2020年2月5日水曜日

フィレンツェを追放されたダンテに故郷を思い出させた塩気のないパン

トスカーナ料理を見ていると、パンの役割の大きさに驚きます。
パンは多くの古代文明にとって、もっとも基本的な食べ物。
さらにキリスト教にとって、パンはキリストの体のシンボル。
パンはキリストの愛と奇跡。
聖体拝領の儀式は、難解なキリスト教の儀式の代表格。

キリスト教にとっては大事な儀式だということは分かる。


ルフィーノのトスカーナ』によると、古代ローマのポンペイは、町がまるごとパンの町だったそうで、約50軒のパン屋があったそうです。
さらに、オスティアの港はローマ帝国の小麦の交易港として有名でした。
小麦を粉にする水車小屋は無数にあり、パン屋では様々なパンを毎日焼いていました。

ポンペイの遺跡のパン屋

オスティア・アンティカ

ただし、現代のトスカーナのパンは、古代のパンとルーツは一緒でもはかなり違うもの。
塩が入らないパン、パーネ・ショッコはフィレンツェのパンとしても知られています。
塩も、保存や調味の基礎となる大切な食材でした。
輸送に使われた街道は塩の道via salariaと呼ばれました。

中世に、フィレンツェのライバルのピサが、塩の港を長期間封鎖するという出来事がありました。
ところが、なにもないところから美味しい物を作り出すことには慣れていたフィレンツェの農民は、その天才的な才能から塩の入らないパンを作り出したのです。
高価な塩は主に豚肉の保存のために使われました。

なんと、前回登場した質素なパン粉のパスタ、ブリーチョレのピチが、ここで見事につながりました。
何もなければパスタにパン粉をかけるほどたくましいフィレンツェ人は、パンは捨てるところなどない、と言って、古くなった残り物のパンも全部有効利用しました。
ニュートラルな味が風味の強いトスカーナ料理にはよく合ったのです。
というか、味の強いトスカーナ料理に合わせるためにパーネ・ショッコを作ったという説もあります。

暖かい季節はパッパ・アル・ポモドーロ、冬はリボッリータ、夏はパンツァネッラ。
本当に万能な組み合わせが可能なパンです。


ダンテはフィレンツェ生まれの偉大な詩人ですが、権力争いに敗れてフィレンツェを追放されます。
彼の祖父は『神曲』で、将来、孫が塩気のあるパンを食べるとこになる、と予言しました。
つまりフィレンツェを出ていく、ということを、こんなに粋に表現したのです。
実際にはもっと文学的な表現ですが、私は読んだことがないので詳しいことはわかりません。wikiにちらっとありましたが・・・。
とにかく、フィレンツェ人にとって、パーネ・ショッコは中世にはすでに故郷の味になっていたのでした。

ダンテの時代から現代のフィレンツェにタイムスリップ?なんとダンテの家博物館のPV


パーネ・トスカーノはサワードウ、水、胚芽入りの軟質小麦の0番の粉からトスカーナの伝統的な製法で作るパンです。
塩気がなくて軽い酸味があるパンで、この味のことをショッコscioccoと呼びました。

パーネ・ショッコの誕生を実写で説明する動画。

パンに塩を入れないというのはトスカーナだけの習慣。
そもそも、先住民のエトルリア人の時代から、パンに塩を入れる習慣がなかった、という説もあります。
トスカーナの中世の話は需要があるようで、実写がたくさんあって横道にそれまくりました。
リチェッタは次回です。

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総合解説
ルフィーノのトスカーナ
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