2011年8月29日月曜日

パレルモのアランチーネならこの店

アランチーネの話を続けます。

『ラ・クチーナ・イタリアーナ』によると、パレルモで一番おいしいアランチーネの店と言われているのは、バール・アルバBar Albaとバール・ローザネーロBar Rosanero。


バール・アルバのアランチーネ

“ラグー”と“プロシュット・エ・フォルマッジョ”(ハムとチーズの具の、いわゆる“アル・ブッロ”)の2種類があります。

中はこんな風

通販用に、揚げる前の生のアランチーネも売っています。


↓バール・アルバのジェラートを紹介する動画






バール・アルバはパスティッチェリーアでもあります

ホームページはこちら

パレルモ大学のこちらのwebページでは、バール・アルバのアランチーネをこう紹介しています。

「アランチーニの発明者と言われるイスラムの太守が今も生きていたら、バール・アルバのアランチーネを買うだろう。
サンタ・ルチーアの日(解説)、バール・アルバでは、17人の職人が朝の5時から晩まで15分に60個のペースで揚げて、計40,000個のアランチーネを作る」

店では普段でも、15分ごとにアランチーネをラードで揚げているのだそうです。

こちらのシチリアの情報サイトでも、「アランチーネの神様がいるなら、きっとバール・アルバに住んでいるにちがいない」と大絶賛。



一方、バール・ローザネーロも、バールでパスティッチェリーア。
ホームページはこちら


最後に、アランチーネのリチェッタをどうぞ。
こちらのサイトのものです。

アランチーネ
LE ARANCINE DI ROSANERO- PALERMO
材料:20個分
 米(ローマ;半長粒でやや煮崩れやすい)・・1kg
 水・・2リットル
 バター・・100g
 ローリエ・・2枚
 ナツメグ
 固形ブイヨン・・3個
 サフランパウダー・・2袋

・大きな鍋に水を入れて火にかけ、米、バター、ローリエ、ナツメグ少々、ブイヨン、サフランを加える。
・かき混ぜてバターとブイヨンを溶かし、米が水分を全部吸うまで煮て冷ます。前日に作ってもよい。


肉とグリーンピースの詰め物(ラグー);
 子牛肉挽肉・・1kg
 玉ねぎ・・1個
 にんじん・・2本
 太いセロリ・・2~3本
 トマトソース・・150ml
 辛口白ワイン・・1/2カップ
 ナツメグ
 小粒の冷凍グリーンピース・・1パック
 EVオリーブオイル・・50ml
 塩、こしょう

・玉ねぎ、にんじん、セロリをすりおろして鍋に入れ、油を加える。
・これを火にかけてしんなり炒め、挽肉を加えて炒める。
・ワインをかけてアルコール分を飛ばす。
・トマトソース、ゆでたグリーンピース、ナツメグを加えて塩、こしょうで調味し、煮る。
・水気はできるだけ少なく仕上げ、余ったら取り除く。


アル・ブッロの詰め物;
 小角切りにしたハム
 小角切りにしたモッツァレッラ
 ベシャメル

・材料を混ぜる。


ビターチョコレートの詰め物;
 小角切りにしたビターチョコレート


衣;
 細かいパン粉
 0タイプの小麦粉(精製がやや粗い軟質小麦粉)
 水

・小麦粉と水を混ぜて濃いめの衣にする。
・足りなくなったら粉と水を足す。


仕上げ;
・片方の手のひらに水をつけ、冷めたリゾットをテニスボールよりやや大きめに丸めてのせる。
・これを広げ、詰め物を1種類のせて閉じる。
・衣とパン粉をまぶす。
・鍋にアランチーネを覆う量の揚げ油を入れて熱する。
・アランチーネにもう一度パン粉をつけて揚げる。
・チョコレート入りには食べる前に砂糖を散らしてもよい。
・アル・ブッロはベシャメルなしでもよい。






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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2008年3月号
アランチーネを含む“パレルモ”の記事の解説は、「総合解説」'08&'09年3月号に載っています。

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2011年8月25日木曜日

アランチーニとスップリ

アランチーニの話、続けます。

アランチーニはカターニアが元祖、という説の強力な旗頭、ピーノ・コッレンティ氏。
前回は、彼の本、『イル・ディアマンテ・デッラ・グランデ・クチーナ・ディ・シチリア』から、アランチーニがカターニアでどうやって誕生し、どうやって広まっていったかについて、彼の説を紹介しました。

