2022年1月21日金曜日

トマトとともに歩んだイタリア料理、最初の主役はスペイン人、そしてナポリ人、さらにトリノ人と移り変わった。

ピッツァやパスタの話題になると、トマトの重要性をひしひしと感じます。
ナポリがピッツァやパスタの中心地になれたのは、トマトの産地でもあったからでは・・・。

トマトがヨーロッパに伝わる物語の実写版はかなりの大作↓
最初はスペイン人が主役だけど、ヨーロッパに渡るとナポリ人が主役。

でも、トマトは地中海が原産地ではありません。
トマトの歴史を見てみると、イタリアよりもっと強くトマトと結びついていたある国が浮かび上がってきます。

トマトは、起源8世紀ごろインカで栽培が始まり、メキシコへと伝わり、16世紀にスペイン人のコルテスがモンテスマ皇帝の庭園で発見してヨーロッパに種を伝えました。トマトがヨーロッパで初めて栽培されたのもスペインです。

1692年には料理書に初めてトマトソースのリチェッタが登場します。ちなみにそのトマトソースは“アッラ・スパニョーラ(スペイン風)”と呼ばれています。

17世紀半ばになると、トマトの食用としての栽培が広まり、南ヨーロッパの料理にも多用されるようになります。
1839年には、ナポリ料理史の重要人物、ブオンビチーノ公、イッポリート・カバルカンティが、料理書に、初めて“ベルミチェッリ・コ・ラ・プンマローレvermicelli co pummarole”のことを書き記しました。
ナポリの方言のトマトソースのパスタのデビューです。
1889年にはピッツァ・マルゲリータが誕生しました。
トマトとモッツァレッラのピッツァでの共用は、19世紀前半頃から広まっていたようです。
1891年にはイタリア料理の父、アルトゥージがトマトソースのリチェッタを発表します。おそらくこれが、トマトソースがイタリアの家庭に広く普及するきっかけになりました。
そして18世紀末~19世紀にかけて、チリオがトマト缶を発明して発売します。
チリオの本社はトリノにあります。
ナポリとトマトの結びつきは、さらに薄くなりましたが、トマトはより強力にイタリアの家庭に広まっていきます。

現在、世界で一番トマトの生産量が多い国は、アメリカです。そして中国、イタリアと続きます。
輸出量がもっとも多い国はイタリアです。2位がスペインで3位がアメリカ。
イタリアでトマトの栽培量が一番多いのはプーリア。そして2位がエミリア・ロマーニャ、3位がカンパーニアです。トマト缶の生産が多いのは1位、エミリア・ロマーニャ、2位ロンバルディア、3位カンパーニアの順。

チリオの創業者、フランチェスコ・チリオは、トマトの缶詰によってイタリア料理を変えただけでなく、イタリアで最初の国際的食品メーカーとして大成功を収めました。
個人的には、グッチよりすごいと思ってます。

ソース用トマトに最適とされているサン・マルツァーノトマトの栽培。

ナポリ人のサン・マルツァーノへの信頼は厚い。





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