2022年2月1日火曜日

世界中からローマにやってきた多国籍なスタッフたちは家族と語るロッショーリ自身もマルケの羊飼いの村からやってきた。

今日のお題は“ローマのプランゾ”です。
ローマ料理のど定番だらけのラインナップになってますが、ローマで一度は食べてみたいローマ料理ってかなりあって、ローマ料理の知名度の高さに改めて驚いています。
パスタは、カルボナーラをあえて外してのグリーチャでしたが、セコンドは、やっぱりサルティンボッカですよね。
ドルチェのリコッタのクロスタータも納得。
このほかに、スップリ、エイヒレのミネストラ、ニョッキ・アッラ・ロマーナ、コーダ・アッラ・バッチナーラ、バイヤータ、アッバッキオ、プンタレッレ、カルチョーフィのローマ風にユダヤ風、ピッツァ・ロッサ、マリトッツィなどなど。

ローマの話だと必ず登場するロッショーリの名物は、オーブンから生み出されるパンやピッツァ。カルボナーラを味見するのもいいけど、ピッツァ・ロッサも忘れずに。
ロッショーリはローマの有名パン屋なので世界中からお客やスタッフがやってくる。『ロッショーリ

の序文を書いているマッシモ・ボットゥーラは、ロッショーリは家族、と語る。ロッショーリの経営者マルコ・ロッショーリは10歳の時にマルケの小さな村からローマにやってきた。実家では山羊を42頭飼っていて、子供のころは、羊飼いになりたくないと泣きながら家に帰ったそうです。そしてローマに行く、と決心したのでした。でも、ローマでの暮らしは楽ではなく、ベッドがないので毎晩かまどの前の小麦粉の袋の上で寝たそうです。
マルコは、こうしてローマでパンを焼きながら成長し、戦争に行き、大都会でリッチになることを夢見ていました。実家への最初の送金は500リラでした。
マルコは戦時中、空軍に入り、バーリやナポリに派遣され、大統領専用機に同乗する機会もありました。こうして収入もどんどん増えていき、ポルシェも買いました。
そして戦争が終わります。ローマにはイタリア中から夢を持てやってきた若い職人たちがあふれていました・・・。
・・・何気なく読み始めたら面白くて止まらなくなりました。
世界中からローマにやってくる人たちの中でも大成功したのはほんの一握りなのでしょう。そんな人の人生が面白くないはずがない。


この商魂の逞しさの陰には、こんな人生があったのか・・・。



そしてロッショーリのピッツァ・ロッサはローマ名物にまでなりました。


0 件のコメント:

カムット小麦はある米兵がエジプトの遺跡で見つけてモンタナに送った小麦。アメリカで商標登録されて権利と品質を独占する会社が作られたという、超アメリカ的な自称古代小麦。

小麦の話になると、大体最後のほうに登場するのがカムット小麦。 古代から存在する品種で硬質小麦本来の味をしているのに、パスタの分野では最新の食材という面白い存在です。 カムット小麦 硬質小麦の祖先と言われる小麦ですが、アメリカの存在が強すぎて、イタリアではなかなかメジャーになれない...