2016年12月29日木曜日

ティラミスの元祖問題

年内最後の今日は、イタリア料理の大きな謎の話。
詳しくは今月の「総合解説」に載せましたが・・・。

ティラミスは誰が考え出して誰が名付けたのか、問題。

Tiramisù


日本でブームになったのは1990年代だそうで、今どきの人たちは、生まれた時からティラミスが身近にあったんだなあ。

バブルの頃、ティラミスが初めて日本に伝わった時は、ファミレスを中心に大したブームだったんですよ。

でも、ブームになったのは日本だけじゃないんです。
世界的な現象でした。
アメリカでは日本より約10年前にブームが起きています。

だとしても、ティラミスが世界的にブームになったのは100年や200年前ではなく、ほんの30~40年前のこと。
なのに、このドルチェと個性的な名前の名付け親は誰か、いまだに謎なんです。

私も、何度かこのブログで取り上げたことがあります。
こちら

私はトレヴィーゾのレストラン・レ・ベッケリエ説を比較的信じていたのですが、その後、余りにも多くの人や店が、自分が元祖だと訴え出ているのを見聞きして、うんざりしました。
1人以外はすべて嘘つきだなんて、もう、どうでもいいよ、という気分です。

でも、そんな気分に追い打ちをかけるように、元祖論争に新手が加わったという記事があったので、訳してみました。

ティラミスのリチェッタはネットで検索すると、400万もヒットするのだそうですよ。
マク〇ナルドもリチェッタを発表しているんだそうで。
この記事によると、ヴェネト州知事も元祖争いに参加したみたいで、もう泥沼ですね。

みなさんも、シンプルで簡単で美味しいドルチェを考えだしたら、特許出願や商標登録は早めにしといたほうがいいですよ。

自分たちが元祖だと主張するレ・ベッケリエの関係者。
 ↓


確かにネットには、これがオリジナルのレシピです、という情報が溢れているので、逆に堂々とオリジナルで勝負してくるティラミスの方が目を引きます。




あなたは今年は何回ティラミスを食べましたか?
それでは、よいお年を。


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“ティラミス”の記事の日本語訳は「総合解説」13/14年10月号に載っています。
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2016年12月26日月曜日

フィコディンディア(ウチワサボテン)

今日は現在販売中の「総合解説」から、“フィコディンディア”のビジュアル解説です。

Fico d'india


シチリアの東側、エトナ山のある側を初めて訪れるという人は、おそらく、道端やスーパー、はてはホテルやレストランの朝食やランチなどで、とげとげで赤やオレンジ色をした、いちじくに形のよく似たこの物体と初対面をすることになります。

スーパーで、山盛りになって売られているのを見れば、これが食べ物である、ということは何となく想像できます。

なにやら果実のような姿だし、ちょうど手のひらに収まって、形も可愛いなあ、などと撫でまわした後に、なんだか手がチクチクする、ということに気が付きます。

Il frutto principe di Sicilia (The fruit prince of Sicily)

これが私と食用サボテンの初めての出会いでした。
サボテンを食べるという習慣は、日本ではまったく想像もできないので、初対面のエピソードは、皆さん、きっと相当面白いはず。

イタリア料理との付き合いが浅い人ほど、インパクトの大きな体験ができますよー。
確かにぶつぶつと棘がたくさんあるのは分かりますが、この実は目に見えないように細かい棘でびっっしり覆われているのです。
第一印象ほど可愛いもんじゃないんですね。

この実の正体は、ウチワサボテンの実です。
サボテンは、シチリアを代表する特産物。
れっきとしたシチリア料理の食材。
ちなみにシチリア以外でも、南イタリアなら各地でウチワサボテンが育ちます。

という訳で、本当は何の予備知識もなしに出会うことをお勧めするのですが、ちょっとでも熟したのを選ぼうと素手でなでまわすと、その後半日ぐらい、手がチクチクしますよ、てことぐらいは警告しとくか。
さらに、赤、オレンジ、白などの色がありますが、赤が甘いという訳ではなく、白の方が甘い場合もあります。



ちなみに私は、目に見えない棘が掌中に刺るという体験をした後、地元の人たちにサボテンの棘やたくさんある種とどう付き合ってるか聞いたことがあります。
すると、子供のころからサボテンを食べてきたご老人たちは、気にならないから適当に、種は飲み込んじゃうという意見がほとんど。

上の動画は、サボテンの実の食べ方ですが、サボテンは、paleと呼ばれるうちわの部分も食べます。
今月の「総合解説」はpaleのリチェッタまで載せています。
さらに、フィコディンディアのリゾットやクロスタータのリチェッタもあります。
なかなか美味しそうです。

フィコディンディアの収穫。
 ↓


古代メキシコからウチワサボテンが伝わった地と言われるサン・コーノの収穫の最盛期は10月半ば。

北イタリアのシェフが教えるコンポスタのリチェッタ。
 ↓




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“サン・コーノのフィコディンディア”の記事とリチェッタの日本語訳は、「総合解説」13/14年10月号に載っています。
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2016年12月22日木曜日

『クチーナ・レジョナーレ・ソフィー・ブレイムブリッジ』

最近入荷した本の紹介、第2弾。
今日は 『クチーナ・レジョナーレ・ソフィー・ブレイムブリッジ』です。

代表的なイタリア料理を1冊の本に集めて、リチェッタや食材の解説もしながら、豊富な写真で紹介する本、というのが、なぜかイタリアにはあまりありません。

この本は、イギリス人でイタリア料理の人気本を何冊も出版している人が著者で、まさに、外国人が知りたいイタリア料理の姿が、よーくわかる1冊です。

基本のイタリア料理の情報を知りたい時、何かと便利で、写真の見ごたえもあります。

この本は、イギリス人の本にもかかわらず、2010年にイタリアで出版されて以来、イタリアで、イタリア人にもよく売れているロンクセラー本です。

それもそのはず、この本は、イギリスで過去に出版された代表的なイタリア料理の本のいいところを多数参照していて、かつ、適度に本格的。

イタリア人向けのイタリア料理本は、時として、マニアックすぎて外国人にはついていけない、ということがあります。
さらに、イタリアの出版業界の不安定さからか、なかなか重版されないので、人気の本はすぐに売り切れて、次に手に入るのはいつだかまったく不明というのが普通なのです。

ところがこの本は、イギリスとイタリアのいいとこどりした本です。

イギリス人は、地中海の食文化に昔から強い憧れを抱いていて、積極的に研究して取り入れてきました。
例えばマルサラというワインはイギリス人が見出して、シチリアで作って大量にイギリスに輸入してきました。
マルサラを有名にしたのはイギリス人というのは有名な話。

イギリス人のイタリア好き、で私が思い出すのが、映画『眺めのいい部屋』(1986)。

E.M.フォスターの小説の映画化です。
1987年アカデミー賞3部門受賞、英国アカデミー賞5部門受賞。
 ↓




この映画は20世紀初めのフィレンツェが舞台でも、マギー・スミスが出ているので、ドラマ『ダウントン・アビー』の一場面と言っても納得しそう。

17~18世紀には、裕福なイギリス人は、イタリアやフランスに長期間卒業旅行に行くのが流行ったそうですが、イタリアという国は、イギリス人に取ってはとてもロマンチックな場所だったのかもしれません。
イタリアに旅行に行く現代の日本人にだって、なんだか理解できそうじゃないですか。

イギリス人のイタリア料理本、決してバカにできないですよ。
お勧めです。


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2016年12月19日月曜日

プラネタの料理本、『シチリア/クチーナ・ディ・カーザ・プラネータ』

今日は最近入荷の本の中から、『シチリア/クチーナ・ディ・カーザ・プラネータ』のご紹介です。

タイトルが語る通り、これはシチリア料理の本です。
そして副題にカーザ・プラネータの料理、とある通り、シチリアを代表するワイナリーの一つ、プラネタ(プラネータ)の経営者一族の料理です。
スペイン出身の家系で、ワイン造りは18代に渡る家業です。
カンティーナは1995年の創業以来、シチリアの新世代のワインの造り手として、めきめき頭角を現し、現在はシチリア各地の6か所の拠点でワインを造っています。



プラネタ一族は貴族の家系なので、家庭料理と言っても、洗練された貴族の料理です。
でも、ストリートフードで有名なシチリアだけあって、貴族の料理も庶民の料理も根っこは同じ。
女性たちの手によって受け継がれてきた母親の味。




世界的に認められた味を作り出すワイナリーを経営する一族の、洗練された味覚や感性を生み出したのは、一族の女性たち。
 ↓


さらに、フォレステリアというホテルレストランも経営して、世界中の食通にその料理を提供しています。
 ↓


外国人に大人気の料理教室もやっています。
 ↓



どうやら外国のお客には、アランチーニやブジアーティが大人気のよう。
この本の一番最初の料理もアランチーニです。

ここでちょっとお知らせ。
「総合解説」では、イタリアの料理雑誌の記事を20年以上に渡って訳してきましたが、さすがにこれだけ続くとちょっとマンネリ化するので、来年(2015年1月号から)は、お勧めの料理書のレシピも少しずつ訳してみることにしました。
この『シチリア/クチーナ・ディ・カーザ・プラネータ』のリチェッタも訳す予定です。
ただし、写真は載せません。
ちなみにプラネタの料理の写真はどれも見ごたえがありますよー。
お勧めです。


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2016年12月15日木曜日

メスチュア

もう12月になっちゃいましたが、「総合解説」13/14年10月号、発売しました。
最初の記事は地方料理。

“メスチュア”です。

ご存知ですか ?




イタリアの地方料理によくある、質素で素朴で、ボリューム満点の「豆のズッパ」です。

レストランの1品としては、見た目があまりにも地味ですが、豆のズッパというのは、一度はまると、その奥深さに魅了されます。

労働者の貧しい食事の代名詞のような豆のズッパですが、誕生したいきさつを知ると、より愛着が増します。

メスチュアは、トスカーナとリグーリアの州境の地方の料理で、トスカーナ料理とみなすか、リグーリア料理とみなすか、意見が分かれるところのようです。

今回の記事は『ア・ターヴォラ』誌の記事ですが、それによると、19世紀後半にラ・スペツィアで兵器工場が造られていた時に生まれた料理がルーツだというので、上の動画も、ラ・スペツィア版メスチュアのものを選びました。

記事によると、この工場建設の際に、一番きつい仕事を行っていた囚人たちのために作られた料理そうです。

それが、豆や小麦を栽培する農家の主婦の工夫が詰まった料理として生まれ変わったのが、この
メスチュア。

材料の豆は、チンクエテッレから運ばれてきた穀物を港の倉庫に運んだ時にこぼれ落ちた豆。

でも当時、港の労働者が落ちた穀物を拾うことは禁じられていたので、農家のおかみさんたちが、拾い集めていたそうです。

どんだけ生きるのが苦しい時代だったんでしょうねえ。

ヴィットリオ・デ・シーカが映画にしたら、ネオレアリズモの傑作が生まれて、カンヌでグランプリ獲るんじゃないかと期待しそうなシチュエーションですよ。

ネオレアリズモと言ったら、デ・シーカ監督の『自転車泥棒』。
 ↓


19世紀という時代背景は、メスチュアと一緒。
農家のおかみさんたちが落ちた豆を拾うのは許していたイタリア人の心意気も、似てるなあ。

熱くて濃厚なズッパの季節の始まりにふさわしい1品でした。


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“メスチュア”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年10月号に載っています。
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2016年12月8日木曜日

アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノとワイン

パスタの話題が多い今月の「総合解説」。
ワインの記事も、『ガンベロ・ロッソ』の恒例、料理に合わせるワインのテイスティングで、アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノに合わせるワインでした。




この記事、訳していて、とても楽しかったです。
というのも、この料理のことをイタリア人は本音でどう思っているのかが、よーくわかる記事だったんです。

詳しくは解説をお読みいただきたいのですが、まず、記事のタイトルの下に大きな文字で書かれた文章は、
「一番簡単なイタリア料理の一つ」
まあ、確かにその通り。
イタリア人が一番簡単なイタリア料理と言うのなら、きっとそうなんでしょう。
この言葉がすべてを物語っているかも。

続く記事の冒頭では
「イタリアの国民的人気のスパゲッティ」と持ち上げて置いて、
その理由が、
「夜中の2時の、貧乏でいつも冷蔵庫は空っぽのおなかを空かせた学生にとって一番確かなもの」
と、上げてんのか下げてんのかよくわからないスタンス。

