2022年6月8日水曜日

ロンバルディアやピエモンテは北イタリアを代表する米作地方だが、その米はアメリカに逆輸入されていた。

サフランを使うイタリア料理、探してみましたが、やっぱり、ミラノ風リゾットに勝るものはありません。その理由は、ミラノ風リゾットがイタリア料理の象徴的な1品、ということにあると思います。
ほぼ米とサフランだけの料理が、なぜこれほど愛されるのか。やっぱりお米の美味しさかな。
ロンバルディアは北イタリアの米どころ。ベルチェッリやノバーラなどが知られています。
この地方の米と言えば、映画『苦い米』は、衝撃的でした。『バードレ・パドローネ』ではサルデーニャの羊飼いの暮らしに衝撃を受けましたが、シルバーナ・マンガーノ主演のこの映画は、ビスコンティの映画で知ったブルジョアマダムのイメージがぴったりの美人女優が、出稼ぎで田んぼで働く姿のあまりにも大きなギャップで、すごい衝撃を受けたのでした。北も南も、イタリアの暮らしは厳しいなあ。

苦い米(トレーラー)

トレーラーだけでも十分衝撃的。
米は、アラブ人がスペイン経由でヨーロッパに伝えたと考えられていますが、ほかにも説があります。
古代ローマ人も米を知っていましたが、かなり高価で化粧品として使われていました。地中海地域には長い間インドから輸入されて薬として使われていました。8世紀ごろ、この状況がアラブ人の登場によって変わります。米は中東とオリエントの交易物資になり、ベルチェッリやノバーラで米の栽培が始まります。ヨーロッパ中を襲った中世後期の飢饉によって、ファッロ、アワ、ライムギなどの古い食物に米が劇的にとってかわりました。米はすでにオリエントでは多くの民衆の飢えを救う食べ物として知られていたのです。
ルネサンス期のイタリアで、米の栽培量は急速に拡大します。とは言え、米の栽培は、簡単ではありませんでした。水がよどむ地域ではマラリアが危惧され、洪水の危険から、田んぼは都市や幹線道路からは離れた場所に作られました。農民の健康状態は、都会の若者には関係なかったのです。
1584年に、ノバーラの医師が、田んぼやその水が人間に及ぼす害は少ない、という見解を発表しました。でも、その考えが定着して田んぼが広まるのには、さらに3世紀がかかったのでした。
イタリアでは16世紀の初めには米の栽培が普及しはじめましたが、まだ米は高価なものとみなされていました。
水路が張り巡らされたミラノは、米作りの恩恵を強く受けた都市です。ミラノでは米が普及しましたが、ピエモンテではもっとゆっくり広まりました。
コロンブスがとうもろこしをもたらしたのは大昔の話。今や、アメリカの大統領が、フランスにアメリカ産米を売り込むほどになったのです。
そしてなんと、大統領(トーマス・ジェファーソン)は当時ピエモンテで栽培されていた米の種を持ち帰ったのでした。
もちろん米を持ち出すことは死刑に値する大罪でした。
ジェファーソン大統領はトリノ、ベルチェッリ、ノバーラを訪れて密輸業者を雇い、種の入った袋をジェノバ港まで運んで帰国しました。
これらのことは、ピエモンテ州が出版した記念碑的本『Riso

に書いてあります。
アメリカに到着した米は大歓迎されて栽培が始まりましたが、期待した成果は得られませんでした。1839年、フィリピン人神父がアジアの品種の米を持ち帰ります。この品種の成功によって、現代的米作と米が広まることになりました。

ミラノのナビッリ地区。

北イタリアの米作は順調に拡大していましたが、大恐慌と第二次世界大戦によって、イタリアの米作りは縮小していきます。

『Riso』は素晴らしい本なのですが、何しろデカイ。なので読み進めるのに時間がかかり、つい遠ざかっていましたが、読んでみると、もっと早く知っておきたかった、という話ばかりです。ピエモンテ州の本気を知りました。約200ページあるこの本の冒頭の2、3ページだけでこれですから。



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イタリアの料理月刊誌の日本語解説『(CIRクチーナ・イタリアーナ・レジョナーレ)
Riso
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