今回はその続きです。

アランチーニは、カターニアのロスティッチェリーア(惣菜店)からナポリやローマに伝わった、というのが彼の説です。

ご存知の通り、ローマではアランチーニは“スップリ・アル・テレーフォノsppulì sl telefono”と呼ばれていますよね。

俵型で、ライスはトマト入りなので赤く、モッツァレッラなどのとろけるチーズが入っているのがローマのスップリの特徴。
シチリアのものとは微妙に違います。

糸を引くモッツァレッラが電話線のように見えるので“アル・テレーフォノ”と呼ばれる、というのは有名な話。

では、“スップリ”の方は?

そのあたりを、「スップリのルーツはカターニア生まれのアランチーニ」と信じているコッレンティ氏が説明すると、こういう話になります。



バチカンに駐留することになったあるフランス人枢機卿が、パリからお抱え料理人を連れてきた。
この料理人には、若いイタリア人の助手がいた。
彼はカターニア出身で、元々はロスティッチェリーアで働いていた。

ローマの貴族階級の館に初めて電話が通じたばかりのある日、彼は、フランス人のシェフのためにアランチーニを作った。
すると、鍋でこんがり揚がったアランチーニを見たシェフが、「Surprise... Surprise!(シュルプリーズ)」と叫んだ。

この場合の“surprise”は、フランス料理のスラング(業界用語?)で“きつね色の揚げ物”、という意味で、「ビックリ」という意味ではない。

カターニア人の助手には、シェフの言葉が“スップリ、スップリ”と聞こえた。
からかい半分でこの話を料理人仲間にしたところ、あっという間にローマの料理人の間に、スップリ・アル・テレーフォノという名前が広まったのだった。



この説だと、ローマのスップリは、元々はカターニア人が作ったアランチーニで、しかも名前をつけたのもカターニア人、ということになりますね。
アランチーニにかけるカターニア人の自信とプライドには、敬意すら感じます。

世間的には、スップリ=ビックリ説のほうが有名ですが、どちらも胡散臭いと言えば胡散臭い。



↓スップリのリチェッタ、Part1





↓Part2






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2011年8月22日月曜日

アランチーニの歴史

アランチーニの話の続きです。

カターニア率いるシチリア東部のアランチーニと、パレルモを筆頭とするシチリア西部のアランチーネ
形や中身が微妙に違います。


arancini
パレルモの店先のアランチーネ。
球形と俵型で、コーン形(円錐形)は見当たらず。


パレルモ派もカターニア派も、アランチーニの形で中の具が分かるようになっています。
アランチーネの場合、俵型はアル・ブッロal burroと呼ばれ、チーズ、ハム、バター(ベシャメル)の詰め物。
球形はアッラ・カルネalla craneで、ラグーとグリーンピース入り。


↓パレルモのブッロとカルネ。





オリジナルの詰め物のアランチーニもたくさんあります。
↓パレルモのパスティッチェリーアの、サンタ・ルチーアの日(前回のブログで紹介)のオリジナルアランチーネ。
ハム、エメンタール、バターの詰め物で、米はナツメグ、おろしチーズ、唐辛子風味。






イタリア司厨士協会(FIC)シチリア支部名誉会長ピーノ・コッレンティ著、『イル・ディアマンテ・デッラ・グランデ・クチーナ・ディ・シチリア』には、カターニア派アランチーニにまつわる、こんな面白い話が載っています。


アランチーニには1000年の歴史がある。
1000年と言う根拠は単純で、アラブ人によってシチリアにオレンジ、レモンなどかんきつ果樹や米が伝えられ、9世紀にはカターニアやパレルモのコンカ・ドーロ(パレルモとその周辺の海と山に囲まれた平野)に根付いた、という説を信じているからだ。

複数の資料によると、当時のカターニアの太守Tummahは、米料理が大好きだったらしい。
“トゥンマーラ・ディ・リーゾTummala di riso”という、鶏のレバーと鶏のブロードを使った米料理の考案者だとも言われている。

彼の好物は、米を鶏のブロードで煮て、鶏肉、グリーンピース、玉ねぎ、ソフトチーズと一緒にサフランで炒め、丸めてパン生地に包んで揚げたもので、一日に何度も食べたという。
現在もマグレブ地方(北西アフリカ)で前菜として食べられている“briouats”(ブリワット)に似た料理だ。