その後も、
「あらゆる時間帯に、あらゆる世代から愛されているパスタ」
「イタリア人なら目を閉じていても作れる料理」

と、絶賛する横から、上から目線のちょっとからかい半分。
イタリア人ともあろうものが、この初心者向きパスタを真剣に語るなんて笑っちゃう、と、どうやらてれ隠しもちょっとある、と見ました。

イタリア人なら目を閉じていても作れる、ですよー。

しかも、今回のテイスティングは、夜食用として定番のリチェッタのアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノに組み合わせるという、なんとも凝った縛りつき。

イタリア人のイタリア人たるところは、こんな超簡単なパスタに、わざわざ縛りを作って、その条件に最適な食材を超真剣に考えて、さらにパスタは硬質小麦粉のもの、オイルはガルダ湖産のコミンチョーリ社の種抜きレッチ―ノのエクストラヴェルジネ、唐辛子は種を取った生唐辛子、にんにくはみじん切りと、どこの3つ星シェフの一品かと思うくらい、食材を厳選。

だから、最適の飲み物を選ぶなんてなったら、もう真剣も真剣。
素人にはちょっとついていけないレベルでした。

映えある1位に選ばれたのは、カンティーナ・プロドゥットーリ・コルモンズのコッリオ・ソーヴィニヨン。

面白いのは3位にビールが選ばれていること。
ビッラ・ペルージャ。
 ↓



2位に選ばれたのはプラネータのシャルドネ。
シチリアの有名カンティーナ、プラネータ。
 ↓



最近入荷したプラネータの本はシチリア料理の本としてもなかなか興味高い内容でした。

もう紹介したと思ったらまだでした。
では次回に早速。

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“アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノとワイン”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年9月号に載せています。
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2016年12月5日月曜日

マルコ・マルティーニシェフとアーリオ・オーリオ・ディ・マーレ

今月の「総合解説」で取り上げたシェフ、二人目は、ローマの注目の若手シェフ。
この形容詞、今まで何回ぐらい訳したかなあ。
とにかくローマはトレンドを作り出す天才若手シェフの激戦区で、ほとんど毎月天才新人シェフが見出されています。

今回のシェフは、マルコ・マルティーニ氏。
リストランテ、スタツィオーネ・ディ・ポスタの元シェフです。

リストランテの激戦区だけあって、マルコシェフは、今ではもう新しい店、ローマのザ・コーナーに移っています。
彼の料理の特徴である、若者向けの、メニューも料金もクラシックな店、という個性はそのままです。

彼の肩書は、イタリアで最も若くして(24歳)ミシュランの星を獲得したシェフ、というもの。
翌年には2つ目の星を獲得しています。

間違いなく、レストラン激戦区ローマで、したたかに生き残って成功を収めつつあるシェフです。

トレンディーな香りがプンプンするブティックホテルのレストラン、ザ・コーナー。
 ↓



鶏肉のディアヴォロ風を披露するマルコシェフ。
 ↓


彼の経歴はとても興味深いですねー。
まず、ホテル学校には通わずに、大学で建築や内装を勉強しています。
一番身近だった料理人は母親。
これはすべてのイタリア人の共通項。

手本としてきたのはグランシェフたち。
貪欲なまでに様々な条件でのスタージュを経験し、さらに、グランシェフたちから熱い信頼を得て、経営にもかかわってきました。

今月の「総合解説」では、彼を有名にした料理、“アーリオ・オーリオ・ディ・マーレ”と“鶏肉とじゃがいものブロードの蒸しラビオリ”のリチェッタも訳しています。

特にアーリオ・オーリオ・ディ・マーレは、現在のイタリアのアルタ・クチーナのトレンドの最前線の料理かもしれません。
普通のアーリオ・オーリオではなく、パスタを粉にした貝で調味して、リゾッタータのテクニックで貝の汁を吸わせながら煮ています。




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“マルコ・マルティーニ”のリチェッタの日本語訳は「総合解説」13/14年9月号に載っています。
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2016年12月1日木曜日

ペッペ・グイダシェフとパスティフィーチョ・デイ・カンピ

今月は、ネットの初歩的なトラブルでブログの更新が遅れましたが、現在、13/14年9月号の「総合解説」のビジュアル解説中です。
12月になっちゃったけど、10月号の「総合解説」は現在バリバリ制作中です。
もう少しお待ちください。

それで、現在ブログではグラニャーノのスパゲットーニとパッケリの話をしていたのですが、このパスタ、グランシェフたちは大好きです。
今月の「総合解説」で取り上げた二人のシェフ、ペッペ・グイダとマルコ・マルティーニシェフも、まさにその一人、というかその二人。

ペッペ・グイダは、20年前にヴィーコ・エクエンセで一番美味しいロスティッチェリーアと評判の店をオープンさせて、カンバーニアの食通の間で大人気のグルメスポットに育て上げた人。
ペッペ・グイダのカンピ社のパスタ料理。
 ↓



彼の店のパスタは、グラニャーノのカンピ社のもの。

カンピはガンベロ・ロッソのパッケリベスト10で、ジェンティーレと共に同点1位になったパスタメーカー。

カンピ社の今年の小麦の収穫
 ↓


店のレストランの名前には尊敬するお母さんの名前を付けたんだって。
カンパーニアの人だなあ。
ちなみに店名はアンティカ・オステリーア・ノンナ・ローザ。
 ↓



次回はもう一人のシェフを紹介します。


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“ペッペ・グイダの夏の終わりのパスタ”のリチェッタの日本語訳は、
総合解説」13/14年9月号に載っています。
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2016年11月28日月曜日

ハチミツ メラータ

ここ数日、初歩的なトラブルでPCの接続ができなくなって、人知れず、焦っていました。
バックアップって大切ですね。
今は復活したので、思いがけずの臨時休業も終わりです。
再開、再開。
ブログは、イタリア便りです。
北イタリアに住むsegnalibroさんぱどんな暮らしを教えてくれるんでしょうか。
それではお願いします。



山に移り住んで数週間たったころ、家の近くにこんな箱があるのに気が付きました。

apicoltura

養蜂?ミツバチのお家が色とりどりで、なんだか可愛い。
近所の水汲み場には、ミツバチ達がよく水を飲みに来ていました。ミツバチだけでなく、ここには野生の鹿も水を飲みに来るそうです。

api

このミツバチ達、誰がお世話をしているのかと思っていたら、ここに来て一番最初に声を掛けてくれた、お向いの家のパパでした。
半分趣味で、ミツバチ4家族を飼っているとのこと。朝、お仕事に行く前と夕方帰宅してからの1日2回、約20年お世話を続けているのだそうです。
箱がカラフルなのは、ミツバチ達が帰るお家を間違えないようにする為。1家族につき1年で約40kgのハチミツが採れるのだと教えてくれました。

日本にいた頃は、ハチミツなんてホットケーキに使うくらいしか思いつかず、頂いてもいつの間にか冷蔵庫の奥で固くなってしまっていたものですが、こちらに来て、特に冬はハチミツの必要性を感じるようになりました。
日本にあるようなステキなのど飴がここにはないので、風邪をひきかけた時には、ハチミツが活躍するのです。
必要だったら分けてくれるとのことで、早速少しいただきました。

melata

去年のハチミツはもっと明るい色をしていて、主にタンポポのハチミツだったけれど、今年は余り気温が上がらず、お花が少なかったので、このハチミツはMELATA(メラータ)なんだよ、って言うのですが、メラータって何?
分からない私に、ネットで検索したこんな画像を見せてくれました。(WIKI先生より、閲覧注意デス)

melata wiki

げげっ、花の蜜じゃない。けれど、ハチミツの濃い色からは想像できない、とても優しい味がします。
メラータ、日本語で甘露密、英語ではハニーデュー。植物の樹液を吸った虫が出す蜜から採れたハチミツです。
花から採れるハチミツに比べると、糖分控えめ。ミネラル分を多く含んでおり、別名、森のハチミツとも呼ばれているそうです。
先月、県内でハチミツ品評会が開かれたのですが、そこで彼のハチミツがメラータ部門で第2位になり、地元の新聞にも載ったとかで、とても喜んでいました。
ちなみに、1位は養蜂を本業として営んでいる隣村の方。そういえば今年の村祭りには、この養蜂家さんがキュートな標識が目立つお店を出していました。

bancarella



さて、先日ハチミツを頂きにいったら、台所の脇に砂糖の袋が積みあがっていました。
人間様用にハチミツを頂いちゃったので、冬の間ミツバチ達が困らないよう、砂糖をお水で溶いてあげるのだそうです。冬の間もお世話は必要なんですね。知りませんでした。
ここは、先週からスキー場がオープンして寒い日が続いていますが、今年はメラータのハチミツで冬を乗り切ります。


grazie segnalibroさん。 近所で蜂が蜂蜜作ってる暮らし、素敵ですね。 -------------------------------------------------------
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2016年11月10日木曜日

スパゲットーニ

ガンベロ・ロッソのデグスタツィオーネの記事の紹介、今日は、スパゲットーニです。

一般的なスパゲッティは直径1.8~2.2㎜、スパゲットーニは直径2.3㎜以上。
上質のパスタは低温でゆっくり乾燥させることが必須条件ですが、太いということは、これがなかなか難しいということ。
なので実はこのパスタも、パスタメーカーの本気度が分かる製品なんです。
この製法のパスタはアルデンテを保ちにくいので、扱う料理人にも、経験とテクニックが要求されます。
日頃数多くのリチェッタを訳している印象からすると、グランシェフに愛されているパスタというイメージがあります。
チェックポイントは、ゆでた後の香りと味、歯ごたえの均一さ、“外皮”のテクスチャー、腰の強さ、ソースのからみ具合など。
ちなみにアルティジャナーレのスパゲットーニに合うソースは、ラグー、カーチョ・エ・ぺぺ、シンプルなフレッシュトマトのソースなど。
イタリアの国民的パスタソースばかりですね。

ナンバー1のスパゲットーニに選ばれたのは、なんと同点1位が6製品という異例の事態。
どれも最優秀クラスで甲乙つけがたかったそうです。
パッケリの場合は上位はグラニャーノのメーカーにほぼ独占されていましたが、スパゲットーニは、各地のメーカーの製品が選ばれています。
その中の一つが、キアンティDOCG 地区のパスタメーカー、ファッブリのスパゲットーニ・トスカーニ。

ファッブリ
 ↓


キアンティ地区は、ぶどう畑が広がる前は小麦畑だったんですね。
ガンベロ・ロッソによると、乾燥期間は38℃以下で6日間。
奇跡の乾燥テクニックだそうです。
硬質小麦の強い香り、甘みのある味・・・。

パッケリでナンバー1に選ばれたジェンティーレのスパゲットーニも、1位に選ばれています。

1社を除くすべてのメーカーがブロンズのダイスを使っていますが、例外の1社は、なんと金のダイスだそうです。

それはヴェッりーニ。
 ↓


金のダイスは世界で唯一。
ワインの作り手として有名なヴァレンティーニが栽培した硬質小麦を使用しています。

1位の中で、コストパフォーマンスのナンバー1は、マシャレッリ。
 ↓



ファッブリ製品と比べると、半額近い安さですが、スパゲットーニは2日間かけて乾燥させています。
ただ、ファッブリの製品が断トツ高額で、他のメーカーとの価格差はそれほどありません。

スパゲットーニのカルボナーラ。



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“スパゲットーニ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年9月号に載っています。
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2016年11月7日月曜日

パッケリ

前回、カラマラータの話が出た流れで、今日のお題は、ガンベロ・ロッソのベスト10の話題。
今月の「総合解説」では、乾麺のパッケリとスパゲットーニを取り上げています。

まず、どちらにも言えることは、これらのパスタは、パスタメーカーの技術の高さを知ることができるパスタで、当然、アルティジャナーレの製品で、どのメーカーにとっても、最高級ラインの製品となっていること。
「総合解説」には上位のパスタの写真を載せたのでちょっと見てください。
どのメーカーも、最高級パスタにふさわしい、美しくて高級感のあるパッケージです。
今回はパッケリの話。

まずは、乾麺のパスタの品質を判断する重要な基準、ダイスの材質と乾燥温度。
パッケリも、スパゲッティ同様、高級品はブロンズのダイスを通して、低温でゆっくり乾燥させています。
そうすると、表面が多孔質でざらざらしたパスタで、小麦の風味や栄養価が残った麦わら色で味の強い麺になります。
こういった麺はコクのあるソースがよく合います。
低温で乾燥させるのは、大型や厚みのある形や複雑な形のものほど、均質に乾燥させるのが難しくなります。
パッケリは直径が大きく、中が大きな空洞になっているため、内側と外側の品質にむらができないようにする必要があります。
ガンベロ・ロッソの試食は、ゆで上がり後に形をきれいに保っているか、麺の各場所での腰などもチェックしています。

