今日はクスクスの話。
『ヴィエ・デル・グスト』の解説です。
モロッコのクスクス, photo by KaliFire (Maroc)
クスクスは、北アフリカのマグリブ地域の主食として知られています。
国で言うと、アルジェリア、モロッコ、チュニジアあたり。
元々は、この地域の先住民、ベルベル人が食べていたもので、その後、様々な民族に支配されても、変わらずにずっとこの地に受け継がれてきました。
ヨーロッパでクスクスが広く知られるようになったのは、フランスがアルジェリアやチュニジアを支配した19世紀のこと。
イタリアの場合は、シチリアがアラブ人に支配された紀元1000年頃、シチリアに広まったと言われています。
でも、だからと言って、アラブ人がシチリアにクスクスを伝えた、とするのは早計。
クスクスは、シチリアの目と鼻の先の北アフリカ生まれです。
わざわざイスラム圏(中東や西アジア)経由で、遠回りをしてシチリアに伝わるというのは、少々不自然。
シチリアと北アフリカの関わりは、かなり古くからのこと。
有名なところでは、紀元前200年頃、ローマとカルタゴの間で繰り広げられたポエニ戦争がその一例。
カルタゴは、現在のチュニジアにあった古代国家です。
シチリアの西の端の町、マルサラから、海を渡ってすぐの場所にあり、シチリアに植民都市も築いていました。
カルタゴ軍がローマ軍を攻める拠点にしたのが、このマルサラ。
ひょっとしたら、マルサラで、毎日クスクスを作って食べていたのかも・・・。
クスクスは、おそらく、北アフリカとの草の根(?)の交流によって西シチリアに広まった、とするほうが、自然です。
そしてシチリアの海の幸と出会って、独特の進化を遂げました
シチリアのクスクス, photo by salvofiguccia
ヨーロッパに残る書物で、クスクスについて書かれた最初のものは、1630年のもの。
ジャン=ジャックン・ボシャールという作家が、南フランスのトゥーロンでクスクスを食べたことを書き記しています。
それでは、イタリアでは誰が最初にクスクスのことを書いたのでしょうか。
なんと、あのアルトゥージなんだそうです。
1891年の著書、『La Scienza in cucina e l'arte di mangiare bene』に、クスクスが出てきます。
その内容は、次回に・・・。
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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2007年9月号
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2008年10月31日金曜日
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2 件のコメント:
へえー、先住民が食べていたものなんですか。すごい歴史があるものなんですね。トラーパニに行ったとき、チュニジアに渡るかさんざん迷ってやめたことがありますが、後でソフトムスリムと聞いて、行けばよかったと後悔しました。しかしアルトゥージさんは、本当に究極のグルメというか、くまなく地方料理を知り尽くした人なんですね。現地を細かく歩いたのでしょうか、書斎派なんでしょうか。
ところでドゥーカ・ディ・サラパルータとコルヴォの関係初めて知りました。なんでかな?と思っていたので。ドゥーカ・エンリーコがもったいなくて飲めないのですが、うちの押し入れじゃ、もう悪くなっているかもしれない(^^;;
くるりさん
アルトゥージさんは隠居生活が長かったから、行こうと思ったらどこへでも行けたでしょうねえ。長生きしたから、いろんなもの食べたんだろうなあ。でも基本は学者肌というか、研究するのが好きだったみたいですね。
エンリコさんは、ジュゼッペさんのひ孫だったっけ。もったいなくて飲めない、その気持ち、分かるなあ。私も、去年ローマの聖女テレサの法悦の像がある教会で買ったアマーロ、まだ飲めない。というか、永遠に飲めない~。
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