当然、当時はまだトマトはなかったが、その料理はすでにオレンジの形をしていた。
半分に割れば、これもアラブから伝わったサフランの鮮やかな黄色をしていた。

その後時とともに、パン生地の代わりにもっと軽いパン粉が使われるようになる。
揚げ油はオリーブオイルだった。

やがてこの料理は、大修道院に伝わって、キリスト教徒の料理人が作るようになった。
彼らは、イスラム教では禁じられている豚の脂、ラードでアランチーニを揚げ、ビターオレンジの葉で飾った。

そしてアランチーニは、カターニアからシチリア全体に広まった。
バロックの時代あたりになると、濃いトマトソースが加わり、様々な肉(他の料理に使った切り落とし)を使ったラグーを詰めるようになる。

フェデリコ・デ・ロベルトの『副王たち』という小説には、19世紀初め、カターニアの大修道院で「ほとんどスイカのような」大きなアランチーニを作っていたことが描かれている。

そして、モンズーmonzù(貴族がフランスから連れてきたお抱え料理人)とともに、アランチーニは貴族の家庭に入っていった。

さらに、大衆的なロスティッチェリーア(惣菜店)のメニューになり、ここからナポリやローマに伝わった。




なかなか説得力のある説です。

米は、元々は高級品だったわけで、確かに、カターニアの太守ぐらいでないと、毎日好きなだけ食べるというわけにはいかなかったはずです。

それがまず修道院に伝わってイタリア化され、次に貴族の家庭に伝わり、米の栽培がイタリアで普及してからは、庶民の料理としてイタリア中に広まっていったわけですね。

さらに著者は、ローマのスップリにもカターニアが関係している、という面白い説を披露しています。
それはまた次回に。



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2008年3月号
アランチーネを含む“パレルモ”の記事の解説は、「総合解説」'08&'09年3月号に載っています。

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2011年8月19日金曜日

イタリアの米の歴史

今日はアランチーニの話の続き。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の解説です。


島の東側ではアランチーニ、西側ではアランチーネと呼ばれているこのライスコロッケ。
個性的で愛嬌のあるしずく型(コーン型)のアランチーニは、東だけで作られているもの。
この形、エトナ山の形、とも言いますよね。
エトナ山は、シチリアの東側にあるヨーロッパ最大の活火山。
東側の人たちがそうたとえたくなる気持ちも分かります。
その一方で、そう自慢されては、西の人も意地になって、しずく型なんて邪道、と言いたくなるというもの。


arancini sicilian
これはしずく型だから、東のもの。
つまり、アランチーニ。


アランチーニがシチリア生まれ、ということはよく知られていますが、では、シチリアのどこで生まれたのか、となると、確かなところは分かっていません。
東の代表はカターニア、西の代表はパレルモで、お互いに、こっちが元祖、と固く信じています。

でも、そのルーツはアラブにある、と考えられていることは共通しています。

アランチーニの主要な材料の米は、アラブからイタリアに伝わったと言われているし、そもそも、アランチーニと言う名前の元になったオレンジも、アラブ人がシチリアに伝えたもの。

ところが実は、米がどのようにしてイタリアに伝わったのか、はっきりしたことは分かっていないのです。

アランチーニの歴史を知るには、まず米の歴史を知る必要がありそうです。


アジアでは7,000年前、日本では2,500年近く前から栽培されていたとされる米ですが、イタリアでは、いつ頃栽培が広まったと思いますか?

ちなみに、聖書にはパンは登場しますが、米は出てこないのだそうです。
当時のキリスト教圏では、米はまだ知られていなかったんですねえ。

イタリアで米の栽培が広まったのは、15世紀頃。
わずか500~600年ほど前です。


米がどうやってイタリアに伝わったのかは、諸説あります。

シチリアを征服したアラブ人が伝えた。
十字軍がエルサレムから伝えた。
東方貿易のヴェネチア人やジェノヴァ人が伝えた。
アジアからギリシャ経由で伝わった。
ナポリのアラゴン家がスペイン経由で伝えた。
などなど。

まず、アレキサンダー大王がインドまで遠征した時に、地中海世界に米の存在が伝わったと言われています。
その後、インドなど南アジアとアラビア半島の間で、米と小麦の物々交換が始まりました。
古代ローマや中世のヨーロッパでは、米は貴重な輸入品で、こしょうなどと同じ薬や香辛料として扱われていました。