ちなみに、一般的なステンレスのダイスを通して高温で短時間で乾燥せると、つつるつるした麺になります。
このタイプの麺には軽いソースが合います。

グラニャーノのヴェッキオ・パスティフィーチョのパッケリ。
 ↓


ガンベロ・ロッソのテイスティングでは13位でした。
記事によると、小麦はアルタムーラの製粉所で粉にした国産硬質小麦、乾燥温度は46℃以下。
中~大型で長めの形。見た目も触感も多孔質。
ゆでた後も弾力や腰を保ち、均質。

国産の硬質小麦をプーリアやバジリカータで粉にして、グラニャーノで乾麺にする、というケースが多いようです。
特にパッケリは上位はほとんどがグラニャーノのメーカー。

そんなグラニャーノの優れたアルティジャナーレのメーカーたちの中で、1位に輝いたパッケリは
同点1位が2製品。
ジェンティーレとカンピの製品でした。

ジェンティーレ
 ↓



カンピ
 ↓


どちらもグラニャーノのメーカーで、ジェンティーレは1876年創業。
硬質小麦はバジリカータ産のセナトーレ・カッペリ。
大型で内側も外側もざらざらした完璧なパスタ。
高級感あふれる濃い青い色のパッケージが目印。

一方カンピは代々製麺業の家系の兄弟が2007年に創業した若い会社。

同点3位はアフェルトラとファエッラ。
コストパフォーマンスも同点1位。
値段はカンピのパッケリのほぼ半額。

アフェルトラ
 ↓


ファエッラ
 ↓


アフェルトラは2005年にイータリーのチェーンに入ったグラニャーノのメーカー。
パッケリは小型で、イタリア産とカナダ産の小麦をミックスして使用。

ファエッラはカナダ産小麦を使用。

パッケリも個性的な製品が色々あるもんですね。


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“パッケリ”の記事の日本語訳は「総合解説」13/14年9月号に載っています。
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2016年11月4日金曜日

イスキア風カラマラータ

今日はイスキア島の料理の話。

よく言われることですが、イスキア島で農民文化や料理が生まれる島の魂があるのは、海ではなく、島の内陸部。
バカンスの島になる前は、農業が主な産業でした。
 ↓



島で最初に人が住んだ地区、ラッコ・アメーノ。
動画はこちら
最初の住民は、ギリシャ人でした。

島で一番大きな住宅地区、フォリオ。
動画はこちら

島の喧騒から離れたイスキアの最も知られていない地区の入り口、サンタンジェロ。
動画はこちら



イスキア料理。
 ↓


島の料理に、バカンス客が好むカンパーニアの名物料理がミックスされて、都会的で派手な見た目の料理が次々と考え出されているようです。

そんな料理の一つとも言えるのが、グラニャーノのイカリング型パスタとイカの料理、カラマラータ。

イスキアやナポリでは、ヤリイカの旬、つまりちょうど今頃の秋から冬の料理。

偶然、今月の「総合解説」で取り上げたパッケリの記事を訳していて知ったのですが、パッケリやカラマラータのような直径が大きくて内側と外側があるパスタは、乾燥させる時に特殊な技術や経験が必要なので、作るのが難しいんですね。
なので、今はグラニャーノの代名詞のようになっています。

つまり、カラマラータは、おいしいパスタを作る伝統とイカをよく食べる地方ならではの料理なんです。

イスキア風カラマラータ。
 ↓


カラマラータはパッケリより幅が細いので、むしろ扱いやすいかも。

そしてもちろん、はるばるイスキア島まで行って、これを食べなかったら後悔する、という料理が、島一番の名物料理、うさぎ肉のイスキア風。



2500年前にシチリアからイスキアに移り住んだ人たちが、当時島にたくさんいたうさぎを使って作ったと言われる料理。
ポイントは、この料理の主役、島の野草。


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グルメガイド“イスキア”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年9月号に載っています。
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2016年10月31日月曜日

イスキアとヴットリア・コロンナ

週末に郵便局に行ったら、荷物を出す人より、飴をもらいに来たハロウィンウォークラリーの子供たちのほうが多かった。
男の子も女の子も、カボチャ色のちっちゃなバケツを下げて小さな町を巡って、夢中で飴を集めて回ってました。
見てるこっちまで楽しくなりましたよ~。
こういうイベントは、地元の商店街が、どれだけ本気を出すかにかかってるんだなあ。


とろこで、前回は、プッタネスカの話題でしたが、その発祥地とされているのはイスキア(諸説あり)という話でした。
偶然ですが、今月の「総合解説」のグルメガイドに取り上げた場所はイスキア。

イタリア人しか知らないイスキアの魅力って、なんでしょう。
行った気になるヴィジュアルツアーの始まりです。

イタリアの歴史の話をすると、ギリシャ人、アラブ人、ノルマン人、スペイン人、フランス人など、様々な民族に支配された、という話が必ず出てきます。
イスキアも数々の民族に支配されたようなのですが、『サーレ・エ・ペペ』では、そのへんのところはまるっと省略して、最終的に島を支配したのはバカンス客だったと、スマートに落としています。

この島は、イタリア人に人気のバカンス地。
その理由は、温泉。
記事でこの島のキーワードとなっているのは、温泉、貴族、農民。

イスキアには温泉の水源が100か所以上あるそうです。
しかも、古くから薬効があることが知られていて、みんな体の悪いところを治すために温泉に浸ったのだそうです。




次は、貴族。
記事では、「イスキアの歴史が詰まった要塞化した小島」と紹介されている、アラゴン城のある“スコーリオ”。
城は今では廃墟となっていて、軍艦島みたいです。



城の現在の所有者は一部をホテルとして改装中。
動画はこちら


記事によると、この島の主役は、ルネッサンス最大の女性詩人のヴィットリア・コロンナ侯爵夫人(1492-1547)。
あのミケランジェロと芸術的な親交があった人です。
初めて聞く名前かもですが、wikiに詳しいことが紹介されています。
こちらのページ
彼女のお陰で島は芸術家や知識人のサロンのようになったのだそうです。

ミケランジェロとの親交を紹介する動画もたくさんあります。
例えば、こちらのページ


イタリアでかなり人気のある人のようです。
下の動画は、ヴィットリアの墓を探すドキュメントの予告編。
なんと、ミケランジェロが作った墓がイスキアのアラゴン城にあるのでは、という、ダヴィンチコードもビックリの壮大なミステリー。




イスキアって、なかなか素敵な島ですねー。





最後のキーワード、農民とイスキア料理の話は次回です。


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グルメガイド“イスキア”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年9月号に載っています。
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2016年10月27日木曜日

プッタネスカの考案者

今日から「総合解説」9月号のビジュアル解説です。
最初の記事は、イタリアの国民的パスタソースの1つ、プッタネスカの話。
この料理、とても美味しいけど手軽に作れて、人気ありますよね。
なのに、なんでこんな名前。

という訳で、この料理の由来です。
諸説あるのですが、どれも決定的証拠がないので、どれを信用するかは、あなた次第、という状態。
『サーレ・エ・ぺぺ』の記事も、これだ、という決定打はないので、諸説をいくつか紹介というスタンスです。

まず最初の説は、
ナポリ料理のバイブルと言われる料理書、
ジャンヌ・カローラ・フランチェスコーニ著『La Cucina Napoletana』の中に、
この本のルーツについての記述があるそうです。

ジャンヌ(1903-1995)はナポリ生まれの作家で、ナポリ料理の権威と見なされていた人です。
信頼できるナポリ料理の本を、イタリアで2番目に書いた人。
1番目の本は、イタリア料理史に残る歴史的な本とされているので、2番目でも十分すごいこと。
ゆたかなナポリの食文化を研究して本にまとめるという偉業は、高く評価されています。

この人の本に書いてあったことは、イタリア人にとってはかなり信用できる情報と言えそうです。

彼女によると、このソースを考え出したのは、画家でジャンヌの親密な友人だった、エドアルド・マリア・コルッチ(1900-1975)、という人物だそうです。
コルッチはイスキア島生まれでした。
こんな絵を描く人です。
このソースは彼のスペチャリタだったそうです。

でも、数年前にイスキアの日刊誌、『イル・ゴルフォ』(webページはこちら)が発表した説によると、プッタネスカの考案者は、コルッチの甥の建築家で、イスキアでレストランとナイトクラブを経営していたサンドロ・ペッティなんだそうです。
このレストラン、リストランテ・アルベルトのwebページに、現経営者(創業者の孫)が、プッタネスカ誕生の経緯をサンドロから聞いたという話が載っています。→こちらのページ

それによると、1949年の夏の終わり、夜遅くに、彼の経営するナイトクラブRangio Felloneに、1組のカップルが食事に訪れました。
ところがあいにく、その晩は食材を使い切っていて、残っているのはトマト4個とオリーブとケッパーが数粒。
puttanataみたいなのしかできないけど、と断って、その材料でパスタを作ったのだそうです。
puttanataは、お上品に言えば、ろくでもないもの、お下品に言えば、くそみたいなもの。
でも、それじゃあメニューに載せられないので、ちょっとお上品にputtanescaと言い換えて、メニューに載せたのだそうです。
サンドロは、このソースのリチェッタをレストランのシェフに伝授しました。
すると、シェフはすっかり気に入って、すぐに店のメニューに取り入れたのだそうです。

聞いてみると他愛もない話ですが、誰でも考え付きそうなシンプルなこのソースがここまで広まったのは、娼婦風という名前のインパクトにあったのでは、とも思えます。

そうそう、アメリカ人のアーサー・シュヴァルツの、ナポリのスペイン地区の売春宿のオーナーが、手早くできるこの料理を客にふるまったという説も、それなりに説得力ありますねえ。

でも、puttanataのダジャレでputtanescaにした、っていう説は、カンパーニアの人ならいかにも考えそうな話じゃないですか。

現在のリストランテ・アルベルト
 ↓



こちらはブッタネスカ誕生の地とされるナイトクラブで開かれた映画祭のパーティー。
ちなみに設計したのはサンドロ。
 ↓





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“パスタ・アッラ・プッタネスカ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年9月号に載っています。
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2016年10月24日月曜日

「総合解説」最新号

今月はちょっと遅くなりましたが、9月号の「総合解説」、発売になりました。

今月は、なぜかパスタ関連の記事が多かったです。
料理も、バカンス地を連想させる料理から、秋の食材の料理へと、変化しています。
イタリアの9月は、バカンスの最後の名残、というイメージなんですね。
楽しい夏の思い出を、もう少し引っ張りたい、というような気分にぴったりの料理は、リグーリア料理。
もうさっさと秋に浸りたいなら、ロンバルディア料理。
という具合で、料理も大急ぎで北上中です。

おまけでこの時期の話題。
ハロウィーン文化とは関係なさそうなイタリアですが、
アロウィーンは年々定着しているみたいですね。





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2016年10月20日木曜日

イタリアのビール

今日はビールの話。

スローフードのイタリアビールのガイド本、『ビッレ・ディ・イタリア2015』の発売に寄せた、『クチーナ・エ・ヴィーニ』誌の記事を訳して「総合解説」にのせました。

それによると、今やイタリアのビールは世界的知名度を得て、新しい伝統となりつつあるそうです。
イタリアのビールの特徴は、個性豊かな土壌から生まれる、オリジナリティーや発想力に溢れた醸造。

イタリアのビールブームは熱狂的に沸き上がって、情熱に支えられて成長し、現在は醸造、流通の分野でも重要な産業になっているのだそうです。
外国からの需要の増大が生産増にも結び付きました。

特に、ここ数年の注目は南のビール。

ちょうどいい機会なので、2015年版で、カタツムリマークを与えられた、高評価の作り手を紹介しがてら、本の見方を説明します。

まず、
カタツムリマークは、地域や環境に配慮しながらイタリアのビールの品質向上に貢献するような上質ビールを造っているメーカーに与えられます。

例えば、有名なところでは、ピエモンテのバラディン。
評価は、ビッライオ(醸造者)、ビッリフィーチョ(醸造所)、ビールの総評、個別のビール評価
に分かれています。

「(ビッライオの)テオ・ムッソはイタリアの(あるいは世界の)ビールの歴史を造った」
と高評価。

「バラディンのビールのスタイルは、エレガントでバランスが取れ、料理と組み合わせやすい。
ホップの流行を過度に追うことはせず、上品だが、デリケートすぎることもない。
注目を集めにくい“普通の”ビールでも、バラディンのビールは、いわばビールのマイルストーンになっている」

