記事は、まず、この料理が広まったいきさつについて。
諸説あるようですが、今回紹介するのはトライフルという言葉が出てこないこんな話です。
そもそもは、1552年に、レッジョの大公がスペインとの紛争を解決するためにシエナを訪れた時の食事の席で、最後に出されたドルチェが、ふんわりした生地にリキュールとクリームをたっぷりかけた甘いズッパで、それ以来、シエナではこのデザートが大公のズッパZuppa di Ducaとして知られるようになった、というのが始まり。
1552年というと、イタリア戦争の時代です。
スペインとフランスのイタリアを巡る戦いにヨーロッパがまきこまれて、しっちゃかめっちゃかになっていた時代の後期です。
ズッパ・ディ・ドゥーカ。
これが19世紀にフィレンツェのカフェ・ドネイのスペチャリタとして有名になり、当時のフィレンツェの上流階級を形成していたアングロサクソン系の人々の間で人気になったことから、イギリス人のズッパ、ズッパ・イングレーゼという名で知られるようになりました。
カフェ・ドネイというのはフランス人亡命貴族のドネイさんがフィレンツェのトルナブオニ通りに開いたティーサロン。
当時の顧客はフィレンツェの上流階級、芸術家、政治家、作家など。
イギリス領事館が近くにあったので、フィレンツェに住むイギリス人のたまり場になっていました。
1986年に閉店しています。
エミリア・ロマーニャ生まれのドルチェとイギリス人の関係は、ちゃんと抑えた説です。
カフェ・ドネイのズッパ・イングレーゼのリチェッタは、スポンジ生地やサヴォイアルディによく似たパスタ・ペザータpasta pesataという生地を、小麦粉が入らないクリームとアルケルメスに浸す、というもの。
トスカーナ以外にも、ナポリ風、ローマ風、エミリア風などがあるのだそうです。
パルマではイギリス海軍に人気のラム酒に浸したズッパ・イングレーゼが広まったそうです。
様々なリチェッタのズッパ・イングレーゼが生まれて、各地のドルチェとして定着していきました。
かなりもっともらしいですが、
『1001スペチャリタ』にも、
もっともらしい説が載っています。
それによると、16世紀のフェッラーラのエステ家の外交官が、ロンドンから戻ってロンドンのトライフルの味が懐かしくなり、料理人にイタリアの食材でロンドンの味を再現させたもの、という説。
こちらはトライフルというキーワードが出てきますねー。
トライフルがルーツというのは最も多く信じられている説ですが、それにしても、かなり曖昧。
これだけ諸説あると、自分の説が正しい、と言い切れる人はあまりいないようで、ますます曖昧になっていきますが、イタリアのドルチェにはありがなパターン。
まあ、謎のままでも美味しければいいか。
アルケルメスは真紅ではなくバラ色だったんですね。
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“ズッパ・イングレーゼのバリエーション”の記事とリチェッタの日本語訳は「総合解説」2017年5/6月号に載っています。
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