よく言われるのが、シチリアが9世紀にアラブ人に征服された時に米が伝わった、という説ですが、実際には、すでにそれ以前に貿易品として米は伝わっていました。

現在イタリアは、ヨーロッパでもっとも米の生産量が多い国ですが、よく考えてみると、シチリアで米の栽培が盛んという話は聞かないですよね。
イタリアの主要な米作地帯は、ピエモンテやロンバルディアなど、北イタリアのポー河沿いの水が豊かな平地です。
サボテンが雑草のように生い茂るシチリアの乾いた風景には、米のイメージはありません。
シチリアに米が伝わったといっても、栽培が盛んになったということではないようですね。

15世紀に米の栽培が広まったのは、現在の米の主要産地と同じ地域でした。
中世のイタリアは、飢饉やペストの流行などに苦しみます。
そこで、生産性の高い米が注目されて、領主たちによって大規模な水田が作られ、栽培が広まっていったのでした。

小麦の代わりに飢えをしのげる食べ物。
そうなると、高級品というそれまでの米のイメージは一変します。
とうもろこしやじゃがいもと同様、米は庶民の食べ物となっていきました。


イタリアで米がどういう存在なのか少し分かってきたところで、次回は話をアランチーニに戻します。




↓しずく型のアランチーニ。




この動画のコメント欄、案の定、アランチーニだ、いやアランチーネだという論争で盛り上がってます。



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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2008年3月号
アランチーネを含む“パレルモ”の記事の解説は、「総合解説」'08&'09年3月号に載っています。

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2011年8月15日月曜日

アランチーニ、アランチーネ

パレルモの話、その4。
ストリートフードの話、今回はアランチーネ。
『ラ・クチーナ・イタリアーナ』の記事の解説です。


Arancini
タオルミーナのアランチーニ


イタリアのライスコロッケと言えば、アランチーニarancini。
でも、パレルモなどシチリア西部では、女性形でアランチーネarancineと呼びます。
同じ島の中でも、カターニアなどシチリア東部では、アランチーニと男性形。

なぜパレルモでは、女性形でアランチーネと呼ぶのでしょうか。

よく知られている説は、

そもそもアランチーニは、オレンジのような大きさだったことからこの名前がついた。
オレンジは、イタリア語ではアランチャarancia。
女性形。
それならアランチーニも女性形でアランチーネと呼ぶのが自然

というもの。

なるほど。
でも、だとすると今度は逆に、なぜアランチーニという男性形の名前が広まったのか、という疑問が出てきます。

一説によると、その答えは、シチリアの方言にあるんだそうです。

シチリアでは、パレルモとそれ以外の地方では、違う方言を話していました。
そのパレルモ以外の方言では、オレンジは“aranciu”。
これは男性名詞か女性名詞か迷うところですが、実は男性名詞。
つまり、パレルモ以外のシチリアでは、オレンジは男性名詞だったのです。

そしてアランチーネは“arancinu”。
やはり男性名詞です。
だから、arancinuを標準語に直すと、アランチーニとなる訳です。

なるほどねえ。
男性形でも女性形でもどっちでもいいような気もしますが、世界中にアランチーニという名前が広まった今でも、シチリアの西側だけは、かたくなにアランチーネという名前にこだわっています。

イタリアの人気推理小説の主人公、モンタルバーノ警部が、アランチーニと呼んでいることに抗議するこんな動画まであります。

モンタルバーノ警部とアランチーニについては、以前、このブログでも取り上げました。
こちらのページ。

カターニアのアランチーニについても取り上げています。
こちらのページ。




13 Dicembe
12月13日のアランチーネ


12月13日は、パレルモではアランチーネを食べまくる日です。

この日はサンタ・ルチーアの日。
聖ルチーアは、飢饉の時に、小麦を満載した船が突然港に姿を現す、という奇跡を起こして、人々を救ったと信じられている聖人です。
人々はその小麦の粒をゆでて、お粥にして食べたと言われています。

そのため、12月13日は、聖ルチーアに感謝して、麺やパンなど小麦系の粉ものを食べないで、小麦の粒や、小麦以外のもの(米、じゃがいも、チェーチなど)を食べる、と言う伝統が生まれました。
米料理のアランチーネも、この日に食べるものの一つです。

