『ヴィエ・デル・グスト』の、「ピエモンテの日曜のプランゾ」という記事の中に、こんな一説がありました。
プリーモ・ピアットという呼び方は、1970年代以降に広まった。 それ以前は、主に“ミネストラ”と呼んでいて、ミネストラ・アッシュッタと、ミネストラ・イン・ブロードに分かれていた。 |
この記事によると、第二次大戦後から1970年代まで、ピエモンテでは、普段の食事は一皿だけで、肉とドルチェを食べるのは日曜だけ、という食生活が一般的だったそうです。
もしプリーモ・ピアットだけの食事だったのなら、確かに、「最初の皿」という呼び方は変。
イタリアで最初に、地方料理をイタリア料理という概念で一つにまとめた本、ペッレグリーノ・アルトゥージの『La scienza in cucina e l'arte di mangiare bene』(1891)でも確かに、「プリーモ・ピアット」という分類はなく、代わりに「ミネストラ」という章があって、“ミネストラ・イン・ブロード”と“ミネストラ・アッシュッタ”に分かれています。
そして章の序文は
「かつてはミネストラこそが人間の糧と言われたものだが、近頃の医者は、ミネストラでお腹を一杯にせずに、肉類も食べるように、と言う」
という話で始まっています。
それにしても、「ミネストラ・アッシュッタminestra asciutta」とは、よく考えてみると、不思議なネーミングだと思いませんか。
ミネストラといえば、普通、スープのことですよね。
でも、アッシュッタとは、「乾いた」という意味。
「乾いたスープ」?
こちらのwebページには、アルトゥージが分類した“ミネストラ・イン・ブロード”と、“ミネストラ・アッシュッタ”の一覧があります。
これを見ると、ミネストラ・アッシュッタの中に、スパゲッティやリゾットがありますねえ。
大雑把に分けると、アッシュッタはフォークで食べて、イン・ブロードはスプーンで食べる料理です。
さらにアルトゥージは、ミネストラはでんぷん質、とも言っています。
つまり、さらっとした野菜スープのようなものと言うよりは、パスタや豆が主役の、腹もちのよい料理だったわけですね。
つまり、ミネストラとは、単なるスープではなく、パスタやスープなど、現在で言うプリーモ・ピアット全般のことだった、と考えれば理解できます。
1970年代以降食生活が豊かになって、ミネストラの後に肉や魚料理を食べるようになったことによって、プリーモ・ピアット、セコンド・ピアットと呼ぶ習慣が定着した訳ですね。
プリーモ・ピアットという呼び方が広まってから、まだ50年も経っていないんですねえ。
ちなみに、ミネストラminestraの語源は、ミネストラーレminestrareという動詞です。
これには、「取り分ける、サーブする」という意味があります。
食事の最初に、家長が、料理の入った鍋から一人一人に料理をよそう習慣があったことから生まれた言葉なんだそうです。
↓アルトゥージが“ミネストラ・イン・ブロード”に分類した料理、ロマーニャ風カッペッレッティCappelletti all'uso di Romagna。
↓今年はアルトゥージの没後100年にあたるので、イベントも行われたようです。
下の動画はアルトゥージの功績をまとめたもの(英語の字幕付き)。
内容は、以前このプログで紹介したこととほぼ同じです(こちら)。
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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2009年1月号
“ピエモンテの日曜のプランゾ”の解説は、「総合解説」'08&'09年1月号に載っています。
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