

こんな方法も。


ここで改めてリジ・エ・ビジ

「リゾットにはカルナローリが一番だけど、この料理はミネストラだからね」と言っています。
さらに、「リゾットはフォークで食べるけど、これはスプーンで食べてもいい」とも。

アッロンダの代名詞とも言えるのが、リゾット・ミラネーゼ。
クラッコシェフのリチェッタでどうぞ。

米はミラノを象徴する食材だそうです。

次はミラノのシェフたちによるリゾット・ミラネーゼの競演。

ヴィアローネ・ナノを使っていると言うシェフもいました。

リゾット・ミラネーゼのとろとろ具合や米粒の存在感は大好きですが、ヴェネトでリゾットを食べる時は、水分に注目してみるのも面白いですね。
ちなみにヴェネトには、ベネチアのイカ墨のリゾットやかぼちゃのリゾットなどの名物があります。




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“リジ・エ・ビジ”の記事の日本語訳は「総合解説」2017年5/6月号P.11に載っています。
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2019年7月1日月曜日

戦争や飢饉や伝染病を乗り越えて広まったイタリアの米

リジ・エ・ビジは、グリーンピースを余すことなく利用して味を引き出したリゾット。
グリーンピースとダブル主役を務める米は、
ヴィアローネ・ナノです。
リゾットにカルナローリを使うかヴィアローネ・ナノを使うかで、ピエモンテ派とヴェネト派に分かれるというのも興味深い現象。

力関係からか、どうしてもカルナローリを取り上げることが多くて、ヴィアローネ・ナノについては、情報があまりありません。
「総合解説」P.11に載せた『サーレ・エ・ぺぺ』の、
「16世紀にオリエントからベネチアやヴェローナなどのヴェネトの農村に伝わった」
という短い文章は、ヴィアローネ・ナノを知る貴重な1行。

米に関しては、自分の国のものが世界一と信じ切ってる、という意味ではイタリアも日本も似たようなものです。
でもイタリアには、日本とは全く違う米の世界がありました。

ピエモンテ州が総力編集した本『リーゾ』によると、

米は、オリエントのスパイスと同じように秘薬のように扱われたので、商人のキャラバンによってインドからエジプト経由で輸入されていました。
栽培は、まず地中海に伝わり、そこからヨーロッパに広まったと考えられています。
そのきっかけを作ったのは、例によって、アラブ人です。
8世紀頃にまずアラブ人が支配したスペインに広まり、
イタリアには、十字軍やナポリ王国のスペインのアラゴン家、シチリアを支配したアラブ人によって伝わった等の説があります。
さらには中東や極東との貿易を仕切っていたベネチアによって伝わったとも言われています。
ピエモンテには、1269年に、サヴォイア家の大公がドルチェ用の米を大金を出して買ったという記録が残っています。

1348年から1352年にかけて、イタリア中に伝染病が広まり、栄養価が高くて収穫量の多い農作物が必要になりました。
14世紀半ばから16世紀にかけて、ヨーロッパは戦争や伝染病、飢饉で疲弊し、ファッロなど新しい食物に目を向けるようになっていました。

15世紀から16世紀末にかけて、米はイタリアに普及し、ルネッサンスの食物と呼ばれていました。
それと同時に問題もありました。
マラリアです。
水田は都市や主要道路から離れた場所に作るように命令が出ました。
農民の命は軽視されていたのですね。
一方で、マラリアと水田に関係はない、と主張する人々もいました。
1584年には、ノヴァーラの医者が、水田が人間に危害を及ぼすことはほとんどない、と宣言します。
それでもマラリアの媒介物の蚊が発見される19世紀半ばまで、この考えは信じられていました。

15世紀初め、イタリアには5000haの田んぼがあり、15世紀末には10倍に増えていました。
米は贅沢な食べ物とみなされていたので、法律によって管理されるようになります。
このあたりから、ピエモンテとヴェネトの米は別々の道を歩みだしたのかも知れません。
さらに、輸出品として世界中に運ばれるようになると、米は世界経済にも影響を及ぼす作物になりました。
10年前に書かれたピエモンテ州の本には、最近のイタリアの米の栽培面積は22万haに上る、と書かれています。

イタリアで米が普及するのまでの歴史をざっと知ったところで、次はヴィアローネ・ナノの話。
ヴィアローネ・ナノのことを知ることは、ヴェネトの米を知ること。

熱く語りますねー。
この米を知らなければヴェネトの米料理は語れないですね。

米の歴史の話が長くなっちゃいました。
次こそはヴィアローネ・ナノの話を・・・。



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“地方料理~リジ・エ・ビジ”のリチェッタの日本語訳は、「総合解説」2017年5/6月号P.11に載っています。
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リコッタ・クリームとマスカルポーネ・クリーム。

“クリスマスのオリジナルドルチェ”。 きのうの“コッパ・マルゲリータ”に続き、今日は“アニスクリーム入りチャンベッラ・ブリオッシュ”です。 どちらも真っ白なクリームがかなり目立ち、カラフルなフルーツのカンディートとの組み合わせが引き立っています。 きのうコッパ・マルゲリータのリチ...