2008年12月29日月曜日

ナポリの渋い伝統料理

ナポリ料理の話、今日もちょっと続けます。
『クチーナ・エ・ヴィーニ』の記事の解説です。

この記事には、あまり聞いたことのないディープなナポリ料理の名前が色々出てきます。
そこで、それらの料理の写真を探してみました。
でもさすがにディープ過ぎて、今では家庭では滅多に作らなくなった料理も多く、写真もちょっとしかないですねー。

■スカッリオッツィ scagliozzi (白いとうもろこしの粉のフリット。ナポリでポレンタと言うのはなんだか意外)
multiplayer.it

■ミネストラ・マリタータ minestra maritata (野菜、豚肉、豚の干し肉入りスープ。昔は祝日に食べるご馳走でした。マリタータとは“混ぜ合わせた”という意味)
chefdanielepriori.it

■マッケローニ・アッラ・ジェノヴェーゼ maccheroni alla genovese (15世紀末にジェノヴァ出身の料理人が考え出した料理とか、19世紀にジェノヴェーゼという名前の料理人が考え出した、など諸説ある。玉ねぎたっぷりで肉はちょっとのラグーをかけたパスタ)
carlocapone.altervista.org

■パッラ・ディ・ノーラ palla di Nora (大型サラミ)
cgi.ebay.it

■サラーメ・ムニャーノ・デル・カルディナーレ salame Mugnalo del Cardinale (ムニャーノ・デル・カルディナーレというアヴェッリーノ郊外の町のサラミ)
sito.regione.campania.it



マッケローニ・アッラ・ジェノヴェーゼは、ジェノヴァと言う名前でもナポリ料理。
ラグーをかけたパスタのことなんですが、このラグー、『クチーナ・エ・ヴィーニ』の記事によると、「玉ねぎが3/4で肉が1/4」。
つまり、たーっぷりの玉ねぎを、肉、サラミ、香味野菜、トマトペーストなどと一緒に5時間ぐらい煮込んだラグーです。
そして記事にもある通り、ナポリの庶民のラグーは、ラグーと言う名前でも「肉の姿は見えない」わけで、当然、肉は取り出してセコンドピアットに。
こんな料理を出しているレストランがまだナポリにはあるので、マッケローニ・アッラ・ジェノヴェーゼに出会ったら、ぜひお試しを。



今年のブログはここまで。
今年も楽しく書いてこれました。
コメントも、ありがとうございます!
とても励みになります。
また来年もよろしくお願いしますねー。

皆様、よいお年をお迎えくださ~い。
そしてまた来年、イタリア料理ほんやく三昧に、遊びに来てくださいませませ。
お待ちしておりますよん。



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関連誌;『クチーナ・エ・ヴィーニ』2007年10月号
“ナポリ”の記事の解説は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.28に載っています。


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2008年12月26日金曜日

100年前のナポリ

今日は昔のナポリの話。
『クチーナ・エ・ヴィーニ』の記事の解説です。

ナポリの料理とレストランを紹介する『クチーナ・エ・ヴィーニ』のこの記事に、こんな文章があります。

19世紀後半の有名な写真家兄弟、フラテッリ・アリナーリの写真には、100年前のナポリの路地で、大きな鍋から手づかみでスパゲッティを高く取り出して、皿に盛っている男の姿を写したものがある。
彼らは“マッケロナーロ”と呼ばれた。
ナポリの庶民は、チーズを軽くかけたゆでたてのパスタを彼らから買って、家の戸口で、麺を人差し指と親指でつまんで食べた。
貧しいストリートフードだ。
しかし、市民の顔は明るく、惨めさは全くない。
マッケロナーロは、まるでトロフィーのようにスパゲッティを高く掲げている。
貧しくても自分たちを憐れむ気持ちはみじんもなく、必要最低限のものがあれば十分だという心意気は、ナポリと食べ物の関係をよく表している。



その写真は、たぶんこれです。
 ↓
flickr.com

ちょっと衝撃的ですね~。

同じフラテッリ・アリナーリの写真で、こんなのもあります。
 ↓
napoliontheroad.it

こうやって路上でパスタを売って、それを手づかみで食べるというのは、19世紀末から20世紀初めにかけての南イタリアでは、別に珍しいことではありませんでした。

でも、なんだか食べにくそう。
spaghettitaliani.com

flickr.com

endlesssimmer.com


当時はイタリア中の広場や路上で、さまざまな人が店を出して商売をしていたそうです。
靴磨き、散髪屋さんやパーマ屋さんなどは想像つきますが、すごいのが牛乳屋さん。
なんと牛を連れていて、注文があったらその場で搾ってたんだそうですよ。
これがその写真。
 ↓
handprints.alinari.it

これもアリナーリの有名な写真、ナポリのフルーツ売り。
 ↓
shopping24.ilsole24ore.com


100年前のイタリアの様々な働く人々の姿を写したアリナーリの写真はこちら。
 ↓
handprints.alinari.it


フラテッリ・アリナーリ Fratelli Alinari とは、1852年にアリナーリ3兄弟がフィレンツェで始めたイタリアで最初の写真館で、現在も様々なメディアで活動を続けています。

フィレンツェのアリナーリ国立写真博物館
 ↓
mnaf.it



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関連誌;『クチーナ・エ・ヴィーニ』2007年10月号
“ナポリ~料理とレストランガイド”の記事は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.28に載っています。


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2008年12月24日水曜日

カチョカヴァッロ・ラグザーノとカミッレーリ

今日はラグザーノの話、その2。


ラグザーノDOP
 ↓
andreagraziano.wordpress.com

ラグザーノができるまで
 ↓
www.comune.ragusa.it


シチリアの牛乳のチーズ、ラグザーノDOPは、いわゆる“とろけるチーズ”で、カチョカヴァッロの一種。
とろけるチーズを使う料理にこのラグザーノを使えば、あっという間にシチリア風やラグーザ風の一品になる、という訳ですね。

とろけるチーズを使う料理と言うと、たとえば、アランチーニやなすのパルミジャーナなどにこのチーズを使っているリチェッタもあります。
古いリチェッタでは、スライスして溶き卵をつけて油で揚げる、なんていうのもあります。
前菜や食後の一品として食べるのも一般的。


有名シェフでは、ラグーザ・イプラのリストランテ・ドゥオモのシェフ、チッチョ・スルターノ氏は、さすがに地元だけあって、ラグザーノを使った様々な料理を出しています。

店のhpはこちら。
 ↓
ristoranteduomo.it


ラグーザ出身で、カターネ・パレス・ホテルのレストラン、イル・クチニエーレ(hpはこちら)のシェフ、カルメロ・キアラモンテ氏は、ラグザーノのメーカーが出した料理書にリチェッタを提供しています。

こんな本。
 ↓
vigata.org


この本には、イタリアの有名ミステリー作家、アンドレア・カミッレーリ氏が書いたカチョカヴァッロにまつわるエッセイも収録されています。

彼は、日本でも2冊出版されているモンタルバーノ警部シリーズで有名。
モンタルバーノ警部-悲しきバイオリン

イタリアではテレビシリーズにもなっているベストセラーで、以前、このブログでも取り上げたことがあります(こちら)。

シリチア料理に造詣の深いグルメとしても知られるカミッレーリ氏は、1925年にアグリジェント郊外の町で生まれています。
こんな人。
 ↓
flickr.com
 
その彼、カチョカヴァッロにはこんな思い出がありました・・・。


5歳の時のこと、ある朝私がマンガを読んでいると、母親から、「ナポリ人の店に行ってカチョカヴァッロを100g買ってきて」と使いを命じられた。
当時私の町では、食料品店はすべて「ナポリ人の店」と呼ばれていた。
彼らが皆ナポリ風のアクセントで話していたからなのだが、実際のところは、サレルノかアマルフィのなまりだったのかもしれない。
また、当時はまだ、100gのことを「ウン・エット」と呼ぶ習慣はなく、「チェント・グランミ」と呼んでいた。
「エット」は私がもっと大人になってから、「民主主義」や「共和国」、「投票」、プレゼーピオに取って代わった「クリスマスツリー」などと一緒に入ってきた言葉だ。

その時の私は、カチョカヴァッロなんて全然食べたくなかった。
そのカヴァッロ(馬)という名前から、私は馬肉の切り身を想像した。
しかも血が滴って皮も付いている生肉を。
カチョカヴァッロがチーズのことだとは知らなかったのだ。
父は「普通のチーズだよ」、と言いなだめるのだが、そんなのウソだと思った。
チーズは山羊や牛のお乳から作るもので、馬のお乳のチーズなんて、見たことない!
結局、母の命令に逆い通すことは難しく、私は憂鬱な気分でナポリ人の店に向かったのだった。

店で渡された包みを人気のない路地を通って家まで持って帰るのは、ちょっと怖かった。
私はふと立ち止まり、包みを開いて中の香りをかいでみた。
それは確かにチーズの香りだった。
しかもおいしいチーズの香りだった。
馬肉を想像させるものは何もない。
そこで私は思い切った行動に出た。
ちょっとなめてみたのだ。
少しピリッとしたが、おいしかった。

その日、母はカチョカヴァッロをテーブルに出した。
そしてなんと、父と二人で食べてしまった。
「えっ、僕の分は!?」
・・・・・。


小学2年生の時のこと、父がラグザーノを丸ごと一個持って帰ったことがあった。
当時一家は田舎の家で数ヶ月過ごしていて、私は彫刻を造ることに夢中になっていた。
ラグザーノが半分の大きさになったとき、私はこれを馬の形に彫ってちょっとした作品に仕立てることを思いついた。
まず一片を切り取って長方形にし、さらに四角にし、そして三角にし・・・。
出来はなかなかだった。

その晩、削りカスだけが残ったカチョカヴァッロの姿を見た父は怒り出した。
「誰がやったんだ」
「僕が馬の置物を作ってみたんだ」
「それはどうした」
「庭のベンチの上に飾ったよ」

翌朝、私の作品はなくなっていた。
絶望して泣き出した私に、母は、「きっとネズミが食べちゃったのよ」と言った。
だが、私は確信していた。
食べたのはネズミじゃない。
父さんだ!




