2019年7月31日水曜日

夏の食材

イタリアの料理雑誌の記事やリチェッタを日本語に訳した「総合解説」2017年7/8月号は明日発売です。
夏号です。
イタリア料理の本領が発揮される季節です。

今月の食材、1品目は、ガルファニャーナのファッロ。

以前、ブログでも取り上げています。こちらこちらこちら
毎回、スペルト小麦ではなくエンマー小麦、という説明をしている気がします。
もう、この説明はいらないかな。


ファッロはトスカーナの伝統料理には欠かせない食材。
IGPのファッロはEU内ではガルファニャーナだけ。
管理組合の農家は約100軒。
有機栽培しています。
ガルファニャーナのファッロの特徴は大粒で煮崩れしにくく、食物繊維が豊富。

ファッロのズッパ

2つ目の食材はブッラータのストラッチャテッラ。
ブッラータの中身です。
ブッラータはモッツァレッラの袋にストラッチャテッラを詰めたもの。
つまりストラッチャテッラは、ブッラータの本体です。
アンドリアのブッラータ。



アンドリアのブッラータは他のブッラータとは全く別物で、ストラッチャテッラを食べている感が強いブッラータです。

ブッラータとストラッチャテッラ

旬は牛が新鮮な飼料を食べてミルクの香りが良くなる春と夏。

3番めはサウリスの生ハム。
フリウリの、蜂蜜やビールに合う、ブナの木のスモーク香が特徴で塩気が軽い、ドイツ系生ハム。
高地の生ハムは少ない塩分でも保存できることから“甘い”のが特徴です。
でも、流通量が少ないので、なかなか口にはできない貴重な生ハム。

サウリスの生ハムの収穫祭は7月。
サウリスの7月。

ちょっと涼みに飛んでいきたい。

後半は次回に。

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“今月の食材”の記事の日本語訳は「総合解説」2017年7/8月号P.2に載っています。
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2019年7月29日月曜日

ヌーベルキュイジーヌは高級料理を庶民に開放したけど階級格差も生まれて革命が・・・

『パスタ・レボリューション』
を紹介する時は、いつも前半のパスタの歴史の話にハマってしまって、後半の有名シェフたちのリチェッタを紹介する所までたどり着きません。
一流シェフたちのパスタのリチェッタも、力作ばかりでとても興味深いのですが。
今月の「総合解説」で取り上げているシェフ、アンドレア・ベルトン氏の紹介がてら、この本で取り上げている彼のパスタのリチェッタでも、訳してみましょうかね。
ちなみに、本の最後のリチェッタ(P.152)は、マリアンナ・ヴィターレシェフの料理、プッタネスカ・ラーメン。
最近では、イタリア人シェフにもラーメンに出会った人が大勢いるようで、料理書の中にもラーメンという文字を頻々に見かけるようになりました。
でも、正当派ラーメンを作る人はまったくいなくて、パスタが全面に出ることが多いようです。
このリチェッタもナポリのプッタネスカに忠実で、日本人にはちょっと作り出せないようなラーメンです。

ベルトンシェフの話に戻って、
まずは、「総合解説」の『サーレ・エ・ぺぺ』の記事から、ベルトンシェフのこと。
1970年フリウリ生まれ。
1989年にミラノのマルケージシェフの元でキャリアをスタート。

ベルトンさんがマルケージ氏に面接を直談判した時のエピソードは、強烈ですねー。
19歳でこれだけ自己主張したら、日本では敬遠されるだろうけど、イタリアのトップシェフには気に入られたようです。
というわけで、マルケージ・ボーイズの一員としてデビューしました。


当時の同僚は、クラッコ、クナム、オルダーニ、ロプリオーレといった豪華な面々。

その後の経歴も、まあ、素晴らしいこと。
ロンドンのモシマン、フィレンツェのピンキオッリ、モンテカルロのデュカスと一流店を渡り歩いた後に1997年から2001年までシェフを努めた店で、最初のミシュランの星を獲得。
その後マルケージに戻って総料理長になり、
2005年にはスカラ座広場のリスランテのシェフになって、
2008年にミシュラン1つ星、
2009年に2つめの星を獲得。
2010年にはガンベロ・ロッソでトレ・フォルケッテ、
2011年にはエスプレッソでトレ・カッペッリ。
2012年にはピサッコ・リストランテ・エ・バールオープン
2013年、カクテル&ピッツァ、ミラノにリストランテ・ベルトンオープン
2014年、ベルトンが星獲得。
2016年、コモ湖畔にベルトン・アル・ラーゴオープン・・・。

ため息が出そうなくらい順風満帆なキャリアですね。
10代でのビッグマウスぶりも納得です。


さて、『パスタ・レボリューション』によると、
「・・・アンドレア・ベルトンシェフが乾麺のパスタへの愛に目覚めたのは比較的最近のこと。
それまではミラノのベルトンでは米や詰め物入り生パスタが主流だったそうですが、乾麺の魅力に気づいて以来、それをアルタ・クチーナに取り入れる研究を始めました。
その成果の一つが貝のパスタです。
イタリア料理の定番の一つですが、貝の扱い方を知らなければ失敗するパスタです」

