今日はティラミスの話。
ティラミス, photo by Vincenzo Visciano
『ア・ターヴォラ』のティラミス誕生の記事(今月配本の「総合解説」に訳があります)には、運命の皮肉をつくづく感じましたよー。
ティラミス誕生の陰には、こんな秘話があったのかあ。
この記事によると、ティラミスを考え出したのは、トレヴィーゾの有名リストランテ、レ・ベッケリーエLe Beccherie。
こういう雰囲気の店。
レ・ベッケリーエが元祖という説は、最近でこそ知られてきているようですが、少し前までは、「トスカーナで生まれたドルチェ」とか、「中世に誕生した」とか、色々な説が入り乱れていましたよね。
『ア・ターヴォラ』の記事を少し補うと・・・
(情報源は主に、ワシントンポスト紙のサイト、washingtonpost.comのこちらのページ)
レ・ベッケリーエの店主、アルバ・ディ・ピッロ夫人は、こう語っています。
子供を出産した直後のこと、弱ってベッドで寝ていた彼女に、姑さんが、元気が出るようにと、コーヒーを散らしたザバイオーネを作ってくれたのだそうです。
それを食べたアルバに、一つのアイデアが浮かびました。
元気が出て、子供からお年寄りまで、誰にでも受け入れられるようなドルチェ・・・。
そして、当時のアシスタント、ロベルト・リングアノットさんと一緒に考え出したのが、このドルチェでした。
名前は誰かが気軽に付けたもの。
後にイタリアを代表するドルチェになるとは夢にも思わなかったから、確かなことは誰も覚えていないんだそうで。
「無数のパスティッチェリーアやレストランや大小の企業がティラミスをコピーした。
リチェッタも無数に生まれたが、ティラミスという名前だけは誰も変えなかった」
(『ア・ターヴォラ』より)
ティラミスは、ティラミスという名前でなかったら、ここまで有名になったかどうか。
いったい誰が考え出したんでしょうねえ、この名前。
誰にせよ、その人は今頃、商標登録しとけばよかったー!と地団駄踏んでいるかも。
ティラミスがレ・ベッケリーエで生まれたという説は、すでに1981年に、料理ジャーナリストのジュゼッペ・マッフィオーリという人が発表しています。
店で出すようになったのは1970年代初め。
そしてWikipediaによると、ティラミスがアメリカでブームになったのが1970年代終わりから80年代にかけて、日本でブームになったのが1990年頃。
生まれてから20年後には、日本人の誰もが知っているデザートの一つになってしまったんですねえ。
ところがところが、レ・ベッケリーエが元祖という説に異論を唱える人もいます。
特に最近、私が元祖!と名乗りを上げた人が現れて、ちょっとしたティラミス論争が勃発してるんです。
詳しいことは、明日に続く~。
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関連誌;『ア・ターヴォラ』2006年5月号(クレアパッソで販売中)
“ティラミス~誕生の物語”は「総合解説」に載っています。
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2008年5月26日月曜日
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