バラディンのビールは12種類。
特に、スロウ(生産地や生産者の歴史を感じさせる)、クオティディアーナ(シンプルで飲みやすい)、グランデ(ぜひ飲んでほしい素晴らしい風味)の特徴があるビールには、各称号が付いています。
バラディンの場合は、ノラというビールがグランデ評価。
ビール名の横にある●は、ビールの色を表しています。
ノラは濃い琥珀色。
さらにその隣はアルコール度。
その隣のAのマークは上面(alta)発酵の意味。
さらに隣のRは再発酵という意味。

ノラを語るティオ・ムッソ氏。
 ↓


ガイドの評価は、

エキゾチック、熱く、魅力的。
エジプトの精油ミルラやしょうがの風味がモルトと完璧に調和。
モルトには貴重なカムット小麦を使用。
独特の風味が長く残る。

このガイドを片手にイタリアビールを飲むと、うんちくを語れそう。

プーリアのグランデ・ビールの作り手の一つ、B94。
 ↓



同じくプーリアの注目の醸造所、ビッラノーヴァ。
 ↓




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“ビッレ・ディ・イタリア”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年8月号に載っています。
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2016年10月17日月曜日

イタリアの塩田

今日はイタリアの海塩の塩田の話です。
過去に何度か取り上げていますが、イタリアでは、約20軒の塩田が現在もあるのだそうですが、大量生産をしているのは4つ。

つい最近取り上げたのは、一番北にあるチェルヴィアの塩田。
にがり成分が少ない“甘い”塩で有名な、ドルチェにも使われる塩です。
パルミジャーノ・レッジャーノにも使われています。

チェルヴィアの塩田
 ↓



特に、手作業で収穫して昔ながらの製法で少量だけ造られるリゼルヴァ・カミッローネとサルフィオーレの塩は品質の高さで有名。

サルフィオーレの解説
 ↓



プーリアのマルゲリータ・ディ・サヴォイア塩田はヨーロッパ最大の塩田。
 ↓



この地区の塩は塩化ナトリウムの割合が最大で、味も比較的中庸。


トラーパニの塩はIGP製品の認定を受けています。
スローフードの保護食材にもなっています。
この塩は他の塩と比べてカリウムとマグネシウムの含有量が多いので苦みが強く、塩化ナトリウムの割合が少ないのが特徴です。
高い安全性から、長期保存用の食品の塩漬けに使うのに最適と考えられています。

トラーパニとパチェーコの塩田と、近くのマルサラ(エットーレとインフェルサ)の塩田のある地域は、風車が名物のシチリアを代表する塩田。
 ↓



マルサラの塩田  ↓
UFO at Sunset [Explored]


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“イタリアの塩田”の記事の日本語訳は「総合解説」13/14年8月号に載っています。
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2016年10月13日木曜日

パレルモのスリートフード、スフィンチョーネ

8月号の「総合解説」には、ストリートフードの記事が2つあります。
バカンスの季節の夏は、イタリアではストリートフードの季節なんですね。

でも、方言で食べる(by チッチョ・スルターノ)と表現される通り、通りすがりの観光客には、ちょっと敷居の高い食べ物です。


今回解説に載せた料理は、まずパレルモのスフィンチョーネ。
なんと、一番有名なシチリア料理だと言う人もいます。

パレルモのストリートフードにしては珍しく、内臓は入っていません。
パレルモ風フォカッチャ、またはパレルモ風ピッツァです。

クリスマスの定番の食べ物なんだそうです。
生み出したのは修道女と言われています。
なんのトッピングもない質素なパンを、お金をかけずにクリスマス用のゴージャスなパンに変身させた、ということでしょうか。
スフィンチョーネの語源はラテン語でスポンジという意味。
おそらく、パン生地の柔らかさを表しているのでしょう。

このスタイルで売るのが伝統的。








ピッツァ生地に玉ねぎ入りトマトソースを塗ってアンチョビとカチョカヴァッロを加えて焼きます。
シンプルで経済的なのに、美味しそう。

スフィンチョーネはパレルモ限定のストリートフードですが、パレルモ近郊のバゲリアという町にはバリエーションの一種が作られていて、スファンチョーネ・バゲレーゼとか、スフィンチョーネ・ビアンカと呼ばれています。
バゲリアでだけ造られている珍しいスフィンチョーネです。




パレルモ風とは全く違うと力説していますが、その違いは両方食べないとわからないなあ。

それにしても、シチリアの人はパン粉が好きですね。
パスタに散らすのはよく見ますが、パンをパン粉で覆うとは、すごいアイデア。

パレルモでスフィンチョーネを食べたくても、あのオート三輪に出会えるかどうかは不確かなので、スフィンチョーネを売っていて、ガンベロ・ロッソの『ストリート・フード』でも高く評価されている人気の店を1軒、ご紹介します。

店の名前は、Panificio Graziano /via del Granatiere 11。
ネットの評価は上々で、パレルモで一番美味しいカットピッツァの店、かつ一番美味しいスフィンチョーネの店として知られています。
中心地から離れていて観光客には知られていないのですが、店は地元の人で一杯なんだそうですよ。
スフィンチョーネの王様や~という投稿もありました。

それにしても、パン生地にトマトソース、アンチョビ、チーズをのせたフォカッチャとなると、どこでパレルモらしさを出すのでしょうか。
材料を見る限り、唯一、パレルモ特産と言えるのは、カチョカヴァッロですかね。
カチョカヴァッロには、カチョカヴァッロ・シチリアーノという分類があって、その中の一種が、カチョカヴァッロ・パレルミターノというチーズです。




カチョカヴァッロは、モッツァレッラと同じ、パスタ・フィラータのチーズですが、熟成させるので辛みなどが生まれます。

パレルモに行く機会があったら、パニフィーチョ・グラツィアーノまで出かけてパレルモで一番美味しいスフィンチョーネを食べて、ちょっと足を延ばして東隣のバゲリアに行って、スフィンチョ―ネを食べ比べる、というのはどうでしょう。
ちなみに上の動画では、下記の5軒の店を紹介しています。
i forni storici di Bagheria: Buttitta, Liga, Lo Presti, Ragusa, Varisco

どの店も高評価のようです。

とろこで、そもそもバゲリアってどんな街?

パレルモ県ではパレルモに次いで人口の多い街だそうです。
『ニューシネマパラダイス』で知られるジュゼッペ・トルナトーレ監督の故郷。
『シチリア!シチリア!』は監督が故郷を舞台に撮った映画。
さらに、パレルモのベッドタウンだったおかげて貴族の館がたくさん残っていることでも有名。






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“ストリートフード”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年8月号に載っています。
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2016年10月11日火曜日

カリアリ

今日は「総合解説」のグルメガイドから、カリアリのビシュアル解説です。

独特の方言があるサルデーニャ。
そのサルデーニャの言葉で城という意味のカステッドゥと呼ばれるカリアリ。

サルデーニャ島の南の端にあるこの町のキーワードは、丘。
歴史地区の中心にあるのが、城壁に囲まれた城がそびえる丘。
城の周囲に町が広がっています。

カリアリの城
 ↓


城があるカステッロ地区の丘の上からは、ふもとの港や海まで見渡せます。
カリアリは海に囲まれた町です。
ふもとには、イタリア最大の屋内市場があるサン・ベネデット地区、長く続く砂浜など、まったく別の顔が。

海の街、カリアリ
 ↓



アサリのフレーゴラや、ズッパ・ディ・ペッシェのサ・カッソーラが名物なのはこの一角。

市場でお買い物。
 ↓


アサリのフレーゴラ
 ↓


さらに、海岸には、生ウニを売る店もでています。
地元の白ワイン、ヌラーグスDocを飲みながらどうぞ。


もうバカンスのシーズンは終わったのに、まだバカンスの気分を引きずっている人は、ウニのパスタにサルデーニャの白ワインを添えて食べたくなる。


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“カリアリ”のグルメガイドの日本語訳は、「総合解説」13/14年8月号に載っています。
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2016年10月6日木曜日

国民的パスタソースとパスタ・リゾッタータ

先日、“アーリオ・オーリオ”について調べた時に読んだスローフードの“リチェッテ・ディ・オステリア”シリーズの『パスタ』の中にあった言葉、sughi nazionaliが、ずっと頭に引っかかっています。

正確には、スーギ・ディ・パスタ・ナツィオナーリ。

訳すと、国民的パスタソース、という意味です。

イタリアの国民的パスタソース。
当然、日本でもよく知られていて、いわゆるイタリア料理のイメージを代表するパスタソースです。
イタリア料理を語る上で、もっとも基本となるものです。

さて、あなただったら、何を挙げますか?

本に書かれていたのは、ラグー・アッラ・ボロニェーゼ、アマトリチャーナ、カルボナーラ、ペスト・ジェノヴェーゼ、アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ、カーチョ・エ・ペペ、フレッシュトマトとバジリコ、アッラ・マリナーラ、ヴォンゴレ、プッタネスカ、ノルマといったラインナップ。

日本でも人気のものばかりですね。
北から南までありますが、主にラツィオとカンパーニアの伝統パスタソースです。

これらの伝統的なものの他に、もっと新しい、アッラ・コンタディーナ、アッラ・ボスカイオーラ、アッラ・アッラッビアータなどがあります。

さらに歴史的に見れば、イタリアのパスタソースには、トマト化という大きな転換期がありました。
1例を挙げれば、グリーチャにトマトが加わってアマトリチャーナになったようなことです。

イタリアのパスタソースには、野菜のソースという独特の分野もあります。
カルチョーフィ、ファーヴェ、ファジョーリ、ズッキーネ、フィオーリ・ディ・ズッカ、メランザーネ、ブロッコリ、チーメ・ディ・ラパ、チコリエッレといったイタリア野菜や、カポナティーナ、ケッパーとオリーブなどです。

国民的パスタソース、面白いテーマですね。
今後、「総合解説」で取り上げてみようかな。
販売している料理書の中から、国民的パスタソースのリチェッタを集めて訳す、というのはどうでょしょう。
少し先になると思いますが、急にやる気が出てきました。
需要があるといいのですが。


ソースの話をしたら、切っても切れないのがパスタの話です。

最近、リチェッタを訳していてとても目につくのが、パスタをリゾットと同じテクニックで作る料理です。
アーリオ・オーリオやカーチョ・エ・ぺぺのようなシンプルなソースの基本のテクニックですが、最近では、グランシェフの料理を中心にあらゆるパスタに広まっています。
パスタの一番新しいトレンドかも、と感じています。

パスタ・リゾッタータ
 ↓


リゾッタータには、イタリア人が求めるパスタの特徴が表れていると感じています。

この作り方だと、パスタからでんぷんが溶け出て、煮汁にとろみがつきます。

ただし、でんぷんがたくさん溶け出せばいい、という訳ではありません。
例えば、イタリア人がリゾットに使うのは、わざわざでんぷんの量を少なくしたアルボーリオやカルナローリといった品種の米です。

パスタをゆでる時にパスタからゆで汁に溶け出る成分は、ソースの味にも影響します。
さらにゆでる温度や長さなど、ゆで方によって溶け出る成分にも違いがあります。
何が溶け出るかは、麺を何度で何時間乾燥させるか、何製のダイスを使うかなど、パスタの製法や原材料によっても違います。

ゆでた時に麺がどれだけでんぷんに覆われているかなんて、考えたことなかったけど、パスタのゆで方の話になると、イタリアではでんぷんという言葉がキーワードになっているような気がします。


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2016年10月3日月曜日

日伊国交150周年とジュビレオ

今日はイタリア便りです。
それではsegnalibroさん、どうぞ~。


初めてイタリアの地を踏んだといわれる日本人の肖像画を、昨年、ミラノで見せていただく機会に恵まれました。

Ito Mancio

16C後半、キリスト教を学ぶため、九州から派遣された天正遣欧少年使節団の一員、伊東マンショの肖像画です。
2014年にその存在が発表されたときには、イタリアの新聞にも取り上げられました。

