今日はカムット小麦の話。
『ヴィエ・デル・グスト』の解説です。
カムット小麦
って最近に耳にするようになった名前ですよね。
イタリアの料理雑誌にも数年前あたりからカムット小麦のパスタなどが登場しています。
古代小麦として知られるこの小麦。
古代小麦って、いったい何?と思ってましたが、この記事を読んでその由来を知ってビックリ。
それは、第二次大戦直後のこと、エジプトの遺跡の墓で小麦を見つけたあるアメリカ兵が勝手に故郷に持ち帰ったものだったとは。
それを知り合いの農家にあげたところ、その父親が育てて小麦を実らせました。
でもその時はすぐに忘れ去られてしまいまいた。
それを先見の明がある農学者が見つけて商標登録して会社を造り、種子を選別して広く栽培した結果、世界中に知られるブランド小麦となったというのです。
これはあくまでも、いくつかある伝説の一つです。
商売としてみれば、これはある種の一攫千金と言うか、サクセスストーリー。
でも、そもそものスタートが、ちょっとどうなの、ていう感じ?
この他にも、wikiによると、ノアが箱舟で食べていたとか、エジプトに侵略した敵が持ち込んだとか、夢のある話がいろいろあるようです。
こちらのサイトでは現実にありそうな行きさつが語られています。
それによると、ある空軍のパイロットがエジプトの墓から持って帰ったんだそうです。
一種の墓荒しですよね。
きっと、呪いなんか信じない人だっんでしょうね。
でも、それを育てた人は、もっとストレートに、エジプトの墓にあった小麦だから、ツタンカーメン王の小麦という名前を付けて品評会に出したのだそうです。
さすがに、この名前だと怖いかも。
1977年にの小麦を再発見した学者さん(ボブ・クイン氏)は、今度は古代エジプト語で小麦と言う意味のkamut(英語ではカムートと言います)と名付けました。
小麦の原産地は、肥沃な三日月地帯と考えられています。
エジプトもその一部です。
ということは、この小麦は人類が初めて栽培した小麦にとても近いかもしれません。
そこでこの小麦はデュラム小麦の祖先だと言われている訳です。
ただし、異論もあって、そう証明されているわけでないようです。
歴史がどうであれ、この小麦の栄養や特性は大いに注目されています。
もちろん、ずっと遺跡の中にあったのですから、その間、人の手による品種改良は一切行われていませんよね。
これはかなり特殊なことです。
たとえば、スーパーに並んでいる野菜は、“見た目がおいしそうなもの”が売れるから、作り手も外見が美味しそうな野菜の種を残して、その野菜の遺伝子が受け継がれます。
小麦だったら、たとえば、パスタにすると美味しい小麦とか、栽培しやすい、などの理由で選別された突然変異種だけが、数世紀に渡る取捨選択を生き残ってきました。
そういう分別が、まったく行われていないとは、貴重です。
具体的には、カムット小麦は、一般的な小麦の粒と比べて2~3倍大きさで、栄養価が高く、タンパク質は20~40%多く、 脂質、アミノ酸、ビタミン、ミネラルも多いんだそうです。
バターのようなコクのある味で、消化もしやすい。
これらは人工的に大幅に手を加えて味や栄養を犠牲にしているいる現代の小麦にはない特徴なんだそうです。
栽培に肥料や化学物質も必要ありません。
小麦アレルギーの人でも食べることができるんだとか。
カムット小麦は商品名ですが、公式名称はqk-77とかKhorasan wheatと呼ばれます。
まだまだ謎が多そうな小麦ですが、なぜかイタリアでは人気のようですね。
↓カムット小麦と関連製品に関する権利を独占して持つカムート・インターナショナル社のPV。
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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』“カムット小麦”の記事は「総合解説」2011年3月号に載っています。
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2012年4月30日月曜日
2012年4月26日木曜日
ビアンコマンジャーレ
今日はビアンコマンジャーレの話。
このドルチェは、フランス語のブランマンジェという名前のほうが有名ですよね。
フランス語のブランマンジェを単純にイタリア語にすればビアンコ・マンシャーレになりますが、ブランマンジェはとても複雑な背景を持つ食べ物。
イタリアでは、北から南まで各地で作られていますが、特に、モーディカやラグーザなどアーモンドの産地でもあるシチリア東部の食文化に根付きました。