今では、12月13日はアランチーナ・デイArancina Dayとも呼ばれています。
家庭では朝から大量のアランチーネを作り、ご近所や知り合いにふるまってまわります。
人気のバールやフリッジトリーアでは、アランチーネがあっという間に売り切れます。


ちなみに、飢饉の時に船の小麦で作ったとされる料理が、クッチーア(クチーア)cucciaというシチリアの伝統料理のルーツです。
クッチーアも12月13日に食べる料理。

元々は水や牛乳で煮ただけのお粥でしたが、今では小麦の粒入りの甘いリコッタクリームに進化しました。
チョコレートを入れるなど様々なバリエーションが作られています。

↓クッチア






アランチーネの話、次回に続きます。


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関連誌;『ラ・クチーナ・イタリアーナ』2008年3月号
アランチーネを含む“パレルモ”の記事の解説は、「総合解説」'08&'09年3月号に載っています。

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2011年8月11日木曜日

フリットラ

パレルモの話、その3。
ストリートフードの続きです。

前々回の記事の最後の動画に少しだけ登場したフリットラfrittola。
これも、パレルモのディープなストリートフードです。

フリットラのパニーノ



↓フリットラ作り。




フリットラの原料は、肉を解体した時に骨の周りに残ったくず肉、筋、脂身、軟骨。
この動画の屋台では、これらをまず、それ自身の脂でソッフリットにしてから、スパイスを加えてゆでています。
屋台では、フリットラをパンにはさんだり(パニーノ・コン・フリットラpanino con frittola)、そのまま油紙にのせて(カルタータcartata)売り、それにこしょうやレモン汁をかけて食べます。

パンや紙に盛る時や、紙に盛ったフリットラを食べる時は、手づかみ。
手も口も、ギトギトになります。
やっぱりこれも、男前な食べ物。
というか、ミルザ(脾臓)やパネッレより上級編で、パレルモ度が一段上です。
最近では屋台の数が減っているそうです。


パネッレやフリットラの他にも、このブログでパレルモのストリートフードをいくつか取り上げたことがあります。

脾臓のパニーノのパーネ・カ・メウサPane ca' meusa(ブログの記事







ピッツァのようなフォカッチャ、スフィンチョーネSfincione(ブログの記事







子羊や子牛の腸の炭焼き、スティッギオーラStigghiola(ブログの記事







この他にも、ディープなところでは、ムッソMussoとカルカニョーラcarcagnolaなんていうのもあります。
ムッソはゆでた豚の鼻で、カルカニューラはゆでた豚足。
レモン汁をかけてサラダやパニーノにします。

ムッソとカルカニョーラの屋台

 ↑
この人、『ヴィエ・デル・グスト』に写真が載っていました。


逆にライトなところでは、アランチーナArancina。
パレルモでは、男性名詞のアランチーニaranciniではなく、女性形のアランチーネarancineと呼びます。


アランチーネの話は次回に。



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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2009年2月号
“パレルモ”の記事の解説は、「総合解説」'08&'09年2月号に載っています。

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2011年8月8日月曜日

パネッレ

今日はパレルモの話、その2。
『ヴィエ・デル・グスト』の解説です。

パレルモは、アラブやスペインの影響を感じさせる個性的なストリートフードがたくさんある街ですよねえ。

主役は、揚げ物、内臓、シチリアの美味しいごま付きパン。

日本ではまず味わうことのできない、超独特なものばかり。
いや、日本どころか、イタリアでも、パレルモとその近辺でしか味わえないものでした。


まず、前回の市場の動画に登場していたパネッレpanelle。

Palermitudine
パネッレのパニーニを売る屋台



パネッレは、チェーチの粉の生地を揚げた一品。

地中海一帯では、質素な食べ物として普及していたチェーチ(ひよこ豆)。
イタリアでは、主にトスカーナ、ウンブリア、ラツィオなど中部で栽培されています。
チェーチの粉を使った料理と言うと、リグーリアやトスカーナのファリナータが有名。


Farinata
ファリナータ



チェーチの粉と水の生地をオーブンで焼くファリナータは、かつてはパンの代用品でした。
ところがパレルモでは、パネッレをパンにはさんで食べます。
フォカッチャやパスタにパン粉を散らすほど、粉物と粉物の組み合わせが大好きなパレルモの人たち。
パネッレがパンの代わり、などという考えは、毛頭なかったに違いありませんねえ。
しかも、クロッケcrocchèと呼ばれるポテトコロッケまで一緒にはさんで食べたりします。

