パレルモ料理の話、続けます。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の解説です。
シチリアやパレルモの料理を語る時に忘れてはならないのが、“モンズー”。
モンズーmonsùとは、フランス語の“ムッシュmonsieur”の南イタリアなまり。
18世紀から20世紀初めにかけて、シチリアの貴族たちが、料理に箔をつけるためにフランスから呼び寄せた宮廷料理人がルーツです。
当時のシチリアは、主にスペイン=ブルボン家に支配されていた時代で、宮廷料理の主流は絶対的にフランス料理でした。
パレルモの貴族の館で、モンズーのいない家はなかったのだそうです。
でも、シチリアの面白いところはここからです。
貴族たちは公式の席ではフランス料理を食べていましたが、それはかなりお上品なものだったため、普段は地元の食材を使った、もっとシチリア的ながっつりした料理をモンズーに作らせていました。
そうして生まれたのが、シチリアの貴族料理です。
いうなれば、フランス料理の地中海化。
バターとオリーブオイル、ベシャメルとトマトソースが共存し、ギリシャ、北アフリカ、アラブ、スペインの食文化も溶け込んでいました。
その代表格が“ティンバッロtimballo”。
モンズーのティンバッロと言えば、小説と映画で知られる『山猫』に登場するティンバッロ・ディ・マッケローニtimballo di maccheroni。
こちらはヴィスコンティ監督の映画の『山猫』。
ドンナフガータの館の晩餐でティンバッロが登場するシーンは、0:59:43から。
この他、フェデリコ・デ・ロベルトの『副王たち』という小説にもモンズーの料理が登場します。
こちらは『副王家の一族』という映画になりました。
↓予告編
やがてモンズーは世襲になり、貴族の家の料理長、という存在になっていきました。
ポイントは、金持ちの家の料理人ではなく、貴族の家の料理人、ということ。
シチリアの食文化の継承者として、尊敬される存在でもあったわけです。
こちらは、元モンズーのフランチェスコ・パオロ・カッシーノ氏の没後に、町の通りに彼の名前がつけられたことを報じる記事。
モンズーが生み出した料理は、見習い料理人などを通して徐々に市民階級にも広まっていきました。
そこでまた、シチリアならではの化学反応が起こります。
貴族ほどお金はないけれど、貴族のようなものが食べたい。
そんな市民の願いと想像力が結びついて誕生したのが、“見せかけの料理”、いわゆるなんちゃって料理です。
次回はその話。
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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2008年3月号
モンズーを含む“パレルモ”の記事の解説は、「総合解説」'08&'09年3月号に載っています。
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2011年9月1日木曜日
2011年8月29日月曜日
パレルモのアランチーネならこの店
アランチーネの話を続けます。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』によると、パレルモで一番おいしいアランチーネの店と言われているのは、バール・アルバBar Albaとバール・ローザネーロBar Rosanero。
バール・アルバのアランチーネ。
“ラグー”と“プロシュット・エ・フォルマッジョ”(ハムとチーズの具の、いわゆる“アル・ブッロ”)の2種類があります。
中はこんな風。
通販用に、揚げる前の生のアランチーネも売っています。
↓バール・アルバのジェラートを紹介する動画
バール・アルバはパスティッチェリーアでもあります。
ホームページはこちら。
パレルモ大学のこちらのwebページでは、バール・アルバのアランチーネをこう紹介しています。
「アランチーニの発明者と言われるイスラムの太守が今も生きていたら、バール・アルバのアランチーネを買うだろう。
サンタ・ルチーアの日(解説)、バール・アルバでは、17人の職人が朝の5時から晩まで15分に60個のペースで揚げて、計40,000個のアランチーネを作る」
店では普段でも、15分ごとにアランチーネをラードで揚げているのだそうです。
こちらのシチリアの情報サイトでも、「アランチーネの神様がいるなら、きっとバール・アルバに住んでいるにちがいない」と大絶賛。
一方、バール・ローザネーロも、バールでパスティッチェリーア。
ホームページはこちら。
最後に、アランチーネのリチェッタをどうぞ。
こちらのサイトのものです。
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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2008年3月号
アランチーネを含む“パレルモ”の記事の解説は、「総合解説」'08&'09年3月号に載っています。