イタリアの子供は、カチョカヴァッロと聞くと、やっぱり馬を想像するんですね。
大先生も昔は可愛かったんだなあ。
もちろん、カチョカヴァッロのカヴァッロは馬という意味ではなく、“またがる a cavallo ”という意味。
チーズ(カーチョ)を熟成させる時に、棒にまたがるようにチーズをかけて吊るしたことからついた名前ですよね。
馬のミルクのチーズではありません。
念のため(笑)。



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関連誌;『ア・ターヴォラ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
“ラグザーノ”の記事の解説は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.323に載っています。


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2008年12月22日月曜日

ラグザーノ

今日もチーズの話。
前回はイタリアの北の端、アルト・アディジェのチーズでしたが、今度は南の端のシチリアのチーズ。
『ア・ターヴォラ』の記事の解説です。

シチリアには、DOPチーズ(産地が法律で定められているチーズ)が2つあります。
ペコリーノ・シチリアーノとラグザーノです。
今回取り上げるのは、ラグザーノ ragusano 。

元々はカチョカヴァッロ・ラグザーノと呼ばれていた歴史の古いチーズで、1996年にDOPになった時に、カチョカヴァッロが取れて、“ラグザーノ”という名前が公式名称となりました。
よく、「シチリアで一番古いチーズ」と言われます。

原料は牛乳で、モッツァレッラなどと同じパスタ・フィラータタイプのセミハードチーズ。
シチリア南東部のイブレイ山地のふもと、ラグーザ県全域とシラクーザ県南部で作られています。


Paesaggio Ragusano
ラグーザの風景, photo by Sebastiano Pitruzzello


前回取り上げたカルブルーは、典型的なチロル地方の風景の中で作られているチーズでしたが、このラグザーノは、いかにもシチリアンな風景の中で作られていますねえ。
出来上がったチーズも、やっぱりシチリア的。
こんな姿をしています。
 ↓
deliziedelpalato.it

1個10~16kgと大型で、形は無骨な長方形。


下の動画には、ラグザーノを作る過程が少しだけ出てきます。
作り方を簡単に説明すると、まず牛乳を固めて柔らかいチーズになったらスライスし、お湯に入れて休ませます。
これを練ってまとめ、大きな長方形に型押し。
仕上げは真ん中をひもで結び、天井に渡した梁から吊るして熟成させます。






司会の人、古代ギリシャ人も知っていた古いチーズで、シチリアの交易品の一つだった、と言っていますね。
かつてラグザーノは、モディカ牛のミルクから作られていました。
モディカ牛のミルクのチーズは、シチリアのチーズの中でも特に美味しいことで知られていたそうです。
ところが、シチリアの農業の不振などから飼育数が減少してしまい、現在のラグザーノは、100%モディカ牛のミルクから作られている訳ではありません。
現在はシチリア州やラグーザ県、スローフードなどもバックアップして、モディカ牛復活の道が模索されている最中。

モディカ牛でなくても、ラグザーノは、イブレオ高原の牧草を食べた牛のミルクから作られます。
しかも古い道具を使った昔ながらの作り方をしているので、北イタリアのチーズとはまた違った、シチリアならではの個性を持ったチーズになります。


中央にひもで縛った後が残っているのがこのチーズの特徴。
天井から大きな塊がいくつもぶら下がっているラグザーノの熟成室は、なかなか壮観です。
こんな様子。
 ↓
cicciapausi.it

熟成期間は3ヶ月から10ヶ月以上。
若いうちは甘さが感じられ、熟成が進むにつれて辛口になります。
『ア・ターヴォラ』には、「最上質のものは最低8ヶ月寝かせる」とあります。


ラグザーノの話、今日はここまて。
次回は、ラグザーノを使った料理の話です。



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関連誌;『ア・ターヴォラ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
“ラグザーノ”の記事の解説は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.23に載っています。


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2008年12月19日金曜日

アルト・アディジェのチーズ、カルブルー

今日はチーズの話。
『クチーナ・エ・ヴィーニ』の記事の解説です。

南チロル地方のレストラン、シューネック schöneck のシェフ、カール・パウムガルトナー氏が、『クチーナ・エ・ヴィーニ』で、なかなかおもしろいコースメニューを披露しています。
店のhpはこちら

コースの最後の一品、つまりデザートが、カルブルー CaRuBlù というチーズ。

こんなチーズです。
 ↓
tommasofarina.com/images/carublu

レストランのあるプステリーア渓谷の、デグストというチーズ屋さんが作っている牛乳のブルーチーズで、カカオとラム酒をこねた生地で覆って熟成させるのが特徴。

店のhpはこちら。
 ↓
degust.com/it.html


このカルブルー、hpの商品説明によると、チョコレートのような強い香りとトースト香があり、甘さとほろ苦さのある複雑な味。
熟成は2~3ヶ月。
1個1.6kg。
お勧めのワインは、ポルト酒かラム酒。


シューネックのシェフは、このチーズに蜂蜜をかけ、ココアパウダーとラム酒入りのチョコレートパンを添えて、デザートに仕立てています。

こんな一品。

カルブルーのカッルーベの蜂蜜がけ、チョコレートパン添え
カルブルーのカッルーベ(イナゴ豆)の蜂蜜がけ、チョコレートパン添え


デグストでは、カルブルーのようなオリジナルのチーズの他にも、様々なチーズを熟成させています。
こちらのページは店の商品の一部。
 ↓
degust.com/it/galerie

どれもおいしそうですねえ。
事前にアポイントを取れば、ガイド付きで試食もできます。


実は、シューネックのシェフと、デグストの経営者は名字が一緒。
もしや?と思って調べてみたら、やっぱり兄弟でした。
チーズと料理とは、なかなかおもしろい分野を選んだ兄弟だなあ。


プステリーア渓谷はこんな場所。
おいしいチーズができそう~。





今日のおまけ。
「プステリーア渓谷の乳牛」というタイトルの動画があったから、どんな牛かと思って見てみたら・・・。







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関連誌;『クチーナ・エ・ヴィーニ』2007年10月号
カール・パウムガルトナーシェフのリチェッタは、「総合解説」'06&'07年10月号、P.18に載っています。


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2008年12月17日水曜日

コトレッタとラデツキー将軍

今日も、コトレッタ・アッラ・ミラネーゼにまつわる話。
『ア・ターヴォラ』の記事の解説です。

コトレッタ・アッラ・ミラネーゼの話をする時によく引き合いに出されるのが、ウィンナーシュニッツェル


Wiener Schnitzel
ウィンナーシュニッツェル, photo by Januschka


そしてウィンナーシュニッツェルの話が出ると必ず登場するのが、ラデツキー将軍

たいていは、「オーストリアのラデツキー将軍がミラノでコトレッタを食べて気に入り、ウイーンに伝えた」という話。
実際、この2つの料理にどんな関係があるのか、イタリア人もオーストリア人も、本当のことは知らないわけですが・・・。


で、このラデツキー将軍て、誰?

日本語のwikiにはこう書いてあります。
 ↓
ja.wikipedia.org


あれ、ウインナーシュニッツェルは「ナポリから持ち帰ったカツレツ」ということになってますねー。
まあそれはともかく、この人物、オーストリア軍の将軍で、音楽の世界では、ヨハン・シュトラウスの『ラデツキー行進曲』でよく知られる人。
日本でも毎年TV中継されているウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで、アンコールに演奏される、あの曲ですねー。


2008年のニューイヤーコンサートでのラデツキー行進曲





この曲、1848年に、ラデツキー将軍を讃えて作られたわけなんですが、なんで讃えたのかと言うと、実は、当時オーストリアが支配していた北イタリアで起こった独立運動を、この将軍が抑え込んだからなんですねー。

1815年のウィーン会議によって、ロンバルディアと旧ヴェネチア共和国の領土は、ロンバルド=ヴェネト王国となり、オーストリア皇帝が王座について、オーストリアの属国となりました。
1831年に、このロンバルド=ヴェネト王国の司令官に任命されたのが、ラデツキー。
1848年には、ロンバルド=ヴェネト王国の副王になっています。
きっと、独立運動鎮圧の働きが評価されたんでしょうねえ。

オーストリアから見れば、歴史に残る名曲が生まれてしまうほどの英雄でも、当時のイタリアからすれば、あくまでも自由を奪う占領軍。
オーストリアの支配からの独立を求める戦いは、かなり激しいものでした。
特に1848年は、ヨーロッパ各地で蜂起が起こってウィーン体制が崩壊へと向かった「1848年革命」の年。

ミラノでも、3月にはオーストリアからの独立が宣言されました。
それを受けてラデツキーの軍はミラノに攻め込むのですが、最初は破れてしまいます。
その勝利に活気づくイタリア軍、そしてヨーロッパ各地で起こる反乱の嵐。
ああオーストリアは、もはやこれまでか~。
と思っていた時、ラデツキーが部隊を補強して再登場し、8月にはミラノを再び取り返してしまいます。
さすがにこりゃあ、母国では英雄となるわけですねー。


ミラノの支配者として君臨していれば、コトレッタ・アッラ・ミラネーゼを食べる機会は、きっとたくさんあったはず。
そしてかなり気にいったようで、そのレシピを事細かに手紙に書き記した・・・。
というのが、よく知られている話。
その手紙、今はどこにあるのかなあ。


結局、ラデツキーは引退後もミラノに留まりました。
そして1858年に、ミラノで亡くなりました。
91歳でした。

翌年の1859年、サルデーニャ王国の首相カブール(後のイタリアの初代首相)が、フランス軍と同盟を結んでオーストリアと戦い、オーストリアはミラノを失います。
そしてその2年後の1861年、統一国家としてのイタリア王国の誕生が宣言されます。


もうすぐ年末、そして新年。
2009年のニューイヤーコンサートでも、きっとラデツキー行進曲が演奏されるんでしょうねえ。
陽気な曲、なんて思って聞いてたけど、当時のミラノの人は、いったいどんな思いでこの曲を聞いたのか・・・。
あー、今度コトレッタ・アッラ・ミラネーゼかウィンナーシュニッツェルを見たら、ラデツキー将軍のことを思い出してしまうかも~。



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関連誌;『ア・ターヴォラ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
“コトレッタ・アッラ・ミラネーゼ”の記事の解説は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.12に載っています。


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2008年12月15日月曜日

ミラノのサヴィーニ

今日は、コトレッタ・アッラ・ミラネーゼにまつわる話。
『ア・ターヴォラ』の記事の解説です。


Cotoletta alla milanese
ザウィーニのコトレッタ・アッラ・ミラネーゼ, Fugu Tabetai


『ア・ターヴォラ』の記事、“コトレッタ・アッラ・ミラネーゼ”は、この料理にまつわる様々な話題を取り上げています。
その中の一つが、ミラノのガッレリーアの中にある有名レストラン、サヴィーニの話。

サヴィーニは、1867年開業の老舗で、一時は一世を風靡した有名店でした。
記事にはこんな風に書いてあります。、

「1950年代から70年代にかけて、ミラノで一番スノッブ、とみなされていたのが、スカラ座でオペラを観て、その後にサヴィーニやピッフィで、コトレッタやリゾット・アッラ・ミラネーゼ(またはリゾット・アル・サルト)を食べることだった・・・」