さらにサルデーニャのスペイン語圏では。マンハル・ブランコと呼ばれます。
こちらのサイトによると、ビアンコマンジャーレは中世のヨーロッパ各国に広まったのだそうです。当時、白い料理はとても人気があったようですね。
たとえばイタリアでは、今でもブランマンジェを四旬節に食べる伝統が残っています。
四旬節とは、キリストが復活する前の準備期間のことです。
白い色の料理は様々なものを浄化するお清めの意味がありそうで、この時期にはぴったりと受け止められていたんですね。
さらに、紀元2世紀のエジプトの書物には、お腹の病や腹痛を治す効果があると書かれているそうです。
イタリアではさらに、カノッサの屈辱という歴史的な出来事(1077年)の際にカノッサがローマ教皇と神聖ローマ皇帝のために作った料理の一つとしても知られているようです。
このように、ビアンコマンジャーレは、どの地方に伝わったかによって、歴史や存在意義そのものがかなり変わってくる食べ物のようですね。
と言うわけで、今回はシチリアのビアンコマンジャーレの話をします。
同じような白い食べ物、パンナ・コッタと違ってビアンコマンジャーレの主役はアーモンド。
アーモンドにはスイートとビターの2種類がありますが、ビターアーモンドには猛毒の青酸化合物が多く含まれているので、間違えたら大変なことに。
ビアンコマンジャーレ殺人事件なんてことになりかねません。
最初にビアンコマンジャーレを作った人は、大丈夫だったんでしょうか。
やっぱりアラブの錬金術師だったに違いない。
中世の伝統を受け継ぐビアンコマンジャーレ作り
シチリアを代表するアーモンドの産地、ノート。
この町の有名パスティッチェリーア・カフェ・シチリアのビアンコマンジャーレのリチェッタをどうぞ。
“オステリーエ・ディ・イタリア”シリーズの『ドルチ』から。
ビアンコマンジャーレ
Biancomangiare di mandorle di Noto/by Caffè Sicilia, Noto
上の動画の作り方はかつてシチリアの家庭で一般的だったもの。
この場合はアーモンドを大理石の乳鉢゛すりつぶしてアーモンドミルクを取り、レモンの皮を加えて煮詰める。皮を取り除いてからシチリアのドルチェに使われる典型的なカルタジローネのテラコッタの器に入れて固める。
右側がカフェ・シチリアのビアンコマンジャーレ。
左側もこの店のスペチャリタ、グラニータ。
↓カルタジローネのテラコッタ
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ビアンコマンジャーレのリチェッタを含む;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』“イタリア統一150周年”の記事は「総合解説」2011年3月号に載っています。
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このドルチェは、フランス語のブランマンジェという名前のほうが有名ですよね。
フランス語のブランマンジェを単純にイタリア語にすればビアンコ・マンシャーレになりますが、ブランマンジェはとても複雑な背景を持つ食べ物。
イタリアでは、北から南まで各地で作られていますが、特に、モーディカやラグーザなどアーモンドの産地でもあるシチリア東部の食文化に根付きました。
さらにサルデーニャのスペイン語圏では。マンハル・ブランコと呼ばれます。
こちらのサイトによると、ビアンコマンジャーレは中世のヨーロッパ各国に広まったのだそうです。当時、白い料理はとても人気があったようですね。
たとえばイタリアでは、今でもブランマンジェを四旬節に食べる伝統が残っています。
四旬節とは、キリストが復活する前の準備期間のことです。
白い色の料理は様々なものを浄化するお清めの意味がありそうで、この時期にはぴったりと受け止められていたんですね。
さらに、紀元2世紀のエジプトの書物には、お腹の病や腹痛を治す効果があると書かれているそうです。
イタリアではさらに、カノッサの屈辱という歴史的な出来事(1077年)の際にカノッサがローマ教皇と神聖ローマ皇帝のために作った料理の一つとしても知られているようです。
このように、ビアンコマンジャーレは、どの地方に伝わったかによって、歴史や存在意義そのものがかなり変わってくる食べ物のようですね。
と言うわけで、今回はシチリアのビアンコマンジャーレの話をします。
同じような白い食べ物、パンナ・コッタと違ってビアンコマンジャーレの主役はアーモンド。