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『ラ・クチーナ・イタリアーナ』によると、パレルモで一番おいしいアランチーネの店と言われているのは、バール・アルバBar Albaとバール・ローザネーロBar Rosanero。
バール・アルバのアランチーネ。
“ラグー”と“プロシュット・エ・フォルマッジョ”(ハムとチーズの具の、いわゆる“アル・ブッロ”)の2種類があります。
中はこんな風。
通販用に、揚げる前の生のアランチーネも売っています。
↓バール・アルバのジェラートを紹介する動画
バール・アルバはパスティッチェリーアでもあります。
ホームページはこちら。
パレルモ大学のこちらのwebページでは、バール・アルバのアランチーネをこう紹介しています。
「アランチーニの発明者と言われるイスラムの太守が今も生きていたら、バール・アルバのアランチーネを買うだろう。
サンタ・ルチーアの日(解説)、バール・アルバでは、17人の職人が朝の5時から晩まで15分に60個のペースで揚げて、計40,000個のアランチーネを作る」
店では普段でも、15分ごとにアランチーネをラードで揚げているのだそうです。
こちらのシチリアの情報サイトでも、「アランチーネの神様がいるなら、きっとバール・アルバに住んでいるにちがいない」と大絶賛。
一方、バール・ローザネーロも、バールでパスティッチェリーア。
ホームページはこちら。
最後に、アランチーネのリチェッタをどうぞ。
こちらのサイトのものです。
| アランチーネ LE ARANCINE DI ROSANERO- PALERMO |
| 材料:20個分 米(ローマ;半長粒でやや煮崩れやすい)・・1kg 水・・2リットル バター・・100g ローリエ・・2枚 ナツメグ 固形ブイヨン・・3個 サフランパウダー・・2袋 ・大きな鍋に水を入れて火にかけ、米、バター、ローリエ、ナツメグ少々、ブイヨン、サフランを加える。 ・かき混ぜてバターとブイヨンを溶かし、米が水分を全部吸うまで煮て冷ます。前日に作ってもよい。 |
肉とグリーンピースの詰め物(ラグー); 子牛肉挽肉・・1kg 玉ねぎ・・1個 にんじん・・2本 太いセロリ・・2~3本 トマトソース・・150ml 辛口白ワイン・・1/2カップ ナツメグ 小粒の冷凍グリーンピース・・1パック EVオリーブオイル・・50ml 塩、こしょう ・玉ねぎ、にんじん、セロリをすりおろして鍋に入れ、油を加える。 ・これを火にかけてしんなり炒め、挽肉を加えて炒める。 ・ワインをかけてアルコール分を飛ばす。 ・トマトソース、ゆでたグリーンピース、ナツメグを加えて塩、こしょうで調味し、煮る。 ・水気はできるだけ少なく仕上げ、余ったら取り除く。 |
アル・ブッロの詰め物; 小角切りにしたハム 小角切りにしたモッツァレッラ ベシャメル ・材料を混ぜる。 |
ビターチョコレートの詰め物; 小角切りにしたビターチョコレート |
衣; 細かいパン粉 0タイプの小麦粉(精製がやや粗い軟質小麦粉) 水 ・小麦粉と水を混ぜて濃いめの衣にする。 ・足りなくなったら粉と水を足す。 |
仕上げ; ・片方の手のひらに水をつけ、冷めたリゾットをテニスボールよりやや大きめに丸めてのせる。 ・これを広げ、詰め物を1種類のせて閉じる。 ・衣とパン粉をまぶす。 ・鍋にアランチーネを覆う量の揚げ油を入れて熱する。 ・アランチーネにもう一度パン粉をつけて揚げる。 ・チョコレート入りには食べる前に砂糖を散らしてもよい。 ・アル・ブッロはベシャメルなしでもよい。 |
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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2008年3月号
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2011年8月25日木曜日
アランチーニとスップリ
アランチーニの話、続けます。
アランチーニはカターニアが元祖、という説の強力な旗頭、ピーノ・コッレンティ氏。
前回は、彼の本、『イル・ディアマンテ・デッラ・グランデ・クチーナ・ディ・シチリア』から、アランチーニがカターニアでどうやって誕生し、どうやって広まっていったかについて、彼の説を紹介しました。
今回はその続きです。
アランチーニは、カターニアのロスティッチェリーア(惣菜店)からナポリやローマに伝わった、というのが彼の説です。
ご存知の通り、ローマではアランチーニは“スップリ・アル・テレーフォノsppulì sl telefono”と呼ばれていますよね。
俵型で、ライスはトマト入りなので赤く、モッツァレッラなどのとろけるチーズが入っているのがローマのスップリの特徴。
シチリアのものとは微妙に違います。
糸を引くモッツァレッラが電話線のように見えるので“アル・テレーフォノ”と呼ばれる、というのは有名な話。
では、“スップリ”の方は?