Gazzetta mantova

当時、日本の王のご子息御一行様がいらっしゃったとヴァチカンで大歓迎を受け、ヴェネチアでは巨匠ティントレットの息子、ドメニコ・ティントレットに肖像画を描いてもらったようです。
ティントレットの絵は暗いイメージがあるのですが、息子の絵も同じなんですね。
この絵は、ミラノの元貴族が所有していたのですが、財産分けの際、修復家に4カ月かけて綺麗にしてもらい鑑定をお願いしたところ、後ろにMANCIO ITO の文字が判明。
所有者も、まさかこれが日本人であるとは思っていなかったのだとか。
芸術に疎い私が見ても、日本人にもティーンエイジャーの若者にも見えないこの肖像画は、想像していたより大きくて、彼らがその後たどった運命を思うと、感慨深いものがありました。
今年は日伊国交樹立150周年だそうで、その記念行事の一環として、この絵が日本で特別公開されています。
東京国立博物館と長崎での展示を終え、現在は宮崎県立博物館にて10/16まで里帰り中です。
・・・こういうお知らせは、もっと早くするものですね、すみません。

イタリアで大歓迎を受けた天正遣欧少年使節団が、どんな食卓を囲んだのか気になるところです。
16Cのイタリアでは、手を洗うとか、フォークを使って中央の大皿から食べ物を取るということが習慣になりつつあったそうです。
スペインからリヴォルノに到着したのが3月。
リヴォルノ風バカラは食べたのかな、とか、ローマではカルチョフィを食べたかも、などと妄想するのは楽しいです。

さて、今年はカトリック教徒には大切な年、ジュビレオと言われる聖年でもあります。
先日、相方は地元教会の主催するジュビレオツアーに行って来ました。
ローマ4大バジリカを巡り、ヴァチカンでは水曜のミサに参加、アッシジに寄って帰ってくるという、1週間のツアーです。
教会付属の施設に宿泊。
最低限のものはそろっていて清潔だったそうですが、ローマではテレビがお部屋になかったと、不平を言っていました。
秋になり体重が増えてしまった相方、お食事も教会付属の施設内なので、きっと痩せて帰って来るだろうと思っていたら、見事に増量して帰宅しました。

Cena domus roma

プリモやセコンドはそれぞれ2種類から選ぶのだそうですが、家庭的なお食事がなかなか美味しかったようで、プリモの後にビス(bis)プリモ、セコンドの後にまたビス・セコンドと2回ずつ食べ、その後はドルチェも食べていたのだとか。
ジュビレオツアーで贖罪を受け、キレイな体で帰って来るのを期待していましたが、全くもって、煩悩からの解脱はできなかったようです。
食欲の秋、私も太らないように気をつけなくちゃ。



教会のツアーに参加するというのは一般的なことなんでしょうか。
信心深いんですねえ。
私は、学生時代にバックパック旅行した時(すんごい昔だけど)、イタリア各地の教会の宿泊施設を利用させていただきました。
大部屋だけど、格安だったなあ。
外国人旅行者だけでなく、家族が入院したので長期の付き添いできた、などのイタリア人もいました。
イタリアの教会のおもてなしは、じわーっとあったかいなあと思いましたよ。


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2016年9月29日木曜日

バリスタの巨匠の半生

どこかでスーパーマリオが話題になってましたが、今月の「総合解説」で紹介しているスーパーマリオは、バールで美味しいコーヒーをいれ続けている、髭にも白髪が混じるマリオです。

実際にマリオという名前が存在するイタリアでは、その人が尊敬に値する人だと、スーパーマリオなんて呼ばれちゃったりするんですね。

『ガンベロ・ロッソ』がスーパーマリオと呼ぶのは、カンパーニア州アヴェッリーノのサン・トンマーゾ地区にあるエッソのガソリンスタンドのバールのバリスタ、マリオ・マルティーノ氏のことです。

写真を見る限りガソリンスタンドに併設された、おしゃれでもシックでもない、あまりにもローカルな店ですが(こんな店)、『ガンベロ・ロッソ』の『バール・ディ・イタリア』では、最高のトレ・キッキを獲得してます。

ネットでサービスステーションの評価を見ると、サービスも人もいいしコーヒーも美味しい、と高評価。

それにしても、ガソリンいれたついでにトレ・キッキのコーヒーが飲めるなんて、贅沢な暮らしだなあ。

この記事は、マリオがスーパーマリオになるまでの話で、訳していてとても面白かったです。
イタリアのバリスタの方々への尊敬の念が、一段と高まりましたよ。

彼の半生は、南イタリアの一地方の町のバリスタには、こうやってなるんだろうなあと思い描いていた通り。

1955年、マリオはアヴェッリーノの隣町で生まれました。
初めてコーヒーをいれたのは、10歳にもなっていない時でした。
さすがはカンパーニアの小学生。
でも、プロの世界は、厳しいのです。
コーヒーマシンの前に立つなんて、百年早いよ、坊や。
という訳で、当時の彼に与えられた仕事は皿洗いと配達でした。
そこで、この小学生は、午前中は学校に行き、午後は町の主だったバールで、何年もかけてスチーム作りとカクテルを覚えたんだそうです。

なんだかバリバリの昭和の職人のようですねえ。
バリスタの学校に行った訳でもなく、ただひたすらに経験を積んだ文字通りのたたきあげ。

しかも、彼は兵役があった時代の人で、兵役を終えて仕事を探す時に、バールで働くのが好きだったので、エッソのバールで働くことにしたのだそうです。
そして32歳の時に、経営者のバラッタ家から店を引き継ぎました。
スーパーマリオは、50年のキャリアの中で500万杯のコーヒーをいれたそうです。


今どきのバリスタ。

barista


未来の巨匠かな。

Baby Barista


イタリアのバリスタチャンピオンがカップッチーノをいれる動画
 ↓




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“スーパーマリオのコーヒー”の記事は、「総合解説」13/14年8月号に載っています。
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2016年9月26日月曜日

『アウトゥンノ』

今日は入荷したての本、『アウトゥンノ』のご紹介です。














秋のイタリア料理ばかりを1600点も収録している本です。

839ページもある分厚い本で、写真はありませんが、リチェッタの読みやすさは驚くばかり。
すいすい読めます。
その最大の理由は、イタリア語の料理名が明快で、料理をイメージしやすいからだと思います。

恒例の序文をざっと訳してみました。

「秋の料理は強い香りと味に満ちている。
森の活気、夏の最後の太陽、最初の薄い霧、新ワインの鮮やかな赤い色、熟した果実の芳醇な香り。

Nebbia
tagliolini_tartufo_bianco
Funghi
Benvenuto Autunno


秋は大地を再発見する季節で、大地の産物が最高に美味しくなる季節だ。
ぶどうは収穫を迎え、森では栗やきのこが見つけられるのを待っている。
トリュフも高貴な香りを放っている。
カボチャも旬を迎える。
ニョッキやポレンタ、ミネストラ、ジビエの季節も到来だ。
最初の寒さが訪れると、強いコクのある味が欲しくなる。
秋はイタリア各地で、伝統料理がオリジナルの組み合わせと出会う季節だ、
この本は、前菜からドルチェまで1600点のイタリア料理の秋のスペチャリタを集めた」


そして最初のリチェッタは、白トリュフとパルミジャーノの重ね焼き。

スライスした白トリュフとパルミジャーノをフライパンに重ね、オリーブオイル、塩、こしょうで調味して数分火にかけ、レモン汁をかけてすぐにサーブする、という超簡単なのにスペシャルな一品。

パヴイアからピアチェンツァにかけてのパダナ平野の一帯で、テガミーノ・アッラ・ロディジャーナとして知られる一品。
オイルをかけてフライパンで焼く代わりにバターをのせてオーブンで焼いてもOK。

料理はアルファベット順です。
秋にぴったりのAから始まるパスタはなんでしょう。
答えはアニョロッティです。
アルバ風、ピエモンテ風など、バリエーションも豊富。
肉は、白肉(子羊、鶏、豚、子牛)、赤肉(牛、ジビエ)に分類。
さらに魚、ポレンタ、野菜、サラミ、パン、ピッツァ・・・と続き、最後はドルチェ。

一番最後のリチェッタは、ヴィーノ・コットです。
これはぶどうをジューサーにかけて、ぶどうの汁と皮をむいたいちじくをとろ火で3時間煮込んで裏漉ししたもの。
ビンやジャーに詰めて保存します。


秋というと、ピエモンテのイメージ。






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2016年9月23日金曜日

手打ちフジッリ

今日は「総合解説」に新しく加わった記事、中級のテクニックを紹介する“スクオラ・ディ・クチーナ”から、手打ちフジッリの話。

手打ちフジッリって、確かに普段お目にかかることのない手打ちパスタです。
ダイスを通して押し出す乾麺のフジッリとは、基本的な作り方がまったく違います。

乾麺のフジッリ

Park Chow - Lunch

その断面

fusilli


ガルガネッリの型を使って筋をつける方法だと、これに近いフジッリになります。

Fusilli


で、今回訳したリチェッタのフジッリは、まるで今どき女子の憧れの縦ロールのような、見事なゆるふわ系ロール。
これだけきれいにくるくるだと、いったんからめとられたら、ムール貝のようなごろごろの具も、絶対に逃げ出せませんよー。

麺を平らに伸ばしてから棒に巻き付けるのできれいな長い縦ロールになります。

写真はこちらのページの上段中央にあります。

偶然ですが、今月の「総合解説」7ページには、同じく編み棒系のアッケローニ・アル・フェッレットのリチェッタと写真もありますので、ぜひ見比べてください。

このパスタもフジッリの一種で、編み棒でカールさせる代表的なパスタですが、麺を平らにしないで細長い棒状に伸ばしたところに上から棒をのせて押し込んで転がしながらカールさせるのが特徴です。
この方法だと、2種類のフジッリができます。





どちらも棒を使って生地をカールさせる、いう原理は同じなのですが、作り上げるパスタのイメージが違うと、こうも別のものができるんですね。

この独特な形のパスタにはどんなソースが合うのか、来月号の「総合解説」には、フジッリのリチェッタも載せましたので、ぜひご参考に。


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“スクオラ・デイ・クチーナ”と“シチリアのサルデーニャ料理のチェーナ”の記事の日本語訳は「総合解説」13/14年8月号に載っています。
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2016年9月20日火曜日

アーリオ・オーリオ

最近めっきり涼しくなってきましたねー。

北イタリアに住む年金暮らしのご隠居が、友人夫婦が夏に日本に遊びに行こうとしたら、旅行社に、夏は季節が良くないからやめたほうがいい、春か秋にしなさいと言われた、と言ってました。
確かに、猛暑に台風にと、日本の夏は、高齢の旅行者には厳しそうだなあ。
それにしても、その旅行社、なかなかできる。

そんな厳しい夏も過ぎて、いよいよ食べ物が美味しい秋が到来ですねえ。
今年は、その名も『秋(アウトゥンノ)』というお勧め本も入荷しました。
あとは台風が行ってくれるのを待つだけ。

秋の日本もいいですよ。
お待ちしてまーす。

Kinkakuji-temple 鹿苑寺金閣


さて今日は、今月の「総合解説」で訳した料理の中で、一番印象に残った料理名をご紹介。
初めて訳した時はまったく気が付かなくて、二度目で、あっと気が付いたら、もう忘れられなくなりました。
後からじわっと来る料理名です。
それは、
「タリオリーニ・アーリオ・オーリオ・ボッタルガ」

気が付きましたか?
ちらっと見ただけでは、すんなり読めて、なにも気づかない。
でも、よーく読むと、
そう、これは、アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノのアレンジ版です。
元々のリチェッタは、アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノにボッタルガを加えたものだけど、ペペロンチーノをボッタルガに変えたって、いいんです。

そう考えると、いくらでも応用できそうですよね。
でも、ごろの良さを考えると、ボッタルガは、字数的にもぴったり。

しかも、アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノを作って、仕上げにおろしたボッタルガとレモンの皮のすりおろしを散らすだけ、という超お手軽パスタ。

アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノにボッタルガを加える人は、たくさんいるみたいですが、その料理を、いさぎよくアーリオ・オーリオ・ボッタルガと呼ぶとは、センスあるなあ。

ボッタルガの他にも、何かあるかな、と思って大好きな、有名シェフのパスタの本、『パスタ』を見てみました。

そしたら、ありました。
まずは、イスキア島のリストランテ・イル・メログラーノの料理、
“イカのリングイーネのアーリオ・オーリオ・ポモドリーニ”。
これは、ヤリイカのパスタだったらアーリオ・オーリオ・カラマレッテ、とも応用できます。

大御所のドン・アルフォンソもありましたよ。
ここでは、さらにひねりを加えて
“スパゲッティ・アーリオ・オーリオ・アリーチ・エ・ノーチェ”。
4つ目の素材も加えて、さらにごろよく仕上げてきました。
まるでラップのようなテンポのよさ。

それにしても、アーリオ・オーリオのように超簡単なリチェッタは、料理書に載ることは滅多にないので、グランシェフのアーリオ・オーリオのこのリチェッタは、なかなか貴重かも。
本の解説によると、この料理は古い伝統料理でクリスマスイブの定番なんだって。

あれ、カンパーニアの伝統料理?

