2011年8月25日木曜日

アランチーニとスップリ

アランチーニの話、続けます。

アランチーニはカターニアが元祖、という説の強力な旗頭、ピーノ・コッレンティ氏。
前回は、彼の本、『イル・ディアマンテ・デッラ・グランデ・クチーナ・ディ・シチリア』から、アランチーニがカターニアでどうやって誕生し、どうやって広まっていったかについて、彼の説を紹介しました。

今回はその続きです。

アランチーニは、カターニアのロスティッチェリーア(惣菜店)からナポリやローマに伝わった、というのが彼の説です。

ご存知の通り、ローマではアランチーニは“スップリ・アル・テレーフォノsppulì sl telefono”と呼ばれていますよね。

俵型で、ライスはトマト入りなので赤く、モッツァレッラなどのとろけるチーズが入っているのがローマのスップリの特徴。
シチリアのものとは微妙に違います。

糸を引くモッツァレッラが電話線のように見えるので“アル・テレーフォノ”と呼ばれる、というのは有名な話。

では、“スップリ”の方は?

そのあたりを、「スップリのルーツはカターニア生まれのアランチーニ」と信じているコッレンティ氏が説明すると、こういう話になります。



バチカンに駐留することになったあるフランス人枢機卿が、パリからお抱え料理人を連れてきた。
この料理人には、若いイタリア人の助手がいた。
彼はカターニア出身で、元々はロスティッチェリーアで働いていた。

ローマの貴族階級の館に初めて電話が通じたばかりのある日、彼は、フランス人のシェフのためにアランチーニを作った。
すると、鍋でこんがり揚がったアランチーニを見たシェフが、「Surprise... Surprise!(シュルプリーズ)」と叫んだ。

この場合の“surprise”は、フランス料理のスラング(業界用語?)で“きつね色の揚げ物”、という意味で、「ビックリ」という意味ではない。

カターニア人の助手には、シェフの言葉が“スップリ、スップリ”と聞こえた。
からかい半分でこの話を料理人仲間にしたところ、あっという間にローマの料理人の間に、スップリ・アル・テレーフォノという名前が広まったのだった。



この説だと、ローマのスップリは、元々はカターニア人が作ったアランチーニで、しかも名前をつけたのもカターニア人、ということになりますね。
アランチーニにかけるカターニア人の自信とプライドには、敬意すら感じます。

世間的には、スップリ=ビックリ説のほうが有名ですが、どちらも胡散臭いと言えば胡散臭い。



↓スップリのリチェッタ、Part1





↓Part2






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肉とアンチョビとバターが北の組み合わせなら、南はアンチョビとモッツァレラ。

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