2013年3月7日木曜日

ケルト人

今回は、豚肉の保存食のお題の予定でしたが、ケルト人のことを調べだしたら面白くってやめられなくなりました。
ケルト人は、戦士、ウォリアー、バーバリアン、といった言葉で表されるファンタジー世界の登場人物そのもの。
戦闘民族、元祖肉食系、超カッケー。
イタリア料理のルーツとしても欠かせないものなので、この機会にケルトの世界にちょっと足を踏み入れてみまた。

『The Celts』2 ケルトの戦士



『The Celts』3 ローマとの戦い

 


北から南下したきたケルトと、南から北に向かったローマは、生き残りをかけてたかったんですねー。

『The Celts』1はこちら

ローマとケルトの戦いが舞台の2010年のイギリス映画『センチュリオン』のトレーラー
 ↓


こちらは2004年アメリカ映画の『キング・アーサー』。
アーサー王はケルト人だった。

とかにく謎めいたカッコイイ戦闘民族だったし、ローマ帝国の軍団と戦ったちゅーわけで、映画のネタは溢れてますなあ。

 さて、こんな人たちが、フリウリ地方のカルニアに住んでいたわけですね。
 こちらのページによると、ケルト人の食事は日暮れ時の一日一回のみ。
テラコッタや木の器に盛られた料理を手かナイフを使って、部族みんなで食べたそうです。

料理は肉が中心で、シンプルな串焼きか石焼、またはたまに香草を詰める程度。

肉は豚、牛、ヤギ、狩猟肉、家禽など、なんでも。
ピアディーネのようなスペルト小麦のパンも食べたらしいけど、これは狩りをしない女子供用。

ワインは丘陵地帯でギリシャから移民してきたアカイア人たちが作っていたらしいのですが、これを海水や水で割って飲んでいたんだって。
といってもワインを飲めるのはお客か戦士だけで、普段飲むのはケルト人とは馴染みの深いビール。

ちなみにアカイア人はチーズなど乳製品も作って、ケルト人と物々交換していたらしい。
彼らも肉食だったので、ケルト人の古い料理にはギリシャ料理の影響もみられるんだって。
ほー、ケルトとギリシャが出会って、そこにラテンがぶつかってきて北イタリアの料理のベースができたんですねえ。

塩は贅沢なので、調味に使うより、物々交換用の豚肉を長期間保存できるようにするために使われました。
これが生ハムのルーツです。

ケルト人がヨーロッパ中北部から移民を始めたのは紀元前2千年代前半から紀元0年頃の期間。

あっ、今、突然気が付いた。
カルニアcarniaですよ。
カルネcarneに似てない?
なんと、紀元前400年頃この地に移住したケルト人はカルニ族って言うんだって。
当然ながら、それがこの地名の元です。
でも、残念ながら、carneの語源はラテン語のcar-nemだっていうから、イタリア語の肉とは関係ないみたい。

チーズは、フレッシュなホエイタイプで、大きなお椀に入れて食べたんだって。
硬質チーズは移動時用。
なんだか、ケルト人の食生活を知れば、イタリア料理のルーツも、そこそこ分りそうですねえ。
面白そうだけど、きりがないので、今日はこのくらいにしときます。
次回こそは、カルニア料理の話。



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2011年7月号、“フリウリ=ヴェネチア・ジューリアの料理”の解説は、「総合解説」2011年7月号に載っています。

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バッカラはノルウェーとイタリアを結ぶ干物貿易の主役で、この航路は1450年作成の世界地図にも記載されるほど重要でした。

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