そのあたりを、「スップリのルーツはカターニア生まれのアランチーニ」と信じているコッレンティ氏が説明すると、こういう話になります。
この説だと、ローマのスップリは、元々はカターニア人が作ったアランチーニで、しかも名前をつけたのもカターニア人、ということになりますね。
アランチーニにかけるカターニア人の自信とプライドには、敬意すら感じます。
世間的には、スップリ=ビックリ説のほうが有名ですが、どちらも胡散臭いと言えば胡散臭い。
↓スップリのリチェッタ、Part1
↓Part2
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アランチーニはカターニアが元祖、という説の強力な旗頭、ピーノ・コッレンティ氏。
前回は、彼の本、『イル・ディアマンテ・デッラ・グランデ・クチーナ・ディ・シチリア』から、アランチーニがカターニアでどうやって誕生し、どうやって広まっていったかについて、彼の説を紹介しました。
今回はその続きです。
アランチーニは、カターニアのロスティッチェリーア(惣菜店)からナポリやローマに伝わった、というのが彼の説です。
ご存知の通り、ローマではアランチーニは“スップリ・アル・テレーフォノsppulì sl telefono”と呼ばれていますよね。
俵型で、ライスはトマト入りなので赤く、モッツァレッラなどのとろけるチーズが入っているのがローマのスップリの特徴。
シチリアのものとは微妙に違います。
糸を引くモッツァレッラが電話線のように見えるので“アル・テレーフォノ”と呼ばれる、というのは有名な話。
では、“スップリ”の方は?
そのあたりを、「スップリのルーツはカターニア生まれのアランチーニ」と信じているコッレンティ氏が説明すると、こういう話になります。
バチカンに駐留することになったあるフランス人枢機卿が、パリからお抱え料理人を連れてきた。 この料理人には、若いイタリア人の助手がいた。 彼はカターニア出身で、元々はロスティッチェリーアで働いていた。 ローマの貴族階級の館に初めて電話が通じたばかりのある日、彼は、フランス人のシェフのためにアランチーニを作った。 すると、鍋でこんがり揚がったアランチーニを見たシェフが、「Surprise... Surprise!(シュルプリーズ)」と叫んだ。 この場合の“surprise”は、フランス料理のスラング(業界用語?)で“きつね色の揚げ物”、という意味で、「ビックリ」という意味ではない。 カターニア人の助手には、シェフの言葉が“スップリ、スップリ”と聞こえた。 からかい半分でこの話を料理人仲間にしたところ、あっという間にローマの料理人の間に、スップリ・アル・テレーフォノという名前が広まったのだった。 |
この説だと、ローマのスップリは、元々はカターニア人が作ったアランチーニで、しかも名前をつけたのもカターニア人、ということになりますね。
アランチーニにかけるカターニア人の自信とプライドには、敬意すら感じます。
世間的には、スップリ=ビックリ説のほうが有名ですが、どちらも胡散臭いと言えば胡散臭い。
↓スップリのリチェッタ、Part1
↓Part2
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2011年8月22日月曜日
アランチーニの歴史
アランチーニの話の続きです。
カターニア率いるシチリア東部のアランチーニと、パレルモを筆頭とするシチリア西部のアランチーネ。
形や中身が微妙に違います。

パレルモの店先のアランチーネ。
球形と俵型で、コーン形(円錐形)は見当たらず。
パレルモ派もカターニア派も、アランチーニの形で中の具が分かるようになっています。
アランチーネの場合、俵型はアル・ブッロal burroと呼ばれ、チーズ、ハム、バター(ベシャメル)の詰め物。
球形はアッラ・カルネalla craneで、ラグーとグリーンピース入り。
↓パレルモのブッロとカルネ。
オリジナルの詰め物のアランチーニもたくさんあります。
↓パレルモのパスティッチェリーアの、サンタ・ルチーアの日(前回のブログで紹介)のオリジナルアランチーネ。
ハム、エメンタール、バターの詰め物で、米はナツメグ、おろしチーズ、唐辛子風味。
イタリア司厨士協会(FIC)シチリア支部名誉会長ピーノ・コッレンティ著、『イル・ディアマンテ・デッラ・グランデ・クチーナ・ディ・シチリア』には、カターニア派アランチーニにまつわる、こんな面白い話が載っています。
なかなか説得力のある説です。
米は、元々は高級品だったわけで、確かに、カターニアの太守ぐらいでないと、毎日好きなだけ食べるというわけにはいかなかったはずです。
それがまず修道院に伝わってイタリア化され、次に貴族の家庭に伝わり、米の栽培がイタリアで普及してからは、庶民の料理としてイタリア中に広まっていったわけですね。
さらに著者は、ローマのスップリにもカターニアが関係している、という面白い説を披露しています。
それはまた次回に。
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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2008年3月号
アランチーネを含む“パレルモ”の記事の解説は、「総合解説」'08&'09年3月号に載っています。
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カターニア率いるシチリア東部のアランチーニと、パレルモを筆頭とするシチリア西部のアランチーネ。
形や中身が微妙に違います。
パレルモの店先のアランチーネ。
球形と俵型で、コーン形(円錐形)は見当たらず。