アーモンドにはスイートとビターの2種類がありますが、ビターアーモンドには猛毒の青酸化合物が多く含まれているので、間違えたら大変なことに。
ビアンコマンジャーレ殺人事件なんてことになりかねません。
最初にビアンコマンジャーレを作った人は、大丈夫だったんでしょうか。
やっぱりアラブの錬金術師だったに違いない。
中世の伝統を受け継ぐビアンコマンジャーレ作り
シチリアを代表するアーモンドの産地、ノート。
この町の有名パスティッチェリーア・カフェ・シチリアのビアンコマンジャーレのリチェッタをどうぞ。
“オステリーエ・ディ・イタリア”シリーズの『ドルチ』から。
ビアンコマンジャーレ
Biancomangiare di mandorle di Noto/by Caffè Sicilia, Noto
材料:4~6人分 ノートのアーモンド・・150g 小麦グルテン・・30~35g グラニュー糖・・50g |
・アーモンド125gを細かく刻む。 ・水3カップを温め、砂糖とグルテンを加えて溶かす。ここに刻んだアーモンドを浸して押しながらふやかす。 ・これを火にかけ沸騰させ、型に流し入れて冷蔵庫で固める。 ・皿に開けてアーモンドの小片で飾る。 |
上の動画の作り方はかつてシチリアの家庭で一般的だったもの。
この場合はアーモンドを大理石の乳鉢゛すりつぶしてアーモンドミルクを取り、レモンの皮を加えて煮詰める。皮を取り除いてからシチリアのドルチェに使われる典型的なカルタジローネのテラコッタの器に入れて固める。
右側がカフェ・シチリアのビアンコマンジャーレ。
左側もこの店のスペチャリタ、グラニータ。
↓カルタジローネのテラコッタ
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ビアンコマンジャーレのリチェッタを含む;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』“イタリア統一150周年”の記事は「総合解説」2011年3月号に載っています。
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2012年4月23日月曜日
サヴォイアルディのリチェッタ
今日はサヴォイアルディのレシピ。
卵白を泡立てる以外に特別なことは何もない、シンプルなビスコッティです。
クリームやソースをよく吸い込むので、ティラミス以外にも、ホットチョコレートやズッパ・イングレーゼ、シャルロット、スプーンで食べるドルチェ全般によく使われます。
スポンジ生地より簡単に手軽に作ることができます。
アルケルメスの魅力的な赤い色が特徴のロマーニャ地方のドルチェ、ズッパ・イングレーゼはティラミスの大人向け版。
いちごのシャルロット
ナポリのカーニバルには、チョコレートクリームのサングイナッチョにサヴォイアルディやカーニバルの定番菓子キャッキエレを添えて食べます。
この写真で添えているのははサヴォイアルディではなく、フレンチツイストという市販のビスケットだそうです。
フランスでは、サヴォイアルディはサヴォワ県にあるイエンヌという町の名物でもあります。
↓元パスティッチェーレのサヴォイアルディ
リチェッタは人によってかなり違います。
卵白を泡立てて最後に加えれは゛もっと軽くなります。
こちらによると、シチリアやサルデーニャのサヴォイアルディはクリームやワインに浸すことに特化されているために卵を加えずに一段と固く焼き上げるのだそうです。
この動画の配合は
砂糖175g
小麦粉100g
バニラシュガー
片栗粉100g
卵3個
卵黄1個
ナポリの有名パスティッチェーレ、サルヴァトーレ・デ・リーゾ氏のサヴォイアルディは(彼の本はこちら)多くの人が作って成果を公開しています。
その一人がこちら
この配合の半分で30枚分。
砂糖200g
卵黄6個
卵白6個
レモンの皮のすりおろし
レモン汁
塩ひとつまみ
小麦粉130g
片栗粉60g
バニラ風味の粉糖
・砂糖100Ggと卵白6個(約180g)、レモン汁少々を堅くホイップします。
・卵黄6個、砂糖100g、塩、パバニラシュガー、レモン汁少々とレモンの皮を白くなるまでホイップします。
・卵白を加えてさっくり混ぜます。
・生地を直径1.5cmの゜口金をつけた絞り袋に入れます。
・オーブンシートを敷いた天板に長さ約10cmに絞り出します。
・粉糖を振りかけます。5分おいて再び散らします。
・160度のオーブンで20分焼きます。オーブンの下段に入れると底に焼き色がつきます。
このサイト主は膨らまなくて悪戦苦闘しているようです。
でも、めげずに何度も挑戦して、結果を公開してアドバイスを求めていますねえ。
根性ある!