本のリチェッタは、“アサリとムール貝、イタリアンパセリのクリームのリガトーニ”です。
ベルトンシェフは、むき身のムール貝とアサリとファゾラーリを選びました。
さらに魚のブロードとピーナッツ油を加えてホイップした魚のマヨネーズ(濃度がマヨネーズ状なのでシェフはこう呼んでいるが、卵は入らない)、下ゆでしたイタリアンパセリ、魚のフメット、マルドンの塩をサーモミックスで撹拌したイタリアンパセリのクリームを添え、
仕上げにポロネギの粉(さっとゆでてからフライパンでローストし、70℃のオーブンで10時間乾燥させてサーモミックスで撹拌して粉にする)を散らして貝を戸外でグリルしたような料理にしている。
リガトーニはゆでてから、パンを70℃で4時間乾燥させてにんにくをこすりつけ、サーモミックスで粉にしたパン粉、魚のフメットと一緒にオイルで炒める。
イタリアンパセリのクリームを皿に敷き、パスタを盛り付けてポロネギの粉を散らし、貝をのせる。
イタリアンパセリのマヨネーズの緑色とファゾラーリのコライユの赤色がとても鮮やかな1品です。
料理の写真は本のP.81を御覧ください。

よく似た応用編のパスタの動画がありました。

彼以外にも、大抵の有名シェフの力作が集められています。

パスタの革命は、グランシェフたちがアルタ・クチーナと出会って始まったというスタンスのこの本。
アラブ人が作り出した乾麺がシチリアを経由してナポリという大都市で大量生産されて、イタリア移民と共に家庭の味として世界中に広まり、ヌーベルキュイジーヌによって地方料理という足かせが外れると、料理人が自由にパスタ料理を作るようになり、それに伴ってパスタも自由になりました。
ラーメンも取り込もうとしているパスタの勢いは、まさに革命のよう。

本の中でさらっと紹介されているバリラの1985年のCM、その名も『上流階級』をどうぞ。
庶民派で知られるフェリーニ監督のCMです。
高級そうなフレンチの店で、メートルがフランス語のお勧め料理を慇懃に並べ立てるけど、マダムが「リガトーニ」、と一言ささやくと、店中がバリッラと反応しまうという、上流階級を強烈におちょくったCMです。


ベルトンシェフのリガトーニのアルタ・クチーナも、フェリーニ監督にかかれば強烈な皮肉の対象になるかも。
革命って、こういう階級格差への怒りから生まれるのかなあ、と考えてしまうCMでした。




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“アンドレア・ベルトン・シェフ”のリチェッタの日本語訳は「総合解説」2017年5/6月号に載っています。
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2019年7月26日金曜日

麺を乾かすこととそれをゆでることの発明は革命だった。

今日は、パスタの本の隠れた名作、『パスタ・レボリューション』のご案内です。

以前にもブログで紹介していますが(こちら)、パスタの歴史がとても面白いです。
どこを取っても面白いのですが、今日訳すのは、こんな話。

「17~18世紀までは、パスタは注目されていた食材ではあったが、あまり普及はしていなかった。
ナポリ人は肉も食べたが、野菜もたくさん食べることから、“mangia-foglieマンジャ・フォーリエ”と呼ばれていた。
ナポリ王国ができるとパスタは基本の食材になり、“primoプリーモ”と呼ばれるようになる。
中世、ルネサンス、現代を通じて、パスタは重要な食材で、現在でも外国で見られるような料理の付け合せではなく、主役だった。
これは18世紀以降のイタリアでのみ見られる習慣だ。
その普及には、肉食を禁じる日、という教会の掟の存在も一役買っていた。・・・」

「イタリアのパスタの文化は中世に生まれた。
そして新しい技術や小麦の品種改良などを経て新しいパスタが作り出されてきた。
その根底にはパスタに対する考え方の変化も伴っていた。」
パスタの革命はまず中東の、アラブとユダヤの文化圏で起きた。
イトリアと呼ばれた糸の形のパスタは、天日で素早く乾き、保存に適したものだった」

※この麺に関しては、最近入荷した本『100ラグー』に詳しい話があって、

以前ブログでも訳しています。(こちら)
トルコで大ヒットしたアラビア語の料理書(1226)に、世界で初めてパスタが登場し、それがイトリアというスパゲッティーニだったという話です。

「保存に適したパスタは大量に製造されるようになり、産業が生まれた。
1152年にシチリアのトラビアで発行された書類が、乾麺の交易に関する最初の公式文書と考えられている。
シチリアで大量に生産されたパスタは、船でイスラムやキリスト教の国に運ばれていった。