パレルモ派もカターニア派も、アランチーニの形で中の具が分かるようになっています。
アランチーネの場合、俵型はアル・ブッロal burroと呼ばれ、チーズ、ハム、バター(ベシャメル)の詰め物。
球形はアッラ・カルネalla craneで、ラグーとグリーンピース入り。
↓パレルモのブッロとカルネ。
オリジナルの詰め物のアランチーニもたくさんあります。
↓パレルモのパスティッチェリーアの、サンタ・ルチーアの日(前回のブログで紹介)のオリジナルアランチーネ。
ハム、エメンタール、バターの詰め物で、米はナツメグ、おろしチーズ、唐辛子風味。
イタリア司厨士協会(FIC)シチリア支部名誉会長ピーノ・コッレンティ著、『イル・ディアマンテ・デッラ・グランデ・クチーナ・ディ・シチリア』には、カターニア派アランチーニにまつわる、こんな面白い話が載っています。
アランチーニには1000年の歴史がある。 1000年と言う根拠は単純で、アラブ人によってシチリアにオレンジ、レモンなどかんきつ果樹や米が伝えられ、9世紀にはカターニアやパレルモのコンカ・ドーロ(パレルモとその周辺の海と山に囲まれた平野)に根付いた、という説を信じているからだ。 複数の資料によると、当時のカターニアの太守Tummahは、米料理が大好きだったらしい。 “トゥンマーラ・ディ・リーゾTummala di riso”という、鶏のレバーと鶏のブロードを使った米料理の考案者だとも言われている。 彼の好物は、米を鶏のブロードで煮て、鶏肉、グリーンピース、玉ねぎ、ソフトチーズと一緒にサフランで炒め、丸めてパン生地に包んで揚げたもので、一日に何度も食べたという。 現在もマグレブ地方(北西アフリカ)で前菜として食べられている“briouats”(ブリワット)に似た料理だ。 当然、当時はまだトマトはなかったが、その料理はすでにオレンジの形をしていた。 半分に割れば、これもアラブから伝わったサフランの鮮やかな黄色をしていた。 その後時とともに、パン生地の代わりにもっと軽いパン粉が使われるようになる。 揚げ油はオリーブオイルだった。 やがてこの料理は、大修道院に伝わって、キリスト教徒の料理人が作るようになった。 彼らは、イスラム教では禁じられている豚の脂、ラードでアランチーニを揚げ、ビターオレンジの葉で飾った。 そしてアランチーニは、カターニアからシチリア全体に広まった。 バロックの時代あたりになると、濃いトマトソースが加わり、様々な肉(他の料理に使った切り落とし)を使ったラグーを詰めるようになる。 フェデリコ・デ・ロベルトの『副王たち』という小説には、19世紀初め、カターニアの大修道院で「ほとんどスイカのような」大きなアランチーニを作っていたことが描かれている。 そして、モンズーmonzù(貴族がフランスから連れてきたお抱え料理人)とともに、アランチーニは貴族の家庭に入っていった。 さらに、大衆的なロスティッチェリーア(惣菜店)のメニューになり、ここからナポリやローマに伝わった。 |
なかなか説得力のある説です。
米は、元々は高級品だったわけで、確かに、カターニアの太守ぐらいでないと、毎日好きなだけ食べるというわけにはいかなかったはずです。
それがまず修道院に伝わってイタリア化され、次に貴族の家庭に伝わり、米の栽培がイタリアで普及してからは、庶民の料理としてイタリア中に広まっていったわけですね。
さらに著者は、ローマのスップリにもカターニアが関係している、という面白い説を披露しています。
それはまた次回に。
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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2008年3月号
アランチーネを含む“パレルモ”の記事の解説は、「総合解説」'08&'09年3月号に載っています。
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2011年8月19日金曜日
イタリアの米の歴史
今日はアランチーニの話の続き。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の解説です。
島の東側ではアランチーニ、西側ではアランチーネと呼ばれているこのライスコロッケ。
個性的で愛嬌のあるしずく型(コーン型)のアランチーニは、東だけで作られているもの。
この形、エトナ山の形、とも言いますよね。
エトナ山は、シチリアの東側にあるヨーロッパ最大の活火山。
東側の人たちがそうたとえたくなる気持ちも分かります。
その一方で、そう自慢されては、西の人も意地になって、しずく型なんて邪道、と言いたくなるというもの。

これはしずく型だから、東のもの。
つまり、アランチーニ。
アランチーニがシチリア生まれ、ということはよく知られていますが、では、シチリアのどこで生まれたのか、となると、確かなところは分かっていません。
東の代表はカターニア、西の代表はパレルモで、お互いに、こっちが元祖、と固く信じています。
でも、そのルーツはアラブにある、と考えられていることは共通しています。
アランチーニの主要な材料の米は、アラブからイタリアに伝わったと言われているし、そもそも、アランチーニと言う名前の元になったオレンジも、アラブ人がシチリアに伝えたもの。
ところが実は、米がどのようにしてイタリアに伝わったのか、はっきりしたことは分かっていないのです。
アランチーニの歴史を知るには、まず米の歴史を知る必要がありそうです。
アジアでは7,000年前、日本では2,500年近く前から栽培されていたとされる米ですが、イタリアでは、いつ頃栽培が広まったと思いますか?
