2010年9月9日木曜日

イタリア料理の歴史、その3

『L'ITALIANO È SERVITO!』を元に、イタリア料理の歴史を知るシリーズ、前回はイタリアが都市に分裂して発展していった所まででした。
イタリアが輝いていた時代、いわゆるルネサンスですね。

この時代、都市は権力を握った一族によって支配されています。
それらの一族の名前は、料理の分野でもよく登場します。
本に登場したサヴォイア、スフォルツァ、ヴィスコンティ、エステ、ゴンザーガ、メディチは、料理の世界でもよく登場するので、覚えておいて損はありません。

中世のイタリアの町は、どこも壁でがっちりと囲まれていて、町に出入りできる場所は門だけ。
言ってみれば、ちょっとした鎖国状態です。
鎖国時の日本で独特の文化が開花したように、壁で囲まれたイタリアの町の中でも、独特の風習や伝統がはぐくまれていきました。
こうして、様々な個性を持ったイタリア地方料理が誕生します。

ルネサンス後、イタリア料理の歴史はどうなっていったのでしょうか。
それでは、本の続きをどうぞ。



地方

1861年、イタリア王国が誕生します(まだヴェネチアとイタリア北東部は含まれていません)。
トスカーナとローマを除けば、イタリア語を話すのは、人口のわずか2.5%。
各地方には、自分たちの方言、歴史、芸術様式、伝統、そして料理がありました。

現在のイタリアでは、みんなが同じ言葉を話しています。
誰もがサッカーのイタリア代表やフェラーリに熱狂します。
でも、エミリア人に「フィレンツェでもトルテッリーニは美味しい」とか、ナポリ人に「ミラノでもピッツァは美味しい」とは言わないでください。
イタリア人は、今でも伝統料理にこだわりがあるのです。
スーパーやパン屋に並んだパンの名前を見ても、それはよく分かります。
パーネ・ディ・アルタムーラ(プーリアの町)、パーネ・フェッラレーゼ、パニョッティーネ・マントヴァーネ、パーネ・トスカーノ、パーネ・カラザウ・デッラ・サルデーニャ・・・、といった具合なのです。


イタリア料理は存在する?

答えはノーであり、イエスです。
イタリア全国に共通のイタリア料理は存在しません。
もし、パレルモのレストランで、ローマやトリノのレストランと同じ料理が出てきたら、イタリア人は死んでしまいます。
イタリア人は、イタリア料理は望んでいないのです。
イタリア人が望むのは、「彼らの」料理、つまり彼らの町の料理であり、彼らの地方の料理なのです。

でも、イタリア料理は存在します。
イタリア人も、カンパーニアのバッティパーリアに行けば水牛のモッツァレッラを買い、バーリに行けば“チーメ・ディ・ラパのオレッキエッテ”を注文し、ボローニャでは“トルテッリーニ”、サルデーニャでは“ポルチェッドゥ”(炭火で焼いた乳飲み子豚)を注文するのです。





イタリア料理の歴史の話は、ここでひとまず終わっています。

「イタリア料理とは、地方料理の総合体である」という結論ですね。

どの料理も、たどっていけば、必ずどこかの町や地方に行きつく、それがイタリア料理だ、という訳です。


本では、この後、各地の食材名の違いについて説明しています。


“ブランジーノbranzino”(スズキ)は、イタリアの沿岸部ではよく知られた美味しい魚です。
でも、サルデーニャやナポリでは、メニューにブランジーノという名前は見かけません。
実は、ティレニア海沿岸では、スズキは“スピーゴラspigola”と呼ばれているのです。
他にも、ヴェネチアではシャコ(チカーレ・ディ・マーレcicale di mare)は“カノーチェcanocie”、または共通語化して“カノッキエcanocchie”、小ダコ(polpetti)は“フォルペーティfolpeti”、といった具合です。

これは観光客にとってはかなり厄介なことですが、やはりイタリア人にとっても厄介です。

イタリアには、何世紀にも渡るモザイクのような歴史があります。
港ごと、町ごと、地域ごとに方言があって、料理や食材についても、方言で語ってきたのです。
また、イタリア人は地元の伝統料理に執着する傾向があります。
こだわりは、食材や調理方法だけでなく、名前にも及んでいます。