しかも最初はオーブンで焼いたり揚げたりしていたパスタを、ブロード、湯、牛乳などでゆでるようになった。
この調理方法は、薬や栄養学の概念も変えた。
非溶解性の食物を摂っていた人々に、熱いと冷たい、ジューシーとドライという反する概念を認識させ、干した食べ物を戻す、という方法が普及した。
こうしてパスタはシチリアからイタリア、そして世界を征服していく」

なんと、ゆでる前は揚げて食べていたんですねー。
干した麺を戻すという作業でさえ、革命的な発明だったとは、パスタの歴史は革命でできていたんですね。

パスタの乾燥


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総合解説
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2019年7月24日水曜日

アマルフィのカリスマ・パスティッチェーレはえげつないくらい大成功を収めていました

先日、ナポリ料理の本の紹介をしましたが、カンパーニアのドルチェの本でお勧めがあったなあと思い出し、久しぶりに見てみたら、ドルチェの本なのに料理のリェッタも載っていました。
この本、読めば読むほど好きになるなあ。

著者はサルヴァトーレ・デ・リーソ氏。
アマルフィの近くのミノーリで有名パスティッチェリーアを経営する南イタリアを代表するパスティッチェーレです。
本は、『ドルチ・デル・ソーレ

これまでにも度々取り上げてましたが、水着姿のお母さんの写真が印象的な本です。
このお母さんのアーモンドのクロスタータが彼のパスティチェリーア人生の原点だそうです。
とにかく、生い立ちも馴染みの職人も仲間も、すべてをさらけ出して伝えるアマルフィは、とても素敵な場所に見えます。

アマルフィのレモンは私には黄金、と語るデ・リーソ氏。
確かに、この皮が分厚くて甘いレモンとの出会いは、私にとっても衝撃的でした。
さらにカンパーニアのドルチェという衝撃的な出会いを経て、
カンパーニアのレモンのドルチェに出会ってしまうと、あっという間に虜になりますよ~。
mio oroと呼べる食材に出会えたパスティッチェーレは幸せですね。


大成功を収めて、現在は大きな工房を構えて世界中でビジネスをしているようです。
店もスーパーゴージャスになりましたねー。
彼の原点は料理上手だった母親と小さなバールを経営していた父親にあり、クオーコ・パスティッチェーレになるのが夢だった、と語っています。
南イタリアのパスティッチェーレの出世物語を見るような、躍進ぶり。
大勢のスタッフに囲まれて作るドルチェもすごそうですが、彼の真の姿は、本の中で語られている素朴なドルチェたちにあるはず、という気持ちも強くなります。

本で紹介されているフィンガーフードの一つ、じゃがいものニョッケッティは、
青のりとイースト入りの小さなニョッキを揚げて、にんじん、オレンジ、コリアンダーの各ジャムを添えてサーブします。
本には、グリーントマトとレモンを始めとして様々なジャムのリチェッタも載っています。
ピッツェッテ・フリッテは、サン・マルツァーノとブロンテのピスタチオのジャムとモッツァレッラ・ディ・ブファラのトッピング。
パッケリ・ディ・グラニャーノは、パッケリにリコッタと子牛のラグーを詰めて、セロリとオレンジのジャムをトッピングしたもの。
それを1個皿に盛り付けます。
料理の才能も満ち溢れていた人なんですね。

8月15日のフェッラゴストの料理、メランザーネ・アル・チョッコラート










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2019年7月22日月曜日

真夏にアルト・アディジェの山小屋でビールを飲むという贅沢

今月のグルメ旅は『サーレ・エ・ペペ』より、アルト・アディジェの山小屋めぐりです。

アルト・アディジェは、正直、南伊より縁がない場所です。
まして山小屋なんて、山道を登ってたどり着くイメージで、絶対行けない場所、と思うのですが、これだけ暑い日が続くと、標高1500メートルで放牧されている牛の鐘の音が響く静かな山小屋で、のんびりチーズでもかじっている姿を妄想したくもなります。

まずは山小屋のバカンスの動画でも見てイメージトレーニング。

知ってるイタリアとは、風景も人間も違いました。
「総合解説」で紹介しているマルガ・ハグネルはこんなところ。

スペックの色艶が・・・。
平地で食べるスペックとは味が違いそう。
『サーレ・エ・ペペ』の記事には、スペックについてこんな説明が・・・。
「地中海地域では冬に備えて肉を保存する時は塩漬けが一般的だが、北ヨーロッパでは、スモークが広まった。
塩漬けとスモークという2つの方法をミックスさせて生まれたのが、アルト・アディジェの食文化の象徴、スペックだ・・・」
南北の食文化の融合、これがスペックの自慢。

さらに、
「塩が少なめで、脂のない薪のスモークと、山の冷えた空気にさらして作るので、独特のアロマがある。」
という分析も。
地元では生ハムとメロンより、きゅうりやラディッシュと組み合わせて。板に盛り付けるそうです。

ここはどこのおとぎの国。
スペック祭りにやってきたイタリア人は、もはや外国人観光客状態。

ビール!!