スカラ座の黄金期も、1950年代から60年代にかけて。
サヴィーニとスカラ座は、切っても切れない関係にあったようですね。


こんな話も・・・。
「サヴィーニは、ふたりの有名ソプラノ歌手、レナータ・テバルディとマリア・カラスの女の戦いの舞台にもなった・・・」

マリア・カラスとレナータ・テバルディは、20世紀後半のイタリアオペラ界を代表する歌手。
カラスは、1950年にテバルディの代役としてスカラ座に立ったことが、一種のメジャーデビューでした。
その後、ルキーノ・ヴィスコンティが演出したオペラによって、歌だけでなく演技にも開眼し、「20世紀最高のソプラノ歌手」として羽ばたいていきます。
これに反発したのが、すでに人気者だったテバルディのファンや一部の批評家。
カラスに対してアンチ活動を行って、その結果世間では、二人はライバル、と言われるようになったのだそうです。


マリア・カラスの才能を開花させたルキーノ・ヴィスコンティは、有名映画監督で、オペラの演出家としても一流で、イタリアの超名門ヴィスコンティ家出身の伯爵で、高貴なルックス(そして誰もが知る美少年好き)。
こんな人なら、女子はみ~んな憧れちゃいますよねえ。
マリア・カラスもヴィスコンティにぞっこんだったとか・・・。
夫(30歳年上!)がいたのに、惚れちゃったらしい。
サヴィーニで、ヴィスコンティと二人で食事なんかしたんでしょうか。
妄想は広がる・・・。


マリア・カラスとヴィスコンティが一緒にインタビューを受けている動画


Morte a Venezia
ヴィスコンティの代表作の一つ、『ヴェニスに死す』の一場面
photo by kairin simo



こんな華やかで退廃的な社交界の舞台だったサヴィーニ。
さぞかし当時は輝いていたんでしょうね。

その後、時と共にサヴィーニの名声は急降下。
華やかなりし日々の記憶も、昔話や伝説の中でしか語られなくなってしまいました。

『ア・ターヴォラ』の記事には、「もうサヴィーニは存在しない」とはっきり書いてあるのですが、実は、まだサヴィーニはガッレリーアにあります。
ただし、記事が書かれた数ヶ月後の2007年の夏に、経営者もシェフも外見も店の方針も、すべて変わりました。

サヴィーニは過去10年間、トゥーリン・ホテルズというグループが所有していました。
トリノのパレス・ホテルを始めとする数々の高級ホテルを所有し、トリノの有名店、カンビオも所有している多国籍企業です。
そのトゥーリン・ホテルズに代わって新しい所有者となったのが、ミラノで3軒のカフェを経営するマルコ・ガット氏。
シチリアのアグリジェント出身で、1974年にミラノにやってきて叩き上げでのし上がった人。
「かつてのサヴィーニの栄光を取り戻したい」と、強い意欲を見せています。

今から1年前に店が再開した日は、スカラ座の初日と同じ12月7日。
新しいシェフは、クリスチャン・マグリ氏。
アイモ・エ・ナディアなどで腕をふるっていた人だそうです。
1年たった今、どんな店になっているのでしょうか・・・。
ガッレリーアという場所だけに、きっとすでに日本人で行ったことのある人も大勢いるんだろうなあ。
ちなみに、一番上のサヴィーニのコトレッタの写真は、2008年5月の撮影です。

サヴィーニのhpはこちら



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
“コトレッタ・アッラ・ミラネーゼ”の記事は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.12に載っています。


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2008年12月12日金曜日

牛肉のブラザート

今日は牛肉のブラザートのリチェッタ編。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。

ピエモンテの名物料理の一つ、バローロのブラザートは、正確には、“牛肉のブラザート、バローロ風味”とでも言うのでしょうか。
イタリア語では、Brasato al Barolo 。


A complete dish
このブラザート、付け合わせはきのこのソテーと定番のポレンタ, photo by Sara Maternini


Brasato al vino
ブラザート後, photo by Sara Maternini



バローロのブラザートの簡単な作り方の動画を1つご紹介。




材料は指をさしている順に
セロリ、塩、こしょう、クローブ、ナツメグ、牛肉、ローリエ、にんじん、玉ねぎ、バローロ

・にんじんはスティック状に切り、セロリは小口切り。玉ねぎは4つに切ってクローブを刺す。
・肉に野菜、こしょう、ナツメグを加えてバローロで覆い、蓋をして12時間マリネする。
・鍋にたっぷりのバターとローリエを熱し、肉を入れて数分焼く。
・野菜とマリネ液を加えて肉を8割がた覆い、塩をする。
・蓋をしてことことと2時間30分煮る。
・煮汁をハンディーミキサーで攪拌する。
・肉をスライスして煮汁をかける。



牛肉のブラザートの基本は、
肉を野菜とワインで長時間マリネし、肉を油で焼いてから野菜とワインを加えてじっくり煮る。
肉を繊維に垂直にスライスし、煮汁は裏漉ししてサルサに。


次は、アンニバーレ・マストロッディというローマの肉屋さんが、ブラザートに最適の部位とリチェッタを説明している動画。
肉は出てきますが料理は出てきません。





この肉屋さんお勧めの部位は、大きな塊のキアーナ牛の肩肉。
フィレンツェではコペルティーナ、北イタリアではカッペッロ・デル・プレーテと呼ばれている部位。
つまり、かたロースとかたばらを切り取った後のうで肉です。
ブラザートの作り方は、最初の動画のものとほぼ一緒ですが、一つだけ違うのは、肉にラルドを刺し込んでラルデッラーレしていること。


バローロ以外にも、様々なワインを使えますよね。

こちらはアマローネのブラザート Brasato all'amarone 。
abbuffone.it

肉はバターとラルドで焼いています。


そしてロッソ・ディ・モンタルチーノのブラザート Brasato al rosso di Montalcino 。
cookaround.com

・マリネ液はジュニパー、黒粒こしょう、クローブを刺した玉ねぎ、ローリエ、ロッソ・ディ・モンタルチーノ。
・肉は糸で縛る。マリネ時間は24時間。
・肉をバター、ローズマリー、タイムで焼き、粗く切った玉ねぎ、セロリ、にんじんを加えて数分炒める。
・マリネ液(漉す)をかけて塩を加え、とろ火で約3時間煮込む。
・肉を取り出し、アルミ箔で包んで保温する。
・煮汁を漉して野菜を別にし、煮汁にバターを加えてつなぐ。
・肉をスライスして煮汁をかける。付け合わせはポレンタと煮た野菜



すね肉もブラザートに適した部位。
でも、肩やもも肉とはリチェッタが違います。

これは豚のすね肉のブラザート。
 ↓
cookaround.com

マリネはせず、ブロード・ディ・カルネとトマトペーストを加えて煮ています。
ちなみに、『ラ・クチーナ・イタリアーナ』では、子牛のすね肉をオーブンでブラザーレするリチェッタを紹介しています。



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
バローロのブラザートとすね肉のプラザートのリチェッタは、「総合解説」'06&'07年10月号、P.9~11に載っています。


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2008年12月10日水曜日

ブラザートとストゥファート

今日はブラザートの話。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。


brasato al barolo con fiori di purè, spinaci alla piemontese e cavolfiore gratinato
バローロのブラザート, photo by Silvio


記事によると、ブラザート brasato は、イタリア語で「炭」という意味の“ブラーチェ brace ”の古い呼び方、“ブラーザ brasa ”が語源だとか。
つまり、炭火でことこと煮込む料理をイメージすればいいわけですね。
暖炉で燃える炭の上に鍋をのせて、鍋の蓋にも炭を少量のせて、時間をかけて肉を煮込んでいく・・・、そんな料理。
ただし、煮る前に肉の表面を焼いてカラメッラーレするので、肉としての存在感もしっかり残っています。

イタリア語には、「煮込み」という意味でよく使われる言葉が他にもあります。
“ストゥファート stufato ”、“ストラコット stracotto ”、“ラグー ragù ”などですが、代表的なのはストゥファート。
ストゥファートの語源は、ストーブという意味の“ストゥーファ stufa ”。

ストゥファートとブラザートは、どこが違うんでしようか。

実は、この問題を考え出すと、あっという間に出口のない迷宮にはまりこんでします。
イタリアでも色んな意見があります。
ストゥファートは野菜を炒めないがブラザートは炒める、とか、ストゥファートには野菜を加えないがブラザートにはたっぷり加える、とか・・・。

「ストゥファートには野菜を加えない」、という説は意外と有力で、野菜を加えないためにストゥファートはブラザートより煮汁が濃く、色も黒い、という説明もよく目にします。


Guangialino stufato e polenta
2つ星店アンバッシャータの“頬肉のストゥファート”, photo by Sara Maternini
確かに、上のバローロのブラザートと比べると、煮汁が濃いかも・・・。


煮込み料理というと、日本の場合はシチューのような料理をイメージしませんか?
英語の“シチュー stew ”は、イタリア語に訳すとストゥファートや“ウミド umido ”。
ウミドとは、ストゥファートもブラザートも全部含めて、「煮た料理」という意味です。
日本のシチューとストゥファートの大きな違いは、日本のシチューはルーでつなぐのに対して、ストゥファートは必ずしもつなぎを加えないということ。
日本のシチューは、イタリア語なら“スペッツァティーノ spezzatino ”ですかね。


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一口大に切った肉を煮込むのがスペッツァティーノ, photo by Raphaela


ちなみにブラザートを英伊辞典で調べたら、英語では“ポットロースト pot roast ”と訳すのだそうです。


ブラザートとストゥファート、イタリアでもその違いは曖昧で、はっきりした答えはないようです。
野菜がたっぷり入っていてもストゥファートと名乗っている料理もあれば、キャベツのストゥファート、など野菜のストゥファートもあります。
ブラザートも、魚や野菜に「~のブラザート」と名付けた料理はよくあります。
要は、名前をつける人のセンス次第、ということでしょうか。
もちろん、バローロのブラザートはあくまでもブラザートで、バローロのストゥファートとは呼びたくない!


