2017年1月5日木曜日

バローロを旅する

2017年も無事に始まりました。
今年もよろしくお願いします。
今年はレンズ豆食べてないので、小金が貯まりますようにという祈願をしていないのが、ちょっと残念。

今年は何の話題から始めようかなあ。
久しぶりにワインなんてどうでしょう。

現在販売中の「総合解説」で取り上げているイタリアグルメ旅の目的地はバローロ。
イタリアで最も名門と言われるワインですので、新年の話題にふさわしそう。

Barolo

イタリアワインに興味がある人が旅行先に選ぶなら、トスカーナのキアンティかピエモンテのバローロあたりが人気ありそう。
上の写真のバローロ城に行ったことのある人も大勢いるのでは。

それでは記事のヴィジュアル解説を始めます。

記事には、バローロを造ってバローロの文化を確立させたのは、ファッレッティ女侯爵、ジュリア・コルベルト・ファッレッティとあります。
こんな人。
 ↓


ファッレッティ家はアルバ出身の有力な金融業者でした。
なるほど、お金持ってたんですねえ。
ジュリアの肖像画もたくさん残っています。

ファッレッティ家が遺産を処分して土地を手に入れ、ぶどうの栽培とワイン造りを始めたのが、バローロワインの始まり。
あの城をバローロ城と名付けたのがバローロの侯爵になったファッレッティ家。

女侯爵は、後のイタリア王家サヴォイア家ともお付き合いがあって、カルロ・アルベルト王とバローロのエピソードなど、「王のワイン」と呼ばれる根拠となる話にも事欠きません。

この王様がバローロが好きだったというエピソードは解説をお読みください。

ただ、カルロ・アルベルト王はサヴォイア家の分家の家系。
イタリア王国の前身、サルデーニャ王国の王様でイタリアの王様ではなかったんですねえ。
道理で、あまり聞いたことないなあ、何やった人だっけ・・・、という印象。
実際、その治世はあまりぱっとせず、結局晩年はポルトガルに亡命しているんですねえ。

カルロ・アルベルト
 ↓


なんてこと言ったら、トリノの人に怒られそうです。
1848年に憲法を発布して議会制を導入するなどした自由主義思想を持った王様。
でも、時代は1848年革命の真っ只中。
この年はヨーロッパ中で革命がおこりました。
イタリアも例外ではなく、むしろイタリア統一運動へとつながる激熱の革命の日々へと突入していきました。
そんな革命の気運の中で起きた第一次イタリア独立戦争でイタリアを背負って戦っていたのが(主な敵はオーストリア)、カルロ・アルベルト王だったんですね。
結局は負けるんですが、とにかく、この王様がバローロを気に入ったという逸話から、王様のワインというキャッチコピーが生まれたようです。

イタリア統一運動の重要人物だったんですねー。
大変失礼いたしました。

最後に「総合解説」でバローロのお勧めホテル・レストランとして紹介している店の動画。

ロカンダ・ネル・ボルゴ・アンティコ




リストランテ・ボヴィオ







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ストトラーダ・デル・ヴィーノの旅“バローロ”の記事の日本語訳は「総合解説」13/14年10月号に載っています。
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