ちなみに、聖書にはパンは登場しますが、米は出てこないのだそうです。
当時のキリスト教圏では、米はまだ知られていなかったんですねえ。
イタリアで米の栽培が広まったのは、15世紀頃。
わずか500~600年ほど前です。
米がどうやってイタリアに伝わったのかは、諸説あります。
シチリアを征服したアラブ人が伝えた。
十字軍がエルサレムから伝えた。
東方貿易のヴェネチア人やジェノヴァ人が伝えた。
アジアからギリシャ経由で伝わった。
ナポリのアラゴン家がスペイン経由で伝えた。
などなど。
まず、アレキサンダー大王がインドまで遠征した時に、地中海世界に米の存在が伝わったと言われています。
その後、インドなど南アジアとアラビア半島の間で、米と小麦の物々交換が始まりました。
古代ローマや中世のヨーロッパでは、米は貴重な輸入品で、こしょうなどと同じ薬や香辛料として扱われていました。
よく言われるのが、シチリアが9世紀にアラブ人に征服された時に米が伝わった、という説ですが、実際には、すでにそれ以前に貿易品として米は伝わっていました。
現在イタリアは、ヨーロッパでもっとも米の生産量が多い国ですが、よく考えてみると、シチリアで米の栽培が盛んという話は聞かないですよね。
イタリアの主要な米作地帯は、ピエモンテやロンバルディアなど、北イタリアのポー河沿いの水が豊かな平地です。
サボテンが雑草のように生い茂るシチリアの乾いた風景には、米のイメージはありません。
シチリアに米が伝わったといっても、栽培が盛んになったということではないようですね。
15世紀に米の栽培が広まったのは、現在の米の主要産地と同じ地域でした。
中世のイタリアは、飢饉やペストの流行などに苦しみます。
そこで、生産性の高い米が注目されて、領主たちによって大規模な水田が作られ、栽培が広まっていったのでした。
小麦の代わりに飢えをしのげる食べ物。
そうなると、高級品というそれまでの米のイメージは一変します。
とうもろこしやじゃがいもと同様、米は庶民の食べ物となっていきました。
イタリアで米がどういう存在なのか少し分かってきたところで、次回は話をアランチーニに戻します。
↓しずく型のアランチーニ。
この動画のコメント欄、案の定、アランチーニだ、いやアランチーネだという論争で盛り上がってます。
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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2008年3月号
アランチーネを含む“パレルモ”の記事の解説は、「総合解説」'08&'09年3月号に載っています。
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『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の解説です。
島の東側ではアランチーニ、西側ではアランチーネと呼ばれているこのライスコロッケ。
個性的で愛嬌のあるしずく型(コーン型)のアランチーニは、東だけで作られているもの。
この形、エトナ山の形、とも言いますよね。
エトナ山は、シチリアの東側にあるヨーロッパ最大の活火山。
東側の人たちがそうたとえたくなる気持ちも分かります。
その一方で、そう自慢されては、西の人も意地になって、しずく型なんて邪道、と言いたくなるというもの。
これはしずく型だから、東のもの。
つまり、アランチーニ。
アランチーニがシチリア生まれ、ということはよく知られていますが、では、シチリアのどこで生まれたのか、となると、確かなところは分かっていません。
東の代表はカターニア、西の代表はパレルモで、お互いに、こっちが元祖、と固く信じています。
でも、そのルーツはアラブにある、と考えられていることは共通しています。
アランチーニの主要な材料の米は、アラブからイタリアに伝わったと言われているし、そもそも、アランチーニと言う名前の元になったオレンジも、アラブ人がシチリアに伝えたもの。
ところが実は、米がどのようにしてイタリアに伝わったのか、はっきりしたことは分かっていないのです。
アランチーニの歴史を知るには、まず米の歴史を知る必要がありそうです。
アジアでは7,000年前、日本では2,500年近く前から栽培されていたとされる米ですが、イタリアでは、いつ頃栽培が広まったと思いますか?