夏休みが始まったようですが、標高1500mで避暑なんて夢物語だ~。




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“グルメガイド~アルト・アディジェの山小屋料理”の日本語訳は、「総合解説」2017年5/6月号P.48に載っています。
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2019年7月19日金曜日

暑くなるとナポリ料理が恋しくなるなあ

再入荷の本のご案内です。
ニュートン・クチーナ・レジョナーレシリーズのナポリと、

ニュートン・クチーナ・レジョナーレ・ドルチェシリーズのナポリが再入荷しました。

このシリーズは、写真は必要最低限しかなく、文字ばかりですが、読みやすさの追求にかけては他の豪華本にも負けていません。

ナポリ料理は、知れば知るほどイタリア料理の真髄ということがわかってきます。
しかもその料理は、その明快すぎるほどわかりやすく、気取りがなく、取っ付きやすさ抜群です。
イタリアでもロングセラーのニュートンの地方料理シリーズ。
イタリア料理を作るすべての人にお薦めです。

本に載っている料理は、最初の章“PIZZA,FRITTI E SFIZI”からは
“ダヌビオ”

“パニーノ・ナポレターノ”

“青のり入りパスタ・クレッシュータ”

“リコッタ・フリッタ”

など、ほんの一部を見ても、昔ながらの家庭の味が、ナポリでは決して古くならずに現役であることを感じます。
本では、次の章から前菜が始まります。
リチェッタの数は200以上と、ボリュームも十分。

南イタリア各地に広まっている料理が多いのもナポリ料理の特徴。
下の動画のズッキーニのスフォルマートはプーリア料理として紹介されてていますが、ナポリの本の前菜にも載っています。
“ズッキーニのスフォルマート”

ナポリ料理の動画を見てると楽しくなってきますねー。
最後にリモナータの動画で、口の中をさっぱりさせるか(!?)。




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2019年7月17日水曜日

マッシモ・ボットゥーラ・シェフの本には、ありきたりな料理は皆無

新着本のご案内です。

マッシモ・ボッットゥーラ・パルミジャーノ』です。

マッシモ・ボットゥーラシェフと言えば、今更語るまでもありませんが、モデナのオステリーア・フランチェスカーナのシェフで、各国の格付け誌で軒並み最高ランクの高評価を受けてイタリアを代表するシェフとなったカリスマシェフ。
母親はモデナ出身。
エミリア地方をルーツとするシェフが、イタリアを代表する故郷の食材、パルミジャーノ・レッジャーノをテーマに取り上げた、グランシェフの本の割にはお手頃価格の本です。
超有名シェフの料理がどんなものか知りたい人にお勧めです。


グランシェフの本というは、格調が高すぎて取っ付きにくいもの。
それはわかっていたのですが、ミシュラン3つ星を始めとする数々のマスコミの高評価に心が揺れて、この値段ならいいかと、仕入れてみました。
そしたらやっぱり・・・、とっつきにくいのでした(汗)。


オステリアの地方料理とは正反対の、独創的で個性的でトレンディーなボットゥーラシェフの料理は、とっつきにくいという理由で避けては通れないほど外国人を惹きつけているようです。

地元の食文化をリスペクトしながら伝統とは正反対の料理を作る、ということへの彼なりの答えのような料理書です。
簡単に理解できる料理は一つもありません。

この本の中で一番注目されている料理は“ヴァルパダナの霧”です。
この超抽象的な料理名。
凡人が理解できるはずなかったなあ。

そもそも、パルミジャーノ・レッジャーノについて、シェフは何を語るのでしょうか。

この本には、こんなエピソードが語られています。
彼は奥様がアメリカ人で、ニューヨーク在住。
ニューヨークで彼に出会った人が、彼がパルミジャーノを数キロ運んでいるのを見て、故郷がテーマの料理をつくるのですか、と訪ねたところ、いやいや、私や家族が食べるんですよ、という返事が帰ってきたそうです。

まあ、あまり深刻に構えすぎないことですな。
ちなみに同じシリーズで『マッシモ・ボットゥーラ・バルサミコ』という本もあります。 



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2019年7月15日月曜日

王女の名前をつけたシチリアのごまつきパン

“イタリアのパン”の話です。
今月のパンは、ビオーヴァとマファルデ。
南北の代表的日常のパンです。

ビオーヴァはピエモンテで一番有名なパンだそうで、トリノで生まれて電動こね機が普及した19~20世紀にかけて北イタリア全域に広まりました。
ミーカの一種という説もあります。
ミーカの小さいものがミケッタです。
ミケッタの語源については「総合解説」3/4月号に載っています。
小型のビオーヴァ、ビオヴェッタは具を挟むのに適していて、都会の労働者向きのパンでした。
スローライフの本場の時短パン。
大型のビオヴォーナは値段が安くて長期間もつという特徴があって家庭向きでした。
ピエモンテにパンのイメージはあまりないけど、実際には多様なパンがあります。
長期滞在していた人なら懐かしく感じるのだろうなあ。