ついでなので、“アーリオ・オーリオ”のうんちくを少々。

スローフードの“リチェッテ・ディ・オステリア”シリーズの『パスタ』によると、唐辛子で辛さを利かせる前のアーヨ・オーヨ(ajo ojo)は、ラツィオの農村部で広まった料理ですが、発祥地となるとラツィオ、アブルツォ、カンパーニア、カラブリアの各地の間で論争があるそうです。

一説によると、あまり強くない味で、フライパンであおる必要のない、ゆでたスパゲッティにただかけるだけでいい熱いオイルのソースが欲しいと思って考え出されたのだそうです。
にんにくを半分に切ってボールの底にこすりつけ、この中にゆでたスパゲッティを入れて熱いオリーブオイルをかけ、仕上げにイタリアンパセリと唐辛子のみじん切りをちょちょいと散らすだけ。

究極のズボラパスタですねえ。
なんでこんな料理の誕生したいきさつがいやに詳しく伝えられているのか、かなりうさんくさい話ではありますが、オイルにトマトを加えるとロッソバージョンになります、なんてもっともらしい解説もあって、そこそこありそうで説得力もあるなあ。

まあ、どうやらアーリオ・オーリオは、いかに手を抜いて美味しく作るか、ということをつきつめていったらこうなった、みたいなもんなのでは。
ただし、本に載っているリチェッタは、ここまで手抜きではありません。
それにしても、カルボナーラといい、アマトリチャーナといい、カーチョ・エ・ペペといい、ローマの農村部からは、どうしてこんなに伝説的なパスタが次々生まれたのでしょうねえ。

シンプルな料理ほどアレンジはいくらでも。
究極のズボラ料理てもミシュラン3つ星のシェフが作ると、ここまでリッパにできます。




ちなみにこの店のajo ojoはスパゲッティ・アーヨ・オーヨ・セッピエ・エ・ピゼッリで、€60と
とびきり高級。



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“タリオリーニ・アーリオ・オーリオ・ボッタルガ”のリチェッタを含む“シチリアとサルデーニャ料理のチェーナ”の日本語訳は、「総合解説」13/14年8月号に載っています。
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2016年9月15日木曜日

ヒメジのリヴォルノ風

前回の

「シチリアの家庭では、マジパンは冷蔵庫に常備していることが多い」

に続いて、もう一つ、今月の「総合解説」の中で強く印象に残る言葉がありました。

それは、“ヒメジのリヴォルノ風”の記事の中の一文です。
リヴォルノと言えば、先月は、リヴォルノ風カッチュッコの話を取り上げています。

トスカーナの街ですが、魚料理が美味しいところなんですね。

で、印象に残った言葉は、


「(南地中海で捕れた)ヒメジは1ケースで奴隷一人分、と言われるほど高価だった」


古代ローマ時代の話です。

Coppa di Triglie!

だけど、ヒメジ1ケースって、あまりピンと来ないので、奴隷の値段について、ちょっと調べてみました。
奴隷の価値は、時代や場所によって変わるので、はっきりいくらと言うことはできません。
あくまでも参考程度ですが、わかりやすかったのは、牛1頭より高くて馬1頭よりは安い、というたとえ。

いくらなんでもヒメジ1ケースで売られた奴隷は、不憫だなあ。
まあ、それほどの高級魚で、当時は皇帝の宴席に登場するような、特別な食材だったという訳です。

とにかくローマ時代から高級魚として人気があったヒメジですが、砂場のヒメジより岩場のヒメジのほうが美味しい、というのも、イタリアではよく言われていること。

ヒメジのリヴォルノ風は、16世紀後半にリヴォルノのユダヤ人コミュニティーの中で生まれた料理というのも興味深い話です。
記事にはさらりと書かれていましたが、かつてリヴォルノは、地中海各地で宗教的な迫害を受けていた人々を受け入れていたそうです。
魚とトマトの組み合わせは、ユダヤ料理の特徴でした。
リヴォルノにトマトを伝えたのはスペインやオスマン帝国から逃げてきたユダヤ人だとも言われています。
それが広まって、今では、トマトをたっぷり使う魚料理がリヴォルノ料理の特徴と言われるほどです。

カッチュッコの話の時は、地中海各地から漁師が集まる街、という話でしたが、それだけではない、多国籍な街だったのですね。

そもそもカッチュッコもユダヤ料理がルーツなんだとか。
イタリア料理の中には、イタリア人もユダヤ料理がルーツだとは知らないものがたくさんあるそうですよ。

ヒメジのリヴォルノ風
 ↓



続きはこちらこちら


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“ヒメジのリヴォルノ風”の記事とリチェッタの日本語訳は、「総合解説」13/14年8月号に載っています。
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2016年9月12日月曜日

シチリアのアーモンドミルク

今日は今月の「総合解説」を訳していて、一番印象に残った文章をご紹介。

それは、“シチリアとサルデーニャ料理のチェーナ”という、ちょっとご馳走な家庭の地方料理を提案した記事の、シチリア料理のコースを説明する文章の中に出てきました。

このコース、プリーモは編み棒で作る手打ちパスタにシチリア風ペストのソース。
セコンドは牛肉のブラチョーレとメッシーナ風カポナータ。
そしてドルチェはシチリアならではのアーモンドのビスコッティ。
素朴で文句なしのシチリアの味のコース料理です。

この写真は料理とは関係ありませんが、右側のトレーにのっているのがアーモンド(マジパン)のビスコッティ。

IMGP1758


その文章は、このドルチェのリチェッタの最後の部分に登場しました。
それは、こんな文章です。

「アーモンドのビスコッティには通常アーモンドミルクを添える。
アーモンドミルクは、ピッチャーに水1.5リットルを入れてマジパン250gを溶かす。
シチリアの家庭では、マジパンを冷蔵庫に常備していることが多い。
マジパンは皮むきアーモンド125gと粉糖125g、牛乳少々をミキサーにかける。
冷蔵庫で数日保存できる」


手作りマジパンやアーモンドミルクが冷蔵庫に常備されているって、いかにもシチリア的で、なんか素敵だなー。







アーモンドミルクの作り方は色々あるんですね。

アーモンドの様々な味わい方がシチリアで広まったのは、この島がアーモンドの産地だから。
アーモンドは紀元前にフェニキア人によってシチリアに伝わりました。
シチリアとアーモンドの深くて長い関係がよく分かる動画
 ↓



アーモンドの殻を食べてる羊や牛とか、アーモンドの枝の薪で焼くピッツァとか、超美味しそう。

アーモンドミルクが飲みたくなってきた。
アーモンドクッキーと一緒に飲んでみようかな。

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“シチリアとサルデーニャ料理のチェーナ”の日本語訳は、「総合解説」13/14年8月号に載っています。
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2016年9月8日木曜日

クロマグロのヴィテッロ・トンナート

今日からは、新しい「総合解説」13/14年8月号のビジュアル解説です。
まず最初の定番地方料理は、ヴィテッロ・トンナート。

ピエモンテの、というかイタリアの代表的な夏の料理ですが、この料理の背景には、意外と深いイタリアの食生活の真の姿がありました。

まずこの料理、なかなか特殊なものでした。

vitello tonnato


子牛とマグロというその名の通り、肉と魚の組み合わせ。
しかも北イタリアの海のないピエモンテで、マグロ料理とは。
マグロはピエモンテ人にとって、どう考えても珍味です。

この料理は、近代イタリア料理の父、ペッレグリーノ・アルトゥージが19世紀末に出版した本、『La scienza in cucina e l'arte di mangiar bene』のリチェッタがイタリアに広まりました。

極東で魚を食べている国民からすると、ヨーロッパ人は、普段は肉ばかり食べていそうなイメージですが、『クチーナ・イタリアーナ』の記事によると、19世紀のイタリアの庶民にとって、肉はまだ特別な機会に食べるもので、食べたとしても、内臓などの質素な部位が中心だったそうです。
ただ、16世紀以降、ピエモンテには牛肉がたっぷりあり、他の地方よりは食べる機会が多かったようです。

それにしても、問題はマグロです。
中世には現在よりマグロの数自体は多かったし、トスカーナあたりでもマグロが捕れました。
しかも、クロマグロ。
マッタンツァと呼ばれる、現在はマグロとともにほぼ消滅した原始的な漁で捕ったクロマグロの中トロを、塩漬けや干物にして、金持ちの北イタリアの領主様の食糧庫まで届けたのです。

料理にはバッカラのように戻して使いました。
まだ、ツナ缶はない時代です。

ヴィテッロ・トンナートは、子牛とマグロという高級珍味を使った、貴族のための料理だったんですね。
それが、19世紀になってマグロのオイル漬けが出回るようになり、アルトゥージの本によってリチェッタも広まって、庶民も食べることができる料理になっていった訳です。

貴族料理としてのヴィテッロ・トンナートを食べてみたかったら、クロマグロの中トロのオイル漬けあたりを使ってみるということですね。





サルデーニャ産クロマグロの中トロのオイル漬けは、300g1800円ぐらいで販売されています。

逆に一番現代的にしたかったらマヨネーズを加えます。
もちろん伝統的なヴィテッロ・トンナートにマヨネーズは入りません。




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“ヴィテッロ・トンナート”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年8月号に載っています。
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2016年9月5日月曜日

アナカプリとラビオリ・カプレージ

今日は「総合解説」のグルメガイドから、アナカプリの話です。

カプリ島の主な居住地区は、カプリ地区とアナカプリ地区、というのは、この国際的な高級リゾート地の基本情報。
他に、マリーナ・グランデやマリーナ・ピッコラ地区などがあります。



スノッブなブランド天国のカプリと、対照的な、大自然と静寂のアナカプリ。
訪れた人はおそらく誰もが、この島に別荘があったら夢のようだなあ、と思うはず。
この島の観光の目玉、青の洞窟も、アナカプリにあります。
でも、青の洞窟は行ったことがある人も多いと思うので、ここではアナカプリのもう一つの、マイナーな名所、ヴィッラ・サン・ミケーレの動画をどうぞ。
ここは、この島にすっかり魅せられて、ここに別荘があったらなあ、と思った数多くの外国人の一人で、その夢を実現させた数少ない一人の家です。
スウェーデン人の医師で作家で、アナカプリの重要人物だった人の夢の家。




さて、料理ですが、カプリ料理と言えば、インサラータ・カプレーゼとトルタ・カプレーゼですよね。
あと、リモンチェッロあたりも名物。
パスタは、「総合解説」にリチェッタを載せましたが、カプリの家庭で一番ポピュラーなのが、ラビオリ・カプレージなんだそうですよ。
詰め物はフレッシュチーズのカチョッタ・カンパーナ、卵、マジョラム。
記事は丸く抜くのが一般的なよう。

カプリ料理
 ↓


ラビオリ・カプレージはナポリ風詰め物のラビオリによく似てます。
 ↓



ナポリでラビオリを食べるという発想はなかったのですが、フレッシュチーズの具の丸いラビオリはこの地方の典型的な料理なんですね。

さらに「総合解説」では、ラビオリ・カプレーゼにかけるカプリの生トマトソース、キウメンザーナも紹介しています。
基本的なトマトソースですが、島の食材で作ると、典型的な地中海の味になるのでしょう。
島の漁師の間に広まったトマトソースだと言われているようです。
次回カプリに行くことがあったら、サルサ・キウメンザーナをかけたラビオリ・カプレージを食べるべし、とメモ、メモ。


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アナカプリの記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年7月号に載っています。
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2016年9月1日木曜日

キッチン付きボッテガ

今日は「総合解説」の記事、“食品セレクトショップの料理”で紹介した、キッチン付きボッテガのビジュアル解説です。

キッチン付きボッテガとは、イートイン用のテーブルを併設したり、店内にビストロをオープンさせた食料品店。
地元の特別な食材を買いながら店の料理で味や調理方法、他の食材との組み合わせを知ることができて、料理が気に入ったら食材を店で買って、家で作ることもできる。
高級食材をカジュアルに提供し、買い物がてら夕食に出かけるという現代のライフスタイルにもマッチした店。