ちなみに、聖書にはパンは登場しますが、米は出てこないのだそうです。
当時のキリスト教圏では、米はまだ知られていなかったんですねえ。
イタリアで米の栽培が広まったのは、15世紀頃。
わずか500~600年ほど前です。
米がどうやってイタリアに伝わったのかは、諸説あります。
シチリアを征服したアラブ人が伝えた。
十字軍がエルサレムから伝えた。
東方貿易のヴェネチア人やジェノヴァ人が伝えた。
アジアからギリシャ経由で伝わった。
ナポリのアラゴン家がスペイン経由で伝えた。
などなど。
まず、アレキサンダー大王がインドまで遠征した時に、地中海世界に米の存在が伝わったと言われています。
その後、インドなど南アジアとアラビア半島の間で、米と小麦の物々交換が始まりました。
古代ローマや中世のヨーロッパでは、米は貴重な輸入品で、こしょうなどと同じ薬や香辛料として扱われていました。
よく言われるのが、シチリアが9世紀にアラブ人に征服された時に米が伝わった、という説ですが、実際には、すでにそれ以前に貿易品として米は伝わっていました。
現在イタリアは、ヨーロッパでもっとも米の生産量が多い国ですが、よく考えてみると、シチリアで米の栽培が盛んという話は聞かないですよね。
イタリアの主要な米作地帯は、ピエモンテやロンバルディアなど、北イタリアのポー河沿いの水が豊かな平地です。
サボテンが雑草のように生い茂るシチリアの乾いた風景には、米のイメージはありません。
シチリアに米が伝わったといっても、栽培が盛んになったということではないようですね。
15世紀に米の栽培が広まったのは、現在の米の主要産地と同じ地域でした。
中世のイタリアは、飢饉やペストの流行などに苦しみます。
そこで、生産性の高い米が注目されて、領主たちによって大規模な水田が作られ、栽培が広まっていったのでした。
小麦の代わりに飢えをしのげる食べ物。
そうなると、高級品というそれまでの米のイメージは一変します。
とうもろこしやじゃがいもと同様、米は庶民の食べ物となっていきました。
イタリアで米がどういう存在なのか少し分かってきたところで、次回は話をアランチーニに戻します。
↓しずく型のアランチーニ。
この動画のコメント欄、案の定、アランチーニだ、いやアランチーネだという論争で盛り上がってます。
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2011年8月15日月曜日
アランチーニ、アランチーネ
パレルモの話、その4。
ストリートフードの話、今回はアランチーネ。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。

タオルミーナのアランチーニ
イタリアのライスコロッケと言えば、アランチーニarancini。
でも、パレルモなどシチリア西部では、女性形でアランチーネarancineと呼びます。
同じ島の中でも、カターニアなどシチリア東部では、アランチーニと男性形。
なぜパレルモでは、女性形でアランチーネと呼ぶのでしょうか。
よく知られている説は、
そもそもアランチーニは、オレンジのような大きさだったことからこの名前がついた。
オレンジは、イタリア語ではアランチャarancia。
女性形。
それならアランチーニも女性形でアランチーネと呼ぶのが自然
というもの。
なるほど。
でも、だとすると今度は逆に、なぜアランチーニという男性形の名前が広まったのか、という疑問が出てきます。
一説によると、その答えは、シチリアの方言にあるんだそうです。
シチリアでは、パレルモとそれ以外の地方では、違う方言を話していました。
そのパレルモ以外の方言では、オレンジは“aranciu”。
これは男性名詞か女性名詞か迷うところですが、実は男性名詞。
つまり、パレルモ以外のシチリアでは、オレンジは男性名詞だったのです。
そしてアランチーネは“arancinu”。
やはり男性名詞です。
だから、arancinuを標準語に直すと、アランチーニとなる訳です。
なるほどねえ。
男性形でも女性形でもどっちでもいいような気もしますが、世界中にアランチーニという名前が広まった今でも、シチリアの西側だけは、かたくなにアランチーネという名前にこだわっています。
イタリアの人気推理小説の主人公、モンタルバーノ警部が、アランチーニと呼んでいることに抗議するこんな動画まであります。
モンタルバーノ警部とアランチーニについては、以前、このブログでも取り上げました。
こちらのページ。
カターニアのアランチーニについても取り上げています。
こちらのページ。

12月13日のアランチーネ
12月13日は、パレルモではアランチーネを食べまくる日です。
この日はサンタ・ルチーアの日。
聖ルチーアは、飢饉の時に、小麦を満載した船が突然港に姿を現す、という奇跡を起こして、人々を救ったと信じられている聖人です。
人々はその小麦の粒をゆでて、お粥にして食べたと言われています。
そのため、12月13日は、聖ルチーアに感謝して、麺やパンなど小麦系の粉ものを食べないで、小麦の粒や、小麦以外のもの(米、じゃがいも、チェーチなど)を食べる、と言う伝統が生まれました。