巻いて押し潰してから半分に切る、独特の整形。

ピオヴェッタは具を挟むのに最適で、とろけるチーズとなすのグリルのにんにく、オイル、パセリのマリネなどが合います。

南のパンは、シチリアのマファルダです。
硬質小麦粉のごま付きパン。
これ、シチリアでやみつきになった人、多いはず。
独特のこの形は、とぐろを巻いた蛇のよう、とも形容します。
最後に尻尾を全体に巻き付けて、こんなふうに整形します。

すごくエキゾチックでシチリア的。
シチリアのストリートフードの象徴、パネッレやクロッケもマファルディーナでパニーノに。

そして焼く前、最後にまぶすのが、シチリアのパンの象徴で、地中海系アラブ料理のベース、ジュッジュレーナこと、ごまです。
マファルダはパレルモのパンとして知られていますが、カターニアのパン屋さんが、イタリア王ヴィットリオ・エマヌエーレ3世の娘、マファルダ・ディ・サヴォイアに捧げてつけた名前。
この名をつけたおかげでイタリア中に知名度が広がったのだそうです。
マファルダは世界大戦の時代に生きたお姫様で、ドイツ人貴族と結婚してナチスと関係の深い生涯でしたが、動画の多さから推測すると、イタリアの人々には愛されたようです。

やはり皇族の名前は、料理名の最終兵器ですね。

パンの本のお勧めは、スローフードのスクオラ・ディ・クチーナシリーズの、
『パーネ・ピッツェ・フォカッチェ』。
このシリーズには
『パスタ・フレスケ・エ・ニョッキ』と、『ドルチ・ダ・フォルノ』、『ビスコッティ・ピッコラ・パスティッチェリア』もあります。


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“イタリアのパン”の記事の日本語訳は「総合解説」2017年5/6月号P.46~に載っています。
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2019年7月12日金曜日

あれこれ調べたのに、結局諸説ありすぎとわかったズッパ・イングレーゼ

今日は『クチーナ・イタリアーナ』のscuola di cucinaの記事から、ズッパ・イングレーゼです。

記事は、まず、この料理が広まったいきさつについて。

諸説あるようですが、今回紹介するのはトライフルという言葉が出てこないこんな話です。
そもそもは、1552年に、レッジョの大公がスペインとの紛争を解決するためにシエナを訪れた時の食事の席で、最後に出されたドルチェが、ふんわりした生地にリキュールとクリームをたっぷりかけた甘いズッパで、それ以来、シエナではこのデザートが大公のズッパZuppa di Ducaとして知られるようになった、というのが始まり。

1552年というと、イタリア戦争の時代です。
スペインとフランスのイタリアを巡る戦いにヨーロッパがまきこまれて、しっちゃかめっちゃかになっていた時代の後期です。

ズッパ・ディ・ドゥーカ。
これが19世紀にフィレンツェのカフェ・ドネイのスペチャリタとして有名になり、当時のフィレンツェの上流階級を形成していたアングロサクソン系の人々の間で人気になったことから、イギリス人のズッパ、ズッパ・イングレーゼという名で知られるようになりました。

カフェ・ドネイというのはフランス人亡命貴族のドネイさんがフィレンツェのトルナブオニ通りに開いたティーサロン。
当時の顧客はフィレンツェの上流階級、芸術家、政治家、作家など。
イギリス領事館が近くにあったので、フィレンツェに住むイギリス人のたまり場になっていました。
1986年に閉店しています。

エミリア・ロマーニャ生まれのドルチェとイギリス人の関係は、ちゃんと抑えた説です。

カフェ・ドネイのズッパ・イングレーゼのリチェッタは、スポンジ生地やサヴォイアルディによく似たパスタ・ペザータpasta pesataという生地を、小麦粉が入らないクリームとアルケルメスに浸す、というもの。
トスカーナ以外にも、ナポリ風、ローマ風、エミリア風などがあるのだそうです。
パルマではイギリス海軍に人気のラム酒に浸したズッパ・イングレーゼが広まったそうです。
様々なリチェッタのズッパ・イングレーゼが生まれて、各地のドルチェとして定着していきました。

かなりもっともらしいですが、
『1001スペチャリタ』にも、


もっともらしい説が載っています。
それによると、16世紀のフェッラーラのエステ家の外交官が、ロンドンから戻ってロンドンのトライフルの味が懐かしくなり、料理人にイタリアの食材でロンドンの味を再現させたもの、という説。

こちらはトライフルというキーワードが出てきますねー。
トライフルがルーツというのは最も多く信じられている説ですが、それにしても、かなり曖昧。

これだけ諸説あると、自分の説が正しい、と言い切れる人はあまりいないようで、ますます曖昧になっていきますが、イタリアのドルチェにはありがなパターン。
まあ、謎のままでも美味しければいいか。



アルケルメスは真紅ではなくバラ色だったんですね。



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“ズッパ・イングレーゼのバリエーション”の記事とリチェッタの日本語訳は「総合解説」2017年5/6月号に載っています。
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2019年7月9日火曜日

卵が入らないフリッタータ?