野菜のストゥファートやブラザートは、肉の場合とは調理方法が異なります。
その一例。
“アスパラガスのブラザート asparagi brasati ”という料理の動画です。
1.7kgのアスパラガスを隙間ができないサイズの鍋に入れ、水1カップ、塩少々でブラザーレしています。
煮汁にはオリーブオイル、塩、レモン汁を加えて混ぜ、これをアスパラガスにかけます。





次回はブラザートのリチェッタの話です。



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
“基本のチェッタシリーズ~ブラザート”の日本語訳は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.9に載っています。


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2008年12月8日月曜日

ナポリのじゃがいものガットー

今日はナポリ料理の話。
『サーレ&ペペ』の記事の解説です。

今回取り上げるナポリ料理は、じゃがいものガットー gattò di patate 。

これ、ガトー gateau じゃないですから。
あくまでも、ガットーですから。

こんな料理です。
kucinare.it
ricettedicucinamoderna.blogspot.com
gennarino.org


ゆでて潰したじゃがいもに、バター、牛乳、おろしチーズ、卵、生ハムの小角切り、プレッツェーモロなどを加えて濃いピューレにし、間にプローヴォラやモッツァレッラをはさみながら型に詰めて、パン粉を散らして焼いたじゃがいものケーキです。
とても家庭的な一品で、イタリアのあちこちのブログで自慢のガットーが紹介されています。


ガットーって、なんだか微妙になまってるなあと前々から思っていたのですが、『サーレ&ペペ』の記事を読んで、なるほど、そうだったのか!と納得しましたよー。
どうやらこの名前、広めたのはイッポリート・カヴァルカンティのようですね。

イッポリート・カヴァルカンティ Ippolito Cavalcanti 。
この人は、1787年ナポリ生まれの文人、かつ料理研究家で、ブオンビチーノ公という称号の貴族でした。
探してみたら、ブオンビチーノという名前の村がカラプリアにありました。
この村の領主だったのかどうかは知りませんが、ブオンビチーノ家は、ナポリにやってくる前はフィレンツェとカラブリアに領地を持つ一族だったそうです。

イッポリート・カヴァルカンティは、ナポリ料理の本としてはとても権威のある歴史的な本、『クチーナ・テオリコ・プラティコ(理論的、実践的料理)』(1837年初版)の著者として有名で、イタリア料理の歴史の中では重要な人物。

この本は19世紀のナポリ料理をシンプルな言葉で解説した本で、貴族向けのイタリア語の章と、平民向けのナポリ方言の章とで構成されています。
方言で書くというのは当時としては珍しいことでした。
彼は普段から、「貴族の義務」というものを大切に思っていた人だったそうで、貴族の間に広まっているおいしい料理を庶民にも伝えたい、という純粋な使命感からこの本を書いたのかもしれません。

中世からイタリアが統一されるまでの間、ナポリでは主にフランス人とスペイン人の王が交互に誕生しては消えていく状態を繰り返していました。
そして19世紀前半当時、貴族の間で流行していた料理というのがフランス風の料理です。
カヴァルカンティは、普段は標準イタリア語でさえ話さず、ましてやフランス語などほとんど理解しない庶民に、フランス風の料理を分かりやすく紹介しようとしたわけです。
そこで考えだしたのが、フランス語の発音をイタリア語にあてはめたオリジナルのネーミング。


この単語をイタリア語風にすると、どうなると思いますか?

charlotte
gratin
céleri
gateau

カヴァルカンティが考えた言葉は、

チャルロッタ
グラッテ
セッレーリ
ガットー


ずいぶん愛情あふれる経緯で生まれたネーミングだったんですねえ。
そう思って見てみると、「じゃがいものガットー」って、なまってるところが味があっていいかも・・・。
ナポリ料理の店で、“ gattò di patate ”というメニューを、ガトーじゃなくてガットーと読む人がいたら、きっとなかなかの通ですよん。



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関連誌;『サーレ&ペペ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
“じゃがいものガットー”の記事の日本語解説は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.5に載っています。


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2008年12月5日金曜日

レ・カランドレ

パドヴァの話、その5。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。

今日は、パドヴァから8㎞離れたルバーノという町にあるミシュランの三ツ星レストランの話です。

その店は、レ・カランドレ Le Calandre 。
hpはこちら。
calandre.com
東京にも支店があります。

ちなみに、2009年版ミシュラン・イタリアの3つ星店は、イル・ソッリーゾ、ダル・ペスカトーレ、エノテーカ・ピンキオッリ、ラ・ペルゴラ、そしてこのレ・カランドレの5軒。


Filetto impanato ma non cucinato

分厚い生の牛肉のカルパッチョに揚げたパン粉をまぶしたレ・カランドレの一品。
サルサは卵とビーツの汁がベースでスパイス入り
photo by Renée S.


レ・カランドレのシェフは、マッシミリアーノ・アライモ氏。
彼の話をする時は、その年齢が必ず話題に上ります。
とにかく若い!

今から7年前の2001年、マッシミリアーノ氏が『ア・ターヴォラ』に登場した時には、こんな風に紹介されていました。

・・・・・・

レ・カランドレのシェフ、マッシミリアーノ・アライモ氏、通商マックスは、26歳の若さにしてミシュランで2つ星が与えられているイタリアでただ一人のシェフだ。
しかも一つ目の星がついた時も新記録で、その時はわずか18歳だった。

アライモ家は4代に渡って飲食業を営んできた。
マックスの兄のラッファエーレ(2001年当時33歳)もレ・カランドレでサービスを担当し、店を繁盛させる原動力となった母親のリタ・キメットは、現在はパスティッチェリーアを受け持っている。
さらにマックスの婚約者はスー・シェフの妹で、ソムリエはアライモ兄弟の従妹と結婚することになっている。

リタの父親のヴィットリオはビアホールを経営していた。
そこでカメリエーレとして働いていたのが、リタの夫となったエルミニオ・アライモだ。
ヴィットリオは1960年代にアウロラというホテル・レストランを始めた。
子供たちも店を手伝っていたが、やがて長男のジョヴァンニが独立してリストランテを開き、エルミニオもその店に移る。
67年にはエルミニオがジョヴァンニから店を引き継ぎ、彼は81年まで店の経営を続けた。
この店はミシュランでは星が一つついていた。

リタの兄弟たちは次々と独立し、ヴィットリオが始めたアウロラには、リタの兄が一人だけ残っていた。
ある日、リタとエルミニオはその兄から、一人ではこれ以上続けられないので店を手放したい、と打ち明けられる。
二人は思いとどまるように説得し、リタが料理人としてアウロラで働くことになった。
それが1979年のこと。
2年後、兄はアウロラの経営から手を引き、エルミニオはそれまでやっていた店をやめて、リタと一緒にアウロアを引き継いだ。

この店がやがて、リストランテ・レ・カランドレとなる。
レ・カランドレとは、南イタリアに生息する茶色い羽根のヒバリの一種だが、あまり深い意味はないようだ。
経営コンサルタントから店名候補を5つあげてもらって、その中から一番響きのよいこの名前を選んだ、とリタは言う。

リタの直観的な感性は、息子のアライモにも受け継がれている。
彼のことをモーツァルトのようだと言った人がいるが、頭の中で鳴っている音をそのまま楽譜にしてしまうモーツァルトのように、彼も素材の香りをかいだ時に、出来上がる料理の味をイメージすることができるのだ。

彼はこう語る。
「たとえば牛肉なら、生肉を味見するだけでは足りません。
産地がどこで、どんな香草を食べて育ったかを知る必要があります。
そしてそれと同じ香草を料理に使うんです。
私は何年もずっとこうやってきました。
牛も子牛も、地元ヴェネトで有機飼料で育てられたものを使っています。
卸業者も信頼できる人で、彼の息子は一時ここで働いていたこともありました。
料理の成功は食材の質次第と信じていますが、最高のものに決まりはありません。
日本人のシェフが店に勉強にやってくると、ビックリすることがあります。
私たちなら捨ててしまうコウイカのくちばしやヒラメのひれを、しょうゆとしょうがに漬けて、片栗粉をつけて揚げたりするんです。
勉強になりますよ・・・」

マックスは小学生の頃から料理人になりたいと思っていた。
料理人以外の職業は考えられなかった。
パドヴァのホテル学校に通い、15歳でトレンティーノ地方のレストランに見習いとして入り、18歳の夏には初めてフランスの三ツ星店で修行した。
22歳の時にJeunes Restaurateurs d'Europe(ヨーロッパの若手オーナーシェフの団体)に加入を申請して、24歳からだと断られたというエピソードもある。

レ・カランドレに隣接するパスティッチェリーア、イル・カランドリーノは、リタの王国だ。
店では朝の7時から夜中まで、天然酵母を使った無添加のドルチェを焼いている。
さらに、ブラッセリー、ワインバー、ジェラテリーアを兼ねたバール・リストランテ、イル・カランドリーノもある。
ここで販売しているジェラートもリタの作ったもの。
ランチタイムにはレ・カランドレの軽食を味わうこともできる。
道の反対側には、ア・ヴィットリオという高級食材店がある。
ヴィットリオの店なら、“ダ・ヴィットリオ”だが、祖父のヴィットリオは95年に他界したため、彼にささげるという意味の“ア・ヴィットリオ”にしたのだという。

・・・・・


三ツ星になったのは、この記事の2年後のこと。
記事でも言っていますが、彼の感性と表現力は本当に素晴らしい!
ただ、残念ながら私は彼の料理を食べたことがないので、味のことはなんとも言えませんが。
店のhpを見る限りでは、ア・ヴィットリオはイン・グレディエンティという名前に変わったようですね。


彼はこんな人。





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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
レ・カランドレの話もちらっと出てくる“グルメ紀行~パドヴァ”の日本語解説は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.2に載っています。


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2008年12月3日水曜日

ガッリーナ・パドヴァーナとガッリーナ・ポルヴェラーラ

パドヴァの話、その4。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。

今日は鶏の話。
記事でも紹介していますが、パドヴァには、ガッリーナ・パドヴァーナ gallina padovana と、ガッリーナ・ポルヴェラーラ gallina polverara という、数の少ない貴重な品種の鶏がいます。

ガッリーナ・パドヴァーナは、なんといってもその姿が超個性的。
一度見たら目が釘付けになります。

全身がもこもこのタイプ
頭がふさふさのタイプ
連獅子タイプ
白黒タイプ
鷹の羽タイプ

ここまでゴージャスな姿だと、食べる気にならないですねえ。
実際、観賞用としても飼育されているようです。
優しくて人懐こい性格なんだそうですよ。
飼う時は、羽根のお手入れなどもこまめに必要。
それでも敢えて食べてしまう人もいるわけで・・・。
肉は脂肪が少なく、かなりデリケートな味なんだとか。
雉やホロホロ鳥に似ているそうです。

昔からイタリアで飼育されている品種ですが、原産地は不明で、14世紀にポーランドからパドヴァに伝わったとか、オランダ産だとか、最初からイタリアにいたとか、諸説あります。
19世紀ごろから数が減り始め、一時は絶滅寸前まで行きました。
現在は厳しい規定の下で飼育されていて、一羽につき最低4㎡の広さが必要。