次回はビアンコマンジャーレの話です。
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サヴォイアルディのリチェッタを含む;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』“イタリア統一150周年”の記事は「総合解説」2011年3月号に載っています。
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卵白を泡立てる以外に特別なことは何もない、シンプルなビスコッティです。
クリームやソースをよく吸い込むので、ティラミス以外にも、ホットチョコレートやズッパ・イングレーゼ、シャルロット、スプーンで食べるドルチェ全般によく使われます。
スポンジ生地より簡単に手軽に作ることができます。
アルケルメスの魅力的な赤い色が特徴のロマーニャ地方のドルチェ、ズッパ・イングレーゼはティラミスの大人向け版。
いちごのシャルロット
ナポリのカーニバルには、チョコレートクリームのサングイナッチョにサヴォイアルディやカーニバルの定番菓子キャッキエレを添えて食べます。
この写真で添えているのははサヴォイアルディではなく、フレンチツイストという市販のビスケットだそうです。
フランスでは、サヴォイアルディはサヴォワ県にあるイエンヌという町の名物でもあります。
↓元パスティッチェーレのサヴォイアルディ
リチェッタは人によってかなり違います。
卵白を泡立てて最後に加えれは゛もっと軽くなります。
こちらによると、シチリアやサルデーニャのサヴォイアルディはクリームやワインに浸すことに特化されているために卵を加えずに一段と固く焼き上げるのだそうです。
この動画の配合は
砂糖175g
小麦粉100g
バニラシュガー
片栗粉100g
卵3個
卵黄1個
ナポリの有名パスティッチェーレ、サルヴァトーレ・デ・リーゾ氏のサヴォイアルディは(彼の本はこちら)多くの人が作って成果を公開しています。
その一人がこちら
この配合の半分で30枚分。
砂糖200g
卵黄6個
卵白6個
レモンの皮のすりおろし
レモン汁
塩ひとつまみ
小麦粉130g
片栗粉60g
バニラ風味の粉糖
・砂糖100Ggと卵白6個(約180g)、レモン汁少々を堅くホイップします。
・卵黄6個、砂糖100g、塩、パバニラシュガー、レモン汁少々とレモンの皮を白くなるまでホイップします。
・卵白を加えてさっくり混ぜます。
・生地を直径1.5cmの゜口金をつけた絞り袋に入れます。
・オーブンシートを敷いた天板に長さ約10cmに絞り出します。
・粉糖を振りかけます。5分おいて再び散らします。
・160度のオーブンで20分焼きます。オーブンの下段に入れると底に焼き色がつきます。
このサイト主は膨らまなくて悪戦苦闘しているようです。
でも、めげずに何度も挑戦して、結果を公開してアドバイスを求めていますねえ。
根性ある!
