2010年6月14日月曜日

イタリア最古のパスタの痕跡とアピキウス

スパゲッティの歴史編、その3です。

スパゲッティはパスタの一種。
パスタとは、穀物の粉と水や卵をこねて平らにした発酵させない生地をゆでた食物のこと。

そのルーツはいったいどこにあるのか・・・。

『クチーナ・エ・ヴィーニ』の「メイド・イン・イタリー特集」では、こう言いきっています。

「パスタはパンと同じで、自然発生的な食べ物だ。
そのため、最初に小麦と水をこねたのは誰かとか、それを干して保存や輸出ができるようにしたのは誰かということを探し出すのは不可能と言ってよい」

まったくその通り。
つまり、中国だ、いやアラブだ、という議論に、答えは見つからない。
これが大前提。

でも、パスタがイタリアという国で大発展を遂げたのは疑問の余地のない事実です。
スパゲッティに至っては、世界中どこに行っても「スパゲッティ」という言葉が通じるほどで、もはや一国の食文化の壁を越えてしまいました。

いったいどうやって、パスタはイタリアの国民食になっていったのでしょうか。


人類が穀物を栽培するようになったのは新石器時代、紀元前8000年頃のこと。
そしてすぐに穀物を挽いて粉にすることを覚え、さらに水とこねることを覚えたと言われています。
現在、イタリアのパスタの歴史を語る時に「最古の痕跡」として登場するのは、紀元前4~3世紀のものです。
19紀に発見されたチェルヴェーテリ(ラツィオ州)のエトルリア時代の墓の遺跡に、それはありました。



「レリーフの墓」, photo by Roby Ferrari

その名の通り、壁には、日常使う道具が浮き彫りされています。
その中に、パスタ作りの道具と思われる麺棒、円盤つきのカッター、小麦の袋がありました。


これがパンではなくパスタを作る道具と判断されたのは、カッターがあったからでしょうか。
当時の人たちは、どんな形のパスタを作っていたのか。
ラザーニャかタリアテッレの一種、という説が一般的です。


遺跡と言えば、ポンペイからパスタの痕跡が発見されたという話は聞いたことがないような・・・。
実は、このエトルリアの遺跡の次に古いパスタの“痕跡”は、一気に12世紀に飛びます。
その間、ラテン文学やギリシャ劇などに、“laganum”など「ラザーニャ」に近い言葉は、度々登場しています。
ただ、それらは生地を鉄板で焼くものだったり、パイに蓋をするものだったりと、現在のパスタとはかなり違うものだったと想像されます。
もちろん、これらもパスタとみなす人も大勢いますが。


古代ローマの最初の料理集と言われる、アピキウスの『De re coquinario』に登場する“ラザーニャ”も、パイに蓋をするためのものでした。

余談ですが、このアピキウスは人物像がいまだに謎で、紀元前の共和政ローマ時代から紀元2世紀頃に渡って、少なくとも3人の有名な“アピキウス”が存在しているのだそうです。
『De re coquinario』は、直訳すれば「料理法」。
アピキウスたちの時代より後の紀元230年頃に、Celioという料理人がアピキウスのものとして編集したと言われる10冊からなる料理集です。
実際には数世紀に渡って編集されたもので、雑なメモのような、解読が大変な内容のものだったそうです。
でもこれが、現代人が推測する古代ローマ料理の主要な資料となっています。


12世紀になって、私たちがパスタと呼ぶものに相当近いと思われるものの痕跡が記されました。
マルコ・ポーロより前の時代です。
それはなんと、パスタを大量生産する設備の記録でした。

この話、次回に続きます。



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関連誌;『クチーナ・エ・ヴィーニ』2008年6月号
“パスタ”の記事の解説は「総合解説」07&08年6月号に載っています。

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4 件のコメント:

くるり さんのコメント...

この「レリーフの墓」っていうの、見てみたいなぁ。すごく惹かれます。

prezzemolo さんのコメント...

くるりさん
お目が高い!
世界遺産です。
「チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡群」の中で一番有名な
Tomba dei Rilieviです。
別名Tomba Bella。
写真がたくさんあるサイトです。
 ↓
http://www.moveaboutitaly.com/lazio/cerveteri_it.html

匿名 さんのコメント...

自然発生的というのはうなずけなくもないですが、ことに、ヨーロッパの中で特に東方とつながりの深いイタリアで、と言う点が引っかかるんですよね。
もっとも我々にとってのポピュラーなパスタ料理は、かなり新しい部類に入るでしょうけど。
なにしろ昔のイタリアはトマトもない、手づかみで食べていたのですから。
中国での麺の発祥の地は、単に稲作などに適さなくて、色んな雑穀をすりつぶして麺にしていた地域のようですが。

prezzemolo さんのコメント...

匿名さん
パスタのルーツ探しは謎が多いけれど、それを探るのも面白いですよね。

おっしゃる通り、普通“パスタ”と言えば、麺の歴史の中では新参者のスパゲッティを念頭に置いてますよね。
私は、スパゲッティの偉大なところは、麺を乾燥させて世界中に持ち運べる技術を完成させたことにあると思うんです。
“パスタ”が世界中に広まったのもそれがあったからで、生麺のままだったらここまでその歴史が興味を引いたかどうか。
そういう意味では、中華麺を乾燥させてインスタントラーメンを作った人たちもすごいです!

バッカラはノルウェーとイタリアを結ぶ干物貿易の主役で、この航路は1450年作成の世界地図にも記載されるほど重要でした。

(CIR12月号)によると、ヴィチェンツァでは、この料理はCが1つなんだそうです。普通はバッカラはbaccalàでも、ヴィツェンツァでは、Cがひとつのバカラ。んなばかな、と思ったけど、地元のこの料理の専門家たちは、C一つで呼んでました。会の名前の刺繍もC一つ。リチェッタはP.11...