米料理のアランチーネも、この日に食べるものの一つです。
今では、12月13日はアランチーナ・デイArancina Dayとも呼ばれています。
家庭では朝から大量のアランチーネを作り、ご近所や知り合いにふるまってまわります。
人気のバールやフリッジトリーアでは、アランチーネがあっという間に売り切れます。
ちなみに、飢饉の時に船の小麦で作ったとされる料理が、クッチーア(クチーア)cucciaというシチリアの伝統料理のルーツです。
クッチーアも12月13日に食べる料理。
元々は水や牛乳で煮ただけのお粥でしたが、今では小麦の粒入りの甘いリコッタクリームに進化しました。
チョコレートを入れるなど様々なバリエーションが作られています。
↓クッチア
アランチーネの話、次回に続きます。
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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2008年3月号
アランチーネを含む“パレルモ”の記事の解説は、「総合解説」'08&'09年3月号に載っています。
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ストリートフードの話、今回はアランチーネ。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。
タオルミーナのアランチーニ
イタリアのライスコロッケと言えば、アランチーニarancini。
でも、パレルモなどシチリア西部では、女性形でアランチーネarancineと呼びます。
同じ島の中でも、カターニアなどシチリア東部では、アランチーニと男性形。
なぜパレルモでは、女性形でアランチーネと呼ぶのでしょうか。
よく知られている説は、
そもそもアランチーニは、オレンジのような大きさだったことからこの名前がついた。
オレンジは、イタリア語ではアランチャarancia。
女性形。
それならアランチーニも女性形でアランチーネと呼ぶのが自然
というもの。
なるほど。
でも、だとすると今度は逆に、なぜアランチーニという男性形の名前が広まったのか、という疑問が出てきます。
一説によると、その答えは、シチリアの方言にあるんだそうです。
シチリアでは、パレルモとそれ以外の地方では、違う方言を話していました。
そのパレルモ以外の方言では、オレンジは“aranciu”。
これは男性名詞か女性名詞か迷うところですが、実は男性名詞。
つまり、パレルモ以外のシチリアでは、オレンジは男性名詞だったのです。
そしてアランチーネは“arancinu”。
やはり男性名詞です。
だから、arancinuを標準語に直すと、アランチーニとなる訳です。
なるほどねえ。
男性形でも女性形でもどっちでもいいような気もしますが、世界中にアランチーニという名前が広まった今でも、シチリアの西側だけは、かたくなにアランチーネという名前にこだわっています。
イタリアの人気推理小説の主人公、モンタルバーノ警部が、アランチーニと呼んでいることに抗議するこんな動画まであります。
モンタルバーノ警部とアランチーニについては、以前、このブログでも取り上げました。
こちらのページ。
カターニアのアランチーニについても取り上げています。
こちらのページ。
12月13日のアランチーネ
12月13日は、パレルモではアランチーネを食べまくる日です。
この日はサンタ・ルチーアの日。
聖ルチーアは、飢饉の時に、小麦を満載した船が突然港に姿を現す、という奇跡を起こして、人々を救ったと信じられている聖人です。
人々はその小麦の粒をゆでて、お粥にして食べたと言われています。
そのため、12月13日は、聖ルチーアに感謝して、麺やパンなど小麦系の粉ものを食べないで、小麦の粒や、小麦以外のもの(米、じゃがいも、チェーチなど)を食べる、と言う伝統が生まれました。
米料理のアランチーネも、この日に食べるものの一つです。
今では、12月13日はアランチーナ・デイArancina Dayとも呼ばれています。
家庭では朝から大量のアランチーネを作り、ご近所や知り合いにふるまってまわります。
人気のバールやフリッジトリーアでは、アランチーネがあっという間に売り切れます。
ちなみに、飢饉の時に船の小麦で作ったとされる料理が、クッチーア(クチーア)cucciaというシチリアの伝統料理のルーツです。
クッチーアも12月13日に食べる料理。
元々は水や牛乳で煮ただけのお粥でしたが、今では小麦の粒入りの甘いリコッタクリームに進化しました。
チョコレートを入れるなど様々なバリエーションが作られています。
↓クッチア
アランチーネの話、次回に続きます。
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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2008年3月号
アランチーネを含む“パレルモ”の記事の解説は、「総合解説」'08&'09年3月号に載っています。