そしてこちらはガッリーナ・ポルヴェラーラ。

黒いタイプ
白いタイプ

なかなか精悍な姿をしています。
ポルヴェラーラはパドヴァのやや東にある町。
この鶏も原産地については色々説がありますが、ポーランドから伝わったガッリーナ・パドヴァーナの元祖を地元の半野生の鶏と掛け合わせたもの、という説が有力です。

実際、この鶏は野生の血を濃く残していて、飼う時は放し飼い。
木の枝で寝るのだとか。
肉はデリケートな味。


ガッリーナ・パドヴァーナもポルヴェラーラも、代表的な料理は、ガッリーナ・アッラ・カネヴラ。
丸鶏を袋や豚の膀胱に入れて、直接湯に触れないようにしてゆでる一品です。
デリケートな味の鶏にはぴったりの調理方法ですね。

ポルヴェラーラ市のガッリーナ・ポルヴェラーラのサイトで紹介されているリチェッタをどうぞ。
原文と写真はこちら

ガッリーナ・アッラ・カネヴラ/LA GALLINA ALLA CANEVRA

 鶏・・1羽(2.5kg)
 オリーブオイル・・50cc
 にんにく・・1片
 こしょう
 好みのスパイス
 にんじん・・1本
 玉ねぎ・・小1個
 セロリ・・1本
 レモンのくし切り・・1片

・全部の材料を鶏に詰める。
・鶏をオーブン用の袋に入れる。竹の細長い小片も入れ、蒸気穴になるように竹をはみ出せて袋の口を閉じる。
・湯に入れて約4時間ゆでる。
・ホースラディッシュとサルサ・ヴェルデを添える。



ガッリーナ・パドヴァーナもガッリーナ・ポルヴェラーラも数が少ない鶏なので、パドヴァに行ったら要チェックですね。


次はパドヴァ近郊の三ツ星レストランの話です。



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
“グルメ紀行~パドヴァ”の日本語解説は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.2に載っています。


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2008年12月1日月曜日

パドヴァのカフェ・ペドロッキとスプリッツ

パドヴァの話、その3。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。

パドヴァの有名なカフェというと、老舗のペドロッキ。
店のhpはこちら


PADUA (12)
カフェには見えない外観, photo by Mario


I leoni del Caffé Pedrocchi
ライオンまでいます, photo by Fabiana Vernero


Caffè Pedrocchi
店内, photo by Matteo Riondato


PADUA (14)
グランドピアノも, photo by Mario


店は1831年に建てられたもので、ネオクラッシコ(新古典)様式。
こちらのページで見たい場所をクリックすると、店内の写真を見ることができます。

ゴージャスなインテリアと共に有名なのが、カフェ・ペドロッキというコーヒー。
コーヒーの上に冷たいミントクリームを浮かべてココアパウダーを散らしたもの。


Caffé Pedrocchi
カフェ・ペドロッキ, photo by Mike Scoltock


様々な種類がある店の飲み物の写真はこちら


そしてもう一つ有名なのが、ザバイオーネ。
これ、“ザバイオーネ・スタンダール”という名前です。
店の飲み物の写真の中にもありますが、外見はごく普通のザバイオーネ。
これがどうして有名かと言うと、フランスの作家スタンダールが、ペドロッキのザバイオーネを絶賛した、という話が世間に広まっているからなんですねー。

噂にはかなり尾ひれがついて、彼の代表作『パルムの僧院』の中に、ペドロッキのザバイオーネが出てくる、なんて話にまでなっているようです。
実際に『パルムの僧院』を読んでペドロッキのザバイオーネがどんな風に出てくるか探そうとする人のためにアドバイスしておきますが、ペドロッキのザバイオーネの話は確かに出てきますが、本文の中ではありませんよ~。
出てくるのは、小説の前の序文の中ですから。
しかも、別に絶賛はしていません。
「パドヴァでお世話になった人が、ペドロッキのザバイオーネをご馳走してくれた」程度の内容です。

でもまあ、パドヴァのペドロッキに行ったら、カフェ・ペドロッキとザバイオーネ・スタンダールは要チェックですね。


カフェと言えば、パドヴァに限らず、ヴェネト地方には、スプリッツ spritz というポピュラーな食前酒がありますよね。
辛口白ワインやスプマンテ、炭酸水やガス入りミネラルウオーター、アルコール飲料という組み合わせのこの食前酒、バリエーションは地方によって様々。
wikiにはワイン40%、炭酸水30%、アルコール飲料30%が一般的、と書いてあります。
アルコール飲料は、カンパリ、アペロー(アペロール)など。
これにレモンやオレンジの輪切り、オリーブ、氷などを加えます。


アペロー・スプリッツの作り方(スプマンテバージョン)




カンパリ・スプリッツの作り方(白ワインバージョン)





Spritz, the Venetian aperitif
オーソドックスなヴェネチア風スプリッツ, photo by Filippo


Spritz Campari& Aperlo con Oliva
カンパリ入りとアペロー入り, photo by Ona Riisgaard


spritz e crostini
スプリッツとクロスティーニ, Stefania


local delicacies
ムール貝と生ハムとスプリッツ, photo by elina


Lunch at Florian
ヴェネチアのカフェ・フローリアンのスプリッツ, photo by Adriaan Bloem


アペロー・スプリッツのCM




あー、一杯やりたくなってきたなあ。
パドヴァの話、次回に続く~。


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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
“グルメ紀行~パドヴァ”の記事は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.2に載っています。


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2008年11月28日金曜日

パドヴァ、クープ・ド・モンド優勝パスティッチエーレの店

パドヴァの話、その2。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。

記事で紹介している店の一つが、1997年のクープ・ド・モンド・ド・ラ・パティスリー(イタリア語ではコッパ・デル・モンド・ディ・パスティッチェリーア)で、イタリアが過去に一度だけ優勝した時のイタリアチームのメンバー、ルイジ・ピアゼットさんの店、パスティッチェリーア・ビアゼット Pasticceria Biasetto 。

ルイジさんはベルギー生まれのイタリア人。


ルイジさんが兄弟と一緒に店を紹介している動画。
ちょっと長いです。




彼は、Accademia dei Maestri Pasticcieriの2006/2007年最優秀パスティッチエーレにも選ばれています。
こちらはそれを伝えているサイト。
一番下にケーキのリチェッタもあります。


この動画では、彼がフォカッチャ・ヴェネチアーナというパスクアのドルチェを作っています。





クープ・ド・モンド優勝時のチームメンバーは、他に、チョコレートのマエストロ、ルーカ(ルカ)・マンノーリ氏(店のhpはこちら。トスカーナのプラートにあります)と、クリスチャン・ベドゥスキ氏(店のhpはこちら。コルティーナ・ダンペッツォにあります)の二人。

優勝したケーキは、トルタ・セッテ・ヴェーリ Torta Sette Veli 。
ムースやクレーマを何層も重ねたゴージャスなチョコレートケーキです。

こんなケーキ
 ↓
www.gennarino.org

このケーキ、現在は、チームメンバー3人が、それぞれの店で販売しているようです。
なんとマンノーリさんのトルタ・セッテ・ヴェーリは、日本でも売ってたんですねえ。

トルタ・セッテ・ヴェーリは、イタリアの様々なパスティッチェリーアで作っていて、リチェッタも人それぞれ。
パレルモのパスティッチェリーア・カッペッロ(店のhpはこちら)のトルタ・セッテ・ヴェーリが一番おいしい、という人もいます。
とにかくイタリア人には人気で、これを誕生日のプレゼントにする人も多いようです。
日本でも、作って売っている店があるようですね。


どこの店のものかは不明ですが、トルタ・セッテ・ヴェーリのリチェッタをどうぞ。
かなりシンプルなバージョンです。
原文はこちら→magenta.iobloggo.com


■チョコレートスポンジ生地;
 卵黄・・270g
 卵白・・330g
 砂糖・・300g
 小麦粉・・150g
 ビターココアパウダー・・150g
 バター・・100g

・卵白と砂糖100gを泡立てる。
・卵黄と残りの砂糖を泡立て、小麦粉、ココアパウダー、溶かしたバターを加える。さらに卵白を加えてさっくり混ぜる。
・丸い型3個に入れ、180℃のオーブンで20分焼く。

■チョコレートのクレーマ;
 生クリーム・・1200g
 ビターチョコレート・・230g
 砂糖・・135g
 牛乳・・135g
 ゼラチン・・10g
・ゼラチンを水でふやかす。
・生クリームを60℃に熱し、牛乳と砂糖を加える。火から下ろしてチョコレートとゼラチンを加える。
・これをミキサーにかけ、冷蔵庫で24時間休ませてからホイップする。

■ヘーゼルナッツのクレーマ;
 生クリーム・・600g
 卵黄・・140g
 ヘーゼルナッツペースト・・125g
 砂糖・・100g
 ゼラチン・・5g
・生クリームを沸騰させる。
・卵黄とヘーゼルナッツペーストをホイップし、生クリームを加えて手早く冷ます。さらにホイップし、ゼラチンを加えて冷蔵庫で休ませる。

■グラッサ;
 生クリーム・・225cc
 エキストラビターチョコレート・・225g
 グルコース・・60g
 塩・・少々
・生クリームとグルコースを沸騰させ、チョコレートを加える。

■この他に、ココア入りのヘーゼルナッツのクレーマとシリアル(コーヘンフレーク、大麦、あられ米)を用意する。

■仕上げ;
・スポンジ生地と同じサイズのセルクルをラップで覆う。
・チョコレートのクレーマ、スポンジ生地、ヘーゼルナッツのクレーマ、スポンジ生地、チョコレートのクレーマの順で詰める。
・スポンジ生地にココア入りヘーゼルナッツのクレーマを塗ってシリアルを散らす。シリアルの面を下にしてセルクルに詰める。
・裏返してセルクルを抜き、グラッサでコーティングする。周囲をチョコレートで飾る。




こちらのサイト(www.cookaround.com)ではこんなリチェッタ。


■ビターチョコレート入りのチョコレートスポンジ生地
■ジャンボコーン入りプラリネ
(ホワイトチョコレート、ミルクチョコレート、バター、プラリネマッセ、ジャンボコーン)
■プラリネ入りヘーゼルナッツのバヴァレーゼ
■チョコレートムース
■グラッサ(水、生クリーム、砂糖、ココア、板ゼラチン)
を作り、
・スポンジ生地、プラリネ、バヴァレーゼの順で重ねて冷凍庫で固める。
・スポンジ生地2枚にに溶かしたビターチョコレートを塗ってバヴァレーゼの上にのせ、さらにパヴァレーゼ、溶かしたチョコレートの順で重ねて冷凍庫で固める。
・表面をムースで覆う。
・さらにグラッサで覆う。
・チョコレートで飾る。



