『ラ・クーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。
イタリア料理の世界では、ガエータと言えばオリーブですが、実は、ここは漁師町です。
しかも、記事によると、ガエータに昔からあるオリーブの樹は1本しかないんだって。
ガエータのオリーブのレモンタイムとオレンジ風味
紫色で、主に塩水漬けにします。
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いいサスペンスドラマが撮れそうでんなあ。
ナポリから80㎞、ローマから120㎞の、海に突き出した半島の上の都市、という戦略的ポイントと、守りが硬い地形のせいで、歴史上、あちこちから狙われました。
現在も軍港で、アメリカ軍がいます。
この地理的条件のおかげで、この町の歴史は、ちょっと複雑です。
ローマの力が強い時は、その七光りで栄えました。
ローマが没落すると、度々侵略を受けたせいで、町はますます守りを硬くして要塞化していきます。
一時は海洋共和国として自治も手にしましたが、結局はナポリも支配するシチリア王の支配下に落ち着きます。
この時代、国は栄えて、名物だったオリーブは広く輸出され、ガエータのオリーブの名前が各地に知れ渡りました。
ところが、ローマで教皇の力が増すと、教会とシチリア王国のはざまで、あっちについたり、こっちについたりと、胃が痛くなるような日々が始まります。
1734年、ガエータはブルボン家のナポリ王国のカルロ3世に攻め込まれて陥落します。
1848年には、イタリア統一運動下の政情不安から、教皇がブルボン家に助けを求めてローマから逃げてきます。
ガエータは、ブルボン家の最後の砦になっていました。
1861年11月、今度は、シチリア王国の最後の王様、ブルボン家のフランチェスコ2世がガエータに逃げてきます。
イタリア統一のまさにクライマックスです。
サルデーニャ軍とガリバルディ軍に追い詰められて、シチリア王国は必死の抵抗を試みました。
歴史上、“ガエータの包囲”と呼ばれるものです。
籠城戦ですね。
籠城は1861年2月まで続きました。
降伏と同時に、両シチリア王国は消滅です。
ガエータは、一つの王国の終焉の地となったのでした。
2011年2月15日に行われたガエータ包囲の再現。
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この包囲戦のことは詳細に伝わっているようです。
籠城中の1860年のクリスマス、ガエータには雪が降りました。
寒い冬だったんです。
この冬を生き延びるために、ガエータのオリーブの樹は、全部切り倒されたんだそうです。
ところが、ガエータ包囲の後、オリーブは収穫するまでに何年もかかるので、もっとすぐに利益の出る木に植え替えられてしまいました。
ガエータのオリーブの話は、以前、取り上げたことがあります。
こちらです。
そもそも、ガエータのオリーブは、イトラーナ・オリーブと呼ばれているように、ガエータの隣のイートリで栽培されています。
で、記事によると、ガエータで、ただ1本だけ生き残ったオリーブの樹があるというじゃないですか。
ちょっとうさんくさいけど、次回はその話。
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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2011年7月号、“ガエータ”の記事は「総合解説」2011年7月号に載っています。
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