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2011年8月11日木曜日
フリットラ
パレルモの話、その3。
ストリートフードの続きです。
前々回の記事の最後の動画に少しだけ登場したフリットラfrittola。
これも、パレルモのディープなストリートフードです。
フリットラのパニーノ
↓フリットラ作り。
フリットラの原料は、肉を解体した時に骨の周りに残ったくず肉、筋、脂身、軟骨。
この動画の屋台では、これらをまず、それ自身の脂でソッフリットにしてから、スパイスを加えてゆでています。
屋台では、フリットラをパンにはさんだり(パニーノ・コン・フリットラpanino con frittola)、そのまま油紙にのせて(カルタータcartata)売り、それにこしょうやレモン汁をかけて食べます。
パンや紙に盛る時や、紙に盛ったフリットラを食べる時は、手づかみ。
手も口も、ギトギトになります。
やっぱりこれも、男前な食べ物。
というか、ミルザ(脾臓)やパネッレより上級編で、パレルモ度が一段上です。
最近では屋台の数が減っているそうです。
パネッレやフリットラの他にも、このブログでパレルモのストリートフードをいくつか取り上げたことがあります。
脾臓のパニーノのパーネ・カ・メウサPane ca' meusa(ブログの記事)
ピッツァのようなフォカッチャ、スフィンチョーネSfincione(ブログの記事)
子羊や子牛の腸の炭焼き、スティッギオーラStigghiola(ブログの記事)
この他にも、ディープなところでは、ムッソMussoとカルカニョーラcarcagnolaなんていうのもあります。
ムッソはゆでた豚の鼻で、カルカニューラはゆでた豚足。
レモン汁をかけてサラダやパニーノにします。
ムッソとカルカニョーラの屋台
↑
この人、『ヴィエ・デル・グスト』に写真が載っていました。
逆にライトなところでは、アランチーナArancina。
パレルモでは、男性名詞のアランチーニaranciniではなく、女性形のアランチーネarancineと呼びます。
アランチーネの話は次回に。
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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2009年2月号
“パレルモ”の記事の解説は、「総合解説」'08&'09年2月号に載っています。
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ストリートフードの続きです。
前々回の記事の最後の動画に少しだけ登場したフリットラfrittola。
これも、パレルモのディープなストリートフードです。
フリットラのパニーノ
↓フリットラ作り。
フリットラの原料は、肉を解体した時に骨の周りに残ったくず肉、筋、脂身、軟骨。
この動画の屋台では、これらをまず、それ自身の脂でソッフリットにしてから、スパイスを加えてゆでています。
屋台では、フリットラをパンにはさんだり(パニーノ・コン・フリットラpanino con frittola)、そのまま油紙にのせて(カルタータcartata)売り、それにこしょうやレモン汁をかけて食べます。
パンや紙に盛る時や、紙に盛ったフリットラを食べる時は、手づかみ。
手も口も、ギトギトになります。
やっぱりこれも、男前な食べ物。
というか、ミルザ(脾臓)やパネッレより上級編で、パレルモ度が一段上です。
最近では屋台の数が減っているそうです。
パネッレやフリットラの他にも、このブログでパレルモのストリートフードをいくつか取り上げたことがあります。
脾臓のパニーノのパーネ・カ・メウサPane ca' meusa(ブログの記事)
ピッツァのようなフォカッチャ、スフィンチョーネSfincione(ブログの記事)
子羊や子牛の腸の炭焼き、スティッギオーラStigghiola(ブログの記事)
この他にも、ディープなところでは、ムッソMussoとカルカニョーラcarcagnolaなんていうのもあります。
ムッソはゆでた豚の鼻で、カルカニューラはゆでた豚足。
レモン汁をかけてサラダやパニーノにします。
ムッソとカルカニョーラの屋台
↑
この人、『ヴィエ・デル・グスト』に写真が載っていました。
逆にライトなところでは、アランチーナArancina。
パレルモでは、男性名詞のアランチーニaranciniではなく、女性形のアランチーネarancineと呼びます。
アランチーネの話は次回に。
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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2009年2月号
“パレルモ”の記事の解説は、「総合解説」'08&'09年2月号に載っています。
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