このように、この本では、ジョークを交えながら、比較的分かりやすいイタリア語で、イタリア料理が語られていきます。

次の章は、「水とワイン、オイルとビネガー、塩とこしょう」。
そして「パン」、「サルーミの前菜」、「魚の前菜」と続いていきます。
どの章もなかなか面白い内容なので、おいおいご紹介していく予定です。



『L'ITALIANO È SERVITO!』
著者/Maria Voltolina
出版社/Guerra Edizioni
価格/3,500円(税込・送料込)


近々販売予定です。
クレアパッソで予約受付中。
お問い合わせは、info@creapasso.comまでどうぞ。



-------------------------------------------------------

[creapasso.comへ戻る]

=====================================

4 件のコメント:

vittorio さんのコメント...

そういう歴史があったんですね、細かく記して凄いです、人間イタリア全集と言う感じです。

スズキの呼び方の違いは実感してました。

フランスでもループドゥメール(大西洋側)とバール(地中海)に多分分けれていたような気がします。

私も自分達の地方の料理を誇りに思っていると思います、他の地方の料理のことは私もいえませんでした。

ゴウにいればゴウに従えと言う感じでした。

でも一人のシェフが『君はウ゛ェネトだなぁ』と言われたことがありました、言葉がなまっていたみたいです。

はじめて気がつきました(笑)、

シチリアの人同士の会話、一般のイタリア人にはわからないそうです。

prezzemolo さんのコメント...

vittorioさん
イタリア料理の背景になった歴史、知ってみると、なるほどねえ、と思いますよね。

確かに、イタリアの料理人さんは、インターナショナル料理より、地方料理のエキスパートというイメージです。

vittorioさんのイタリア語、ひょっとしたら今でもヴェネトなまりじゃないですか~。
私はフィレンツェの学校に通っていた時、下宿先でいつもスイス人たちと一緒だったので、当時は見事にスイスなまりのイタリア語を話してました。
自分でもスイスなまりだって分かるくらい変なイタリア語だったなあ。

vittorio さんのコメント...

スイスなまりってなんかカッコイイです。

私は生まれは東京なんですが茨城の山奥で育ちましたので、ウ゛ェネトなまりって茨城弁に似ているなぁ~と勝手に思ちゃいました(笑)

ガギグゲゴって感じでした、今はしゃべれないんですが、なまってもいいから感覚を取り戻したいなぁ~と思います。

このあいだイタリア人のお客様が来られて通じたのは嬉しかったです、とっさにしゃべって来られたのでビックリしました、おっしゃるようにウ゛ェネトでしょうと言われましたけど(笑)

パスタ・シュッタってロングパスタのことですよね?イタリアにいた時はそう解釈していました。

懐かしく思ってprezzemoloさんのウ゛ェネトの項目を拝見させて頂きました、歴史、文化、料理、もう料理人の知識の範囲ではありません、
生まれた時からその土地にすんでいたイタリア人専門家と同じだと思うんです。

素晴らしい~。

prezzemolo さんのコメント...

vittorioさん

やっぱり今でもヴェネトなまりでしたか。
イタリア人には分かっちゃうんですね。

スイスなまり、カッコイイですか。
実際には、スイスなまりのイタリア語って、東北弁に似てます。

パスタシュッタはソースをかけて食べるパスタ全般のことですね。
スープに入れるパスタpasta in brodoと区別する言い方です。
スープに入れるパスタはショートパスタが多いから、そういう意味では、パスタシュッタはロングパスタが多いと言えますね。

ヴェネトは独特の歴史があって、大変でも、調べてみるとなかなか面白いんです。
vittorioさんの影響もあってヴェネチアにも行きたいんで、つい力が入ります(笑)

ジェラートはパンとの相性も良いデセール。シチリアとナポリの人のジェラートの食べ方は、ほんとに自由。

今日は、(CIR)7月号のリチェッタから、ジェラートの話(P.12)。 リチェッタのテーマは、シンプルにコーンやカップに入れるジェラートではなく、クロスタータやボンボローニ、はてはフォカッチャにのせるジェラート。 ジェラートのデセールの最高峰はトルタ・ジェラート。 パン・ジェラー...