  
パドヴァの話、まだ続きます。



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年10月号(クレアパッソで販売中)
“グルメ紀行~パドヴァ”の記事は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.2に載っています。


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2008年11月27日木曜日

今月の配本は今日発送です

クレアパッソで定期購読いただいている皆様、今月は大変遅くなってしまってごめんなさーい!
今日、発送しますです。
で、そっちにかかりきりなので、ブログは今日はお休み。
明日、更新しまーす。

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2008年11月25日火曜日

パドヴァ

今日は『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の、クレアパッソでもうすぐ配本の号から、パドヴァの話。

パドヴァはヴェネト州の町。

この町で有名なのは、まず、ガリレオやダンテも教鞭を取ったことがある古い大学。


Università, Padova
パドヴァ大学の一角, photo by Sebastià Giralt


そしてジョットの傑作のフレスコ画で覆われたスクロヴェーニ礼拝堂。

Kiss of Judas * Giotto di Bondone
ジョットのフレスコ画『ユダの接吻』, photo by Carla Hufstedler


かなり地味ですが、世界遺産のパドヴァ大学の植物園。

At the botanical garden
大学付属としては世界最古の植物園, photo by Pierangelo Rosati



パドヴァを紹介する動画がありました。
こんなことを話してます。

パドヴァは運河の町。
中世には、この運河を通じてヴェネチア共和国と行き来し、町が栄えた。
聖アントニオ聖堂も有名。
聖アントニオにお祈りすると、なくしたものが見つかるご利益があると言われている。
パドヴァ大学は、ダンテ、ペトラルカ、コペルニクス、ガリレオが学んだ所。
そして近代医学誕生の地。
6階構造のヨーロッパで最初の解剖教室も残っている。
ガリレオは数学と物理だけでなく、この教室で解剖も教えた。
パドヴァはヴェネチア共和国がバックについていたので、ローマ教会からの支配を受けなかった。
そのため、大学の学者たちも自由な思想を持つことが可能だった。
1545年には、薬草の栽培のために植物園も造られた。






ジョットのフレスコ画とスクロヴェーニ礼拝堂




パドヴァの話、次回はカフェやレストランを取り上げます。



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2006年10月号(クレアパッソで11/26日配本)
「グルメ紀行~パドヴァ」の日本語解説は、「総合解説」'06&'07年10月号、P.2に載っています。


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2008年11月21日金曜日

イタリアの温泉

今日はクレアパッソのイタリア在住スタッフ、ポモドーロさんのイタリア便り、その3。
イタリアの温泉の話です。

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イタリアには温泉が沢山ありますが、あいにくペルージャ近辺にはないのが温泉大好き人間としてはつらいところです。
一番近いところでシエナ近郊、車で1時間ちょっとかかります。

私達が行くのはヴィテルボという町で、ペルージャからローマ方向に130キロ、1時間半の道のりです。
ここは、紀元前エトルリア時代から温泉地として知られていた所で、ローマ時代には公共、私有を含めて14ヶ所もの湯地があったと伝わっています。
現在はそれほど多くありませんが、有名な温泉場もあります。
野天のも幾つかあって、いつも行くのはその一つ。
会員制で、年会費25ユーロ払えば、その年は無料で何時でも入れます。
会員の友達は一回10ユーロ、10日間有効です。
でも残念ながら、ペルージアから遠いのでそう頻繁に行けません。
皆、家庭も仕事もあるので、そう遊んでもいられないので・・・。


Bullicame - terme
ヴィテルボの温泉, photo by c. v.


ここは硫黄とその他のミネラルを含んだ温泉で、源泉の温度は58度。
大きなプール程の源泉を直接引きこんだ湯槽、家族風呂程の大きさのぬるい湯槽、冷水の槽、が整備されています。
お水など液体を飲みながら入っているとのぼせない、という事を、ここの常連さんに教えてもらったので、自分の適温の所にいるといつまでも入っていられます。
私は熱めのところが好きなので、20分くらい入ると少し出て、というのを繰り返しますが、イタリア人の多くは、少しぬるめの所で1時間くらいは平気でつかっています。
人によっては、さらにぬるい槽につかり、またメインの槽に戻って来ます。 

温泉の周囲は、ローマ時代の遺跡が残る広い芝生とオリーブ畑になって、お弁当、飲み物、デッキチェアーなど、持ちこみ自由。
彼等は、気候の良い時期には、日光浴と温泉浴を交互に楽しんでもいます。
常連さんの中にはキャンピングカーで来る人もいます。
仕事を終えた後、すぐここに来て、寝る前にまず入浴。
朝風呂に入り、散歩してからまた入浴・・・・。
うらやましい限りです。

こちらでは水着を着て温泉に入るので混浴。
水着をきたままというのは、慣れのせいかもしれませんが、あまり解放感がありません。
それでも温泉はいつ行ってもいいものです。


今回の温泉のhpはこちら。
www.lepozzedisansisto.org



おまけの動画。
ヴィテルボ南部のヴェトラッラの温泉。




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2008年11月19日水曜日

イタリアンな紫いも

秋だなあ・・・がテーマで、柿、栗と取り上げてきました。
次は何にしようかなあ。
最近、ちょっと冷えてきたからなあ・・・。

という訳で、今回は焼き芋の話、ではなく、無理やりですが、お芋の話です。

芋は芋でも、紫いもなんてどうでしょう。


Purple Peruvian potatoes
紫いも, photo by Pim Techamuanvivit


イタリア語で紫いもは、パターテ・ヴィオラ patate viola 。
クレアパッソでもうすぐ配本予定の『ア・ターヴォラ』10月号にも、紫いもを使ったリチェッタが1点載っています。


紫いもは、まさに色を味わう食材。


First Course: Scottish Cod
白身魚と, photo by ulterior epicure


stick cakes
これは日本のケーキ, photo by kawabata


Ube
フィリピンのウベのアイスクリーム, photo by David Gallagher


紫色って、目が奪われますねえ。

紫いもは世界各地でいくつかの種類が流通しているようで、イタリアで一般的なのは“パタータ・ペルヴィアーナ patata perviana ”と呼ばれる品種。
英語では“パープル・ペルヴィアン・ポテト”。
「ペルーの紫いも」という意味ですね。

そう言えば、じゃがいもの原産地はペルーあたりのアンデス山脈。
このペルーの紫いもは、じゃがいものルーツとも言える品種の一つなんだそうで。


これはすべて、ペルーのじゃがいもから生まれた品種。
 ↓
www.deza.admin.ch


イタリア料理にはじゃがいもを使うものがたくさんありますよね。
ヨーロッパに伝わったのが16世紀半ばで、18世紀末にはヨーロッパの農村部では主食のような存在になっていたじゃがいも。
でも、イタリア人がじゃがいもを抵抗なく食べるようになったのは、他の国と比べるとかなり遅くて、19世紀半ば以降のことなんだそうです。
それまでは、じゃがいもをよく食べるオーストリア人のことを「いも喰い」などと呼んで馬鹿にしていたくらいです。


紫いもは、その色をいかに美しく見せるかが腕の振るいどころ。
料理はアイデア次第で無数に考えられますねえ。
ピューレ、チップス、ロースト、サルサ、etc.。


これはフランチャコルタのリストランテ、ドゥエ・コロンベ(店のhp)のステファノ・チェルヴェーニシェフの一品。
紫いもとエビの組み合わせ。
 ↓
www.marchidigola.it

これは子豚ヒレ肉のマルサラとゴルゴンゾーラ・スタジョナータのサルサ、紫いも添え。
グッファンティという大手チーズ屋さんのリチェッタ。
 ↓
www.vinix.it


そして、探しにくくて申し訳ないですが、このページの中ほどにあるのが、アルフォンソ・イアッカリーノシェフの料理、タロッコオレンジと紫いものマチェドニア。
2つめのサムネイルの一番最初の一品です。
 ↓
www.roma-gourmet.net


紫いものニョッキを探したら、ドゥエ・コロンベのチェルヴェーニさんのものを発見。
右側です。
 ↓
3.bp.blogspot.com

小麦粉を加えるので、色が薄くなってしまうようですね。



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2008年11月17日月曜日

秋ということで、柿の次は、の話でも。

castagna
イタリアの栗, photo by Maurizio Zanetti


実はイタリアは、世界でも5本の指に入る栗の生産国。
栗は世界中にある木で、日本の栗とイタリアの栗では、種類も原産地も違うんだそうです。
イタリアの栗は地中海地方原産。


かつてヨーロッパのほとんどの山間部では、栗に依存して生活してきたのだそうです。
実を食べるだけでなく、木は家具や道具にして、枝は薪に。
葉からは肥料を作り、花からは蜂蜜。
渋皮のタンニンは皮をなめす時に使いました。


Castagneto 2007
栗の木, photo by Antonio Moro



そして都会では、焼き栗売りが現れると、秋の訪れの合図。

caldarroste
穴開きフライパンでローストするカルダッロステ, photo by Emiliano


Autumn Taste!
アップで, photo by Stefano Pirri


焦げ具合がいいですねえ。
栗の芳ばしい香りが漂ってきそうです。

カルダッロステは、栗の皮に切り込みを入れてから、ロースト用の穴の空いたフライパンでローストします。
焼き上がったら、布に包んで10分蒸らして皮をむき、新ワインと一緒に食べます。
そうそう、ボジョレー・ヌーヴォーの解禁ももうそろそろですね。
まさに今が焼き栗の食べ時!