さて、スパゲッティのフリッタータですが、まさかこの料理が、シチリアのアラブ料理やナポリのブルボン家の料理と繋がっていたとは、想像したこともなかったですねー。

シチリア王国とナポリ王国の貴族料理と農民料理が合体したもの、と考えると、残り物のスパゲッティに卵をからめて焼いただけの薄~いフリッタータはまだ農民料理の段階で、貴族料理の要素は皆無、という気がしてきました。
これは言うならば農民料理のフリッタータ。
アラブとブルボン家を感じる料理にするなら、できるだけゴージャスにしてみたいもの。
ちなみに、「総合解説」のリチェッタでは、スパゲッティ400gに卵大12個を加えます。
さらにカラブリア風なので間には唐辛子入りサラミ、ソップレッサータ、とろけるチーズのスカモルツァかカチョカヴァッロ、ゆで卵をはさみます。
フライパンから溢れ出そうなボリュームです。
フリッタータをオーブンで焼けば、裏返す必要がないのでフライパンで焼くよりもリッチな具にできるし、見た目も派手になります。

最後に、カラブリアの卵が入らない玉ねぎのフリッタータをどうぞ。
この場合のフリッタータは卵焼きではなく、フリッタータの卵にはつなぎの役割があります。
なのでつなぎを小麦粉と水の生地で代用すれば、卵が入らないフリッタータもありです。

ソースとマヨをかけて青のりを散らせばお好み焼きですね。

カラブリア料理の本、『サポーリ・ディ・カラブリア

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“スパゲッティのフリッタータ”の記事とリチェッタの日本語訳は「総合解説」2017年5/6月号P.14~に載っています。
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2019年7月8日月曜日

スパゲッティのフリッタータの歴史はナポリや南イタリアの歴史と繋がっていた

今日は、知ってるようでよく知らない料理、スパゲッティのフリッタータの話です。
総合解説」5/6月号P.14に載っています。
『サーレ・エ・ペペ』の記事でした。

記事の冒頭、ニューヨーク・タイムズが選ぶ“行きたい場所52選、2017年版”(web版はこちら)が話題になっていました。
毎年発表されているランキングですが、日本では、この年は大阪が15位に選ばれたということが話題になりました。
さらに52位が琉球諸島と、日本からは2ヶ所が選ばれていました。
その陰で、イタリアは、なんと1箇所しか選ばれなかった、ということにえらく憤慨しています。
その1ヶ所はカラブリアで、37位でした。
しかも、カラブリアの手付かずの自然の美しさが評価されたのではなく、食文化で選ばれたというのがイタリア人のみなさんのプライドをちょっとさかなでしたようです。
ちなみに大阪もおすすめポイントは食文化でした。
1位はカナダです。
このことからもわかるように、アメリカ目線の、まだアメリカ人に知られていない場所を選びがちな、とてもクセの強いランキングです。

ニューヨーク・タイムズが選別理由として掲げたカラブリアのレストランの1軒、ristorante Dattiloのシェフを呼んでさっそくTV番組に。
それにしても、アメリカ人どころかイタリア人もカラブリアの食文化はあまりよく知らないのでした。

総合解説」では、この謎の多いカラブリア料理を、他の地中海の街と同様、硬質小麦粉のパスタが基本の食文化、と定義しています。
パスタのセコンダ・コットゥーラ(ゆでたパスタにもう一度火を通す調理方法)も伝統だそうです。
そしてこのスパゲッティのフリッタータは、マルテディ・グラッソやパスクエッタのピクニック料理や、日曜日の夕食として作る伝統があるそうです。
マルテディ・グラッソはカーニバルの最終日、パスクエッタは復活祭の翌日の月曜日。
どちらもキリスト教の祝日で、特別な日。

スパゲッティのフリッタータはナポリ料理として知られていますが、この料理の歴史は南イタリアの歴史そのものです。
19世紀、南イタリア全域が両シチリア王国の領土だった時代に、ナポリはその首都でした。
そのため、ナポリ料理が南イタリア全域に広まったのです。
キーワードは両シチリア王国。
忘れがちですが、ナポリは一国の首都だったこともありました。
ナポリのすごいところを知る動画

当時のナポリはパリに次ぐ大都市だったんですね。
王国の主役はブルボン家。

このスパゲッティのフリッタータは、ティンバッロのバリエーションの一つです。
ティンバッロは9世紀にシチリアを支配したアラブ人が作り出して、ブルボン家に受け継がれた料理。
両シチリア王国はシチリア王国とナポリ王国が合体してできた国。
南イタリアの歴史は、ノルマン、アラブ、ブルボン、スペイン、ハプスブルグあたりが入り乱れて、ぐちゃぐちゃなので、すべて繋がっていると思っておけば間違いない。