まず1軒目は、ヴィチェンツァのアルツィニャーノで4代続く肉屋さんに併設されたレストラン。
肉屋さんだけあって、自慢の食材は独自のルートで買い付けるリムーザン牛。




次は、ヴェネトで100年前からアルティジャナーレのチーズを作っている店。
チーズバーとレストラン併設。

ガイド付きのチーズのデグスタツィオーネというコースがあります。



ジェラートマシンの大手、カルピジャーニ社との共同開発の新製品、チーズマスター。
ミルクからフレッシュチーズができちゃう機械。




この他に、ナポリの家族経営の魚屋をミラノに開いてカンパーニアの食材と組み合わせた魚料理を出す店や、フェラーラで、エミリア地方のスペチャリタを販売しながら自家製パスタやサラミなどを出す店。シチリアの星付きシェフが開いた、レストランのソースやパスティッチェリーアなどテイクアウト料理を売る店など、どんな業種でも、アイデア次第でキッチン付きポッテーガができるもんですね。




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“食品セレクトショップの料理”の記事の日本語訳は「総合解説」13/14年7月号に載っています。
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2016年8月29日月曜日

アマトリーチェの地震

今日は久しぶりのイタリア便りです。
segnalibroさんは引っ越し直後で慌ただしい中、状況を知りたいという無理なリクエストに応えて、今回の地震のことを伝えてくれました。
それではお願いします。


こんにちは。ミラノ近郊からヴェネト州の山奥にお引越しを敢行したsegnalibroです。

日本でも大きく報道されているように、8月24日未明に起きたイタリア中部地震。
アマトリーチェの町では、週末に町の名物であるスパゲッティ アマトリチャーナ祭りが控えていたこともあり、通常より多くの人が滞在していたそうです。
そのため、290人以上の方が亡くなり、町は壊滅的なダメージを受けました。
私がいるところは震源から600kmほど離れているので、全く揺れはありませんでしたが、TV等では現地の様子が絶え間なく放送されており、心が痛みます。

アマトリチャーナを食べてアマトリーチェに義援金を送ろうという運動が、日本のイタリア料理店でも広がっていると聞きました。
①②

既にご存知の方も多いと思いますが、イタリア赤十字社では海外からの義援金も受付けており、ペイパルでの決済が可能です。

イタリアの携帯電話からは、災害時に大活躍する政府組織Protezione Civile(災害防災救助隊)を通じて、SMSで€2の募金が可能です。

③

山に越して来て最初にしなければならなかったことは、家族全員の電話番号を市役所に登録することでした。
これは、ここに住む者に義務付けられているそうで、雪崩や土砂崩れなどの前兆があった場合には、州のProtezione CivileからSMSが一斉送信されます。
実際、ほぼ毎週のようにSMSを受信していますが、備えあれば憂いなし。
幹線道路が土砂崩れで毎月のように封鎖されても、関係機関の活躍のおかげで、いつも数時間で元通り。とっても頼りになります。

アマトリーチェの市役所も、義援金の受付口座を開設しています。

④
⑤

お借りした上記2枚の写真は、アマトリーチェの小学校です。
2009年、ここから50km程しか離れていないラクイラで大きな地震が起きました。
この小学校はその3年後、ラッツィオ州が50万ユーロ、市が10万ユーロを負担して2012年9月に完成したものですが、今回の地震で壊滅的に崩れてしまい、耐震建築はどうなっているのかと論争の的になっています。

過去に大きな地震を経験したイタリアの町が、現在どうなっているのかというTVの特集番組を見ましたが、1980年11月マグニチュード6.9の地震に見舞われたカンパニア州イルピニア地方の人々が、35年以上経っても町の復興は終わっていない、と政治家に訴えていたりして、さすがイタリア、を実感します。

天災の事例ではありませんが、第二次世界大戦でアメリカ軍の空爆により町を徹底的に破壊されたフランクフルトの人々が、真っ先に復興を志したのが、彼らの心のよりどころであるゲーテハウスだった、というお話を聞いたことがあります。 使える瓦礫は出来るだけ使い、出来るだけ元あった姿になるよう、再建したそうです。 名物パスタ、アマトリチャーナで広く名を知られたアマトリーチェの町が、イタリアにおける地震からの復興モデルになることを心から祈って、私もわずかながら募金をしようと思います。


segnalibroさん、ありがとう。
ピッツァ・アマトリチャーナは盲点でしたよー。
ピッツァ業界も協力できますね。
イタリアの防災システムも、意外としっかりしているんですね。

アマトリチャーナは、アマトリーチェの農家のおかみさんが、町まで行商に出ながら広めたという歴史があります。

震災直後は、もう終わりだというセンチメンタルな感情ばかりが伝わってきましたが、持ち前の行動力と粘り強さ、そして世界中の人に愛されるアマトリチャーナのパスタやピッツァがあるんだから、あきらめないでほしいなあ。

日本のレストランでも、それぞれができる方法で、何らかの支援ができたら素晴らしいですね。


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2016年8月25日木曜日

ピッツァ・ネラ

イタリアの大きな地震のニュースは、数年おきに伝わってきますが、毎回、瓦礫と化した石の古い建物を見ると、心が痛みます。

今回の地震で被害が大きかった町の一つ、アマトリーチェは、イタリア料理に携わる人なら、イタリアの家庭で一番愛されるパスタソースの発祥の地として、誰もが思い浮かべるはず。
今月の総合解説も、スパゲッティ・アッラ・アマトリチャーナの話題から始めたので、記事で紹介したお勧めレストランは無事か、気になるところです。

さて、今日の話題は、このところ続いたビッツァの話の締めくくり。
黒いピッツァです。




モリーニ・スピガドーロ社はウンブリアの製粉会社。
プロ用や家庭用のカラフルな粉が最近の新製品。
モットーは昔の味の新しい色。



モリーニ・スピガトーロ社のwebページはこちら
ちなみに、パスタのペトリーニ・スピガトーロ社のwebページはこちら

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黒いピッツァのリチェッタを含む“ルーカ・アントヌッチ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年7月号に載っています。
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2016年8月22日月曜日

天才ピッツァイオーロたち


『ガンベロ・ロッソ』誌のピッツァイオーリ特集の続きです。
イタリアのピッツァ業界は、絶好調のように見えて、その裏で、若手の人材不足と言う悩みも抱えていたんですね。

今のイタリアのピッツァには、ビッツァの母、ナポリ・ピッツァという一大派閥と、食材と五感を徹底的に追及する天才職人によるアルタ・クチーナという2つの大きな流れがあるそうです。

後者の代表は、フランコ・ペペ、ガブリエレ・ボンチという巨匠たち。

さらに、ガンベロ・ロッソが選んだのは、
でんぷんの加水分解のシステムから水と挽割小麦の生地を発酵させることに成功したベニアミーノ・ビラーリ。




水牛のモッツァレッラのホエイを生地に使ったピエトロ・パリージ。




もう、何の話なんだか、全然ついていけないですねー。

そして、ガンベロ・ロッソ誌の表紙を飾っているのは、ナポリピッツァの伝統と未来を結ぶ若手の旗手、チーロ・サルヴォ。




上の二人の天才たちは、どこまでも遠くに行ってしまっているようですが、ナポリの天才は、もっと身近な人のようで、親しみが持てるなあ。




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“ピッツァ”と“ピッツァィオーロ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年7月号に載っています。
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2016年8月18日木曜日

イタリアのピッツァイオーロの現状

今日は2013年にガンベロ・ロッソがピッツェリアのガイド本『ピッツェリエ・ディ・イタリア』を初めて発売したことを受けての『ガンベロ・ロッソ』誌の特集記事から。

ピッツァのガイドブックを出した裏には、どんな思いがあったのかが分かる記事でした。

詳細は「総合解説」をご覧いただくとして、ざっとまとめると、こんな内容です。

Pizzaiolo in azione

「ピッツァはとても人気がある食べ物で、イタリア料理を象徴する食べ物でもある。
古くて庶民的な食べ物で、失業者が増えた不況の時代でも売り上げを伸ばしてきた。

最近の料理人は、マスメディアによってロックスターやアーティストのようなシェフ像に作り上げられている。
いわゆるセレブリティーシェフだ。

最近の調査によると、イタリアではピッツァイオーロは6000人不足しているが、イタリアの若者はかまどの前で働きたがらない。
代わりに働いているのは優秀で熱心なエジプト人だ。

現在、イタリアの飲食業界においてピッツァイオーロには何の権威づけも存在しない。
ホテル学校でも、ピッツァイオーロのための授業はない。
ピッツァはイタリアのシンボルのような料理だというのに。
最近になって、ナポリ・ピッツァイオーリ協会は政府にこの分野の功労者の名簿作りに取り組むように働きかけている。

ピッツァは職人の世界で、歴史と経験によって作られてきた。
ナポリのピッツァという一大派閥は誰もが認めるピッツァの母だ。
そしてもう一つ、優れた職人たちが生み出すピッツァがある。
彼らは小麦粉を選別し、気候と生地の関係を研究し、最適なフィオル・ディ・ラッテを選ぶ目を持ち、基本には忠実でありながら、ピッツァをアルタ・クチーナにまで高めることができる。

トッピングをアルタ・クチーナに高めたのは最近のピッツァの革命だった。
そのパイオニアは、フランコ・ペペとガブリエレ・ボンチという二人の巨匠だ。

前者はナポリ・ピッツァ、後者は切り売りピッツァと、その活躍する舞台は違ったが、小麦畑からテーブルにという姿勢と目覚ましい成果は2つの世界を結びつけた。

ガブリエレ・ボンチ氏はこのブログでも何度か紹介しているので、今回はフランコ・ぺぺさんに注目。
一日中粉や酵母のことを研究して、カゼルタ大学の農学部と共同で地元品種の小麦を再生して、すべて地元産の食材でピッツァを作ったという、いわゆるピッツァオタク。

フランコ・ペペのマルゲリータ
 ↓


長い伝統と偉大な先人たちがいる業界で、革新的なことをするというのは、すごいことですね。

カゼルタのカイアッツォにある彼の店、ペペ・イン・グラニは大変なことに。




世界でナンバーワンのピッツァに選ばれることも。




優秀な職人のピッツァイオーロはまだまだいます。
この話、次回に続きます。


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“ピッツァ”と“ピッツァィオーロ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年7月号に載っています。
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2016年8月15日月曜日

シャッカ

先月の「総合解説」のグルメ紀行の1つは、マルサラからシャッカへの旅でした。

カステルヴェラーノのパーネ・ネロ”をこのブログで紹介した時、グラニータとイワシのコラトゥーラが名物の町、シャッカの話をもちらっとしました。

先月号の記事は、マルサラから出発してセリヌンテの神殿を見て、プラネタで昼食を取ってワインを飲んで、カステルヴェトラーノのパンを食べて、シャッカでグラニータを食べる、というかなり完璧なグルメ旅のプランでしたが、今月の「総合解説」には、最後の町、シャッカの有名レストランテのリチェッタを載せています。
そこで、改めてシャッカの紹介です。

シャッカはシチリアの東側にあるアグリジェント県の町。
漁業と観光の町です。
シチリアで一番歴史があるカーニバルと陶器も名物です。



なんてド派手で楽しそうなカーニバル。

シャッカの魚市場。




シャッカの陶器。



乾燥させて一度焼いてから模様を描いてもう一度焼きます。
鮮やかな手書きのデザインが特徴。
こんなデザインの壺に大粒のオリーブ入れたら美味しそう。

肝心のレストランですが、総合解説に載せた店のwebページのアドレスに行ってみてください。
イメージに反する、海の目の前のゴージャスなリストランテで、料理もめちゃくちゃ美味しそうですよ。
ホテルレストランなんですね。

ガンベロ・ロッソのマリネは圧巻だなあ。
リチェッタによると、4人分でエビは800g。
ワインはプラネタ押しのようですね。

下の動画はラ・ヴェッキア・コンツァというシャッカの市場の魚を使った料理を出す店。




シャッカ行きたいなあ。


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シャッカのレストランを紹介した“ペスカート・デル・ジョルノ”の記事は、「総合解説」13/14年7月号に載っています。
グルメガイド、“マルサラからシャッカへの旅”の記事は「総合解説」13/14年6月号に載っています。
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2016年8月12日金曜日

