今日は、ジョヴァンニ・ダ・ピアン・デル・カルピーネの話。
『サーレ&ぺぺ』の記事、“リグーリア風ポルチーニのラザニェッテ”の解説です。
まず、ジョヴァンニ・ダ・ピアン・デル・カルピーネ Giovanni da Pian del Carpine って、誰?
『サーレ&ペペ』の記事によると、イタリア料理の歴史上、重要な人物。
でも、聞いたことない名前だなあ。
で、調べてみたら、なんと、モンゴル帝国の宮廷に入った最初のヨーロッパ人なんだそうです。
彼は、12世紀末にペルージャの近くのマジョーネという町で生まれて、フランシスコ会の修道士になりました。
1245年に、ローマ教皇の命でモンゴルに赴きす。
その目的は、表向きは、モンゴルとの同盟の道を探って、聖地解放のためのトルコとの戦いを優位にすること。
でも本音は、モンゴルによるキリスト教徒の殺戮を止めさせて、罪を悔い改めさせようというもの。
当時のモンゴル帝国は、チンギス・ハーンの孫の、第三代皇帝グユク・ハーンが治めていました。
マルコ・ポーロの『東方見聞録』によれば、マルコ・ポーロが中国に行ったのは、1271年の元の時代のこと。
その時の元の皇帝は、第五代モンゴル皇帝のフビライ・カーン。
ジョヴァンニ・ダ・ピアン・デル・カルピーネの方が26年早かったわけです。
当時のヨーロッパは、チンギス・ハーンたちから攻め込まれて、戦々恐々としていました。
ジョヴァンニ神父の使命には、モンゴルの力を観察することも含まれていたようで、モンゴル滞在中は詳細に国を観察しています。
そして帰国後、『モンゴルの歴史』という本を書きました。
この本によってヨーロッパ人は、モンゴルの軍事力に対する認識が甘かったことを知らされます。
ジョヴァンニ神父は、軍事的なことだけでなく、人々の生活の様子も観察しました。
そして彼が伝えたものの中に、“麺”があったという訳です。
神父は1247年にイタリアに戻り、その5年後の1252年にモンテネグロで亡くなりました。
イタリアのパスタの歴史に、実際に彼がどれだけ貢献しているのかは謎ですが、少なくとも、マルコ・ポーロより先にオリエントの麺に出会った、ということは認められているようですね。
モンゴルの台所
↓
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モンゴルの麺料理
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関連誌;『サーレ&ペペ』2006年9月号(クレアパッソで販売中)
“リグーリア風ポルチーニのラザニェッテ”の解説は、「総合解説」'06&'07年9月号、P.4に載っています。
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