2016年ですね。
今年も元気で行きましょー。
さて、今年最初のお題は、リゾットです。
リゾット・アッラ・チェルトジーナ。
年初の割には地味な料理ですが、この料理、イタリアの米の栽培のスタート地点で生まれた、由緒正しきリゾットです。
この料理とイタリアの米栽培の歴史は「総合解説」に書いてありますが、まずはそもそも、イタリアの米栽培について、補足説明。
そもそも、米をアジアから地中海に伝えたのは、マケドニアからインドまで遠征したアレキサンダー大王という説や、ギリシャ人という説があります。
古代ローマ時代は食料としてよりも、高価な薬として利用されていました。
栽培を広めたのはエジプト人。
そしてスペインがイスラム勢力に支配された時、ヨーロッパに米の栽培が伝わります。
シチリアにもアラブ人がやってきて米を伝えましたが、栽培の普及に成功した人はいませんでした。
誰がイタリアに米を伝えたのかは不明ですが、最も広まっている節では、最初に栽培されたのは、1475年のこと。
その証拠は、ミラノ公のガレアッツォ・マリア・スフォルツァの手紙です。
この人です。
米はロンバルディアから、ポー河沿岸の湿地帯に広まり、他の穀物より収入額が大きいために急速に広まり、ロンバルディアの経済をささえる大切な産物にまでなりました。
16世紀の大飢饉やペストの大流行で食糧難になった時も、米によって救われました。
エミリア地方やトスカーナにも伝わりましたが、これらの地方は治水対策が米に適さず、あまり大々的には普及しませんでした。
ちなみに、フランスで米の栽培が始まったのは13世紀という説と17世紀という説があるようです。
ところがその後、フランスの米は病気にやられて第2次大戦頃まで普及しませんでした。
アメリカで栽培が始まったのは1647年です。
どうやら、米の栽培には治水事業がつきもので、支配者と農民が地域を挙げて取り組まないと普及しないようです。
その結果、イタリアは、ヨーロッパで最も重要な米の産地となったのでした。
米の栽培が始まった場所と言われるロメッリーナ(パヴィア県)の米栽培。
↓
ロメッリーナには広い森、川、湿地があり、狩猟をするにはもってこいの場所でした。
そのため、ミラノの支配階級の狩りの館もたくさんありました。
湿地帯を耕して米を作ることに取り組んだ領主の一人がスフォルツァ家です。
そして問題のリゾット、アッラ・チェルトジーナは、チェルトーザ・ディ・パヴィアというパヴィア県の町の修道院で生まれました。
リゾットの中でもすごいリゾットとイタリア人が言うわりには、どんなリゾットなのか、ほとんど知られていないような気もしますが、今では、イタリア一の米の産地となったパヴィアを代表する米料理なのですから、きっとすごいのでしょう。
詳しくは次回に。
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“リゾット・アッラ・チェルトジーナ”の記事の日本語訳は「総合解説」13/14年3月号に載っています。
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