次回はビアンコマンジャーレの話です。
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サヴォイアルディのリチェッタを含む;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』“イタリア統一150周年”の記事は「総合解説」2011年3月号に載っています。
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2012年4月19日木曜日
ピエモンテ料理
それでは今日は、ピエモンテ料理について。
代表的なピエモンテ料理というと、ボッリート・ミスト、牛肉のブラザート・アル・バローロ、ザバイオーネ、ボネ、野うさぎのシヴェ、鶏肉のマレンゴ風、バーニャ・カウダ、ヴィテッロ・トンナート、グリッシーニ、フィナンツィエーラ、タヤリン、アニョロッティ、バローロのリゾットなどなど色々あります。
バーニャ・カウダ
トリノのグリッシーニ
タヤリンの白トリュフがけ
バローロのブラザート、じゃがいものピューレの花仕立て、ほうれん草のピエモンテ風、カリフラワーのグラティナート添え
ボッリート・ミスト
むしろピエモンテは、料理で見るよりも食材を挙げたほうがイメージがつかみやすかも。
ピエモンテはイタリアを代表する白トリュフと赤ワインの産地。
さらにゴルゴンゾーラ、チョコレートといった産物もあります。
このように多様なピエモンテ料理ですが、ずばり、2つのキーワードに要約できます。
ピエモンテ料理の話をする時には必ず登場する2つの言葉、
まず一つはピエモンテという名前。
そしてもう一つはサヴォイア家です。
piemonteとは、piedi dei monti「山のふもと」という意味。
なぜか英語ではpiedmonteというのですが、dは案外大事だったんですね。
この名が表す通り、ピエモンテ料理の顔の一つは、山のふもとの農民料理です。
ピエモンテには海がありません。
どっちを向いても高い山です。
山裾の丘陵地帯ではワインを造り、森にはトリュフやヘーゼルナッツが育ち、チーズを作って、野菜を栽培してピエモンテ牛や野うさぎを飼う。
低地のノヴァーラは米の産地。
そのせいか、ピエモンテのプリーモ・ピアットはリゾットも豊富。
↓ピエモンテの山
森と湖の州ピエモンテは、夏は暑く、冬は寒い。
観光に最適なのは、森が最も美しくなる秋なんだとか。
↓ピエモンテ州のPV
ピエモンテの山の農民料理のポイントは、にんにく。
そしてもう一つ、フランスと縁の深いサヴァイア家の宮廷が300年以上トリノに置かれたことによって、ピエモンテは他の州にはない独特の食文化を発展させました。
たとえば、バーニャ・カウダはbagna caôdaだし、シヴェはcivetだし、ボネはbonetだし、ピエモンテ料理には、フランス語のような響きの料理名がたくさんあります。
元々サヴォイア家の子弟はフランスの貴族と結婚して、フランスで教育を受けと、かなりフランス寄りでした。
イタリアが統一された時も、フランス語を話す人たちが王様になるなんて嫌だ、というような反発もあったよあうです。
そしてサヴォイアの宮廷はとても甘いものが好きだったようで、トリノのカフェとチョコレートもその影響かも。
ちなみに、トリノとチョコレートの関係については、『ア・ターヴォラ』の“トリノのショップガイド”という記事でとても興味深い分析が行われています。
また『サーレ・エペペ』の記事“トリノ風ブランチのドルチェ”では、トリノのカフェで貴族たちがビチェリンと一緒に好んで食べたビスケットなどが紹介されています。
さらに深く、サヴォイア家の王宮の雰囲気を知りたければ、サヴォイア家の王宮群は世界遺産です。
見見ごたえのある宮殿がたくさんあります。
↓サヴォイア家の王宮
サヴォイアルディのリチェッタを忘れていました。
では次回に・・・。
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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』“イタリア統一150周年”、『ア・ターヴォラ』“トリノのショップガイド”、『サーレ・エ・ペペ』“トリノ風ブランチの゛トルチェ”の記事の解説は、「総合解説」2011年3月号に載っています