イタリア語で栗は、“カスターニェ castagne ”。
品種改良した大型のものは、“マッローニ marroni ”。
ピエモンテのクーネオ辺りが、マッローネの産地として知られています。

クーネオは、マロングラッセの産地としても有名。
マロングラッセは誰が考え出したものなのかはよく分かっていませんが、クーネオ辺りでは、マロングラッセは、サヴォイア家のカルロ・エマヌエーレ一世の料理人が、狩猟肉に詰めるための栗を、水と間違えてシロップで煮てしまったのが最初、という説が、断然支持されています。
つまりピエモンテからフランスに伝わった、という説。
この説によると、サヴォイア家はフランス語を話す一族だったので、最初から、イタリア語の“マッローネ・カンディート”ではなく、フランス語の“マロン・グラッセ”と呼ばれていたのだとか。
そしてルイ14世の時代にフランスに伝わったんだそうで。

もちろん、フランスのリヨンが発祥地という説もありますけどね。


marron glace
マロングラッセ, photo by Robyn Lee



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2008年11月14日金曜日

柿と平和の樹

秋ですねえ。
が美味しい季節ですねえ。

ところで、柿はイタリア語でも“カキ”。
スペルは cachi 、または kaki 。
イタリアでも、柿は東アジア原産の果物として知られています。

ご存じのようにイタリア語の場合、男性名詞の複数形の語尾はiで、単数形の語尾はo。
だからイタリアの本には、「柿は単数でも複数でも語尾は変化しません。1個の時に“カコ kako ”と言うのは、正確には誤りです」なんて注釈が必ず書いてあります。
カコって、なんだか可愛いですねえ。


undefined
グリエルモ山と柿, photo by Mauro

このなんともジャパンな景色が、実はロンバルディア地方の風景。
ガルダ湖の西あたりです。


wikiによると、柿は古代ギリシャ人も知っていたようですが、栽培用の柿が日本からヨーロッパに伝わったのは、1789年のことなんだそうです。
イタリアに伝わったのは、1916年。
最初に植えられたのは、カンパーニアのサレルノ地方でした。
その後、イタリア中に広まります。
栽培の中心地はエミリアとカンパーニア。
パレルモのすぐ南にあるミジルメーリという町も、柿の栽培が盛んな所として知られています。
イタリアの柿の生産量は世界5位。
輸出もしています。

生産量が多い割には、生食やジャム以外で、イタリア料理の中に取り込まれているケースは、あまり見かけないなあ。


下の写真はレストランの1品。
柿のサルサの上にジェラートを盛り付けたもの。
やっぱりジャム状にするのが一般的なんでしょうか。


Funghetto
ジェラートのフンゲットと柿のサルサ, photo by Sara Maternini


柿のジャムをクロスタータやトルタにするのはよくありそう。

昔の『サーレ&ペペ』(2004年11月号)に、柿のティラミスというリチェッタがあるのを見つけました。
クレーマは、卵黄3個と砂糖100gを白くなるまでホイップし、ミキサーにかけた柿1個、マスカルポーネ100g、リコッタ100g、泡立てた卵白1個を加えたもの。
サヴォイアルディは、コーヒーではなくトロピカルフルーツジュースに浸します。


こちらのサイトで紹介しているのは、柿のレアチーズケーキ。
fiordizucca.blogspot.com

作り方は、レアチーズケーキのペースをビスケットとバターで作り、型に敷き詰めて冷蔵庫で固めます。
リコッタ250g、マラスキーノ大さじ1、砂糖大さじ1、レモンの皮をミキサーにかけ、型に入れて冷蔵庫で冷やします。
柿4個、砂糖大さじ1、マラスキーノ大さじ1、アマレット4個、シナモンをミキサーにかけ、泡立てた卵白1個を加えます。
これをリコッタの上にかけて冷蔵庫で冷やします。
仕上げにホイップクリームと柿で飾って出来上がり。


柿とアマレットは相性がいいみたいですね。


イタリアのwikiに、こんなことが書いてありました。

「柿の木は、“平和の樹”として知られている。
それは、1945年の8月に長崎に原爆が落とされた時、数本の柿の木が生き残ったことに由来する。」

平和の樹の話、全然知りませんでした。
こちらのサイトも勉強になりました。
 ↓
joho.tagawa.fukuoka.jp/syougai/heiwa-kaki.htm


イタリアにも植樹されているのだそうです。
今回は、イタリア人に日本のことを教えてもらいました。



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2008年11月12日水曜日

脾臓のパニーノ

ストリートフードの話、その3。
『ガンベロ・ロッソ』の記事の解説です。

今日は、パレルモの脾臓のパニーノ pani ca' meusa 。
脾臓って何、て話ですよねえ。

人間の場合、お腹の左上の、胃の裏側にあるんだそうで。
血液やリンバ液に関係する器官だとか。

牛の脾臓は、日本ではホルモンの一つのチレ。
イタリア語では、ミルザ milza 。
パレルモの方言では、メウサ meusa 。


Spleen
カットしたミルザ, photo by Graham Holliday


イタリアでもパレルモでしか見かけないこの脾臓のパニーノには、こんな歴史があります。
中世のパレルモでは、食肉処理場で多くのユダヤ人が働いていました。
ところが、ユダヤの戒律では、畜殺によってお金を得てはいけないとされています。
そこで、お金の代わりに家畜の内臓を現物支給で受け取っていたのです。
彼らはそれをゆでて、ユダヤ人以外の人たち、つまりキリスト教徒に売ってお金に換えました。


パレルモの人たちのお気に入り、脾臓のパニーノは、ゆでた内臓をラードで煮て、それをチーズと一緒にパンにはさんだもの。
街角でひっそり売られていたりもしますが、有名なのは、なんと言ってもアンティカ・フォカッチェリーア・サン・フランチェスコ。
パレルモ料理に興味がある人なら、必ず一度は訪れる店。


Antica Focacceria San Francesco, Palermo
アンティカ・フォカッチェリーア・サン・フランチェスコ, photo by Federico Saggini


20081025_Palermo
店内のミルザのパニーノの売り場, photo by Franco Pecchio


A' mevusa
ミルザの鍋, photo by Federico Saggini



上がミルザのパニーノの“マリタータ”、下はアランチーネ




ミルザをアップで



ミルザのパニーノは、プレーンの“スキエッタ schietta ”と、細く下ろしたチーズをたっぷりはさんだ“マリタータ maritata ”の2種類。
脾臓は子牛のもの。
肺など他の部位も入れます。
これらを油とラードでソッフリットにするので、油でギトギトでかなり男前な味。


パレルモの街角の屋台





この他に、トスカーナのランブレドットのパニーノ、ローマのポルケッタのパニーノ、レッコのチーズのフォカッチャなど、まだまだイタリア風ストリートフードはありますが、今回はここまで。


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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2007年9月号
“ストリートフード”のリチェッタは、「総合解説」'06&'07年9月号、P.9に載っています。


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2008年11月10日月曜日

ピアディーナ

ストリートフードの話、その2です。
今日は、ピアディーナ
『ガンベロ・ロッソ』の記事の解説です。


piadine
ハムとチーズのピアディーナ, photo by smoytheonlyone


Piadina con Wurstel
ウインナーのピアディーナ, photo by ♥Kiki Hood♥


ピアディーナは、イタリアの空港のバールなどでも売っているので、イタリアで最初に食べたものがこのピアディーナ、という人も結構いるのでは。

質問。
最近では日本のスーパーでも見かけるようになったピアディーナですが、イタリアのどの地方の料理でしょうか?

答えは、ロマーニャ地方。
発祥地は、ロマーニャ地方の南の端にある海辺の町、リミニ辺り。
この辺りのピアディーナが一番薄くて、内陸に入るほど、または北に行くほど厚くなるんだそうです。
ローマ時代からある歴史の古い薄焼きパンで、元々は、貧しい農民がパンの代わりに食べていたものだったとか。



専門店ではこうやって作っています。





お母さんの手作りピアディーナ。




生地の材料は
小麦粉・・500g
牛乳
ラード・・75g
重曹・・小さじ1/2
塩・・小さじ1

具は
スクアックエローネ(こんなフレッシュチーズ)
お母さんが育てたルーコラ
生ハム

ワインはもちろんサンジョヴェーゼ。



リッチョーネのホテル・リゴベッロの蜂蜜風味のピアディーナ





おまけ。
コメ・シ・キアーマ?





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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2007年9月号
ピアディーナを含む“ストリートフード”のリチェッタは、「総合解説」'06&'07年9月号、P.9に載っています。


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2008年11月6日木曜日

ピッツェッレ・フリッテ

今日は、イタリアのストリートフードの話。
『ガンベロ・ロッソ』の記事の解説です。

伝統的なストリートフード、まずはピッツェッレ・フリッテ pizzelle fritte 。
揚げピッツァですね。
ピッツァと言っても、手のひらサイズのミニピッツァ。
“ピッツェッレ”とは、小さなピッツァと言う意味。

ピッツェッレ・フリッテ
 ↓
www.gennarino.org

記事で紹介しているのは、カルツォーネのように具をのせた生地を半分に折って揚げるピッツェッレ・フリッテですが、この写真のように、平らなピッツァを揚げて、具をのせるタイプもあります。

ピッツェッレ・フリッテの本場はナポリですが、これはミラノのパン屋さんのピッツェッレ・フリッテ。
ミニトマトがのっているだけのシンプルなパンですが、トマトが美味だから、ちょっと小腹がすいた時には文句なしにおいしい。
 ↓

ピッツェッレ

実は、このミラノのピッツェッレには、ちょっとした思い出があります。
ミラノでタクシーに乗った時のことです。
いきなり運転手が、「忙しくて何も食べてないから、悪いけどパン屋に寄ってもいいかなあ」と言い出した!
あっけに取られているこちらを残して、お目当ての店までひとっ走りして買ってきたのが、これ。
「いやあ、すいませんねえ、これ、よかったらどうぞ」、と、二つあった包みのうちの一つを手渡されて、「あ、どうもありがとう」なんて、思わずお礼まで言ってしまいました。
後で味見をしてみたら、おいしくてびっくり!
さすがはタクシードライバー、おいしい店を知ってるなあと、いたく感心したものでした。


考えてみれば、揚げピッツァって、日本でもパン屋さんで普通に売ってそうですね。
それでは、本場ナポリのピッツェッレ・フリッテは、いったいどこが違うのか。
リチェッタを見てみましょうか。

上で写真を紹介したサイトのリチェッタは、生地の材料は
小麦粉・・500g
ゆでたじゃがいも・・2個
生イースト・・15g
湯・・少々


普通のピッツァより柔らかめの生地にし、手の平よりやや大きめの円形に伸ばして油で揚げます。
これにすぐに、にんにく、トマト、バジリコで作ったトマトソースをのせ、おろしたペコリーノをたっぷり散らします。
カルツォーネ形のタイプは、潰したリコッタ、モッツァレッラの小角切り、ナポリサラミを詰めるのが典型的。


www.prezzemoloefinocchio.it
 ↑
こちらのサイトのリチェッタでは、生地は
0か00番の小麦粉・・1kg
生イースト
塩、水

チーズはカチョカヴァッロかプロヴォローネ。
トマトソースの赤い色が、食欲をそそりますねえ。


ストリートフードの話、次回に続きます。



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関連誌;『ガンベロ・ロッソ』2007年9月号(クレアパッソで販売中)
“ストリートフード”のリチェッタは、「総合解説」'06&'07年9月号、P.9に載っています。


