2011年9月1日木曜日

モンズー

パレルモ料理の話、続けます。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の解説です。

シチリアやパレルモの料理を語る時に忘れてはならないのが、“モンズー”。

モンズーmonsùとは、フランス語の“ムッシュmonsieur”の南イタリアなまり。
18世紀から20世紀初めにかけて、シチリアの貴族たちが、料理に箔をつけるためにフランスから呼び寄せた宮廷料理人がルーツです。

当時のシチリアは、主にスペイン=ブルボン家に支配されていた時代で、宮廷料理の主流は絶対的にフランス料理でした。
パレルモの貴族の館で、モンズーのいない家はなかったのだそうです。

でも、シチリアの面白いところはここからです。
貴族たちは公式の席ではフランス料理を食べていましたが、それはかなりお上品なものだったため、普段は地元の食材を使った、もっとシチリア的ながっつりした料理をモンズーに作らせていました。
そうして生まれたのが、シチリアの貴族料理です。

いうなれば、フランス料理の地中海化。
バターとオリーブオイル、ベシャメルとトマトソースが共存し、ギリシャ、北アフリカ、アラブ、スペインの食文化も溶け込んでいました。

その代表格が“ティンバッロtimballo”。

モンズーのティンバッロと言えば、小説と映画で知られる『山猫』に登場するティンバッロ・ディ・マッケローニtimballo di maccheroni。

こちらはヴィスコンティ監督の映画の『山猫』。
ドンナフガータの館の晩餐でティンバッロが登場するシーンは、0:59:43から。


この他、フェデリコ・デ・ロベルトの『副王たち』という小説にもモンズーの料理が登場します。
こちらは『副王家の一族』という映画になりました。

↓予告編







やがてモンズーは世襲になり、貴族の家の料理長、という存在になっていきました。
ポイントは、金持ちの家の料理人ではなく、貴族の家の料理人、ということ。
シチリアの食文化の継承者として、尊敬される存在でもあったわけです。

こちらは、元モンズーのフランチェスコ・パオロ・カッシーノ氏の没後に、町の通りに彼の名前がつけられたことを報じる記事。



モンズーが生み出した料理は、見習い料理人などを通して徐々に市民階級にも広まっていきました。
そこでまた、シチリアならではの化学反応が起こります。

貴族ほどお金はないけれど、貴族のようなものが食べたい。
そんな市民の願いと想像力が結びついて誕生したのが、“見せかけの料理”、いわゆるなんちゃって料理です。

次回はその話。


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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2008年3月号
モンズーを含む“パレルモ”の記事の解説は、「総合解説」'08&'09年3月号に載っています。

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2 件のコメント:

パスタ さんのコメント...

こんにちわ♪(´ε` )
とても魅力的な記事でした。
また遊びにきます。
ありがとうございます!!

prezzemolo さんのコメント...

パスタさん
コメントありがとうございます!
すごく励みになります。
またお気軽にお越しくださ~い。

ジェラートはパンとの相性も良いデセール。シチリアとナポリの人のジェラートの食べ方は、ほんとに自由。

今日は、(CIR)7月号のリチェッタから、ジェラートの話(P.12)。 リチェッタのテーマは、シンプルにコーンやカップに入れるジェラートではなく、クロスタータやボンボローニ、はてはフォカッチャにのせるジェラート。 ジェラートのデセールの最高峰はトルタ・ジェラート。 パン・ジェラー...