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代表的なピエモンテ料理というと、ボッリート・ミスト、牛肉のブラザート・アル・バローロ、ザバイオーネ、ボネ、野うさぎのシヴェ、鶏肉のマレンゴ風、バーニャ・カウダ、ヴィテッロ・トンナート、グリッシーニ、フィナンツィエーラ、タヤリン、アニョロッティ、バローロのリゾットなどなど色々あります。
バーニャ・カウダ
トリノのグリッシーニ
タヤリンの白トリュフがけ
バローロのブラザート、じゃがいものピューレの花仕立て、ほうれん草のピエモンテ風、カリフラワーのグラティナート添え
ボッリート・ミスト
むしろピエモンテは、料理で見るよりも食材を挙げたほうがイメージがつかみやすかも。
ピエモンテはイタリアを代表する白トリュフと赤ワインの産地。
さらにゴルゴンゾーラ、チョコレートといった産物もあります。
このように多様なピエモンテ料理ですが、ずばり、2つのキーワードに要約できます。
ピエモンテ料理の話をする時には必ず登場する2つの言葉、
まず一つはピエモンテという名前。
そしてもう一つはサヴォイア家です。
piemonteとは、piedi dei monti「山のふもと」という意味。
なぜか英語ではpiedmonteというのですが、dは案外大事だったんですね。
この名が表す通り、ピエモンテ料理の顔の一つは、山のふもとの農民料理です。
ピエモンテには海がありません。
どっちを向いても高い山です。
山裾の丘陵地帯ではワインを造り、森にはトリュフやヘーゼルナッツが育ち、チーズを作って、野菜を栽培してピエモンテ牛や野うさぎを飼う。
低地のノヴァーラは米の産地。
そのせいか、ピエモンテのプリーモ・ピアットはリゾットも豊富。
↓ピエモンテの山
森と湖の州ピエモンテは、夏は暑く、冬は寒い。
観光に最適なのは、森が最も美しくなる秋なんだとか。
↓ピエモンテ州のPV
ピエモンテの山の農民料理のポイントは、にんにく。
そしてもう一つ、フランスと縁の深いサヴァイア家の宮廷が300年以上トリノに置かれたことによって、ピエモンテは他の州にはない独特の食文化を発展させました。
たとえば、バーニャ・カウダはbagna caôdaだし、シヴェはcivetだし、ボネはbonetだし、ピエモンテ料理には、フランス語のような響きの料理名がたくさんあります。
元々サヴォイア家の子弟はフランスの貴族と結婚して、フランスで教育を受けと、かなりフランス寄りでした。
イタリアが統一された時も、フランス語を話す人たちが王様になるなんて嫌だ、というような反発もあったよあうです。
そしてサヴォイアの宮廷はとても甘いものが好きだったようで、トリノのカフェとチョコレートもその影響かも。
ちなみに、トリノとチョコレートの関係については、『ア・ターヴォラ』の“トリノのショップガイド”という記事でとても興味深い分析が行われています。
また『サーレ・エペペ』の記事“トリノ風ブランチのドルチェ”では、トリノのカフェで貴族たちがビチェリンと一緒に好んで食べたビスケットなどが紹介されています。
さらに深く、サヴォイア家の王宮の雰囲気を知りたければ、サヴォイア家の王宮群は世界遺産です。
見見ごたえのある宮殿がたくさんあります。
↓サヴォイア家の王宮
サヴォイアルディのリチェッタを忘れていました。
では次回に・・・。
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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』“イタリア統一150周年”、『ア・ターヴォラ』“トリノのショップガイド”、『サーレ・エ・ペペ』“トリノ風ブランチの゛トルチェ”の記事の解説は、「総合解説」2011年3月号に載っています
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2012年4月16日月曜日
サヴォイアルディ
お久しぶりです。
思いがけず、長期のお休みをいただくことになってしまいました。
すっかりリフレッシュできたのですが、のんびりしすぎてボケたらしく、PCの文章がかなり誤変換するようになりました。
そんな時は笑って許してね。
さーて、何の話でしたっけ。
そうそう、イタリア統一でした。
今となっては懐かしい話題ですが、そもそも、イタリア統一150周年は去年の話ですからね~。
アハハハ....
