2009年10月13日火曜日

イタリア料理のトレンド

現在クレアパッソで配本中の『サーレ・エ・ペペ』は、創刊20周年号。
この20年に、イタリアではどんな料理がブームになったのかを振り返っています。

日本のように流行を国民総出で追いかけるのは好きではないように見えるイタリアでも、やっぱり流行ってあるんですねえ。

イタリアでは、過去にどんな料理が流行っていたのか。
あーそうそう、なんて料理があったりして、なかなか面白いですよ。
ちょっと見てみると・・・


★1987年 いちごのリゾットが話題に。

あったあった!
懐かしい~。
この頃、フルーツを甘くない料理に使うというのが流行りました。

日本では国鉄が分割民営化され、安田火災がゴッボの「ひまわり」を53億円で落札した年。
大韓航空機爆破事件もありました。



★1989年 ルーコラが大人気。

イタリアでルーコラがブームになったのは、この頃だったんですねえ。
これ以来、何にでもルーコラを山盛りにのせる人が続出。



ブレザーオラとルーコラのピッツァ, photo by avlxyz


日本は平成元年。
この年を最後にバブルがはじけます。
世界では、ベルリンの壁が崩壊。



★1991年 イタリア料理の帝王、グアルティエロ・マルケージの全盛期。

1986年にイタリアで初のミシュラン3つ星店となったミラノのマルケージ。
ファッショナブルで、それでいて哲学的なメッセージも詰まった彼の料理は、イタリア料理がフランス料理にも匹敵する高級料理になる、ということを、イタリア自身と世界中に認識させたのでした。

代表作の金箔とサフランのリゾット


日本では東京都庁が西新宿に移転。
12月にはソビエト連邦が崩壊。



★1997年 バルサミコ酢がブーム。

料理の仕上げにバルサミコ酢を加えれば、見た目もワンランクアップ。
名前に「all'aceto balsamico」とついた料理が続々登場。



去勢鶏の胸肉、トラディツィオナーレ・ディ・モデナのバルサミコ酢がけ, photo by hotelrealfini


香港が中国に返還され、ダイアナ元皇太子妃がパリで事故死した年。



★1999年 みんな大好き、ダブルバーガー!

やっぱりイタリア人もファーストフードは好きだった。
1986年にローマのスペイン広場にマクドナルドのイタリア2号店がオープンした当時はさんざん叩いていたイタリア人。
でも今や、イタリア中に340店舗あります。
ちなみに、ダブルバーガーは、イタリア語ではdoppio hamburger。


欧州連合でユーロが導入された年。



★2002年 エスニック料理ブーム。

まずレストランのエスニック料理が注目され、次第に家庭料理にも取り入れられていきました。
今や日本料理は、エスニック料理を代表するものの一つになりましたねえ。


日本では北朝鮮に拉致された5人が帰国。



★2005年 フュージョン料理ブーム。

記事では、パスタの代わりにギリシャのフィロ生地をパッケリに見立てて具を包んだ料理を紹介しています。
イタリア料理とそれ以外の要素の融合ですね。


法王ヨハネ・パウロ二世が死去し、ドイツ人の法王ベネディクト16世が誕生。
北京で反日デモ激化。



こうして見ると、ルーコラやバルサミコ酢など、イタリア料理の定番スタイルと思っていたものが、比較的最近生まれたトレンドだったのだと気が付きます。
この他にも、オールドアメリカスタイルのブーム、ベジタリアンブーム、スペイン料理ブームなど、まだまだあります。
イタリア料理の懐もだいぶ深くなってきているようですねえ。



-------------------------------------------------------

関連誌;『サーレ・エ・ペペ』2007年3月号

[creapasso.comへ戻る]

=====================================

2 件のコメント:

vittorio さんのコメント...

本当ですね~、こう見るとイタリアにも流行がありましたねぇー、その時のニュースと見ると分かりやすいですね、

私がヨーロッパにいた時とかぶりますねぇ~最初にヨーロッパに行ったのは1982年のローマでした、ベルリンの壁が崩壊した時ベルリンにいたんです確か夜でした、カケラを拾ったのを思い出します、それまでは西・東ドイツと言っていましたよねぇ~懐かしいです、確か西ドイツにキリンビールの工場があったと思います、

ルッコラも流行りました、バルサミコは未だに日本でも根強い人気ですね。

去勢鶏は使いたい食材です。

prezzemolo さんのコメント...

Vittorioさん
私も同じ頃、初めてヨーロッパに行きました。ロンドンでした。
ワールドカップでイタリアが優勝した時はイタリアにいましたよー。
でも、ローマだったかフィレンツェだったか、思い出せない~!
昔すぎる~!

バッカラはノルウェーとイタリアを結ぶ干物貿易の主役で、この航路は1450年作成の世界地図にも記載されるほど重要でした。

(CIR12月号)によると、ヴィチェンツァでは、この料理はCが1つなんだそうです。普通はバッカラはbaccalàでも、ヴィツェンツァでは、Cがひとつのバカラ。んなばかな、と思ったけど、地元のこの料理の専門家たちは、C一つで呼んでました。会の名前の刺繍もC一つ。リチェッタはP.11...