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2008年11月4日火曜日

アルトゥージのクスクス

クスクスの話、その2。


Cuscús con pollo y verduras...
クスクス, photo by mabel flores


今日は、イタリアで最初に書かれたクスクスのリチェッタを訳してみました。

書いたのは、近代イタリア料理の父、ペッレグリーノ・アルトゥージ。
その本は、イタリア料理と言う概念をイタリアに広めた『la scienza in cucina e l'arte di mangiare bene』(1891年)。

それでは、アルトゥージのクスクスをどうぞ。


クスクス CUSCUSSÙ

クスクスはアラブ発祥の料理で、モーゼとヤコブの子孫たち(ユダヤ人)がその放浪の旅に携えていった料理だ。
長い年月と共に、どれほど姿を変えていったのかは知る由もないが、現在、イタリアではユダヤ料理のミネストラに使われている。
二人のユダヤ人が、親切にも私にこの料理をふるまい、作るところを見せてくれた。
それを私も自宅で作ってみたので、このリチェッタの信ぴょう性は保証する。
ただし、読者がよく理解できるかは保証の限りではない。

この偉大な料理を説明することは“とても難しく、子供の遊びではない”。
(この部分、原文ではダンテの『神曲』を引用しています)

材料は6~7人分。

子牛胸肉・・750g
子牛赤身肉・・150g
粗挽き小麦粉・・300g
鶏レバー・・1羽分
ゆで卵・・1個
卵黄・・1個
玉ねぎ、縮緬キャベツ、セロリ、にんじん、ほうれん草、ビエトラなどの香味野菜

・平らで大きな素焼きの鉢か、錫めっき銅の浅鍋に粗挽き小麦粉を入れ、塩とこしょうで調味する。
・水(カップに指2本分)を数滴ずつ加えながら手のひらでこね、水分を吸わせてふっくらさせる。
・水を全部加えたら今度は油大さじ1を同様にして吸わせる。水と油を加える作業は30分以上かかる。
・この粒をスープ皿に入れ、布で皿の下まで覆ってひもで縛る。
・水3リットルと胸肉を火にかけてブロードを取り、アクを取る。
・ブロードの鍋の口にスープ皿をのせる。プロートと皿の間に適度な空間を開け、鍋とスープ皿の縁がしっかり閉じて蒸気がもれないようにする。
・1時間15分蒸す。半ばで一度布を開いて混ぜる。

・赤身肉150gを包丁で刻み、ほぐしたパン少々、塩、こしょう少々を加える。これをヘーゼルナッツよりやや大きめに丸めて油で揚げる。

・香味野菜をみじん切りにする。まず玉ねぎを油でソッフリットにし、色がついたら他の野菜を加えて塩、こしょうで調味する。しんなり炒め、水分がなくなったら肉のスーゴかブロード、またはトマトソースかトマトのコンセルヴァ(トマトペーストの一種)で調味する。
・これに小さく切ったレパーと赤身肉のポルペッティーネを加えて煮る。

・小麦粉の粒を皿から鍋に移して火にかけ、卵黄を加えて固めずに溶かす。サルサの一部をかけて混ぜ、器に盛り付ける。
・ゆで卵のくし切りを加える。
・残りのサルサをブロードに加え、人数分の器に注ぐ。これをクスクスに添える。
・各自が皿にクスクスを取り、スプーンでサルサをかけて食べる。
・胸肉はクスクスの後に肉料理として食べる。

この長い説明で、読者は2つの質問をしたくなったのではないだろうか。
1つは、なぜ調味に使うのが油だけなのか。
2つめは、これだけ手間をかける価値があるのか。
1つめの質問の答えは、イスラエルの民の食べ物は、『申命記』(旧約聖書の一書でモーセの五書の一つ)14章21節にこう定められているからだ。
「子山羊をその母の乳で煮てはならない」
戒律にそれほど厳格でない人は、ポルペッティーネにパルミジャーノを少量加えてこくを出すこともある。
2つめの質問の答えは、あくまでも私の考えだが、この料理は大きな祝いごと向きの料理ではない。しかし、上手に作れば、この料理に馴染みのない人たちにも気に入られることだろう。



アルトゥージはクスクスのことを、ユダヤ料理の一つとして知ったんですねえ。
確かに、クスクスはユダヤ料理の中にも溶け込んでいる料理でした。
彼のリチェッタにしてはかなり長くて、クスクスをまったく知らない読者に、どうやったら伝えることができるか、苦労していることがうかがえます。
日本語に訳すのも苦労しましたよー。
なんで料理のリチェッタに、ダンテなんか引用するかなあ。

アルトゥージは、cuscussù としていますね。
アラビア語では kous kous (kuskus?)。
英語では cous cous 。
イタリアでも cous cous と書くことはありますが、シチリアでは cuscus が一般的。



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2007年9月号


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2008年10月31日金曜日

クスクス

今日はクスクスの話。
『ヴィエ・デル・グスト』の解説です。


Hands or spoon?
モロッコのクスクス, photo by KaliFire (Maroc)


クスクスは、北アフリカのマグリブ地域の主食として知られています。
国で言うと、アルジェリア、モロッコ、チュニジアあたり。
元々は、この地域の先住民、ベルベル人が食べていたもので、その後、様々な民族に支配されても、変わらずにずっとこの地に受け継がれてきました。


ヨーロッパでクスクスが広く知られるようになったのは、フランスがアルジェリアやチュニジアを支配した19世紀のこと。
イタリアの場合は、シチリアがアラブ人に支配された紀元1000年頃、シチリアに広まったと言われています。
でも、だからと言って、アラブ人がシチリアにクスクスを伝えた、とするのは早計。
クスクスは、シチリアの目と鼻の先の北アフリカ生まれです。
わざわざイスラム圏(中東や西アジア)経由で、遠回りをしてシチリアに伝わるというのは、少々不自然。

シチリアと北アフリカの関わりは、かなり古くからのこと。
有名なところでは、紀元前200年頃、ローマとカルタゴの間で繰り広げられたポエニ戦争がその一例。
カルタゴは、現在のチュニジアにあった古代国家です。
シチリアの西の端の町、マルサラから、海を渡ってすぐの場所にあり、シチリアに植民都市も築いていました。

カルタゴ軍がローマ軍を攻める拠点にしたのが、このマルサラ。
ひょっとしたら、マルサラで、毎日クスクスを作って食べていたのかも・・・。

クスクスは、おそらく、北アフリカとの草の根(?)の交流によって西シチリアに広まった、とするほうが、自然です。
そしてシチリアの海の幸と出会って、独特の進化を遂げました


Cuscus della nonna
シチリアのクスクス, photo by salvofiguccia



ヨーロッパに残る書物で、クスクスについて書かれた最初のものは、1630年のもの。
ジャン=ジャックン・ボシャールという作家が、南フランスのトゥーロンでクスクスを食べたことを書き記しています。
それでは、イタリアでは誰が最初にクスクスのことを書いたのでしょうか。
なんと、あのアルトゥージなんだそうです。
1891年の著書、『La Scienza in cucina e l'arte di mangiare bene』に、クスクスが出てきます。

その内容は、次回に・・・。



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2007年9月号


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2008年10月29日水曜日

コルヴィーナとコルヴォ

今日はワインの話。
『V&S』の記事の解説です。

『V&S』で取り上げているのは、コルヴィーナ
主にヴェネト州で栽培されているコルヴィーナ種のぶどうを使った赤ワインです。
ぶどうのコルヴィーナは、アマローネ・デッラ・ヴァルポリチェッラにも使われる、ボディーとデリケートなアロマのある品種。


P1020821
ヴァルポリチェッラ地区のぶどう畑, photo by Marinus van Opzeeland


コルヴィーナとは、カラス(コルヴォ)という言葉が語源。
なんでカラスという名前がついたのか。
その由来を伝えるのは、こんな伝説・・・。

その昔、ヴァルポリチェッラの丘で栽培さていれたのは、すべて白ぶどうでした。
農民たちを悩ませていたのは、畑を荒らすカラスたち。
そこで農民たちは、ぶどうを守るためにカラスを一掃します。

ところがある日、一人の農民が傷ついて飛べずにいるカラスを見つけました。
哀れに思った彼は、そのカラスを手当してやりました。

やがて傷が癒えて、カラスは飛び立ちました。
去っていく際に、カラスはぶどう畑の上を低く舞いました。
するとなんと、畑のぶどうがすべて黒ぶどうに変わっていったのです。

こうして、ヴァルポリチェッラでは黒ぶどうが栽培されるようになったのでした・・・。


これがコルヴィーナの伝説。

そして、カラスがその上を舞ったと言われている丘は、“ラ・グローラ”という名前。
ヴェネトの方言で「カラス」という意味なんだそうです。
1978年、この丘の畑を、ジョヴァンニ・アッレグリーニという人物が買い取りました。
そして、そこで栽培したコルヴィーナを使って、イタリアで初めて、コルヴィーナ100%のワインを造りました。
La Poja(ラ・ポーヤ)というワインです。

アッレグリーニのhpのLa Pojaのページ
 ↓
www.allegrini.it


コルヴィーナの伝説は、いわばカラスの恩返し。
そう言えば、イタリアにはもう一つ、カラスと言う名前のワインがありましたねー。
そう、シチリアのコルヴォ。

このワインのカラスは、こんな言い伝えを残しています・・・。

その昔、パレルモ県のカステルダッチャという町のぶどう畑に、朝から晩までやかましく鳴き続ける一羽のカラスがいました。
あまりにうるさくて、農民たちはイライラして畑で仕事をすることもできません。
そこで、ある修道士に相談しました。
その修道士は、動物と話をすることができると評判だったのです。

修道士の説得で、カラスはもう畑では鳴かないと約束します。
ただし、一つだけ条件がありました。
嫌われ者のカラス、というイメージを改めてほしい、というのです。

そこで農民たちは、カラスが鳴かなくなった畑に“カラス(コルヴォ)”という名前をつけて、ぶどうを大事に育てたのでした。

19世紀初め、この地方の領主だったサラパルータ公のジュゼッペ・アッリアータは、この畑から造られたワインに“コルヴォ”という名前を付けました。
そして1824年に、ワインメーカー、ドゥーカ・ディ・サラパルータを創業し、館の客に出すことのできるような、上質なワインを造り始めます。

こうしてワインのコルヴォが誕生したのでした。


この修道士さん、動物と話ができるってのもすごいですが、カラスを説得できるってのはもっとすごい!


Almost winter
冬のカラス, photo by Andrea Zanivan



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関連誌;『V&S』2007年9月号(クレアパッソで販売中)
“コルヴィーナ”の解説は、「総合解説」'06&'07年9月号、P.35に載っています。


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