ティンバッロといえばシチリアの貴族料理の代表ですが、最近ではおしゃれな惣菜店でも見かけるようになりました。
貴族料理版のティンバッロは豪華で派手なパーティー向き料理ですが、それに農民料理をミックスさせて、手軽な僅かな食材で作ったのが、シチリアの地方料理のティンバッロ。

シチリアの貴族料理なら、この本がお勧め。
シチリア/クチーナ・ディ・カーザ・プラネタ


今回は、カラブリアのパスタの話のはずが、気がついたらナポリとシチリアのパスタの話をしてました。
カラブリア、不憫すぎる。
続きは次回。


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“スパゲッティのフリッタータ”の記事の日本語訳は、「総合解説」2017年5/6月号P.14に載っています。
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2019年7月5日金曜日

ホワイトアスパラガスのグリルとアスパラガスのパスタ

グリーンピースのリゾットの次は、今月の「総合解説」で見た目が一番印象に残った料理の話です。
P.26の料理、ホワイトアスパラガスのグリルです。
「アスパラガス」の記事に登場したリチェッタは、どれも見た目にインパクトがありました。
中でも、印象的だったのが、ホワイトアスパラガスのグリルです。

イタリア北東部の光を当てないで栽培されているものが最高なんだそうですが、グリル版のこの焼き色がついたホワイトアスパラガスは、一段と美味しそうです。
上の動画では、収穫したその日のうちに、グリルしてオイル漬けにしているそうです。

記事のホワイトアスパラガスは、この焼き色が細くて、斜め十文字に上から下まで細かく交差していて、網タイツの網目みたいです。
白いアスパラガスにくっきりつくと、強烈なインパクト。
この動画のような一方だけの焼き目をつけたホワイトアスパラガスは多いのですが、ステーキのように交差させた焼き目は、始めてみました。

さらに次のリチェッタのアスパラガスのタタンも、最後の蒸しアスパラガスのピンツィモーニオも、かなり印象的。
特にアスパラガスをピンツィモーニオで食べるというアイデアは、楽しそうです。

パスタの本の中では1、2を争うお手軽本で、世界的なイタリア料理の研究家、パオロ・ペトローニ氏の本、『スパゲッティ・アモーレ・ミオ』には

アスパラガスのリングイーネのリチェッタがあります(P.36)。
それによると、アスパラガスを小さく切ってオリーブオイルで炒めたところに、塩、こしょうして練ったリコッタを加えます。
そこにゆでたパスタと牛乳少々を加えてあえ、仕上げにパルミジャーノをかけます。

この本とは逆にパスタの本の中では1、2を争う大型本、『グランデ・リーブロ・デッラ・パスタ』にも

アスパラガスとリコッタのパスタのリチェッタがありました。
こちらは玉ねぎのみじん切りをバターでソッフリットにし、小さく切ったアスパラガスを加えてなじませます。
さらにレードル1杯の湯をかけてゆでてミキサーにかけます。
これに裏漉しして水気を切ったリコッタを加えてソースにします。
パスタはファルファッレ。
ざっと水気を切ってソースであえます。

他にもアスパラガスとリコッタのパスタのリチェッタは色々あります。

小さく切ったアスパラガスをオリーブオイルと塩で2分炒め、水少々とブイヨンを加えてて水気がなくなるまで煮たらリコッタを加えてなめらかなソース状にします。
ゆでたフジッリにこのソースとシナモンを加えてなじませ、仕上げにパルミジャーノを散らします。

リコッタのクリーム系パスタです。


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“アスパラガス”のリチェッタの日本語訳は、「総合解説」2017年5/6月号P.25~に載っています。
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2019年7月3日水曜日

アッロンダのリゾットはスプーンでも食べれる

今日こそはヴィアローネ・ナノの話をします。
大力作のピエモンテ州の米の本、『リーゾ』から、

イタリアの米の部分をざっと訳してみます。

イタリアの米は、すべてジャポニカ米です。
イタリアの米は、その形からコムーネ、セミフィーノ、フィーノ、スーペルフィーノという4種類に分類されます。
コムーネは長さ5.4mm以下で丸く、煮るとでんぷんがたっぷり溶け出ます。
セミフィーノはコムーネより細長く、長さ6.4mm以下、でんぷんも豊富。
ヴェネトの代表的米、ヴィァローネ・ナノはこのタイプ。
フィーノとスーペルフィーノは大粒で長い米、長さは6.4mm以上。
スーペルフィーノは溶け出るでんぷんが少なく、煮崩れしにくい米
カルナローリはこのタイプ。

重要なのは、米の太さや長さは米の品質とは関係ない、ということ。
どの米も、リゾットに適していますが、その特性を活かす必要があります。
例えばセミフィーノは、とても柔らかい、クリーミーなリゾットに適しています。
スーペルフィーノは魚のリゾットやパエリアに適しています。