実は、イタリア統一の話は、『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事にある“ビアンコマンジャーレのサヴォイアルディ添え”が、イタリア統一を象徴するような組み合わせだということを言うための長~いフリでもあったのです。
ビアンコマンジャーレ
サヴォイアルディ
この一見何でもなさそうな組み合わせの背景には、実はとても深~いイタリアの歴史と文化が隠れているんです。
サヴォイアルディがサヴォイア家に由来のものだということは、その名前からして一目瞭然。
ビアンコマンジャーレはフランスのブランマンジェをイタリア語にしただけ、と思いがちですが、実はこれ、シチリアの伝統的なドルチェ。
だから、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のサヴォイア家にガリバルディがシチリア王国を献上してイタリアが統一されたことをお祝いするにはピッタリというわけ。
組み合わせだけでも奥が深いですか、それぞれの料理も負けず劣らず深い!
アーモンドが主役のブランマンジェが中東生まれのものだと考えれば、イスラム世界との関係が深いシチリアに広まったのも不思議ではないですね。
アラブの錬金術師が考え出したみたいな複雑な作り方のビアンコマンジャーレはひとまずおいて、今回はもう一つの“サヴォイアルディ”をじっくり攻略。
サヴォイアルディはティラミスには欠かせないビスケットですよね。
英語ではレディーフィンガーとも呼ばれますが、なんでこの軽~いビスケットにイタリア王家の血筋、サヴォイア家の名前がついているのか。
サヴォイアルディはティラミスには欠かせないビスケット。
英語ではレディーフィンガーとも呼ばれますが、それはこのビスケットが、箸より重いものを持ったことがない人や炊事洗濯をしたことがない人の指のように華奢だから、という意味だろうということは簡単に想像できます。
では、なんでイタリア王家の血筋、サヴォイア家の名前がついているのか。
そう、これも答えは簡単に推測できます。
サヴォイア家の宮廷のパスティッチェーレが作り出したからです。
時は1348年ということまで分かっています。
↑『SPECIALITA' D'ITALIA』より
なぜ年代がわかっているかと言うと、これがどうやら、サヴォイア家の宮廷に、フランス王のシャルル5世が訪れた時だったから、というのがサヴォイアルディにまつわる都市伝説の根拠。
こちらのサイトなど多数で取り上げています。
しかも面白いのが、シャルル5世の妃と当時のサヴォイア家の当主アメデオ4世の妃が姉妹同士だったのが影響したという説。
ここから先は、すべて世間の憶測。証拠はありません。
シャルル5世にドルチェを献上しろと言われたサヴォイア家のパスティッチェーレは、ヨーロッパを代表する王家のプライドの板挟みになって、すんごいプレッシャーを受けたはずです。
サヴォイア家がバカにされないようにしなければ。
フランスの王と王妃の好みに合わせるには、やはりお品がよいものでなくては。
そうだ、軽くて華奢な貴婦人の指みたいなこのビスケットはどうだ!!
きっとお妃様はサヴォイアルディのことをかなり気にいったのでしょう。
フランスの宮廷とサヴォイア家の力に乗って、サヴォイアルディも世界中に広まりました。
イタリアでも、ピエモンテだけでなく、周囲にもその力は広まっていました。
ティラミスが生まれたヴェネト州もその範囲です。
サヴォイアルディという言葉がイタリアで最初に文書に記されのも、1722年のヴェネチアで開かれた結婚披露宴の買い物リストでした。
ということは、1722年にはサヴォイアルディを使ったティラミスか何かのドルチェが存在していたということ?
こんがらかりそうなので今日はこの辺で。
次回はそもそもピエモンテ料理とは、という話です。
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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2011年3月号
“イタリア統一150周年”の解説は「総合解説2011年3月号」に載っています。
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思いがけず、長期のお休みをいただくことになってしまいました。
すっかりリフレッシュできたのですが、のんびりしすぎてボケたらしく、PCの文章がかなり誤変換するようになりました。
そんな時は笑って許してね。
さーて、何の話でしたっけ。
そうそう、イタリア統一でした。
今となっては懐かしい話題ですが、そもそも、イタリア統一150周年は去年の話ですからね~。
アハハハ....