バーカリツアー

今日は新入荷の本、『ラ・クチーナ・ヴェネタ・ディ・マーレ』の話です。


この本は、ニュートンコンプトンという出版社の昔から人気の地方料理シリーズですが、表紙のデザインを一新してモダンになったら、全然別のシリーズのように見えて、みんな気が付いていない、という残念なシリーズなんです。

表紙だけでなく、写真も加わりました。

地方料理をより深く知りたい、という人にはぴったりのシリーズです。

今回入荷したのはヴェネトの魚料理編。

ヴェネトと言えば、まずは、州都ヴェネチア。
世界中の人が憧れる観光地で、ヴェネチア共和国の首都としてアドリア海の女王と呼ばれた水の都。

アドリア海の女王とか、アドリア海の真珠と呼ばれて、ゴンドラが行きかう街で、田舎風の山の幸を食べたいとはあまり思いませんよね。
洗練された、海鮮料理を食べたいなあ。
それに、ヴェネチアにはグラスワイン、オンブラを飲みながらチケーティというつまみを食べるというスタイルのオステリーア、バーカロをはしごする、という、酒飲みで健啖家で、人見知りしない社交的な人にはたまらないシステムがあります。




代表的なチッケッティ、バッカラ・マンテカート。




私のヴェネチア料理のイメージなんて、せいぜいその程度でしたが、この本の料理は、私のそんな期待を裏切らなかったですよ。

まず、前菜は、Antipasti(cichéti)という表記。
ホタテ貝だけで9品あります。
さらに、ホタテ貝のヴェネチア風や、ビーゴリのヴェネチア風など、~のヴェネチア風と言う料理もたくさん収められています。

個人的は、バーカリツアーは大好きなんですが、地元の人で満員の店内で、ワインと料理を注文してカウンターに陣取るというのが、精神的に大変なんですねー。
お客が少ないレストランでのんびりシャコのマリネでも食べてるほうが落ち着けます。

でも、客引きが溢れるヴェネチアのレストランで、空いているからという理由で飛び込んだら、ろくな結果にならないのは目に見えています。
なので、事前の情報収集は必須です。
「総合解説」でも、お勧めバーカロの情報は、あったらなるべく翻訳するようにしています。
最近では、13/14年3月号に載せています。


おまけの動画。
バーカリツアーのショートフィルム。




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2016年8月8日月曜日

カッチュッコ・リヴォルネーゼ

今日はトスカーナを代表する魚のスープ、カッチュッコの話。
『ア・ターヴォラ』誌の記事です。

Charleston Muse Cacciucco 4955

詳しくは、日本語に訳した「総合解説」をご覧いただきたいのですが、イタリア人にとっても、カッチュッコcacciuccoというのは、少々発音しにくい名前なんですね。
よく言われていることですが、Cが5つもあるからです。

5つもあると、1個ぐらい省略してもいいかも、と思いがちで、『サーレ・エ・ペペ』誌によると、実際、トスカーナではcaciuccoカチュッコと呼ぶそうです。
ところが、リヴォルノでは、そう行きません。
Cはきっちり5個です。

それにしても、この料理の語源がトルコ語で小さいという意味のküçük/クチュクだというのは、興味深いですね。

なんで小さいかというと、この料理に使う魚が、売れ残りの小魚の雑魚ばかりだということをからかって、こう呼んだのです。
なぜトルコ語かというと、この料理が誕生した16世紀初めのリヴォルノは、メディチ家の元で栄える活気ある港で、地中海各地から漁船が集まってきていて、なかでも トルコの漁船は数が多かったそうです。

さらに、最初は船の上で作られていた漁師料理が、漁師のおかみさんたちの手によって家庭料理になった後も、漁師ならではの豪快さは失われなかった、という説も、目の付け所が面白いですね。
確かに、魚を赤ワインとトマトで煮る、という発想は、海の男らしい。

さらに、リヴォルノ風カッチュッコは、リヴォルノ人気質とそっくりだそうで、まじめで率直で頑固なんだそうですよ。




リヴォルノ人て、昭和のお父さんみたいなのかなあ。


2000年のリヴォルノの港はこんなに素敵になってます。





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“カッチュッコ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年7月号に載っています。
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カッチュッコ・リヴェルネーゼ

今日はトスカーナを代表する魚のスープ、カッチュッコの話。
『ア・ターヴォラ』誌の記事です。

Charleston Muse Cacciucco 4955

詳しくは、日本語に訳した「総合解説」をご覧いただきたいのですが、イタリア人にとっても、カッ
チュッコcacciuccoというのは、少々発音しにくい名前なんですね。
よく言われていることですが、Cが5つもあるからです。

5つもあると、1個ぐらい省略してもいいかも、と思いがちで、『サーレ・エ・ペペ』誌によると、実際、トスカーナではcaciuccoカチュッコと呼ぶそうです。
ところが、リヴォルノでは、そう行きません。
Cはきっちり5個です。

それにしても、この料理の語源がトルコ語で小さいという意味のküçük/クチュクだというのは、興味深いですね。

なんで小さいかというと、この料理に使う魚が、売れ残りの小魚の雑魚ばかりだということをからかって、こう呼んだのです。
なぜトルコ語かというと、この料理が誕生した16世紀初めのリヴォルノは、メディチ家の元で栄える活気ある港で、地中海各地から漁船が集まってきていて、なかでも トルコの漁船は数が多かったそうです。

さらに、最初は船の上で作られていた漁師料理が、漁師のおかみさんたちの手によって家庭料理になった後も、漁師ならではの豪快さは失われなかった、という説も、目の付け所が面白いですね。
確かに、魚を赤ワインとトマトで煮る、という発想は、海の男らしい。

さらに、リヴォルノ風カッチュッコは、リヴォルノ人気質とそっくりだそうで、まじめで率直で頑固なんだそうですよ。




リヴォルノ人て、昭和のお父さんみたいなのかなあ。


2000年のリヴォルノの港はこんなに素敵になってます。





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“カッチュッコ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年7月号に載っています。
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2016年8月4日木曜日

プーリアのパン屋さん

フォカッチャ・プリエーゼの話をしてきましたが、プーリアに行ったら、 とにかくパンを食べてみてください。
特にパーネ・ディ・アルタムーラとフォカッチャ・バレーゼなどは、食べ損ねると後悔します。

私個人的には、レッチェのパン、Pizzo(pizzi)が大好きです。
トマト、オリーブ、玉ねぎのソッフリット入り。
強い旨みのある食材がごろごろ入っていて、とにかくワインが進むパンです。
お酒がいける人なら、1個食べながら1本空きますよきっと。
赤いピッツィとペアになっているのがオリーブ入りの白いプッチャ。




ちなみに、ちょっと昔の話ですが、偶然入ったレッチェのIl Fornaioという店のピッツィは美味しかったです。
多分、このパンはどこの店のも美味しいと思いますが。
他に、レッチェのパン屋さんなら、Panificio Moltedoあたりや大手メーカーのPanificio Tossiniなどが有名。

ちなみに、こちらのwebページは、イタリア語ですが、バーリのフォカッチャの店、ベスト10
を紹介しています。

3位の店
 ↓


南イタリア人とは思えないこの頑固な無愛想具合、プーリアの典型的な職人さんですねー。

プーリアで美味しいパンに出会う人が増えるといいなあ。

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“フォカッチャ・プリエーゼ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年7月号に載っています。
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2016年8月1日月曜日

フォカッチャ・プリエーゼ

プーリアのフォカッチャの話、続けます。

#pizza #focaccia pugliese

今月の「総合解説」のP.13、“フォカッチャ・プリエーゼ”の記事で、一番最初に登場するリチェッタは、 “ストラッパータ生地のキアンカ焼きフォカッチャ”です。

何のこっちゃ?
私も初めて聞く言葉ばかりでした。
でも大丈夫。
「総合解説」を読めばこの意味はすぐに分かりますよー。
記事では、フォカッチャ・プリエーゼの特徴や歴史なども説明しています。



上の動画はフォカッチャ・バレーゼ。
「総合解説」では一番最後にリチェッタを紹介しいています。
ピッツァととてもよく似ていますが、明らかにピッツァじゃないんです。




参考までに、もう一つのよく似たフォカッチャ、フォカッチャ・ジェノヴェーゼもどうぞ。




次はキアンカ。
下の動画はアルベロベッロでおなじみのとんがり屋根の石の家、トルッリ用の石材キアンカを岩から造っているところ。
プーリア特産の石です。

プーリアのパン屋さんではこの石をかまどにも敷いて、その上でパンを焼くんです。




ところで、記事にちょっと面白い写真がありました。
それはじゃがいもを潰す、という何の変哲もない写真なのですが、潰す道具がユニークというか、プーリアらしいというか。

たいていはポテトマッシャーでスマートに潰しますよね。
ところが、プーリアでは、皿で押しつぶすのが伝統的なんだそうです。

ある意味カッコいい。
このじゃがいもが入るのも、フォカッチャ・プリエーゼの大きなポイント。


プーアリの石、キアンカで作るかまども、ゆでたじゃがいもを潰す皿も、みんなあるものを工夫して使って、結果的に他にはない独特なものが生まれてくるんですね。


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“フォカッチャ・プリエーゼ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年7月号に載っています。

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2016年7月28日木曜日

パンからフォカッチャへ

今日はプーリア風フォカッチャの話。

でもその前に、そもそもフォカッチャとは何、という大問題があります。

とても基本的な問題ですが、わざわざ考えるでもなく、なんとなくわかっているのでスルーしてきたようなこの話題。
取り上げると、多分大変なことになるだろうなあとは思いますが、いい機会なので、スッキリさせるためにも、ちょっと調べてみよう、と思いたった今日この頃です。

スローフードのとても役に立つ本、“スクオラ・ディ・クチーナ”シリーズに、『パーネ・ピッツェ・エ・フォカッチャ』という本があります。

今日は、この本から、フォカッチャの部分を訳してみます。

まず大前提。
フォカッチャは、パンです、よね。
この本では、フォカッチャはパンの一種ですが、ピッツァと同じように、パンの中でも独特の種類に分類しています。

フォカッチャの語源はfocus。
火の上で焼いたものという意味の古代の食べ物を意味しているようです。

一方、ピッツァの語源は様々な説がありますが、pinzaやpitta。
南伊の中世ラテン語で、紀元1000年以前にはフォカッチャという意味でも使われていました。

という訳で、フォカッチャとピッツァは、限りなくよく似た食べ物だったようです。
薄く伸ばしたパン生地をかまどで焼いたものです。
ヨーロッパやアジア全域に同様の食べ物が普及していました。

熱くて汁の多い料理から指を守るために、パン生地を薄く伸ばして皿として使ったのです。

なるほど、これが、パンからフォカッチャやピッツァへと進化した理由なのですね。

そしてさらに、各種の具や調味料を加えてリッチにするという形で、イタリア各地で独自に進化していきます。
農村部では、サラミや肉の煮込みなどのリッチな具をはさんで食事にするようになりました。

リグーリアのフォカッチャは、軟質小麦粉の発酵生地をオリーブオイルと塩で調味しました。

You guys!! I made focaccia bread! I'm so excited because IT'S SO GOOD.


甘いバージョンもある中部イタリアのスキアッチャータ。

Schiacciata

ドーナッツ形で具入りのカラブリアのピッタ。

pitta calabrese


ピッツァは、中~南イタリアの代表的なフォカッチャ。

Pizza Margherita @ Napoletana Pizza


こうやってみると、ピッツァもフォカッチャもルーツはパンですが、ピッツァは具をトッピングする方法に進化して、フォカッチャは具を生地に混ぜ込んだりはさむ形に進化したんですね。

でも、『スクオラ・ディ・クチーナ』によると、フォカッチャは、平らに伸ばして熱した石にのせて焼く、という簡単な方法で作ることができるところから、パンより前に、つまり発酵やオーブンの発明の前に存在した、という説もあるそです。

ピアディーナのように発酵させないで鉄板や陶器で焼く平らなパンもあります。

piadina

皿として使って最後には食べてしまうのにはぴったりですね。

パンが先か、フォカッチャが先か、簡単には結論は出ない問題ですが、リグーリア(ジェノヴァ)のフォカッチャやスキアッチャータ以外にも、プーリアのフォカッチャは、フォカッチャの一大グループの一つです。

この話は次回に。

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“フォカッチャ・プリエーゼ”の記事の日本語訳は、「総合解説」13/14年7月号に載っています。
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