ヴィアローネ・ナノの産地。

クリーミーなリゾットを作る時のテクニックとして必ず登場する言葉が、“all'ondaアッロンダ”。
リゾットをアルデンテで柔らかく、波のように動かしてマンテカーレしながら仕上げる方法。
アンドレア・ベルトンシェフのマンテカーレ・アッロンダ。

こんな方法も。


ここで改めてリジ・エ・ビジ

「リゾットにはカルナローリが一番だけど、この料理はミネストラだからね」と言っています。
さらに、「リゾットはフォークで食べるけど、これはスプーンで食べてもいい」とも。

アッロンダの代名詞とも言えるのが、リゾット・ミラネーゼ。
クラッコシェフのリチェッタでどうぞ。

米はミラノを象徴する食材だそうです。

次はミラノのシェフたちによるリゾット・ミラネーゼの競演。

ヴィアローネ・ナノを使っていると言うシェフもいました。

リゾット・ミラネーゼのとろとろ具合や米粒の存在感は大好きですが、ヴェネトでリゾットを食べる時は、水分に注目してみるのも面白いですね。
ちなみにヴェネトには、ベネチアのイカ墨のリゾットやかぼちゃのリゾットなどの名物があります。




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“リジ・エ・ビジ”の記事の日本語訳は「総合解説」2017年5/6月号P.11に載っています。
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2019年7月1日月曜日

戦争や飢饉や伝染病を乗り越えて広まったイタリアの米

リジ・エ・ビジは、グリーンピースを余すことなく利用して味を引き出したリゾット。
グリーンピースとダブル主役を務める米は、
ヴィアローネ・ナノです。
リゾットにカルナローリを使うかヴィアローネ・ナノを使うかで、ピエモンテ派とヴェネト派に分かれるというのも興味深い現象。

力関係からか、どうしてもカルナローリを取り上げることが多くて、ヴィアローネ・ナノについては、情報があまりありません。
「総合解説」P.11に載せた『サーレ・エ・ぺぺ』の、
「16世紀にオリエントからベネチアやヴェローナなどのヴェネトの農村に伝わった」
という短い文章は、ヴィアローネ・ナノを知る貴重な1行。

米に関しては、自分の国のものが世界一と信じ切ってる、という意味ではイタリアも日本も似たようなものです。
でもイタリアには、日本とは全く違う米の世界がありました。

ピエモンテ州が総力編集した本『リーゾ』によると、

米は、オリエントのスパイスと同じように秘薬のように扱われたので、商人のキャラバンによってインドからエジプト経由で輸入されていました。
栽培は、まず地中海に伝わり、そこからヨーロッパに広まったと考えられています。
そのきっかけを作ったのは、例によって、アラブ人です。
8世紀頃にまずアラブ人が支配したスペインに広まり、
イタリアには、十字軍やナポリ王国のスペインのアラゴン家、シチリアを支配したアラブ人によって伝わった等の説があります。
さらには中東や極東との貿易を仕切っていたベネチアによって伝わったとも言われています。
ピエモンテには、1269年に、サヴォイア家の大公がドルチェ用の米を大金を出して買ったという記録が残っています。

1348年から1352年にかけて、イタリア中に伝染病が広まり、栄養価が高くて収穫量の多い農作物が必要になりました。
14世紀半ばから16世紀にかけて、ヨーロッパは戦争や伝染病、飢饉で疲弊し、ファッロなど新しい食物に目を向けるようになっていました。

15世紀から16世紀末にかけて、米はイタリアに普及し、ルネッサンスの食物と呼ばれていました。
それと同時に問題もありました。
マラリアです。
水田は都市や主要道路から離れた場所に作るように命令が出ました。
農民の命は軽視されていたのですね。
一方で、マラリアと水田に関係はない、と主張する人々もいました。
1584年には、ノヴァーラの医者が、水田が人間に危害を及ぼすことはほとんどない、と宣言します。
それでもマラリアの媒介物の蚊が発見される19世紀半ばまで、この考えは信じられていました。

15世紀初め、イタリアには5000haの田んぼがあり、15世紀末には10倍に増えていました。
米は贅沢な食べ物とみなされていたので、法律によって管理されるようになります。
このあたりから、ピエモンテとヴェネトの米は別々の道を歩みだしたのかも知れません。
さらに、輸出品として世界中に運ばれるようになると、米は世界経済にも影響を及ぼす作物になりました。
10年前に書かれたピエモンテ州の本には、最近のイタリアの米の栽培面積は22万haに上る、と書かれています。

イタリアで米が普及するのまでの歴史をざっと知ったところで、次はヴィアローネ・ナノの話。
ヴィアローネ・ナノのことを知ることは、ヴェネトの米を知ること。

熱く語りますねー。
この米を知らなければヴェネトの米料理は語れないですね。

米の歴史の話が長くなっちゃいました。
次こそはヴィアローネ・ナノの話を・・・。



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“地方料理~リジ・エ・ビジ”のリチェッタの日本語訳は、「総合解説」2017年5/6月号P.11に載っています。
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