実は、イタリア統一の話は、『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事にある“ビアンコマンジャーレのサヴォイアルディ添え”が、イタリア統一を象徴するような組み合わせだということを言うための長~いフリでもあったのです。
ビアンコマンジャーレ
サヴォイアルディ
この一見何でもなさそうな組み合わせの背景には、実はとても深~いイタリアの歴史と文化が隠れているんです。
サヴォイアルディがサヴォイア家に由来のものだということは、その名前からして一目瞭然。
ビアンコマンジャーレはフランスのブランマンジェをイタリア語にしただけ、と思いがちですが、実はこれ、シチリアの伝統的なドルチェ。
だから、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のサヴォイア家にガリバルディがシチリア王国を献上してイタリアが統一されたことをお祝いするにはピッタリというわけ。
組み合わせだけでも奥が深いですか、それぞれの料理も負けず劣らず深い!
アーモンドが主役のブランマンジェが中東生まれのものだと考えれば、イスラム世界との関係が深いシチリアに広まったのも不思議ではないですね。
アラブの錬金術師が考え出したみたいな複雑な作り方のビアンコマンジャーレはひとまずおいて、今回はもう一つの“サヴォイアルディ”をじっくり攻略。
サヴォイアルディはティラミスには欠かせないビスケットですよね。
英語ではレディーフィンガーとも呼ばれますが、なんでこの軽~いビスケットにイタリア王家の血筋、サヴォイア家の名前がついているのか。
サヴォイアルディはティラミスには欠かせないビスケット。
英語ではレディーフィンガーとも呼ばれますが、それはこのビスケットが、箸より重いものを持ったことがない人や炊事洗濯をしたことがない人の指のように華奢だから、という意味だろうということは簡単に想像できます。
では、なんでイタリア王家の血筋、サヴォイア家の名前がついているのか。
そう、これも答えは簡単に推測できます。
サヴォイア家の宮廷のパスティッチェーレが作り出したからです。
時は1348年ということまで分かっています。
↑『SPECIALITA' D'ITALIA』より
なぜ年代がわかっているかと言うと、これがどうやら、サヴォイア家の宮廷に、フランス王のシャルル5世が訪れた時だったから、というのがサヴォイアルディにまつわる都市伝説の根拠。
こちらのサイトなど多数で取り上げています。
しかも面白いのが、シャルル5世の妃と当時のサヴォイア家の当主アメデオ4世の妃が姉妹同士だったのが影響したという説。
ここから先は、すべて世間の憶測。証拠はありません。
シャルル5世にドルチェを献上しろと言われたサヴォイア家のパスティッチェーレは、ヨーロッパを代表する王家のプライドの板挟みになって、すんごいプレッシャーを受けたはずです。
サヴォイア家がバカにされないようにしなければ。
フランスの王と王妃の好みに合わせるには、やはりお品がよいものでなくては。
そうだ、軽くて華奢な貴婦人の指みたいなこのビスケットはどうだ!!
きっとお妃様はサヴォイアルディのことをかなり気にいったのでしょう。
フランスの宮廷とサヴォイア家の力に乗って、サヴォイアルディも世界中に広まりました。
イタリアでも、ピエモンテだけでなく、周囲にもその力は広まっていました。
ティラミスが生まれたヴェネト州もその範囲です。
サヴォイアルディという言葉がイタリアで最初に文書に記されのも、1722年のヴェネチアで開かれた結婚披露宴の買い物リストでした。
ということは、1722年にはサヴォイアルディを使ったティラミスか何かのドルチェが存在していたということ?
こんがらかりそうなので今日はこの辺で。
次回はそもそもピエモンテ料理とは、という話です。
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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2011年3月号
“イタリア統一150周年”の解説は「総合解説2011年3月号」に載っています。
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