こんな風

男前です。



↓パネッレの作り方



振るったチェーチの粉250gに水1リットルを少しずつ加え、ダマにならないように混ぜながら粉を溶きます。
混ざったらすぐに火にかけ、火を強めてかき混ぜながら煮ます。
この間に粗塩を加えます。
泡が立ってきたら火を弱め、時々かき混ぜて焦げ付かないようにしながら20分煮ます。
20分煮てポレンタ状になったらプレッツェーモロのみじん切りを加えます。
天板(または大理石の台)にオリーブオイルを塗り、生地をあけて出来るだけ薄く広げます。
これを20~30分置いて冷まします。
冷めたら切り分けて170~180度の油でこんがり揚げます。



↓パーネ・エ・パネッレpane e panelle






IL DIAMANTE DELLA GRANDE CUCINA DI SICILIA
のパネッレのリチェッタ
材料
チェーチの粉・・500g
オリーブオイルかラード

レモン汁
プレッツェーモロのみじん切り(好みで)
・水1リットルに塩を控えめに加える。
・チェーチの粉を水で溶きながら弱火にかける。
・木べらで同じ方向にかき混ぜながらダマのない生地にし、かき混ぜながら煮る。
・鍋肌からはがれるようになったら油を塗った木のパネッレ用型か大理石にあけて厚さ5mm程度に広げる。
・冷めたら3×7cmの長方形などにカットし、熱いオリーブオイルかラードで揚げる。

パレルモでは、パネッレが熱いうちに焼きたてのパンに数枚はさみ、レモン汁と塩を散らしたパーネ・エ・パネッレというパニーノにして食べる。
パネッレはリグーリアの“パニッサpanissa”に似ている。



リグーリアのパニッサは、ポレンタ状にしたチェーチの生地を固めてカットし、塩、こしょう、レモン汁、オリーブオイルで調味したもの。

↓またはこの動画のように揚げるストリートフードバージョンもあります。
パネッレにそっくりですが、パンにははさまないようですね。






パレルモのストリートフードの話、次回に続きます。



おまけの動画。
↓パレルモの有名店、アンティーカ・フォカッチェリーア・サン・フランチェスコが舞台のシチュエーションコメディー、『PC-パネッレ・エ・クロッケ』







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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2009年2月号
“パレルモ”の記事の解説は、「総合解説」'08&'09年2月号に載っています。

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2011年8月4日木曜日

パレルモの市場

今日はパレルモの市場の話。
『ヴィエ・デル・グスト』の解説です。

近頃ではパレルモでも、トレンディーな店には必ず寿司バーがあるような時代になりましたが、ローカル色が強烈に漂う歴史的な市場は、今も健在。

代表的なのは、ヴッチリアVucciria、一番人出が多いカーポCapo、パッラロBallarò、そしてボルゴ・ヴェッキオBorgo Vecchioあたり。
基本的に、営業は毎日、朝から晩まで(例外の日もありますが)。



↓パレルモの市場。短編。







↓こちらは26分の長編。バッラロとカーポ。
店の人の話も、買い物客の話も、すごく面白いです。
頑張って聞き取ってみてください。





リポーターが最初に食べていたのは、パレルモのストリートフード、“パーネ・エ・パネッレpane e panelle”(01:31)。
チェーチの粉を水で溶いて揚げたものをはさんだパニーノです。

オレンジのカンディートと一緒に買ったのは、ブロンテのピスタチオ、松の実(pinoliピノーリ)、パッソリーナpassolina(04:36)。
どれもシチリア料理には欠かせない材料です。
パッソリーナはぶどうを天日で干したもので、一般的なレーズンより小粒で黒い色をしています。
シチリアでは、料理にはこのタイプのレーズンを使い、ドルチェ用とは使い分けます。

後半はカーポ市場。
テネルーミtenerumi(ロングズッキーニの芽と葉)を買った時、どうやって調理するのか聞いたら、市場のおじさんたち、ゆでて炒める、ということを説明するのに大汗かいてますねえ(13:00)。

お肉屋さんの惣菜は、シチリア風インヴォルティーニinvoltiniに、地元の人以外発音が出来ない(笑)ブラチョーレbracioleの一種(20:38)。

22:40に登場するフリットラfrittolaについては、次々回に詳しく紹介します。


次回は、フリットラを含むパレルモのストリートフードの話です。




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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2009年2月号
“パレルモ”の記事の解説は、「総合解説」'08&'09年2月号に載っています。

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2011年8月1日月曜日

タルディーヴォとヴァリエガート

今日は野菜の話。
ヴィエ・デル・グスト』の解説です。


ラディッキオと言えば、有名なのはラディッキオ・ロッソ・ディ・トレヴィーゾRadicchio Rosso di Treviso。

ラディッキオ・ロッソ・ディ・トレヴィーゾには2種類あって、「トレヴィーゾの剣Spada di Treviso」、通称スパドーネSpadoneと呼ばれるあの美しい形をしているのは、“タルディーヴォ”種。

Venice, street market
タルディーヴォ



もう1種類は、白菜のような形の“プレコーチェ”種。

Radicchio trevigiano
プレコーチェ



タルディーヴォは「晩生」、プレコーチェは「早生」という意味。
タルディーヴォは、最低2回霜が降りた後に一度収穫してから軟白栽培を行いますが、プレコーチェは行わず、タルディーヴォより早く(秋口から)市場に出ます。

タルディーヴォはプレコーチェより肉厚でシャキシャキ感があり、ほろ苦さも強く、値段の高い上級品。
手間暇かけて作り出す美しい形と味に、人は魅了されてしまうんですねえ。



ラディッキオ・ロッソ・ディ・トレヴィーゾは、IGPのラディッキオです。

IGP(Indicazione geografica protetta)とは、EUが産地を認定した農業製品や食品で、生産、加工のどれかがその地区で行われている製品です。
ちなみに、DOPは生産も加工もその地区で行われている製品。


IGPのラディッキオは他にも、ラディッキオ・ディ・キオッジャラディッキオ・ディ・ヴェローナなどがあります。


ラディッキオについては、以前、このブログでも取り上げています。
こちらのページ




タルディーヴォは、畑の土から収穫する時は、黒ずんだ赤紫と緑色の伸び切った葉の、何ともみすぼらしい姿をしています。
それを温かい湧水に浸すと、株の一番内側で、新しい芽が伸びてきます。
そして20日程経ってみすぼらしい葉をはがすと、中から、光を浴びずに育った(つまり葉緑素がない)、赤と白の剣の形をしたみずみずしいラディッキオが現れます。

ラディッキオは冬に出回るので「冬の花fiori d'inverno」と呼ばれますが、冬にもう一度芽を出すためには、実は畑で成長する夏の期間が大切。
この間にしっかり成長して、養分を蓄えておかないとならないんですねえ。
育てるのも調理するのも、手間と経験が必要な野菜です。



タルディーヴォと同じように、その美しさが際立っているのが、ラディッキオ・ヴァリエガート・ディ・カステルフランコRadicchio Variegato di Castelfranco。
これもIGPです。

“ヴァリエガート”とは、「いろいろな色の」という意味。
こちらは別名、“カステルフランコのバラRosa di Castelfranco”、と呼ばれています。

ヴァリエガートは、19世紀頃に、ラディッキオとスカローラを交配させて作られた品種です。

スカローラはエンダイプの一種。
ややこしい話ですが、イタリアでは、エンダイプはインディーヴィアindivia、スカローラはscarolaで、仲間だけれど、別の野菜です。
イタリアではエンダイプよりスカローラの方が生産量も多く、一般的。
エンダイブとレタスを足して割ったような姿で、炒めたり煮たり、様々な料理に使われています。


ラディッキオ・ヴァリエガート・ディ・カステルフランコも、軟白栽培を行う野菜。
方法は、タルディーヴォよりバリエーションがあって、湧水式、ハウス式などがあります。



↓この動画の最初に登場する場面、上はタルディーヴォで下はヴァリエガート。
1:40からタルディーヴォの栽培、料理などの話。






↓カステルフランコはトレヴィーゾ県の町。
だからタルディーヴォもヴァリエガートも、共にトレヴィーゾの名物。
(前後にCMあり)







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関連誌;『ヴィエ・デル・グスト』2009年2月号
“タルディーヴォとヴァリエガート”の記事の解説は、「総合解説」'08&'09年2月号に載っています。

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